デーテーペーな1日

2000.06.01~15


日記関係の発言はこちらで。

6月1日(Thu)


 我が家の「腹乗りウサギ」なんですが、近ごろではすっかり大きくなって小さい頃の愛嬌も消えてしまってただのバカっぽい愚鈍なウサギそのものといった感じです。もともとウサギってあまり利口そうには見えないけど我が家の奴は特に飼い主ににてきたのかも知れません。
 で、このウサギなんですが、やたらとすりよってきて腕をぺろぺろなめたりお腹の上に飛び乗ったりと妙に僕になついているというかすり寄ってくるからヘンな奴と思ってたんですが、この2・3日はというと、人がいい気持ちで腕枕などをしてテレビを見ていると、あろう事か僕の腕にかじりついて猛烈な勢いで腰を前後に振ったりして・・・まったくなぁ人の腕でオナニーするんじゃないよ、このバカウサギ。腕に射精でもされたらたまらないので慌てて引っ込めると悩ましい目つきで僕を見上げたりしてますますヘンな奴です。うーん、僕はウサギに好かれるフェロモンでも出してるんでしょうか。風呂はいる前だったからちょっと汗くさかったかも知れません。とは言えウサギの性衝動の対象にされてもなぁ・・・ウサギじゃなくて人間の女性にきくんなら良かったのに。
 しかしウサギとは侮れないその腰の回転のすばやさはやっぱり獣の血なんでしょうか。僕もちょっとは見習いたいような気がしました。まぁ今更見習っても仕方がないんですが。

 夜の11時過ぎに突然電話。もっとも電話っていつも突然のタイミングでしか鳴らないものだと思いますが。いろいろと聞かされて納得したり呆れたり・・・がはははh、
 まぁいつも通りで元気そうだったので僕が心配することもないんでしょう。 



6月2日(Fri)

 別段萎えているわけでもなくて、ただただヤル気がないというのがWeb日記書きには一番危うい状況なんでしょう。ムキになって更新していたのが嘘のように、ともすれば日記を書くことを忘れてしまいそうになるのがつまりは潮時という奴なのかもしれません。と言いつついつまでもダラダラと書くのがつまりは僕のスタイルという事らしくて、相変わらずこんな読む価値のない日記を書いてます。

 母さんにきいても、母さんも、/町にいるから、知らないの。/いつも私はさみしいの。
 金子みすずの空虚さに満ちた(形容矛盾)コトバの断片に、ふと惹かれる。



6月3日(Sat)

 やっぱり夕方に地震があったんですよね。車で外出中でちょうど信号待ちしていたときになんだか揺れてるなぁとは思いながら、車に乗っている時って揺れにはほとんど無頓着ですから果たして地震だったのかどうなのか自分でもよく判らなくて家に帰ってから子ども達に聞いてみると「知らない。」と言うことだったので勘違いなのかと思ってましたが、やはり東京でも震度3程度の揺れはあったようです。
 震度3の地震があったのにも気がつかないって、我が家の子ども達もいい加減ぼけてるなぁ。地震であまり怖い思いをしたことがないせいなのか、それとも単に鈍いだけなのか。恐らくは後者のような気がします。
 僕自身もそんな大きな地震に遭遇したことはないので子ども達のことを言えた義理ではありませんが、天地が鳴動するような揺れというのはやっぱり自ら経験したものでなければ到底実感できないのかも知れません。阪神淡路大震災の時も東京では揺れたことさえ気づかなくて朝のテレビの空撮をみて始めて知ったぐらいですから本当の地震の恐怖というものを知らずにいます。世紀末のブームでさんざんに語られた滅亡は幸いにも(本当に幸いだったのかどうかは不明。)実現することはありませんでしたが、何れ東京を襲うであろう第2の関東大震災は新たな千年紀などと浮かれている頃にふいに我々の頭上に落ちてくるのかも知れません。偶然という奴はえてしてそうしたものですから。

 別に大地震を期待して待っているわけでもないくて、人並みにそれを恐れています。失うべきものをなにも持たなかった頃は地震を恐れることなど一切なかったのですが。



6月4日(Sun)

 運動会という事で奥さんは朝から台所でお弁当づくりで忙しそうでした。唐揚げに玉子の厚焼きとかウィンナーにあとは果物と、それこそお弁当の定番という奴で毎回毎回代わりばえしないけど、やっぱりこうした時はみんなと同じ方が安心できるんでしょうか。保育園の親子遠足などでよその家のお弁当を見て、みんな同じような中身だった事に驚いた覚えがあります。
 面倒だから寝ていたいなと思っていたんですが麻美が絶対応援に来てと言うから仕方なく出かけてきました。相変わらずビンボーくさいお父さんやお母さん達がウロウロしていてそっちを眺めているのもなかなか面白いんですがあまりキョロキョロしていると顔見知りの奥さんに見つかったりすると面倒なのでなるべく目立たないようにしないと。懐かしの「茶パツでいぇーい」の奥さんあたりに捕まると選挙も近いのでまたしつこく投票すすめられたりしてうるさい限りですから。

 で、肝心の運動会なんですが、みんな同じ体操着で誰が誰やらよく判らないし、その上目が悪い僕にはどれが我が子なのかさっぱりで「どこだどこだ」と探しているうちに競技のほうは終わってしまって一体何のために行ったんだかよく判らない運動会でした。

 朝早くから出かけたせいで毎週見ている「仮面ライダークウガ」を見逃してしまったのがとっても残念。



6月5日(Mon)

 例によってヤル気のないまま日記の更新をさぼっていたらどんどん日付に追い抜かれていってしまってます。現在は6月7日の早朝なんで(一体いつの日記なんだか)もはや2日前のことなどなにがあったかなんてきれいさっぱり忘れてます。たしか子ども達は日曜日の運動会の振り替え休日という事で午後から友達のうちに遊びに行って夕方まで帰ってこなかったので会話らしい会話もなかったような気がします。会話のないのはいつもの事ですが。

 マジで2日前になにがあったかよく覚えてないです。こんなものを日記と称するのはやっぱり間違ってます。



6月6日(Tue)

 1日1ファイルの日記という奴はマメに毎日更新してこそ意味があって、最近のように日記をさぼりたいときにはなにかと不都合が多くて面倒です。毎日の日記がだーっと繋がっていれば途中抜けたところで大して目立たないのに、1日1ファイルだと前日に戻ろうとすると日付がとびとびになったりするのがちょっとヘンじゃないでしょうか・・・なんてつまらないことに拘るのもバカっぽいよなぁ。さぼりたければ黙ってそうすれば良いものをなにかと理屈をつけては更新しようとするあたりも実にくだらない限りです。
 さぼりたいさぼりたいと言いながらそれをネタに日記を書くってのもやはり一種のメタ日記なんでしょうか。我ながら随分とビンボーくさいメタ日記です。

 日記がどんどん短くなってるのはやっぱり日常の空疎さの表れなんだと思います。日記も日常もすきま風ばかりが目立つようです。



6月7日(Wed)

 たまには早めに日記の更新をしておくかなぁ・・・と言っても日付はやっぱり変わってしまっているんですが。なんだか朝に日記を書くのが面倒なので。同じ手抜き日記ならちゃっちゃっと手短に書いておくに限りますから。
 日常的には相変わらずのようで、子ども達は学校から帰ってくるなり今週の金曜日に予定されている校外学習という名の「遠足」の準備の為にみんなで買物に行くんだと出かけるし、奥さんはいないし、なんだか外は暑そうだし、家の中でひとりポツンと座ってアイスクリームなどを食べながら「ボーンコレクター」読んでました。しかし、アイスクリーム食べながら本を読むのは結構面倒です。両手がふさがっているのでページをめくるのに苦労するし、うっかりすると本を汚したりしそうでやっぱりアイスクリーム食べながら本を読むのはやめたほうが良さそうです。別段愛書家という訳ではなくて、小さい頃からの貧乏性で本を汚すことに何となく罪悪感があってこうした時にけっこう神経質です。働くようになって自由に本を買えることが心底嬉しかったのもやはり貧乏性の表れなんでしょう。
 ソフトクリームなら片手で食べられるのでオッケーかな。

 相変わらず呆然としたままでメールも書かずにいます。そこに「あなた」がいるだけで満足してしまうから、と言うのはあまりに不埒な物言いではあります。



6月8日(Thu)

 事務所のモニターの向こうには裏のアパートの境界に接するように窓があるのだが、ふと気づくとガラス越しに小さな影が・・・よくよく目を凝らしてみると黒と灰色の縞模様の子猫が格子とガラスの間の狭い隙間にちょこんと座っている。どうしてこんな処に。そう言えばここ2・3日鈴の音が頻繁にすると思っていたら、どこかの飼い猫が秘かに子育てでもしているのかもしれない。それにしては親猫の姿が見当たらないのが変だけど。
 そっと窓を開けてみると、少し怯えた目で僕を見返すと小さな小さな声で「みゅう。」と啼いた。どうにも我慢できなくて思わず抱き上げてしまってから、さてどうしたものかと躊躇する。いささか不安そうだが、されるままに僕の手の中でじっとしているその小さな生き物を目の高さにまで持ち上げて、「おい、どうした。」と訊いてみる。
 やはりとても小さな声で一声啼いただけで僕をじっと見返す様子に、ふいに僕は小さい頃たった一度だけ飼った子猫のことを思い出していた。

 生き物が大嫌いだった筈の母が気まぐれにどこからか貰ってきた子猫は痩せていてとてもちっぽけだった。弱々しい声で啼いては僕の指先を小さな舌で舐めるのだが、僕はあまり嬉しそうな顔をしないほうが良さそうな気がして黙って頭を撫でていたが、内心ではそんな子猫の様子に魅了されていた。夜にはミカンの空き箱にタオルを敷きそっとその中に降ろしてやるとすぐに丸くなって眠った。そんな様子を僕は飽きることなく眺めていた
 それから子猫はどうなったのか・・・確か何日かして、変な匂いがするからとミカン箱といっしょに母が自転車の荷台に乗せてどこかに出かけたきり戻ってくることはなかった。いなくなってから僕は子猫に名前をつけなかったことに気づいたがそのことを母には言わなかった。
 誰もいない部屋で少し泣いたような気がする。

 2階からお皿とミルクを持ってきて子猫の前に置く。ぴちゃぴちゃと音をたてて少しだけミルクを舐めたがあまりお腹は空いていないようだった。
 もう一度そっと抱き上げて最初に見つけた窓枠の上にそっと降ろしてやると、すぐ下にあるクーラの室外機の上にひょいと飛び移った。僕の顔を見あげると小さな小さな声で「みゅう。」と啼いた。

 「ばいばい、暇だったらまた遊びにおいで。」

 そう声をかけると僕は静かに窓を閉じた。

 幼い生き物という奴は無条件に庇護したくなるような、そんな不思議な力を持っているような気がします。その上、無力でいたいけな処がなにかしら後ろめたい記憶を呼び覚ますようです。



6月9日(Fri)

 やっぱり昨日の子猫が気になって何度も確かめてみるのだが窓の外にはそれらしい気配はなくて、いったい何処へいったんだろうと思っていると、学校から帰ってくるなり子ども達が慌てて2階まで駆け上がると「猫が来てるとよ。」と僕に知らせにきた。昨日猫が遊びにきたことを話したらやたらと逢いたがって「いったいどんな猫? 何処からきたの?」とうるさかったんですが、車の下を覗くとちょうどそこにいたんだとか。しかも2匹。
 昨日のやつは横縞だったんですが、兄弟らしいもう一匹は毛色は同じ黒と白の縦縞模様なんですが顔つきはよく似てます。正美が抱いているほうは「トランペット」のランで麻美のほうは「クラリネット」だからリネって、いつの間にか勝手に名前までつけてすっかり飼うつもりになっているけどいきなり2匹はなぁ・・・正直言って1匹なら飼うつもりでいたけど2匹となると奥さんからなに言われるかも判らないし、いきなり最初から2匹飼うのは大変なような気がするけど、どうしたものなんでしょう。
 そんな呑気な事を言ってるうちに今度は茶色の三毛まで現れて、これは大人だからひょっとすると親? あぁ、この調子で一家全員を面倒見るのは到底無理だと思うけど。

 子ども達は駐車場にゴザひいてずっと猫と遊んでます。ここしばらくは猫日記となるような予感。



6月10日(Sat)

 うっかりミルクなどを与えたのがやっぱりまずかったのかなぁ。とうとう4匹目の猫(黒)が現れて、よくは判らないけどこれで一家勢揃いなんでしょうか。
 駐車場の横に敷かれたシートの上ですっかり4匹でくつろいでしまってます。これで自分達と同じだと子ども達はすっかり喜んでますがこの調子で近所中の野良猫が集まった日には早晩我が家は猫屋敷と化してしまいそうです。駐車場でウロウロしてるから車の出し入れの度にうっかりしてひくんじゃないかとヒヤヒヤしてます。どうしたものか・・・
 生き物で言えばもう一匹、我が家のばかウサギなんですが、最近はますますエスカレートしてきてすきあらば人の腕にすがりついて腰使うんでうっかり夕寝もできません。せっかくいい気持ちで寝てるところにすり寄ってきて怪しい振る舞いに及ぶから油断も隙もないとはこの事です。いつもオリの中では可哀想だからと奥さんがすぐにケージから出すのが問題なんですが子ども達や奥さんにはやらないところが不思議。ひょっとするとホモのウサギなんでしょうか。オスにしか興味がないとか。いやん、
 うーん、「因幡のホモウサギ」とでも題する新しい童話でも書きますか。やっぱりばかウサギはほおっておくしかないのかも。

 ばかウサギの事ではなくて猫の一家をどうするかの問題でした。子猫達の姿を見てるとやっぱり底抜けに可愛いんですけどねぇ。

 キャットフードと猫缶まで買ってくるようではますます居着いてしまうと思いながら、子ども達に言われるとつい・・・



6月11日(Sun)

 野良猫日記もいい加減にしないと、と思いつつここの処の子どもたちとの話題の中心はといえばやっぱり猫達のことなんです。
 今日なんて雨が降ってうすら寒い陽気だというのに正美などは駐車場に敷いたシートの上で猫と一緒に昼寝している始末です。まったくなぁ、どっちが野良猫だかわからないような気がします。人の通りもあるのに猫と一緒に外で寝なくてもよさそうなものですが、奥さんがうるさいので家の中に上げることは今の処は諦めているようです。もっとも奥さんがいないときにはこっそり自分達の部屋で遊ばせてるようですが、これはナイショ。父親もなんだかんだ言いながらつい気になって駐車場の車の下を覗いてみるとみゃあみゃあ言いながら一家で出てこられたりするとついキャットフードをやったりして子ども達と一緒に奥さんに怒られてます。
 茶色と黒が両親なのかと思ってましたが、タマタマがあるようなのでどうやら2匹ともオスのようです。だとすると家族でもなんでもなくて近所の野良猫が餌に釣られて集まってるだけだとするとまずいよなぁ。これ以上増えたらえらい事です。どうしたものか、未だに思案中。

 子猫はひたすらじゃれるだけですが、大人の猫って妙に媚びるところがちょっとヤだな。なにかを求めてみゃあみゃあ啼くところが自分に似てるからかも。



6月12日(Mon)

 そう言えばそろそろホタルの季節なんですね。確か去年の今ごろ子ども達と一緒にホタルを見に行ったと思うけど、あの公園ではホタルの人工飼育を続けている筈ですからまた今年も行ってみようかな。ここの処ずっと雨なんですがホタルって雨でも飛ぶものなんでしょうか。確か怪談などでは雨がしとしと降る夜にホタルが飛ぶなどといった描写があったと思ったので雨の日でもホタル見物はできるような気がします。
  Webで少し調べてみたんですがホタルって幼虫さえ手に入れば個人でも簡単な水槽があれば人工飼育ができそう。餌なんてあさりのむき身でもいいみたいで、けっこういい加減な虫なのかも。そうなれば自分の家の中でホタルを飛ばすなんてこともひょっとしたらできるのかも知れません。あぁだけどホタルの幼虫って蛆虫みたいだし、肝心のホタル自体もよく見ればちっちゃなゴキブリみたいだから昆虫嫌いの僕としてはやっぱり夜目遠目で眺めているのが一番幸せかも。

 年に一度近くの公園でホタル眺めるぐらいがやっぱり無難でしょう。

 今朝チラッと姿を見せただけで一日中チビ猫達の姿が見えません。何処へ行ったんでしょう。雨が降ってこんなに肌寒いというのに。子ども達もずっと気にして夜になっても何度も駐車場を覗いてみるんですが何処にも見当たらなくて、麻美などはこっそり泣いてたりしてるようです。どこかの家で飼われたのなら良いんですが。



6月13日(Tue)

 寂しいので更新。ってのが身にしみてよく判るんですが、そうするとともすれば更新をさぼりたがる最近の僕などは本当は寂しくはないと言うことになるんでしょうか。
 友達が少ないことは昔からでそれを気に病んだこともあまりなかったし、肉親の縁が薄いのはこれはかなりの部分は自業自得という奴で、根っからそうしたものへの情が希薄な質なんだとおもいます。だとするとなにを称して「寂しい」と言いたいのか・・・まぁ、ひとりで生まれてひとりで死んでいくのが人間の本質だとするなら、すなわち生きることすべては寂しいものなのかも知れません。それを埋め合わせるために「愛」だとか「真理」だとか、決して手に取ることのできぬものを求め続けるるしかないのかも。
 なんだかこうした考え方自体が「寂しい」ような気がするけど、要は余計なことを考えなければ寂しさなんてものを自らが引き寄せることもない筈なのに不明な夜にはついつい横道にそれたがるのがすなわち人間というものの愚かしさなんでしょう。

 子猫はどこにも見当たらないようです。こうなるとやっぱり2匹とも飼ってやればよかったと思うのですが、いまさら埒もないはなしです。



6月14日(Wed)

 どうやらメールサーバもWWWサーバもこけているようなのでこれ幸いと更新をさぼってました。こうして理由があると本人は安心して更新をさぼれるようです。だから「寂しくないから更新しない」というのではなくて、やっぱり「寂しいけど更新しない」というのが正解のようです。何故って、僕は生まれついて寂しい奴だから、なんちゃって。
 寂しいと言えば我が家の野良猫。茶色の奴(名前はサンとつけたようです。)はすっかり居着いてしまって駐車場の車の上で一日中暮らしてます。おかげでボンネットの上は猫の足跡だらけ・・・車で出かけようとバックしても道路に出るまで降りようとしないで、そうなってから慌てて飛び降りるから毎回面倒です。まぁ車の下に潜られてひょっとしたらひいたんじゃないかと心配するよりはましだと思ったほうが良いのかな。それにしてもこの猫、餌を貰うと嬉しさのあまりなのか頭をグイグイ押しつけるようにしてひとに身体をあずけてくる処など、なんだか猫らしくない媚び方のような気がするんですが、もっとも僕はあまり猫のことには詳しくないのでそんな風なのが普通なのかも知れません。
 家の中に入れてやっても良いんですが、いざ動物を飼うとなると部屋を汚すと奥さんに怒られそうだなぁとか、旅行中はどうするのとか、いろいろと考えると未だ思案中です。

 子ども達はのべつまくなしに餌を与えるものだから1日でキャットフード1箱空けてしまうからそれじゃいくらなんでもやりすぎでしょう。小学5年生にもなって未だ計画性などというものからはほど遠い性格のようです。



6月15日(Thu)

 こうした時はサクサクと更新しておけば良いんでしょうが相変わらずのかわりばえのない日常で、とりたてて言葉にしなければならない生活というものも見当たらないようです。
 最近は本当に自分の身の回り半径1m程度の範囲にしか興味が向いていないような気がします。それも興味というよりもあまりに身近すぎてかかわらざるを得ないから仕方なく手にとってみるという塩梅で、それはヤル気のなさがいよいよ日常生活にまで深く浸透しているせいなのかも知れません。
 だから嫌でもすり寄ってきてみゃあみゃあと啼く猫だけが懐深くに入り込んで、僕という人間の内側にあるわずかばかりの他との係わりの大部分を今現在は占めている訳なのです。
 正直言って、車で帰ってくるとどこからともなく現れて人の顔をみてはみゃあと啼く姿はたとえ餌欲しさ故だとしてもなかなか可愛いものです。そうした無条件な存在に対してあまり馴れない僕などは、子ども達には決まった時間に餌を上げなければダメと言いながら、自分では「3時のおやつだから。」などと言い訳しながらこっそり猫缶を与えたりしてます。「甘やかすことの快感」という奴でしょうか。まぁ何れにしても、今現在僕が係わりつつある存在と言えば我が家の捨て猫ぐらいしか思い浮かびません。<要は「寂しい」と言いたいようです。

 ちょっと前まではプレステ2日記だった筈なんですが、最近はすっかり飽きてます。我ながら飽きっぽい奴。


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