やっぱり、「皆さん明けましておめでとうございます。」とご挨拶すべきでしょうか・・・実は年賀状というものを出さなくなってから随分になります。奥さんは例の恥ずかしい写真入り年賀状が大好きなので、何時ものようにあちこちのお母さん相手に、自らの卵子の成長記録を送りつけたり貰ったり・・・きゃー、アレって、半分は僕の精子の成長記録でもあるのか。<男親に確証はないけど。 う〜ん、新年早々なんという話題から始めてしまうのでしょう。この1年の僕の日記の行く末はもはや確定済みかもしれません。 はい、新年のご挨拶についてでした。 しかし・・・日付が変わって早々の明治神宮の人混みって・・・あんな処に出かけるヤツはバカだぁ〜!えぇ、バカですとも。我が家は家族総出で出かけました。 子供の頃のお正月・・・今と比べてずっと貧しくてささやかだった筈なのに、なぜかとても大切なものに思えたのは、やはり僕自身が変わってしまったからでしょうか?何かを置き忘れてきたような気がしてならないのは、僕の個人的な記憶のせいなのか・・・ |
一部の方からは、何処にも出かけないでひたすら家に篭もっている日記と呼ばれ、自分自身でも友人が少ないとふれ廻ってはいますが、さすがに正月ともなると、親戚やら知人やらの訪問があります。年に1度ぐらいやって来て親戚面するなよとは・・・思っていても言ったことはありません。<あたり前。まぁ、僕自身は肉親に縁が薄いので、やってくるのは奥さんの方の親戚だけですが。 そう言えば、人並みに結婚式を挙げたは良いが、僕の側から呼ぶべき親戚・友人がまるでいなくて、我ながらなんて寂しい人生かと改めて披露宴のメンバー見渡して思ったこともありました。あぁ、なぜに正月早々、こんな回想に耽るのか?寂しいのか? 2色なますと田作りは何故かレシピ見ながら僕が手作りしました。うん、意外とかんたん。後は・・・きんぴらごぼうと玉子巻きも毎年恒例で、僕が作ることになっています。最近こそ料理などあまりやりませんが、我が家では料理の腕は父親が一枚上と云うのが家族全員の一致した意見なのです。結婚当初の奥さんの料理の腕はそれはそれは凄かったです・・・あまり書くと奥さんに怒られること必定な程凄かったと書くことで、まぁ、料理の中身はご想像下さい。がはははh。 僕の大嫌いなおせち料理を皆でつつき、なぜか酒を飲まないメンバーばかりなので男3人がテーブル囲んで三ツ矢サイダー酌み交わす図というのは、これはこれでなかなかに愛すべき風景です。酒飲むばかりが正月ではありませんゾ、そこの君。 お正月はなぜか食べてばかり。普段の粗食が有ってこそのお正月の御馳走なんでしょう。しかし、もはや特別な日にしか食べられないモノなどあり得ない飽食の現代日本育ちの我が家のこども達は、おせち料理ではなくて、お昼にはチキンラーメンが食べたいとしきりと言います。う〜ん、この親にしてこの子有り。元旦の深夜に「われめDEポン」見ながらカップラーメン食べていたのは、この僕です。
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1月も3日ともなれば、いつまでもおせち料理でもないのでしょう。しかし・・・今日もまた、朝・昼・夕と、何度も暖めなおしてすっかり煮くずれた煮物だの焼き豚の切れ端食べさせられるのにウンザリ。はい、ただのおせち料理の食べ残しです。それもだらだらと食べ続けなので、いつが昼食やら夕食なのか、サッパリ判りません。う〜ん、そろそろ胃の調子が・・・いくら自堕落な生活が好きだといえ、三が日を家にこもって、つまらないお正月番組見ながらえんえん何かを食べ続ける生活って、だんだん拷問のように思えてきました。 う〜ん、かくの如く世間はお正月とは言え、ウダウダとした我が家の生活が連日続いているようで、こんな日記を読まされる方もウンザリかもしれません。その上今日あたりは、インターネットの世界も正月疲れなのか至って静かです。日記者もお正月のご挨拶が済んでしまえば、あまり書くべき事もないのか、それとも連日の疲労のピークなのか、すっかり深閑としております。 しかし、我が家のこども達はとても嬉しそうです。何も言われないのを良い事にして、食事の後でアイス食べたり、勝手にチョコレートの包み明けたり、実に自堕落を楽しんでいます。その合間には、ミニテトリスやったり<きゃー、やっぱり買ったのか!スマン!誰となく・・・
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あまりに1日中お家にこもってウダウダしていても仕方がないので、出かけることにしました。去年の暮れから、こども達は何故か「動物園」に連れて行けとうるさいので、すっかり忘れられた珍獣(オーストラリアでは珍しくも何ともないらしい)「コアラ」で有名な「多摩動物公園」に午後から出かけました。はい、我が家からけっこう近いんです。普段は車で30分ぐらいなんですが、お隣の高幡不動の初詣客の車で渋滞して1時間近くかかってしまいました。しかし・・・日本中にヒマ人は溢れかえっているようです。 「多摩動物公園」行った方ならご存じだと思いますが、何億だか何十億だか掛けて造ったらしいコアラ舎で、薄暗いホールの枯れ枝でじっと動かない灰色のボロ布だか毛布だか判らない代物みる度に、僕は心底ムカムカしております。何度行っても、結局何処に何がいるのやらサッパリで、そんなにご大層なモノならいっそ公開するなよと言いたくなります。シドニー近郊の民間施設では日本人観光客の客寄せにコアラ抱っこさせる処もあるらしいと言うのに・・・ ライオンバスは、肝心のライオンが何処にも見当たりません。あぁ、何だか遠くの方で寒そうに縮こまったライオンが2・3匹。ただのでっかい猫だなぁ〜、あれは。 何故か・・・すっかり「虫めずる姫」と化した我が家の娘二人、昆虫館で昆虫標本を随分熱心に眺めてます。きゃー、ニューギニアあたりの巨大なナナフシって、まさに僕の悪夢の中の登場人物そのもの。あんなのが生きて動いてるところ想像するだけでなにやら冷たいものが脇の下を・・・何だか、暑すぎる暖房とすえたような標本箱の匂いで、気持ちが悪い。う〜ん、今夜夢に見そうです、あの飼育箱の中のでかいゴキブリ。 生活習慣がめちゃくちゃで、毎日起きるのはお昼12時過ぎです。しかし普段より睡眠はたっぷり取れているので、時間がずれているだけでかえって健康的かもしれません。昼から起き出して仕事を始めるパターンと云うのもなかなか魅力的ですが、夜の日記巡りが収まるわけでもないので、ますます仕事をする時間がなくなるだけでしょう。そろそろ平均的日本人の生活時間に戻さないと、このまま浮上できなくなる可能性が大きいかもしれません。
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夕方からチラチラ舞い始めた白いものはいつの間にか本物に変わったようです。湿り気を帯びたそれは、降るそばから次々と消えていき、車道のわだちの間を流れていきます。 そう、東京はこの冬始めての「雪」に沈んでいます。音のない家並に濡れた路面を走る車の音だけが増幅され、なにやら正月気分の抜けぬまま、街は明日からの日常にすでにうんざりしているように見えます。 第四間氷期のせいか、炭酸ガスの温室効果のせいか・・・平均気温は明らかに上昇に転じているようですが、それでも年に何度かは東京でも雪が降ります。深夜にまで降り続けば明日の朝は数センチの積雪が有るのでしょう。いい年をして、深夜に降りつのる雪をガラス越しに眺める事が好きだったりします。さらに言えば、あまり雪に縁のない関西に育った僕は、雪国のあの灰色の空から際限もなく降ってくる雪を呆然と眺める事の、なにやら絶望的な無力感に似た気分にとても惹かれる処があります。 虚空から現れ、小さな結晶となって冷たく降りしきる「雪」。それは・・・雨ならば、降り止めばいつしか地表から消えていく筈のものが、いつまでも地上に居座り、全てを白く覆い尽くさずにはおかないあの強固な存在感が、人間の自発力を徐々に奪っていくからかもしれません。 ひと掬いすれば手の中で溶けてしまう儚さを装いながら、吹きつのれば白い牙を剥いて襲いかかる。そう、ひと思いの激情ではなく、冷たい情熱で魂を凍てつかせる、あの「雪女郎」の抱擁のように・・・ 勿論、明日の雪降ろしの心配が有るわけでもない、ただの通りすがりの人間ゆえの無責任な感想なのです。実の処は、子供が雪を見てはしゃぐ事とほとんど同じ。しかし最近の子供はそれほど雪を見てはしゃぐことも無いような気がします。僕の小さい頃には、公園などの開けた処で朝早くに足跡残すのを競ったりしたものですが、うちのこども達誘っても寒いからとあっさり断られたりします。そう言えば近ごろでは午後遅くになっても足跡ひとつ無い公園が目に付いたりします。足跡ひとつ無い雪を見たりすると、ついその上を往復したくなるのですが、さすがにいい年をした大人がひとり公園をうろつくのは、いささかはばかられるようです。
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仕事始めのようですね。道路にもトラックが増えて、もう正月気分は程々にしろよと言われそうですが、今週1週間はまだまだ本調子には戻れそうもありません。もともと仕事はいい加減という噂がもっぱらかも・・・しかし、会社から日記をアップしている方(ダメサラリーマンとか廃人系OL等と呼ばれる方々はまだまだ仕事する気は無いはず)なども、今日あたりから続々と日記界に復帰のようでが、休みの間も更新されていた、いわゆる「寂しい日記達」を読み返すのは結構大変かもしれません。 例年同様、僕は胃の調子がさっぱりです。どうも僕の場合はストレスが食欲に転嫁されるようで、イライラしたり鬱な気分に支配されたりするとやたらと何かを食べまくる傾向があります。特にお正月などは、普段は顔を合わせることもない親戚やご近所の奥様なんゾが見えたり、仕方なく出かける年始回りでの、くだらない会話に時間を浪費させられている気分になることがとても多いのです。がはははh、ただの人間嫌いと云うヤツかも。 相手がつまらない人物だったりすると、ただむやみに食べることに専念するのは、その人物と会話するのが疎ましいからでしょう。我家に来訪された方・・・なにやら僕がやたらと食べてばかりいたらご注意下さい。ひょっとするとあなたの事が大嫌いなのかもしれません。かといって、ひどく饒舌で、一見すると楽しそうに見えるときも、かえって機嫌が悪かったりします。相手の失言誘うために上機嫌な振りを装いながら、内面のうっぷんが沸々と煮えたぎっている様なこともまた多いのです。で、そうした人達の発言をいつまでも根に持ってうじうじしている・・・う〜ん、我ながらとてもヤな奴。 アルコールを飲まないせいか、はたまた水分が足りない食事のせいか、お正月は便秘気味なのも通例です。来客が多くてじっと座っていることが多いと、お腹が張ったりしませんか?普段はいぎたなくソファーで寝そべっているせいで、来客がいてそれが出来なかったりするのも便秘の原因かもしれません。<しかし、誰も僕の便秘の原因知りたいとは思わないでしょうに・・・
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久々に仕事しました。とは言え、10時近くにのこのこ起き出して珈琲のんびり飲んでからですから、実際仕事始めようとすると、もうお昼近くなんです・・・今さら焦っても仕方がないし、こども達もまだ冬休みでごろごろして退屈そうなのです。仕方がない、こんな日は近所のマクドナルドへでも出かける事になります。ジャンクフードと呼ばれても、毎日がそれの連続ならば、もはやそれはジャンクではなく立派な御馳走な訳です。はい、そういう訳でわが家の子供達はマクドナルドへ出かけるとなると、非常に大喜びなのです。訳の分らないお子様向けのセットは、あのオモチャが母親に非常に不評なので、ただハンバーガーとフライドポテトだけ買って帰ります。はい、あの冷凍ポテトフライがまた大好きなんです、わが家の家族全員。<お前もそうなのか! で、結局仕事始めるのは3時近く・・・う〜ん、これではたして仕事したと、大きな顔で言えるのでしょうか?夕食食べてしまえば今度は日記書きの日常が・・・これで生活成立つなら、まったくおきらくごきらく人生。まぁ、イソップ童話の「アリとキリギリス」のお話しは、夏じゅう働きづめたアリさんは、冬の寒さにすっかり体力が低下していて肺炎と過労で死んでしまい、残った食料で「キリギリス」さんはのんびり冬を過しましたとさ。と言うのが、やっぱり現代的でしょう。 BOWDOもデーテーペーも何故か12月後半の日記のまとめファイルをサーバーにFTPするのを忘れておりました。せっかく休み明けに読みに見えた方には、けっこう面倒な作業だったかもしれません。BOWDOなんて、1日1ファイルに切り分けてないので、過去のまとめファイルがなければ、以前の日記を読む事もできない筈です。そう言えば、年も改まった事だし、過去のファイルの扱をどうするか?1年近くなると、けっこう面倒です。
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今日の読売新聞の夕刊の化学欄をぼんやり眺めてると、なにやら気になる話題が・・・ なんでもヘルシンキ大の調査によると、この10年間でかの国の中年男性の精子形成能力が半減したとか。う〜む、道理で最近はちょっと薄くなったような気がしていたのですが・・・がはははh、そんな話しではない? なんでしたっけ・・・利己的遺伝子?というモノは、まず自らの遺伝子を残すことを何よりの至上命題と考え、その事によって生物の行動の意味を推し量る、とか言うお話しでしたか?例によっていい加減な聞き書なので、確かな事は不明です。ただ、結局進化における「フロイト」のように、なんでもそれで説明してしまう便利な学説のような印象を受けたのですが、そうすると利己的な僕たち雄の遺伝子はこの世界に子孫を残すことを拒否していることになるのでしょうか? まぁ、胎児の段階での女性ホルモンの影響とか、社会生活におけるストレスとかいろいろな原因はあると思いますが、素直な感想として、やはり現代は「ひ弱な雄の時代」であることに間違いはないような気はしているのです。妊娠に男性が果すべき割合なんて、狩猟時代の裸の猿に比べれば実に微々たるモノです。体外受精が発達すれば、そう遠くない将来にも男の遺伝子情報など必要なくなる時代は必ずやってくるでしょう。ひょっとすると現代の技術でも十分可能なのかもしれません。 日記界見渡しても、最近は特に元気な女性の日記が増えているような気がします。誰かに媚びるのではなく、自らの女性の部分を見つめながら、キチンと自立しようとする「背筋の伸びた日記」が目に付きます。そうなんです、けっこうウダウダやってる日記ってのが男性陣にとても多いようです。あぁ、僕の日記がその筆頭かもしれません。やはりこの状況は僕の精子の危機なのかも・・・ きゃー、そもそもまだ自分の精子に利用価値があると思いこんでいるのでしょうか?このオヤヂは!
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ネタにつまった日記は時事ネタに走るというのは、う〜ん、言われてみると改めてそう実感します。 はい、そういう訳で本日は時事ネタなんですね、これが・・・ 日本海で座礁したロシアのタンカーの重油洩れ事故の映像なんですが、あまりに原始的、且つお座なりな作業に思えて、一体そんなことで何万ガロンなのか不明な流出重油の回収が間に合うのかと人ごとながら(すいません)心配です。 海岸に流れ着いたオイルボールはまぁ手で掬うしかないのかもしれませんが、海上の巡視船での回収作業というのが、なにやら昔懐かしい「肥ひしゃく」で船上から掬いあげているんですが・・・そんな事で間に合うんでしょうか?海面を延々と漂う油の帯をあんなひしゃくで全て掬いあげようなんて、どう考えても無理があります。やってる自衛隊員自身が一番徒労感に捕われていそうですが、黙ってみているわけにも行かないので仕方なくやっているようにしか見えません。ポンプで吸上げるとか、2艇の間にオイルフェンス渡して一気に回収するとか、ハイテクとはいかなくても、効率の良い機械化されたモノは何もないのでしょうか? 石油会社にも当然原油洩れ事故のための専任チームなんて存在しないんでしょうね。多分、その場その場で泥縄式の対応をする方がコスト的に有利、ぐらいの計算は当然しているはず。原価計算やコストでしか価値を計れない社会は、やっぱり何処かおかしいです。いつか、必ず何処かでしっぺ返しが来るはず・・・ひょっとすると、今がそのしっぺ返しの時期なのかも知れませんが。
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本日の日記の更新はお座なりかもしれません。はい、言わずとしれた「お出かけ」ですが、何時ものような日記者集めたオフミではありません。わが家のビンボーくさい正月休暇というヤツですが、例年はもう少し早い正月休み時期(といってもバカ高い3ヶ日は外しますが)に家族で一泊旅行などに出かけるのですが、当然海外旅行なんてしゃれたモノではありません。今年は沖縄からの来客があるので、それに合わせてご一緒に小雪舞う温泉などへ・・・。きゃー、笑うんじゃない。デーテーペーオヤヂだって温泉ぐらい行きます。 しかし僕にも羞恥心というモノはあります。温泉街をうろつく、あの「いぎたない」どてら姿のオヤヂにだけはなりたくないと常々思いながらも、何故か妙に浴衣姿が似合ったりして、我ながら日本のオヤヂを実感するのもまた例年の習い。卓球に興じる若い女性の浴衣姿なんてのにはちょっとそそられる事もありますが、そんな女性は実際には見たことないです。まぁ、親子で温泉行って何するかと言えば、凍り付いた雪道踏みしめて、さびれかけた遊技場でスマートボールを延々と親子でやったり、蒸気の上がった店先で試食の温泉饅頭ほぐほぐと食べたり、別段どうという事もない休暇です。 しかし・・・日本の温泉の、見ず知らずの人間が素っ裸で風呂に入る習慣というのも、考えて見れば妙です。洋服着て風呂に入るのはもっと妙ですが。まぁ、赤の他人だからなんにも気にならないと言うのが正しいのだとすると、普段は一緒に風呂にはいることのなくなって久しい我家のこども達と温泉にはいると、小学校1年生とはいえ、お互い妙に父親の股間を意識したりして、これもまた奇妙な感覚というのは・・・たぶん娘と父親にしか判らないある種のインセスト・タブーなのでしょうか? うちのこども達はまだ7才だと云うのに、テレビでラブシーンなどみると妙に照れたりします。その事をおおっぴらに叫んではいけないらしいことも知っていて、何となく鼻の頭あたりをヒクヒクさせながら、それでも真剣に観ていたりします。父親の股間に対しても単純な好奇心だけ、という訳でもないような気がするのは・・・やっぱりこの親にしてこの子有り、でしょうか。
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ビンボー臭い温泉ホテルでビンボー臭い一泊旅行なんて、いかにもビンボー臭い家族です。はい、ただいま帰ってきました。 あ、僕の日記を読み説くカギは「ビンボー臭い」にあるようです。好きか嫌いかの判断によく使われるのがこの言葉で、結局の処、自分の家族も基本的には嫌いだと云う事が良く判ります。がはははh、そうなんですよね・・・家族で温泉に出かけるような奴等をあざ笑っていたはずの昔の僕も、いざ自分が家族を持つとなると結構いそいそと出かけたりします。チェックイン済ませれば、さっそくまだ人気のない露天風呂にはいってみたり、未だに現役で電源の入っているギャラクシアンゲームにコイン入れてみたりと、実にありきたりな湯治客のひとりです。 食事が終れば、部屋一面にしき詰めた布団に並んで横になりながら、「お父さんと一緒に寝るか?」と尋ねると、いそいそと同じ布団にはいってくるこども達の頭を撫でながら彼女たちが眠りにつくのを眺めるのは、本当にこころ穏やかな一瞬です。穏やかな寝顔のこども達も、やがてはそれぞれの人生の修羅とむきあう事になるのかと思いながら、今のこの一瞬がとても貴重に思えるのも、また愚かしい人間の感傷のひとつなのでしょう。 温泉旅館といえば、食事に出てくる、あの携帯燃料で暖めるひとり用の鍋物・・・何度も言ってるように、偏食気味の僕にはほとんど食べるモノがありません。肉も魚もみんな似たような味のごまダレに付けて食べるから、味に区別が付きません。まぁ、味覚に欠陥があるせいかもしれませんが。しかし、山の中で冷凍のカニの脚出されても、僕はげんなり。朝食に出た納豆と味付けのりがいちばん美味しかったと言うのが、僕とこども達の一致した意見でした。
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年に何回か美談仕立で報じられる暇ネタが、またも本日の新聞に・・・ 曰く、 国分寺の主婦2人 助けられた老人の93才という年令に、いっそうやるせなさが募ります。 僕のおばあちゃんは、誰かが死んだ時にその年を聞いて、それが80歳以上なら「あぁ、おめでたいねぇ」と必ず言っていたモノでした。早逝と呼ぶには手遅れな年令まで生延びてしまった僕には、もはや老人として死ぬ道しか残っていないのでしょうが、だからと言って、病院でいわゆる「スパゲティ状態」で最期を迎えたいとは思いません。あれは自宅で死なれては何かと面倒な家族が「死」を病院の中に押込めておこうとする為の装置でしょう。昨今では、病院からそのまま葬儀社の霊安室に運び込んだままお通夜・本葬と流れ作業で済ませて、家に帰れない老人の寂しい葬儀によく出会います。 どうやら、最近のマイホームでは「死体」はとりわけ置場所に困るモノのようです。 119番通報した62才と50才のおばさん2人には、消防署から感謝状が贈られるそうです。遺産相続が絡んだ親族にとってはカミソリ入の手紙を送りつけたいのが正直な感想かもしれません。
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バブル以後の社内は、5時半を過ぎると人の姿は殆ど無かった。いったん社内を出てから、駅前でUターンすると、通用門からもう一度6階にあるオフィスに戻った。 仕事をする訳でもなく、ただぼんやりと時間の過ぎるのを待っている。 7時、8時、9時、10時、11時・・・ 電話をかける。 「あ、私だが今日も残業で遅くなったので帰れないと思う。」 社内恋愛で会社の事情に詳しい妻は、私にこなすべき仕事のないことなど先刻ご承知だった。黙って電話をきった妻の、冷え冷えとした背中が電話口からよみがえるようだが、私はその事には気づかない振りをする。 殆ど反射的な動作で定期券を改札口からとると、目の前の大通りを左に曲がる。ガードをくぐると、暗がり立つ女が何人も見える。 先ほどまでの男と女の欲望の残り香がいまだに漂ってい部屋には、ベットと小さな応接セットしか無かった。シャワーを浴びた女の浅黒い素肌からは、大陸の微かな兆候が混ざっていた。全裸でベットに横たわったままの彼女の、薄い胸と僅かな陰毛を眺めながら私は「ある種の兆候」を探していた。茶色の斑点と気怠い咳、あばらの浮きでた体からは枯れ木のような匂いがした。 緊張が彼女の体を走り、凍り付いた彼女の口元から唾液が垂れる。 噴き出した赤い血が私の全身を染め、彼女の上にぽとりと落ちた。 午後から熱がでたせいでしょう。本日は不明な日記を書くハメになっているようですが、例によって何の意図するところもありません。熱にうなされた故の妄想である可能性は・・・かなりの部分正しいような気がします。
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風邪引いてるなら日記何ぞにかまけていなくても良いんじゃないの?と言うご意見は却下。但し、お見舞いメールを期待しているのではありませんので、そのあたりも、あまりお気遣い無いように・・・日記の更新にとらわれる人生も本当にいい加減にしないとと思いながら、辞められないのはやはり粘着質の僕自身の性格故でしょう。一度何かにはまってしまうとなかなかそこから抜け出せないのは、過去を振り返ると思い当たることばかりです。「おたく」はその興味の対象が百科全書的に拡がるのに比べて「マニア」となると、ただ一筋、思い定めた対象物に全身全霊を捧げ尽くしてしまうモノのようです。そうすると、ヤッパリ僕は「日記マニア」と呼ばれるべきでしょう。 「おたく」な趣味の一環で始めてしまったINTER-NETの世界で、図らずも巡り会った「日記達」と共に日々繋がった生活を幸か不幸かと尋ねられれば、どちらともつかず、曖昧にうなづくしかないのは、まだまだ始まったばかりの新世界の入口に立っているからかもしれません 風邪や病気にめっぽう弱いくせに医者嫌いという、子供みたいな性格が災いして、ここ10年以上病院に行ったことがありません。たいていそこいらにある売薬使ったり、冷蔵庫に残ってる子供達の飲み薬飲んでみたりです。熱があるなら座薬入れようか?と、奥さんにマジに訊かれましたが、大人は2ヶとか言われたら結構情けないので、さすがにそれはお断りしました。
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調子はやはり良くなりませんね。インフルエンザと云う奴でしょう。むろん病院へは行ってません。とにかく、医者嫌いですから。 何故に僕が医者嫌いかと言えば、逆に初対面の人間にいきなり自分の命を預ける人間が居る方が不思議だと、むしろ僕の方が訊きたいぐらいです。有名大学の付属病院だからとか、テレビによくでる医師がいるからとかの、根拠の怪しい思いこみで自らの命を簡単に預ける人の多いことが僕には信じられません。で、そうした有名病院での診察には、3時間待ちの3分間治療とか、なにやらコネの働く部分が有るようで、治療費の他に高額の謝礼が当然のように請求されるとか聞くわけです。医師が病を治すと言い、現代医学が様々な疾病を克服して進歩してきたと云いながら、最終的には、人は死なねばならないことになんの変りも無いはずです。結局、現代の病院がなるべく効率的であろうとするあまり、人の死場所として相応しい場所とはなり得ていないことが問題なのでしょう。日々運び込まれるおびただしい人間達の「死」を、無機的にこなすことがよい医師の条件で有るとするなら、よく殺す者がすなわち「名医」と云う事になるのでしょう。そう、僕には3ヶ月の余命を6ヶ月なり1年なりに伸すことになんの意味が有るのかと思うのです。その伸びた命も、つまりは病院のベットにチューブで括りつけられたままの生活にしか過ぎないとすれば、少なくとも僕はそんなモノを人生とは認めたくありません。人間であることの意味を失ったまま「治療のための治療」に駄する事が現代医学のいう処の病に対する勝利で有るとするなら、僕はそんな勝利はいりません。 普段の反動なのか、昼間からいくらでも寝れるから不思議です。コマギレで寝たり起きたりするモノだから時間の観念がなにかバラバラになってしまったような不思議な感覚があります。しかし、仕事もやっておかなければならないのは、零細自営業者の宿命・・・自分自身の替りが何処にもいないから、仕事休めば後になってしわ寄せが来るだけです。
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