子供の頃、風邪で何日も学校休んでいて、やっと自分でも治ったと思えて「明日からまた学校だなぁ」と、ふいに小休止の終りを告げられたような不本意な気分に包まれたりする事がありました。とりわけ熱がでると悪夢にうなされてとりとめもないうわ言を繰返して両親を心配させていた筈なのだが、熱の下がったことが本人には、なにやら不本意のようで・・・そんな日の午後、ぐずぐずと布団に潜ったまま、病気みまいと称して買与えられた本を読んで過す時間と言うのが、僕にとって最初の至福の時の記憶のようです。 明日からの日常の予感と昨日までの熱にうなされていた非日常の間の、宙ぶらりんな時間の海を漂っているような不確かさが、何故かとても安心できたのです。こんな時間が永久に続けばいいと思いながら、やがて夜は明け、日常が再びやってくることにそれ程苛立つことがなかったのは、若さ故の無知と同時に、未だ日常にそれ程絶望することの無かったよき時代だったからでしょう。 未だに寝転がって本を読む癖は治りません。多分、最初に本を買与えられた機会と云うのが、風邪で寝ていた5、6才の頃の筈で、何を読んだのかの記憶は有りませんが、随分熱中して読んでいた覚えがあります。どうもそれ以来本は横になって読む習慣が付いたような気がしますが、まぁ、両親がキチンと机に向って本を読むようにしつけなかったせいと云うのが本当の処でしょう。以来、机と椅子できちんと座って本を読むのが苦手で、ソファーに座っていても本の中身に集中しだすと、いつの間にか横になってページを繰っていたりします。 さらに言えば、うちのこども達も、なにかというとすぐ寝転がって本を読む癖があるようです。両親の背中をみて育つのが子供だとすると、後ろぐらい背中の持主にとって、「しつけ」や「行儀作法」については、あまり大きな口は訊けそうもありません。 いぇーい、何だか復調!?
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去年の17日にはまだこの日記は書いていませんでした。したがって1月17日の「あの日の神戸」から既に2年もたってしまいましたが、やはりその風景について語っておく必要はあるような気がします。勿論、自分自身のためにです。 あの日、神戸を上空から捉えたテレビカメラの映像の中の瓦礫の山と燃上がる街並については、僕にはこれ以上つけ加えるべき言葉もありません。ただ、各自がそれぞれに忘れられない風景が在るはず・・・そう、僕の心に焼付いて離れないそんな「風景」について。 道の両側は無惨に崩れ落ちた瓦礫が延々と続く、おそらく市内の住宅街の一角らしき場所にカメラが近づく。何人か集った人の前でなにやら挨拶をしている初老の男がひとり。震災で崩れ落ちた下宿を離れ実家に疎開するのか、その娘に替わって近所の方達にお礼とお別れを述べているのかと思ったのは、そのたんたんとして乾いた調子の、ぼくとつな男の語り口のせいだった。しかし、彼のまわりにはそれらしい様子の娘は見えず、よくよく話を聞いてみると、瓦礫の下敷になって逝ってしまった娘のなきがらを、なんとかご近所の皆様の御協力で掘り起して頂けたことの礼を、その娘の思い出と共に静かに語っているのだった。そのとき何故か、僕はみも知らぬその初老の男の言葉を聞きながらに、声を上げて嗚咽した。 その震災のさらに数年前。父親の死を聞かされたとき、自分でも意外なほど冷静だった。様々なトラブルの予感に、果して葬儀に出席できるのかどうか危ぶみながら出かけた筈だったのだが、やはり疲れ切って帰ってきた数日後の朝。溜っている仕事をこなすためにひとりで暗室に入って何枚か紙焼きを撮っていた時、それまで父親の死について誰の前でも泣いたことはなかったのだが、真っ暗な暗室の中でこみ上げる嗚咽の声は、自分自身が驚くほど大きかった。 あの日の神戸の「風景」の中には、忘れられないモノがいくつもあります。その風景の中にたたずむ人間達の言葉が耳に残って離れないことも。僕たちはなんという危うい船に乗り合せた乗客なのかというウソ寒い実感にふるえ、見渡しても希望の灯は果して闇の中に既に沈んでしまったのか・・・
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さぁ・・・またもやお座なりな本日の日記を読まされる事に憤慨しても、もはや手遅れです。がはははh。 せっかく風邪が治ってスッキリしたかと思っていたら、またもや連日の夜更しで頭の中はぼんやり・・・まぁ、平常に戻ったとも言いますが。しかし、10時頃から起き出してウダウダやりながら日記書いたり、メール読んだりで午前中は潰れてしまい、午後からは久々のPTAネタ(←ネタなのか?)で学校に出かけなければならないし、夕方からはこれもお約束の「ひ・み・む」のお出かけで、なにかと忙しいのです。結局仕事する時間が何処にもない。 PTAも三学期ともなると、もう後は打上げやるだけの雰囲気・・・の筈なのだが、1年掛けてくだらない議題を延々と繰返すばかり。それも前回でやっと決着着いたかと思っていたのが、なにやらまた振出しに戻ってしまったような気配が。お母さん達の議論にお付合いは、つくづくうんざりさせられます。はやく、公民館でポテトチップかじりながらコーラーで乾杯とかやりましょう、つまんないけど。しかし、カラオケパブでお母さん達にビール飲ませてどんちゃん騒ぎって、やっぱりまずいですよね。茶パツDeイェーイの彼女からも、今度カラオケボックスでもとお誘い受けてるのですが、30分以上お相手すると疲れはててしまうので、なかなか決心が付きません。(←いく気なのか?) 睡眠もたっぷり、休養も充分・・・風邪の最中は結構辛かった筈なのですが、治ってしまうとそんな事はすぐ忘れてしまいます。あんなに寝たのは本当に久しぶり。睡眠充分な僕の脳細胞はフル活動してる感じがして、まわりの風景までもがクリアーに澄み渡っているかのように見え、どんな人生の厄介事でもすらすら解決できそうな気がしました。まぁ、ほんの一瞬の錯覚でしたが。
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妙な風体の長髪の2人連れを近くの駅まで送ると、もう一度寝ました。 彼らと会っていると・・・つくづく、人生ムダに生きるていることを満喫できるような気がします。きゃー。BOWDOじゃないんだから、こんな処でテロらないように。 若い人達にはこれからも様々な「無駄な努力」に情熱傾けていただきたいものです・・・何だかオジン臭くてヤダなぁ。はい、僕も未だに人生無駄に過しております。もう残りが見えてきている筈なのに。 こども達が大きくなって初めて、わが家ではコタツを出したのですが、これが実に落着くようです。コタツ布団に潜ったまま「学校の怪談」とか「迷路パズル」なんて、いかにもバカが好きそうな本をよんだり、折紙やったりして過しているようです。稀jrくん、実にどうも申訳ない。せっかく君からいただいた「安野光雅」は、今の処こども達の本棚に麗々しく並んでいるだけです。どうも父親に似て、あまりインテリジェンスなモノには興味をひかないようです。もっとも、君と読書傾向を同じくする娘を持ったりした父親は結構悲しい思いするかもしれません。 あぁ、何故か本日はどうしてもBOWDO風になってしまいます。どうも日記の中身に集中できないようです。こんな日は短めにしておいた方がよさそうです。 久々に麻雀やったんですが、実に性格が露になるゲームです。あれは。自らのかたちにこだわる人、他者の動向ばかりが気になる人、意図の見透かされやすい人、すぐご機嫌になる人、すぐ不機嫌になる人・・・麻雀精神分析入門なんて本を誰か書いたら売れるかなぁ?
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相変らずの鼻声で、しゃべりが自分自身でヘンです。風邪はもう平気なようですが、日記書きにもいまいち集中できないのは何故?。ひょっとしたら飽きたのか?う〜ん、そうかも知れません。 猫も杓子も、とにかく手始めに日記始めるのがいいらしいとか、何処からか口コミででも拡がったのでしょうか?拡がってると思いこんでるだけで、所詮はブームも去りかかってる「インターネット」の狭い狭い世界でひしめき合っているから、賑わっているような気がしているだけかもしれませんが。 そうか、ぼんやり日記書いてましたが、今日でこの日記初めてまるまる1年なんですね。文章を書いたり読んだりすることは好きな方でしたが、日記を続けて書いたことは小学生の「夏休みの絵日記」でもありませんでした。たいてい2、3日で飽きてしまってそれっきりな日記帳が何冊も有ったはずです。そんな飽きっぽい人間の日記が1年も続いたことの原因はひとえに、その公開日記の「公開」という部分のせいでした。他者との関わりの中で図らずも続いてしまった僕の日記は、そんな方達との協同作業の結果でした。まさにこの文章が日記である由縁はそんな処にあるのかもしれません。
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何だかすっかり終った気になっていた「PTAネタ」なんですが、3学期になんてまたまた不穏な気配が・・・あまり細かい話しの内容ををいちいち説明しても仕方がないのですが、つまりは「女性が主たる集団に、はたして民主主義は存在するのか?」と言うのが本日のテーマなんです。<がはははh、大うそ。井戸端会議のごたごたに巻込まれたオヤヂの愚痴です。 とにかく、女性陣ってのは「公平」とか「皆と同じ」と云う言葉がとてもお好きなモノのようです。う〜ん、女性一般で括ってしまうと何処からかクレームがきても困るので、うちのこども達の通う小学校のPTAのお母さん方、と言う風に言替えておきましょう。 各学年のPTA活動費を児童一人あたり幾らとするか、クラス単位で幾らとするかで、延々1学期と2学期使って議論してきたわけですが、それにもようやく結論めいたモノがでたと思った矢先、一人のお母さんが、またもや「何だか公平じゃ無いみたい」とか言いだすと、アッという間に4月の時点に逆戻り・・・また最初からどうするのが公平か?なんて議論を始めなければいけなくなってしまったようです。とほほ。そんなのどうでもいいジャン。<「ジャン」は止めなさい「ジャン」は。 所詮は付け焼刃の民主主義で、「ごっこ」遊びに耽っているようにしか見えない僕にとって、PTAなんゾと横文字で書いては見ても、内実は「村の青年団」や「娘組」と大した違いはないように思えます。まったく井戸端会議の延長に付合わされる身にもなっていただきたい処ですが、こんな処で愚痴っても、秘かに担任の先生と共犯めいた眼差し交しあうのが関の山。うん、PTAでの男の立場って・・・けっこう間抜けですよね、秀島先生。 今のようなPTAなら、無くても誰も困らない筈なのに・・・誰が猫の首に鈴を付けるか?が問題なのでしょうか。<こらこら。しかし、子供が卒業すれば縁の切れる僕たちと違って、勤めている間はずーっと付合わなければいけない学校の先生って、本当にご苦労様と思えてきました。 久々のPTAネタは、やっぱり面白い日記にはなりそうもありません。何故もっと楽しいネタになり得ないのか?お仕着せのPTA活動にまるで魅力が無いのがその一因ですが、これを面白いモノにする作業って・・・想像するだけでウンザリする予感が有るという事は、もはや完全に手遅れって事?
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いま世界一テロリストの似合う役者と言えば、これはもう・・・トミー・リー・ジョーンズをおいて他にはないでしょう。何だかこのオッサン、あっちこっちの映画で強持てのテロリスト役で出てるなぁと最初に思ったのが、ミョーに日本通な、あのステーィブン・セガールの「沈黙の艦隊?」からでした。 名前からして東洋系の血が入っているのかな?ざらついた皮膚感とごつい顔立ちで、とにかく「切れたら何やるか判らないオッサン」やらせたらロバート・デ・ニーロ以上。逃亡者でハンソロ追っかけ回してたのが彼ですよね。後は、発狂した元CIAエージェントや、復讐に燃えるIRAの爆弾魔(例によって映画の題名も主演の名前もよく判りません。つい最近WOWOWでやりました。)とか、とにかく甘っちょろい主役のヒューマニズムあざ笑う、その存在感はピカイチ。ダイハード3も、ジェレミー・アイアンサイドなんて、あんな線の細いオヤヂを敵役にすえるからちっとも感情移入できない訳デス。あれは明らかなミスキャスト。 そうなんです、僕がサスペンスやらアクション映画を見る時は、だいたい悪役応援する事になります。必ず最後はやられてしまう、その滅びの美学に魅せられるのかも・・・がはははh、ただへそ曲りなだけですが、よく練られた脚本に登場する悪役ってのは、やっぱり主人公のように妙な正義感からの制約がないだけに、とにかく魅力的に思えるのです。今回の「トゥパク・アマル」の騒動が映画化されたら、やっぱりテロリスト達の指導者にはトミー・リー・ジョーンズしかいないでしょう。 そう秘かに思っていたのですが・・・なんなんだ、あの「バットマン・フォーエバー」は。悪役としても、すっかりジムキャリーに喰われてる、ただの妙なメイクのオヤヂ・・・まったく、秘かなファンもいるんだからもう少し仕事は選んで戴きたいモノです。離婚でもして、よぽど金に困っていたのでしょうか?ああ言う中途半端なB級大作に出演するからそぞろ哀れなんで、金のためなら何でもやると言う見識の持主なら、まだ救いはあるのですが。彼の最新作って、何なんでしょう?テレビで追いかけるだけだから、結局2年遅れぐらいでしか動向が分かりません。 本日も学校でPTAの集りが。しかし、もうPTAネタはイイや。とことん飽きてますから。<こらこら。
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僕は今はやりの携帯電話もポケベルも一度も持った事ありません。会社勤めの時は、ほとんど外出して仕事する機会がなかったのでポケベル持つ事が無かったし、その後も独立してたった一人で仕事してる時分には、そんなもので連絡取合う相手が無くて、その必要性を感じることもありませんでした。 ところで、皆さんは何処に行っても電話のかかってくる生活って、そんなに便利ですか?会社からの連絡が容易って、僕ならそんな紐付きみたいな外回りは気が重いし、何かと言えば電話で報告求められたりするのも勘弁してほしいですが・・・僕の経験から言えば、オフミの待ち合せには便利ですが、まぁそれ以上有意義な使いかたは思いつかないのです。何だか、みんなNTTの思惑に首まで浸かってませんか?最初は着信専用とか言いながら、遠距離だと大して変らないんだよねとか言って、携帯電話で延々と遠距離恋愛中の彼女と長話はじめる若者の後ろ姿に、あぁこの人も余計な電話が増えてるんだろうなと人ごとながら気になるわけです。需要のない処に需要を掘り起すNTTのやり方はつくづく巧いと思います。 はい、ご多分にもれず、わが家でも携帯電話持ったら?と奥さんあたりがぼちぼち言い始めてますが、これは仕事の為ではサラサラ無くて、遊び歩く旦那のコントロールのためだと思われるので、何かと理屈付けて未だに買わずにいます。妙なシチュエーションの最中にお家から電話がかかってきたりして、あらぬ疑いを受けたりしたら・・・もう大変。とにかくトラブルの種になりそうなモノは極力避けるのが僕の人生訓ですから、今の処は携帯電話のメリットよりデメリットの方に注意が向いているので、そういうモノは当分持つつもりはありません。う〜ん、未だになにやら怪しい下心があるのか?このオヤヂは。 電車の中や歩きながら電話してる人みるたびに、とても恥ずかしいモノを見せられている気になるのですが、ご当人にはいっこうに気にならないんでしょうね。みんな聞えないふりして実は興味津々なんですから。なにせ盗聴電話と大して変らないような気がするので、妙な妄想の虜になったりするオヤヂが結構多いかも。<それはお前だけ!
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明日は僕の所属している多摩インターネットのNOCの物理的なお引越と言うことで、早朝から1日中ネットに繋がらないはずなので、日記の更新は遅れる予定です。時間的には朝7時から深夜0時までと言う予定なので、この間はメールは勿論、Webのページも見えないのかな?多分そうだと思います。朝7時までに当日の日記を更新しておこうかとも思いましたが、そんな事をしても外から見ることができないのではまるで意味がないので、まぁきちんと繋がってから日記はアップする事にします。という訳で更新が遅くても誰かにテロられた訳ではありませんのでご心配なきように。エッ!誰も心配するヤツなんかいないって・・・はい、実にごもっとも。僕の日記の更新が止れば、手を打って喜ぶ人が何人もいらっしゃるはず。しかし、そういう人がいるから、かえって日記の更新が止められないのかもしれません。へそ曲りな人間とは、得てしてそんなモノのような気がします。
明日の朝から止る筈なのに、何故か夕方からダイアルアップ出来ません。え〜、なにか僕は勘違いしているのかも。今夜からもう接続できないのかな?だとするとこんな日記書いていても仕方がないんですが・・・Web上でこの文章を読んでいらっしゃるとするなら、なんとか今夜は接続は出来たという事でしょう。果して、本日の日記はうまくアップできるんでしょうか?
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何度も書いていて自分自身でもいい加減うんざりするのですが、やはりこの国は何処か深いところから病んでいるような気がしてなりません。いずれかの時点でかけ違えたボタンを気付かぬままに喉元まで閉めてしまい、そのボタンをすべて外してやり直す勇気のないまま、なんとか辻褄あわせようと空しい努力を続けてきた結果が、かくの如く無惨な日常のくり返しだとするなら、そろそろ僕たちはその愚かしさに異を唱えるべき時期がきているのかも知れません。 そう、またもや新聞の片隅で僕の目にとまったのは、老人達があえて選んだ、その孤独な死のありさまでした。 生活が困窮すれば当然の権利として支給される筈の「生活保護」が、自治体の役人の無神経な審査を受け、なおかつ煩雑な手続を経なければ支給されないと言う声をよく聞きます。経費削減の為に生活保護支給率を一定基準に抑える等とあからさまに審査の場で放言する役人もまた多いとか。些末な数字の羅列に目を奪われて、個々の人間のあげる叫びに耳を塞いできた結果がかくの如き有様だとは・・・いや、それを言うなら、ただ座して見ているだけの僕もまた、孤独な老人達の死に責任を負っている筈です。老いて死ぬことの切実さを忘れて、ただただ空虚な日常に埋没している僕の目の前に不意に現れる死の影。それに不吉な予感以上のものを感じて、意味もなくふりかえってみれば、うそ寒い気配だけがひしひしと伝わってくるような気がするのです。 やりきれないニュースにやりきれない気分に陥るのは、自分自身の後ろめたさがその原因かも知れません。かといって、孤独に死んでいく老人達に僕自身何ができるのかと問われれば、ただただ黙るしかないのです。あまり長く生きてもろくな事はないような気だけはしております。
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とにかく人の子の父親などになると、それはそれで色々と気苦労も絶えないわけです。 朝も7時過ぎから起こされて、本日はこども達のピアノ教室の発表会だとか。そういえば、この間そんな事を聞かされたような気はしましたが、当日まですっかり忘れておりました。う〜ん、眠いから行きたくない等とは、思っていても言えるモンじゃありません。永年の結婚生活の知恵と言うヤツです。 最後に記念撮影があるとかで、結局昼まで会場の小さな椅子で眠るハメに・・・あぁ、寝てはいけませんね。辛うじてうちのこども達の演奏だけは聞きましたが・・・やはり音楽に才能はないようです。スイミングスクールがどうとか?この間ちらっと奥さんから聞かされていますので、今度の習い事はそちらになるのかも知れません。うん、スイミングスクールなら朝早くから発表会はないでしょう。それは何より。
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テロリストには、やはり美意識が必要でしょう。ただただ相手をこの世から抹殺するのが目的であるとするなら、それは単なる殺人者でしかない筈です。さらに言えば、現代のテロリズムは国家によって為されることがほとんどで、そのため実に効率よく、機能的に実行される事となる訳です。モノクロのモニターに写る爆発の映像によって知らされた湾岸戦争からは、血生臭い殺戮の匂いはきれいにぬぐい去られて、ゲームの一場面とまるで大差のないことに我々の感情は徐々に磨滅させられているのかも知れません。崩れ落ちる建物の中には生きている人間が確かにいる筈なのに、その事をついつい忘れてしまうほど、現代の国家によるテロリズムは巧妙さを増しているようです。 聴衆の中に紛れ、一瞬の隙を見て演壇にかけ登って相手の下腹部に刃物を突立てるのは、確かに時代遅れなのでしょう。現代の暗殺者・・・物陰に隠れて拳銃で相手を狙う狙撃手は、なまあたたかい返血を浴びながら自らの手を伝い落ちる"いのち"の感触に打ち震える「一人一殺」の恍惚を決して理解する事はないのでしょう。 無機的な電子の海を泳ぐ孤独なテロリストもまた、他者への痛みの実感のないままに想像力の欠如した愚かしい行動をくり返す。誰かの名をかたり、背中から襲いかかることでちっぽけな己の自我を僅かに満足させられたとしても、その無名性ゆえに孤独な飢餓感はいっそう募り、同じ事を何度も繰返すこととなる。 さて・・・本日の比喩は正しく伝わるのでしょうか?あまり自信はありませんが、何らかの結末は用意する必要がどうしてもあるようです。今がその幕間の時期なのか?もはや第2幕は上がったのか?やはり中途半端なままでエンディングを迎えることは難しいようですが、何れにしても曖昧な結末にしかなりえない予感は、相変らずですが・・・
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意味不明はまだ良いにしても、意図不明な日記を書く理由とは・・・なにやら一人で納得して一人で解った気になってる「オナニー日記」は、我ながら本当に始末に負えません。かといって何を喰った何処へ行ったなどという、言葉本来の意味での「日記」をWebで公開する事はいささか気恥ずかしい訳で、こうして独りよがりな呟きを書きしるすしかないのでしょう。最近では、特に読者を限定しはじめたような気がするのは、日記によるEntertainment(なにソレ?)に飽きてきた証拠かも知れません。 そうですね・・・ここの処、なにかと第三者の目が気になることがあります。はたして、この狭い狭い日記界の外から眺めている人々には、僕はどのように写っているのか?滑稽な道化者ならまだしも、いい気なオヤヂが浮ついた日記を書いては仲間受けのネタで喜んでるだけ・・・う〜ん、かなりの部分その読みは正しいような気がします。 ただ、あなたがあちこちの日記を読むだけの読者であるとするなら、やはり日記は読んでいるだけではつまらないから、ぜひとも日記を書いてみましょう。 プロの物書きのWeb日記が意外とつまらない原因は、日記というモノがきわめて個人的な事項を扱うことと関係しているのかも知れません。作家の日常がその作品ほどには劇的ではあり得ないように、文章力の上手下手を超えた「日常」のおもしろさは、むしろアマチュアに分があるようようです。だからこそ、読むだけではなく、日記を書くことで、このまか不思議な「日記界」の潮流に飲み込まれてみることをお薦めしている訳です。仲間内ネタで盛り上がることの快感は、けっこう癖になりますから。 なんだか、一生懸命に言訳をしているようです。別に日記を書くことに取立てて理由が必要だとは思わないのですが、自分自身に言訳しているのかも知れません。まぁ日記なんだからお気楽ご気楽が一番と、つい最近も誰かに書いたような気がします。そうは言っても、結構こだわっているのもまた事実なのですが・・・
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本日は何故か掲示板に書込むことが多い一日でした。う〜ん、少しキレかかってるかもしれません。いい気になってる人間見てると我慢できないのは、昔からの悪しき性癖と言うヤツです。 しかし、自分もしっかりrejectされている事には気が付いている筈なのだが、例によって厚顔無恥な人間の行動はなにもかもが噴飯ものです。いつまでたっても懲りることがないのは骨身にしみついた「下司野郎」の証明ですが、いったいこんな事を何度証明すれば気が済むのか。その内我慢しきれなくて自分の日記に得々と事の顛末を書きだすんでしょうが、まぁ、それをやりだすのを期待しておきます。 書けば書くほど自分の醜さを露呈することになるのだが、その辺りの認識も乏しいのが「打たれ弱いヤツ」と言われる由縁。しかし、これも本人はまるで気付いていないと言うおめでたさは、とことん道化者です。 いかなる事情があったにせよ、フリートークと書かれていた場で発言に制限をかけるなら、それなりに事前の周知が必要ではないのかなと言うのが僕の印象なのです。いかにも不穏な空気が満ちていたにせよ、もう一段冷静な管理者としての判断があったならと思うのですが・・・さて、僕が管理者の立場であったとしたら、真っ先にキレてしまいそうな予感はあります。なにを言っても通じることのない愚劣な人間を相手にする事の徒労感たるや、僕にも容易に想像は付きます。そう、正直言って僕にはよく判りません。どうすることが最善であるのか?やはり各人の確固たる信念の裡にしか正解は無いのかも知れません。 またもや判りづらい日記なのですが、似非不機嫌さんには充分これで通じているはずです。まぁ、通じたからどうなるものでもない事は皆さんご存じの通りなのですが・・・
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議員や企業のトップなどが汚職事件などに連座したりすると、警察の事情聴取を逃れるためか、病院に入院したりするのはよく耳にする話しです。今回の友部議員の場合もご多分にもれず高血圧だかなんだかで入院中だったのだが、逮捕前の病院による事前の健康診断では問題なしとか・・・えぇ?じゃ彼の入院を指示した医師はいったいどこにいるんでしょう。入院中の治療でアッという間に全快したとでも言張るつもりなんでしょうか?こう云ういい加減な診断をする医師の存在を聞く度に、僕の医者嫌いはますます昂進するわけです。 そもそも、周りから社会的地位が高いなどと思われている人間は、自らが依って立っていると信ずる、その社会からの押しつけにきわめて弱いような気がします。ピラミッドに組込まれた人間は、自分の頭を踏みつけている人間にはなかなかNOと言えないようです。だからこそ、自分が踏みつけている人間の存在などにはいささかも斟酌する事はないのでしょう。 むろん、世の中には患者のために全身全霊を傾ける、いわゆる「赤ヒゲ先生」もいらっしゃるのでしょう。ただ生来の医者嫌いのうえ、意外と丈夫で病気と縁のない日常ということで、そうした医師と会うこともないで、僕の偏見は一向に改まることはないのです。そう、お互いを「先生」と呼合う人種なんて、信用できる訳ないじゃないですか。あれ?ひょっとするとこの日記の読者にもそう呼合う方って、結構多いかも・・・きゃー、その方達は別ですから。 ここの処、またもやお家にこもったままの日常が続いてます。あ〜、そろそろ申告の時期だから領収書のまとめでもやればいいのに、ヒマがあるとダラダラしてるだけ。いつもの事とは言え、我ながらもう少しなんとかならないモノでしょうか・・・う〜ん、この辺りもまったく人ごとのようです。
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昨夜から今日にかけて、何だかメールばかり書いてるような気がします。また病気が出ているのかも・・・メールのチェックも頻繁だし、掲示板の様子をうかがうのもかなり執拗でした。そうか、フォームでの入力なんてのもやっておりました。 メールジャンキーの自覚症状もぼちぼち出てきておりますが、症状としては以前ほどでもないようです。ただし、ダイアルアップの癖に30分おきにメールをチェックするのは従前どおり。ついつい忘れて、繋がったままメールにお返事を書き始めたりすると、その間に先ほどのメールのお返事が届いたりして、お返事書かなければいけないメールは一向に減らず、ほとんど「メール賽の河原」のようです。 それに何だか眠いなぁ。もうそろそろ「寝溜め」しなければいけない時期かも。湯船に浸かったまま寝ている事もよくありますが、これはこれで非常に気持よかったりして。 まぁ、手近に無いので「コタツ寝」ではなくて、チャンとベットで寝ております。但し、「ソファー寝」ってのはたまにあります。いつの間にかストーブが消えていて、冷えきった部屋で小さくなったまま、寒さに目覚める時って・・・つくづく人生について思うことがあります。うん、寝るならコタツの方がやっぱり温かいぞ。 小さな湯船に浸かりながら寝ていて困ることは、窮屈に折曲げた身体がだんだん痺れてくることです。えぇ、身体も洗わずに1時間ほど湯船で熟睡したこともあります。しかし、ベットで寝ればもっと熟睡できるのにと、そこいら辺りに思いが至らないところが、まさに廃人の証明。
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