デーテーペーな1日

1997.10.1~15

日記関係の発言はこちらで。
10月1日(Wed)
 昨日から今日にかけてのニュースにはいい加減ウンザリ。

 長野新幹線開業と横川・軽井沢間のJR線の廃止がセットになって、それに「アプト式」と「カメラ抱えたてっちゃん」と「釜めし」の三題話を延々とくり返すだけというのも・・・本当に頭悪いなぁ。
 だいたい長野なんて山奥に新幹線走らせて誰が喜ぶんというのか、なんの意味があるのか、僕にはサッパリ判りません。長野オリンピックの輸送の為?新幹線沿線の経済波及効果?雄大な日本アルプス観光の足として?ケッ! 過疎地にのど真ん中に新幹線の駅作って地元代議士が意気揚々とお国入りするために、いったいどれほどの無駄な税金が費やされて、これからも赤字たれ流しのツケを払っていくことになるのか。誰がどう考えても黒字経営なんて成立つはずないモノを、走らせてしまってこれ以後のしりぬぐいは誰がするんでしょう。少なくとも僕はヤダ。新幹線なんて何処を走ろうが、僕は全然ありがたくないです。
 あと、名物だか名産だか知らないけど、例の冷めた釜めし弁当を有難がるのもいい加減にしたらどうなんでしょう。あの釜めしって、本当においしいと思って食べてる人居るんでしょうか?旅にでた開放感と見知らぬ土地での体験が、別にどうって事もないただの弁当を珍しがってるだけではないんでしょうか。瀬戸物製の容器が何かに使えそうだからって大事に家に持ってかえるビンボーくさい家族も多いけど、釜めし屋を始めるわけでもなし、持帰ったところで何も使い道はなかったりする訳です。結局はただのゴミに余計な値段支払ってるだけ。
 えぇ、わが家にたぶん2、3個は・・・  

 う〜ん、何やかやとイチャモンを付けてますが、結局は駅弁が嫌いなだけの、何時もの偏食ネタのひとつかも・・・そう言えば、イカの胴体にご飯を詰込んである妙な駅弁がありますよね、あれも僕は大嫌い。


10月2日(Thu)
 「行為障害」と言うのは、それぞれの人間の中でどのようにでも解釈可能で、なおかつ意味不明という、いかにも曖昧な物言いのような気がします。
 「バモイドオキ神」だの「聖なる儀式」などという少年のココロの裡から溢れ出てきたイメージや言葉を理解するには余りにもおざなりでありきたりな精神鑑定としか言いようがありません。人間の精神の深い部分に住む「無明の闇」の存在を明らかにするには、精神科学などというモノの根本的な無力さを改めて思い知らされただけのようです。連続幼女誘拐殺人犯に対する精神鑑定をみても、結局は彼の行為をなぞることすら危ういお粗末さで、それぞれの自説に応じたそれぞれの「宮崎勤」について語るだけで、結局は「狂人のたわごと」は誰にも理解不可能と思い知らされるだけなのでしょう。
 どうも少年法の限度を超えて長く少年院に措置するための方便に精神鑑定が使われているような気がしてならないのです。猟奇的な裁判の度に行われるそれら精神鑑定が、結局は検察官・弁護士双方にとって都合のいい結論を導くための只の道具でしかないことにウンザリさせられるのです。長期間の拘禁生活が何れ正真正銘の狂人を作り出すことになるのでしょう。
 精神病院の檻の向うで朽果てていく少年の叫びを、快楽殺人者の意味不明な呟きと断定することで辛うじて我々は日常を営み、自らの子供に接する事が出来るのでしょう。いつ何時、我が子が早朝の校門の前にたたずむ殺人者になるのかと、秘かに怯えながら・・・

 殺人者となり果てるしか無かった少年に、違った人生の選択肢が用意されていればと・・・彼の文章に一種の天才を感じるのは、やはり余りに不謹慎なのかも知れません。


10月3日(Fri)
 冬場は何がイイって、これから寝ようかなとベットに潜り込む時間になってもあたりがまだうす暗い事でしょうか。
 そんな不明な時間にまで起きてる必要は全然ないんですが、まぁ・・・寂しい人間は仕方がないモノです。
 夏場だと、あたりがすっかり明るくなっていて、これからぼちぼち寝ようかなんて考える自分自身のあまりの廃人ぶりに、うんざりしてしまうようです。すっかり明るくなってしまった寝室のベットに潜り込んでいざ眠ろうとすると、ごく普通の生活リズムでくり返している世の中から取残されたような気分で、なんだか萎え萎えモードに陥ってしまいがちです。そうは言っても、連日の睡眠不足がたたって、アッという間に眠りについてしまうんですが。
 豆腐屋のオヤジはすでに一仕事終え、少し早起きな年寄ならそろそろ散歩にでも出かけるような時間に毎日眠りにつく生活というのも、かなり問題があるような気がします。馴れてしまえばそれなりに出来てしまう昼夜逆転の「廃人生活」ですが、明るくなってから眠りにつくという事だけはどうにも落着かない気分です。
 それが最近だと、午前5時ぐらいでは世界はまだ真っ暗。新聞はとっくに郵便受に入っているし、道行く車の数もなんとなく増えてきたような気がするのですが、あたりがまだ暗いと言うのはこれから寝ようとする人間にとってはとても有難い。
 そんな孤独な僕の日常にとって、唯一の救いはかくの如きデタラメな生活を送っている人間がWebの世界ではそれなりに多いという事です。特に日記関係者に・・・えぇ、お互い様と言うヤツです。たまには早く寝ましょう。<該当者多すぎるのかも。

 昼間から寝ていることもとても多いぞ。つい仕事サボってお昼寝するぐらいなら、もっと早く寝れば良さそうなモノですが・・・廃人達にとって、夜寝ないことになんらかの意味が隠されているのかもしれません。
 う〜ん、最近廃人ネタもかなりマンネリかも・・・ま、生活そのものがマンネリなんでしょう。


10月4日(Sat)
 最近「弱まりネタ」が多いのかも知れません。本人にその自覚はないのですが、ここの処のデーテーペーはなんだか「寂しい」とか「孤独」なんて言葉が多いような気がするとある方からメール頂いて、そう言えばそうかも知れないなぁと・・・
 なんとなく不機嫌だったり訳もなく明け方まで起きているのは以前からですが、まぁ実生活で何かがあったという訳でもなくて何時もこんな感じなんでしょう。基本的に世の中斜めに見るしかできない人間ですので、友人親戚が少ないのは自業自得で、Web日記始める前からそうでした。
 そんな人間なので、見知らぬ人とどこかで会っておしゃべりするなど、以前なら考えもつかないことでした。「オフミ」と称していろんな方とお会いしたりする事で、日常以外の生活が面白いモノだから普段の生活が一層ボンヤリしているだけなんでしょう。
 しかし、「オフミ」と云う言葉はniftyのフォーラムなんゾを巡回している時は一番嫌いな言葉でした。あそこでは積極的に発言する気がまるで無くて、純粋に情報収集の道具と云う意識だけで、ほとんどROMだったせいかも知れませんが、会議室や掲示板でオフミのお知らせなんかがあると「ケッ!」と心の中で毒づくだけで一度も参加したことはありませんでした。そう考えると、最近のはしゃぎぶりを見ていてウンザリしている方も多いのかも知れません。いざ自分のこととなると途端に無自覚になるのが我ながら情けない。
 そんな訳で、以前と比べれば「寂し」くも「孤独」でもある訳がありませんが、わが家の奥さんやら子供達はまた違った感想があるような気がします・・・

 何故か奥さんはお昼前からお出かけ。どこやらで「昼食会」だとか。う〜ん、食事の後はどうやらオバサンが集ってカラオケと見た。
 車でお出かけなのでマクドナルドに「月見バーガー」食べに行くわけにもいかず、子供達との昼食は仕方がないのでオムライスなどをゴソゴソとつくるハメに。えぇ、こんな場合はうっかり不満そうな顔すると何かと面倒なので、テキパキと昼食の準備などを。


10月5日(Sun)
 拒食症とか過食症と呼ばれる「摂食障害」と云うモノは、思春期の女性が発症する場合がほとんどだと、以前どこかで読んだと思うのですが、どうも僕自身には一時期そんな症状があったような気がします。文字どおり女々しいヤツだからと考えるのは多分に差別発言なんでしょうが、くだくだしく思い悩む性格は小さい頃から確かにそうでした。
 そう、夕食時分に眺めていたテレビから流れてきた年若い女性の告白に、嘗ての自分自身を思い出していました。食事をしている処を見られるのが裸になる以上に恥ずかしいと語る彼女に、あの頃の僕自身の息苦しい記憶が蘇ってきたようです。
 自分ではコントロールできない衝動から、コンビニで買いあさった大量の食べ物を無理矢理に流し込んではトイレで嘔吐するという行為がどうしても辞められないと、彼女は言う。僕自身は食事もせずに何日も自室に引きこもっていたかと思うと、一転して大量の食料を買ってきては一度に全て食べてしまうというような感じで、本当の過食症とは少し違うのかもしれませんが、彼女の満たされない衝動というモノが良く判るのです。決して満たされることのない幼児の指しゃぶりを見て、いたたまれない気分に陥ったりするようなモノでしょうか。
 何故?と自問する人間にとっては、すでに答は自分自身の裡にある筈です。ただ・・・答を見つける事が決定的な意味を持っていることを知っているが故に、あえて目を閉じて、ひたすら己の孤独な衝動に溺れる事を選んでしまうのでしょう。
 「癒し」を求める人間はえてして自らを傷つける事でその事の代償にしようとするようです。一見なに不自由ない生活に見えて、冷やかな母と不在がちな父を前にして、どこまでも「良い子」でいようとする限り、彼女達はいつも傷つき疲れはててしまうのでしょう。
 本来暖かく自分を包込んでくれる筈の家庭にあって、深く傷ついている子供達がいることがどうしても気になって仕方がないのです。物質的な豊かさの陰で、それとは別種の飢餓感に捕えられた人間達が増え続けているような気がします。

 傷ついたモノ同士で涙を流し、そうすることで癒しを与え・求めるという行為が、医療として行われていることが、なんとなく落着かない気分なのですが・・・偶然の僥倖が頼めないほどに、現代の僕たちの関係性はかくの如く絶望的なのだという証明なのかも知れません。


10月6日(Mon)
 最近はPTAネタもご無沙汰だし、ますます身辺雑記としての「日記」から遠のいているような気がしますなぁ。<なんとなく人ごとみたい。

 で、久々にPTAネタでもひとつ。

 不細工な奥さん集めて(きゃー。)、不明な会合をPTAでやらなければいけないんですが、どうもねぇ・・・「ベルマーク」なんてビンボーくさいモノを未だに学校で集めているとは、まるで知りませんでした。どうやら僕が直接の担当者になっている模様です。全然しらんかったけど。
 貧しい時代の相互扶助というか、貧乏人の悪あがきにつけ込んだメーカーの深謀遠慮の匂いのする「ベルマーク」なんて代物は、確かに僕の子供の頃は熱心に集めたような記憶があります。えぇ、音楽教室のオルガンをそれで毎年何台も買っていたような。あぁ、なんだか古くさいお話し。脱脂粉乳の匂いがします。<この例えが解る方も少ないんでしょうなぁ。
 今時「ベルマーク」集めて何にするのかというと、これが何処ゾのボランティア団体にそっくり寄付するんだとか。みんなで集めた「ベルマーク」で体育館のピアノ買うんだとか、図書館の蔵書を増やすとかのお話しなら結構盛上がるだろうに、結局寄付するだけなら、現金でも集めた方がよっぽど効率的かも。最近は仕事をもってる奥さんも多くて、PTAの集りのためにわざわざ会社休んで出席する人も多いというのに、ゴミみたいな包装紙の切れっ端集めにいい大人が集ってあたふたするなんて時代錯誤でバカバカしい限りだと思うんですが・・・
 だから、今年は知らん顔しておこうと思っていたのに・・・世の中には「ベルマーク」集めが好きな人がいて、わざわざ今年のベルマークの回収の予定を訊いてくるヒマ人がいたようです。う〜ん、結局例年どおりやらなければいけないハメに。しかしなぁ、面倒クセーぞ。
 その上、使用済切手の回収もやるんだとか・・・誰か気の弱そうな奥さんにみんな押しつけて、僕は知らん顔しておきますか。うん、それがイイや。

 面倒な作業は人に押しつけておくに限りますって。がはははh、例年同様なんてことを僕に求める方が間違ってる事に皆さん気付いていないんでしょうか? テロリンオヤヂの素顔はPTAではあまり晒してないからなぁ・・・この際だからガツンといきますか、ひとつ。


10月7日(Tue)
 子供達は校外学習と言う名の遠足にお出かけのようです。はい、いつ出かけたのか知りません。お弁当作りに奥さんが起き出す午前5時過ぎ・・・こそこそとベットに潜り込んだ夜更しオヤヂにそれ以後の記憶はありません。
 車で向えば10分程度で着いてしまうごくごく近所の公園ですが、文字どおりの「遠足」でてくてく歩いていくようです。子供の足では1時間以上は掛るだろうし、何よりうるさいガキをゾロゾロ引連れて町中歩くのは相当うんざりする作業のような気がします。先生と云う職業も何かと大変かも。僕には到底勤まりそうもないです。
 公園と云っても、丘陵地帯の雑木林に続く小道沿いに市役所の職員お手製と言うビンボーくさいアスレチック遊具がポツポツと点在しているだけで、大人にはどこが面白いのかサッパリ解らない、そんな極々つまらない処なんですが、友達と出かけるとなると子供達にとっては何よりの楽しみのようです。2日前からリュックサック用意したり持物チェックに余念がないようで、まるで修学旅行にでも出かけるような大騒ぎです。麻美などは少し熱があったようですが、どうしても遠足に行くんだと言って昨夜などは8時過ぎには自分の寝室に行ったようです。
 ああしたビンボーくさい処でも精一杯楽しんでしまえるのが子供達だけがもつエネルギーのなせる技なんでしょう。そんな素直なココロを見失うことが大人になる事だと考えるのはいささか侘しい気がしますが、如何ともしがたいのが現実というものなんでしょうか。

 朝の天気がイマイチだったようで、雨だと普通授業があるからと、麻美などはランドセルとリュックサックふたつ持って登校したようで、帰ってきたときは遠足の疲れもあってふらふらのようでした。正美は何時もと一緒で元気いっぱい。帰ってきてそうそう奥さんに怒られているようです。


10月8日(Wed)
 今日は朝9時過ぎに電話で起されて何かと不機嫌かも。仕事の電話だったのでウルサイとも言えず、半分寝ながらお返事していたような気がしますがチャンと通じていたんでしょうか?自分でもよく判りません。ま、イイか。ダメならもう一度電話あるんでしょう。がはははh、何といういい加減な対応。
 一度起きてしまえばなんとなく時間は過ぎてしまうもので、合間合間にはお約束のお昼寝なども挟みながら、めずらしくも仕事をしていた模様ですが、朝が早かったせいで一日が非常に長くて、午後にはすっかり飽きてます。
 お仕事してましたと言っても、メールのチェックもそれなりですし、ガタガタと騒がしい某伝言板もちょくちょく覗いていたようです。最早あそこは議論する場ではなくなっているんですが、律儀にお返事する先生もいたりしてまたもや活況を呈しているようです。硬派なハセピーに期待する部分も多いんですが、所詮は不毛な議論というか、文字どおりの言い放しの伝言板でしかないような気もします。
 しかし・・・デーテーペーが裏日記ってのはあまりに悲しすぎるゾ。本人はBOWDOこそ裏日記のつもりでいるんですが、迂闊な方やドタバタ期待で最近日記猿人やら伝言板に集ってきたような電脳野次馬の方達には、あっちの方がメインだと思われているようです。う〜ん、時間のかけ方にしてもぜんぜん違うんだけどなぁ。ひょっとして、日記猿人に登録してないから?あんなトラブルばかりのリンク集に登録するような勇気はありません・・・がはははh、我ながらイヤミなセリフ。

 日記ネタはやっぱり表に書かないとね。<ハッ! 結局あちらを表にするつもりか?

 子供達のピアノ教室はそろそろ幼児科から卒業のようで、嘘くさい検定試験があるようです。ピアノ教室なんて所詮はただのビジネスだからどう考えても進級させないと儲らない癖に、検定試験などと言い出すから胡散臭いよなぁ。検定料目当か?


10月9日(Thu)
 プライバシーの公開に関して、僕も一言だけ言っておきたいような気が・・・
 実は某メーリングリストでも「匿名による発言の是非」なんてお話しで論争が起きてるのにも触発されているようです。

 僕自身、Web上で不用意にプライバシーを公開する事にはたしてどんな意味があるのかと思いますが、ま、そうした方も何らかの措置は講じている筈で、まさか実名・住所・電話番号・家族構成・その他諸々まで公開しているような方は少ないよう気がします。
 メールのシグネチャーに住所/電話番号/会社名まで入れて、不特定多数が閲覧する機会のあるメーリングリストなんゾに書込むのは問題かな?と思える方もたまには見ますが、ご本人が納得済なら全然問題ではないでしょう。
 ご多分に漏れず、僕も過去には子供達をネタにしたお間抜けページをアップしていたのですが、いつぞやの嫌がらせ/無言電話の一件以来、先方の人間性にかなり疑問を感じて公開を止めてしまったいきさつがあります。自分だけの問題であれば何とか対処できるものの、家族にまで類が及ぶような気がしたからです。もっとも、本当に誰かが問題を起す気ならば、別に顔写真の公開・非公開なんて大した問題ではないことも事実ですが。
 ようは個人のリスクにおいてのみ公開・非公開の是非を問うべきだと言う、やっぱりあたり前の結論しか今の処は思いつかないようです。
 うん、僕も上田さんの「正しさ」はその通りだと思います。ただし、人間「正しい道」ばかりでは息がつまるような気がしますが、勿論上田さんにも上田さんなりの「正しくない道」の歩き方もご存じなんだとは思いますが。

 Web上のプライバシー公開の問題からは少しはずれるんですが、匿名と実名と云う事でもすこしだけ。
 過剰に自らの正体に関して秘匿した上での匿名発言にはそれなりの説得力しかないことも事実のような気がします。実名では発言できない社会的弱者の存在の為にも匿名での発言は必要だという方もあるようですが、確かに内部告発や差別される側からの声には匿名での発言が必要だと思うこともありますが、その発言が共感を得たり議論を産むためには、やはり実名でなければならないような気がします。言い放しの罵声には何かと便利だとは思いますし、阪神ファンの関西人のヤジに共感する処も多い人間ですので「たたかう伝言板」での発言を面白がってる節もありますが、僕自身はやはり自分の名前で発言するつもりです。

 本日の「新・新婚日記」は明日以降の展開期待で結構喜んでたんだけどなぁ・・・
 なみ蔵とみのるさんとの顛末は・・・アレは不幸の始りという噂も根強く囁かれている模様ですが(きゃー。)、白木くんにとっては嬉しいことだったのか・・・あぁ、合掌。<何故に合掌?


10月10日(Fri)
 生来の写真嫌いと云うのは、ひょっとすると祖母ゆずりなのかも知れません。明治生れで若くして亭主を亡くしてから女手一つで4人の子供を育ててきた気丈な祖母は、どうしょうもなく狷介で気丈な一面も持っている癖に、妙なモノを恐れたり毛嫌いする節がありました。
 旅先などで子供や孫達がカメラを向けると露骨にイヤな顔をしてプイとそっぽを向いてしまい、決して記念写真などに並ぶ事はありませんでした。正面を向いた写真が何処にもなくて葬儀の時に用意する写真の手配に親類縁者が慌ててていた記憶があります。たった一枚、叔父が気付かれないように盗み取りしていた写真は、車の陰であたりの様子を窺うようにひっそり立っている、少しうつむき加減でキツイ目をした何時もの祖母でした。不用意に見せた祖母のあまりに生々しい表情に、祭壇に飾られたその写真を僕は直視できなくて、なるべくそちらを見ないようにしていたのですが、つい覗き見てしまうのは・・・何やら祖母の死の悲しみ以上に彼女の人生の孤独を思って、ひたすらやるせない気がしたからです。
 写真というモノは一瞬を固定してしまうが故に、僕などはそれを眺めてしまうと、常に後悔に晒されているような気分になってしまうのですが・・・まぁ、あまりに普遍性のある意見では無さそうです。要は印画紙なりデジタルなりに記録された自分自身を見ることが不快だと云うだけの話しなのでしょう。

 と云う事で僕はカメラの前に立つとつい身構えてしまって、何かしら自分自身を作ってしまうような処があるような気がします。
 ま、某オフミでのスリーショット見て、なんて冷たそうな人間なんだろうと我ながらつくづくそう思えたりするのは、つまりカメラは正直と云う事なのかも。うん、そんな風に正直な自分を見るのも落着かない気分です。

 今日は敬老の日じゃなくて体育の日だったんですね。おばあちゃんの思い出と体育の日には何の関係もありません。祝日にかこつけて一文書いてみるなんて、そんな売れないコラムニストみたいなマネを素人がやっても所詮はつまらないだけでしょう。Web日記には意味不明がいちばん似合います。


10月11日(Sat)
 今日は「多摩そごう」まで奥さんのお買物のお供をする予定だったのですが、何故か朝からネムネムの奥さん・・・いつの間にかベットでお昼寝しているようで、結局お出かけは中止に。何故にネムネム?
 う〜ん、こんな事なら本日のオフミに出席すればよかったかなぁ・・・でもメンバーがなぁ・・・ロストワールドだしなぁ・・・立川だからなぁ・・・何故か躊躇する「テロ@りん」・・・ほんとに開催されたんでしょうか。

 で、奥さんが昼寝してるのをいいことに、ネットに繋いだり、ネットに繋いだり、ネットに繋いだり・・・<みんなソレか!
 某きむあつクンの日記にバカ受けしてしまい、訳もなく日記更新したり、不明な情熱のたまり場をこわごわ覗いてみたり・・・ま、普段と何一つ変ることのない一日だったんでしょう。
 久しぶりに晴れた週末のような気がして、たまには子供と公園にでも出かけるかと声をかけてみると、正美は「うん、いくいく!」とふたつ返事で準備を始めるんですが、麻美はどうも乗気じゃないようです。それでも自転車で3人で向いの公園まで何とか出かける気にはなったようですが「暑いから帰る」とスグに家に戻ってしまいました。そんなヤツです。
 正美に友達の処にでも遊びに行けばと言っても、「ううん」と返事するだけ。どうも気軽に遊びに行ける友達がいないようです。仕方がないので二人して公園を訳もなくグルグルと・・・アァ、なんだか寂しい親子連れ。

 さすがに最近はマクドナルドにも少々飽きてます。「月見バーガー」もイマイチかも。そんな訳で昼食は子供達はボンカレー、僕はと言えば生玉子に醤油落して炊きたてのご飯にまぜまぜ。きゃー。<とても奥さんのいる家庭の食事とも思えませんなぁ。でも、コレがおいしかったりするんですよねぃ。


10月12日(Sun)
 秋の陽が穏やかに眩いというのに大粒の雨が降る、一種非現実な昼下がりの街角・・・雨を避けようと交差点を小走りに走る少女が持つ赤い傘の鮮烈さがいつまでも脳裏に眩くて、ふと僕は現実を忘れる。

 子供と手を繋いで、人通りの多いアーケードの下を歩きながら、「あなた」に似た女性につい目がいってしまうというのは・・・我ながら無意味な行為だと思います。
 そもそも、現実にはあり得ない「あなた」だった筈なのに、存在し得ないモノを見てしまう僕自身の妄想癖が、いつしか何処にも居ない「あなた」の虚像をこの現実の裡にまで求めてしまったようです。
 路上に並んだパンプスをあれこれ品定めしている「あなた」・・・少し中腰になって試しに履いてみた「あなた」のくるぶしのあたりに見つけた小さなほくろに、僕は訳もなく欲情していた。

 ・・・赤い革ひもと細いピンヒールで固定された「あなた」の足首に口づけすると、さざ波のように「あなた」の全身に快感の走るのがわかる。じらすように執拗な愛撫をくり返す度に波打つ「あなた」を抱きしめ、一層深く「あなた」の快感の中心へと僕は降りていく。

 ファーストフードの店内で一人本を読んでいる「あなた」には、その開いた襟元から覗く素肌にどぎまぎとして・・・子供達の注文をうっかり聞き逃してもう一度確かめてみる。

 ・・・ブラウスのボタンをひとつひとつ外しながら、固く目を閉じた「あなた」の耳元で秘かに囁きながら、そっと耳朶を噛む。はだけた胸元から「あなた」の乳房を愛撫すると、固くとがった乳首が僕の手の中でうっすらと汗ばんでくるのが判った。僕の腕の中で「あなた」の欲望が濃厚に匂った。そのむせかえるような匂いの裡に僕自身も溺る。

 気が付けば雨はとっくに降止んで、町の雑踏と騒音が雨上りの湿った空気のなかで交錯していた。そう・・・いくら見渡しても「あなた」に似た女(ひと)など何処にもいる筈はなかった。

 いつもいつも、こんな風な事ばかり考えている訳ではありません。たまたま手持ちぶさただったりすると・・・ぼんやりと椅子に座って道行く人を眺めながら、ついうっかりと・・・


10月13日(Mon)
 実は昨日はずいぶんとご無沙汰している人物に会うために子供達引連れて阿佐ヶ谷まで出かけたんですが、事前の連絡なにもないままの「アポなし訪問」ではやはり無理があるようで、生憎と目当の人物は不在でした。う〜ん、何処に出かけていたのやら・・・アパートの一室で死んでいなければ良いんですが。きゃー。
 何故に昨日の出来事を本日書くのかと言えば、昨日はどうした加減かついつい不明日記を書くハメになって、通常の身辺雑記を挟む余裕がどこにもなくなってしまったからです。ま、最近はネットの世界とはとんと無縁な生活を送っているようなので、彼が僕の日記を読んでいるかどうか確かではありませんが、一応業務連絡という事でこんな処に紛れ込ませているようです。
 うん、今度はチャンとメールしますので、その裡に我家でメシでも食べますか、マレニくん。

 で、本日の日記はというと・・・これが特になにもない一日だったようです。珍しく仕事もやっていたようですが、合間合間には何度もネットに繋いで訳の分らないメールを訳のワカラン方々と。さらには次回のオフの打ち合わせメールなどを、何やらお堅いメールアドレスの方と。<またやるのか?
 9月がやたら忙しい「オフミ強化月間」だった反動か、最近はいささか食傷気味だったような気がしますが、またぞろそんな話題もちらほらと囁かれている模様です。しかし、「玉川上水駅待ち合せオフ」は気が進まないなぁ。日記者と我家の近辺でオフミするってのは・・・どうもねぇ。もう少し日常から外れないとなんとなく落着かないようです。 

 我家の中ではタンパッケンの白木クンちと同様で、「日記者」と言うのはほとんど放送禁止用語に近いからなぁ。なるべく日常からは「日記」だの「インターネット」なんて会話は避けることにしてます。君子危うきに近寄らず、です。


10月14日(Tue)
 ここの処、正美は妙に「作文」に凝っているようで、連日執筆活動に余念がないようです。
 先日の遠足の感想文なのですが、朝起きてからの天気から、学校を出発して道中の様子やら公園での友達との遊びまで、何やらこと細かにあれこれ書いているようで、400字詰原稿用紙で12枚になってもやっと公園を出発して学校に向う処までのようです。これからでも、帰り道での出来事やら家に帰ってからの事まで、まだまだ書くことがいっぱいあるようで、本人は20枚まで頑張るとやたら張切ってます。う〜ん、ガキにも不明な情熱というモノはあるようです。
 中味に関しても、例によってユニークな発想と胡散臭いボキャブラリーで大笑いさせてくれるのですが、家族以外にはそれ程面白くないので引用は今回は控えることにします。
 しかし、何処で覚えてきたのやらオヤヂ臭い紋切型のフレーズが多くて、誰が教えたわけでもない筈なのですが、ひょっとすると文体まで遺伝することがあるのかと・・・我ながらちょっとイヤですが、確かに僕もそれぐらいの頃に訳の分らない文章をウダウダと書いていたような覚えがあります。ただ、学校の作文を原稿用紙20枚も書かなかったと思います。おざなりな文章を適当にでっち上げて提出するだけで、あまり「作文」などというモノに熱中することはなかったような気がします。
 麻美の場合はいかにもやる気のなさそうな文章を2、3枚書いて、それで完成だそうですが、こちらはやはり「奥さん似」と云う事で納得できるようです。

 相変らず夜更しというか・・・夜更しのせいで昼間に仕事がはかどらないので、溜ったお仕事を夜中にやっていて、さらに就寝時間がずれ込むという、まさにドツボにはまった状況のようです。ま、本人は結構こんな暮しが気に入っているようで、もはや廃人生活とも呼べないほどにこんな暮しが日常のようです。


10月15日(Wed)
 今月末ごろにピアノの昇級試験があるらしい子供達。去年あたりから親がレッスンにつきそう必要がなくなったので、最近はレッスン中の様子がよく判らなかったのですが、どうやらまるでダメな模様です。ピアノの先生などは完全に甘く見られているようで、レッスン中もふざけることが多くて、肝心のレッスンがぜんぜん進んでないと先生の方から泣きが入ったようです。まぁ、親の言う事もいい加減にしか聞いていない連中ですから、ましてや思いっきり怒るわけにもいかないピアノ教室の頼りない先生などはさぞかし苦労する事でしょう。
 仕方がないので、今日は奥さんも一緒にレッスンに付添ったようですが、はてさて奥さんがいるからと云って、あのガキ達が神妙になるかどうか・・・
 通い初めてからたぶん3年にもなるはずですが、端で見てるとぜんぜん進歩してるようには見えません。ま、モーツァルトになって欲しいわけでもないので、別にたどたどしいピアノ演奏を聞かされる事には文句はありませんが、発表会だの試験だのと云うと運転手おおせつかる父親は、ひたすら飽き飽きしているようです。
 食事の後はピアノの練習でしょうか? 日本の家庭のあちこちで今夜もへたくそな子供のピアノを聞かされてる父親はいっぱい居るのかも知れません。

 時間に追われる仕事が多くていい加減ウンザリ・・・余裕を持って日程組めれば問題ないのですが、予算の次ぎに無いのが日程というのが、印刷業界の古くからのお約束のようです。すぐ終るお仕事だから楽と云えば楽なんですがねぇ。
 う〜ん、本日は珍しく仕事をしているようです。


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