デーテーペーな1日

1998.3.16~31

日記関係の発言はこちらで。
3月16日(Mon)
 何か判らないことがあると「メールで教えてくれ」とかって、いけしゃーしゃとHomePageに書きつけるヒトってのはいったい何を考えてるんでしょうねぇ?
 そもそも、自分のコストを使ってなぜ見も知らぬあなたにそんなこと教えなきゃいけないのか、一度じっくりと論理的に説明してもらいたいものですが、こうした方に限っておよそ思考力の欠片も無さそうなのは・・・あながち偶然とばかりは言いきれないようです。
 いつまで経っても幼児性の抜けないのは、近ごろの世相を反映した「おとな子供」の氾濫と言ってしまえばそれ迄とはいえ、余りにも「自分」にしか関心のない人が多すぎるようです。
 誰かから無償でサービスを受けることを当然のように考える人間はやっぱり「インターネットで情報発信」なんて戯言に乗せられないようにした方がお互いの為かもしれません。この世の中、そんなおいしい話しが転がっている訳もなくて、誰かの善意や好意が当然のものと信じられるような、そんなおめでたいヒトはそのうち善意や好意の思わぬ正体について学習することになるのかも。
 ただし・・・今度はやれ傷ついただの裏切られただのと人一倍大騒ぎしそうなのも、やっぱりそんなヒトなんでしょう。自分の痛みにはひどく敏感なヒトを称して「優しい人」と、勘違いしている人間は現実・ネットの世界を問わず、とにかく多そうです。僕にはただ頭悪いだけにしか見えないんですけどねぇ。

 頭悪いと言えば・・・「TV朝日系列・月曜8時」のドラマ。いくら仕事とは言えこんなものを大の大人が集って作っているのかと思うと、本当に日本は大丈夫なのかと?心底そう思います。
 えぇ、そんなのが大好きなんですねぇ、我家のガキも奥さんも。今日は最終回の2時間特番とかで夕食もそこそこにテレビに熱中してますわ。とほほ。


3月17日(Tue)
 ほんとうか?きむあつクン。

 僕には夜中にどこやらのチャットで人の噂で散々盛上がったあげく、朝になったらログ消してそのまま口拭ってる輩の方がよほど気色が悪いけどなぁ。
 公衆面前キスなんてモノは大人のお遊びとしては他愛のないモノですが、少なくとも自らがした発言の意味についてはもう少し自覚しているつもりだけど、さて・・・きむあつクンの場合は如何?
 日記猿人界のご意見番にでもなったつもりなら、そういう勘違いはフランケンさんあたりにまかしておけば十分だと思うんだけど・・・しかしまぁ、きむあつクンもなにやら偉くなったものです。
 ついでにテッシーも他者に届いたナンパメールを公開して楽しもうとするならさっさと始めたら。ただしメールのヘッドから本文含めてすべて公開するのでなければ、所詮はそんな「ナンパメール」と同列のジャンクな情報でしかないことだけは自覚しておいた方がいいような気がします。そこから派生するすべてのトラブルについても引受ける事になるんでしょうから。

 ちょっとBOWDOで更新したくなかったのでこちらに書いておきます。続きがあるんならその時はそちらから。


3月18日(Wed)
 仕事じゃないとこんなに頑張るというのも、我ながらつくづくバカみたいな性格だと思います。

 そんな訳で、朝からPTAのクラス文集づくりにせいだしてます。当初はPSのカラーレーザープリンターで出力しようと考えてたんですが、どうにも予算がなさそうなので、担任の秀島先生の個人所有のインクジェットプリンターを使ってカラーページを出力するハメに・・・やっぱり時間かかるなぁ。最低でもA4サイズで60枚プリントしなければいけないので、う〜ん、たぶん今晩一晩かかってもプリントできないかも。
 だんだん萎えてきたけど、そんなこと書くとまたもやひでちゃんが申訳なさそうにヒトの顔見るからなぁ・・・わはははh、最近は担任の先生と言う感覚が父兄の側にぜんぜんないみたいで、ちょっとマズイかもしれませんねぇ。ほかのお母さん連中にしたところでみんな呼名は「ひでちゃん」だからなぁ。
 まぁ、日頃の言動もそうなんですが、外見も一見すると洗濯してない「テディベア」みたいな感じで、とにかく愛嬌たっぷりなんですわ。そのあたりがオバサン連中にウケが良いところなんでしょう。えぇ、秀島先生はなかなかオバサン達には人気者のようです。寄ってこられると、ひときわ迷惑なオバサンばっかりなんですけどねぇ・・・

 子供達は給食も昨日で終りだとかで、やたら学校から帰ってくる時間が早そうです。う〜ん、これから3年生になって給食が始まるまで、当分は我家でお昼食べるとなると・・・どうやらマクドナルドのレタペパセットの回数がさらに増えそうな気配かも。かもかも。


3月19日(Thu)
 自分の分身と暮す・・・「クローン羊ドリー誕生」というニュースから帰結できる「すばらしき新世界」的結論とは、まさしくその通りなのでしょう。しかし、いくら遺伝学的にデザインされたとはいえ、性格までもが遺伝子操作で変えることができるものなのか? そのあたりを手つかずのままにして、肉体的にやたら頑健で健康についても申分のない、性格は今のままといった「自分自身」と同居するのは、僕だったらやっぱりお断りです。
 これは結局のところ、古くから言いふるされてきた親と子の近親憎悪・お互いの中に己自身を見てしまうことの苛立ちを、単に極端化させただけのような気がします。我が子の振舞いに、ある日の自分の行動を重ね合せて、あぁ・・・と一人合点する事というのは何かと多いものです。

 ふと振り返ったとき、ショーウィンドーに写った父親と並んだ自分の後ろ姿に例えようもないほどの不快感を感じたのは、その丸まった背中のラインがあまりにも似かよって見えたからだったようです。優柔不断で愚劣な父親だと軽蔑しながら、自分自身の裡なるものの存在に気付いたときの無力さが、まさしく「自同律の不快」というものの正体だったようです。
 あるいは、子供達がついた他愛のない嘘に、居丈高になって叱っている己のその余裕の無さにふと気づく・・・眼の動き、ほんの些細な言葉の切れ端で、何を思ってそう言うのかがまるで自分のことのようによく判ると言うのも、理由としては似たようなものかもしれません。
 嘗て、同じように母親から畳の上で正座させられては「なぜお前はかくの如き粗雑な嘘をつくのか」と、嘘をつく動機について際限もなく責められていたあの日とは立場は逆転していても、涙が音を立てて足元に落ちていったことまでもが、違っていてもまるで同じ記憶なのだと、ふと我に返って愕然とする事があります。

 やはり僕は「僕自身」と暮すなんて事は到底できそうもありません。僕は「僕自身」の愚劣さに我慢がならない筈です。

 おのれが育てられたようにしか自分達の子供を育てる術を知らないのだとするなら、僕は「子育て」というものにとても自信がもてません。
 何かが違っていると思えばこそ子供達を叱っているのだと・・・それはなかば願望に近いのかも知れません。


3月20日(Fri)
 子供達のお昼の学校給食もなくなって、お昼はマクドナルドがしばらくは定番となるのかも。
 えぇ、案の定・・・さっそく「てりたまバーガーセット」ですが、日本マクドナルドもどうして素直に月見バーガーにしないのか?そのあたりの了見がサッパリわかりません。毎回毎回目先を変えるためとはいえ、どうも最近のメニューの作り方は無理矢理のような気がして仕方がありません。
 がはははh、なんだか真面目にマクドナルドのメニューについて蘊蓄をたれるというのもビンボーグルメならではの話題のような気がします。まぁ、この日記で三ツ星レストランの鹿肉の味について蘊蓄をたれるなんてことは金輪際ありませんから、所詮はマクドナルドのメニューについて熱く語るのがもっぱらお似合いなんでしょう。
 で、あの「てりやきソース」だけは、いつまで経っても馴染めません。甘いんだかしょっぱいんだかよく判らないというのもなんとも不明な感じがするんですが、何にかけても「てりやき」の味しかしないというのはなんとかならないもんでしょうか?
 どうやらあの味のルーツは学校給食にあるようで、給食のメニューに「てりやきハンバーガー」が出たか出ないかの差でかなり嗜好性に違いがありそうな気がします。多分に化学調味料の味が濃厚なんでしょうが。
 むろん、僕の時代には「てりやきハンバーグ」はなくて、クジラベーコンとか脱脂粉乳ってのが思い出の味になるんですが、これに同感していただけるのはたぶん長谷川先生ぐらいでしょうか。
 ただし、小さい頃からの偏食が原因で、たいていの給食メニューに僕は良い思い出がありません。おいしかったと思えるものといえば・・・たぶんカレーと焼そばぐらいでしょうか。
 しかし、当時は主食がパンだったのでカレーをパンに浸して食べるのがなんとも不当におもえて、なんでご飯じゃないんだろうと、アメリカの余剰小麦の消費のために始った給食制度にマジに怒っているという、なんともひねた小学生でした。確か「アカハタ小学生新聞」とかなんとか、そんな奴を読んでいたかも知れません。きゃー。<エッチネタより恥ずかしい思い出かも。

 結論から言うと、まぁ「てりたまバーガー」の玉子に免じてなんとか及第点でしょうか。ようは僕自身の味覚が完全に「お子さま」なんで定かではありませんが。


3月21日(Sat)
 2時すぎから遊びに出掛けた子供達が夕方6時近くになっても戻らないので、うちの奥さんなどはどこか遠くまで自転車で出掛けて迷子になってるんじゃないだろうか、或はおかしな人間に二人してさらわれて大変な事になっているんじゃないだろうかと、母親が陥りがちな妄想に捕えられてはやきもきしていたようです。
 一応5時前に子供達に帰宅をうながすための鐘が鳴るので、「それが聞えたら帰って来るんだよ」と言い聞かせてあって、そのあたりの約束事は、まぁきちんと守れていたようなので、こんなに遅くなったのは確かに初めてかも。
 友達の家にでも上がり込んで時間を忘れているのかなとも思ったのですが、そのあたりの事に妙に神経質な麻美が一緒なので時間を忘れるということもない筈なので、さてどうしたものかと考えていると、あたりがすっかり暗くなった6時すぎにようやく返って来たようです。
 向こうの信号のあたりにそれらしい人影が2人、自転車で出掛けた筈なのにどうやら自転車を押しながら歩いて帰ってくるようです。

 すっかり疲れ切って、「ただいま。」と答えた正美の目からみるみる涙があふれて・・・公園で自転車のカギを無くして、仕方なく麻美と一緒にカギのかかった自転車を交替で後輪を持ったまま押して、1時間以上もかけて帰ってきたとか。
 ひとりが一旦戻って予備のカギを取ってくると言う簡単なことも思い付かなかったようで、子供らしい不器用さでなんとか家までたどり着いたようですが、寒さと疲れで麻美までぐったりしていて、これも元気がありません。

 その鍵のかかった自転車を駐車場の奥まで運ぶと「それは大変だったね」とだけ伝え、本当は抱いてやりたかったのだが、肩口に手をやってそのまま2階にあげようと、ふと二人の手を見てみる。
 後輪のあたりを持っていたせいで自転車の泥と油に真っ黒に汚れているその小さな手を見て、やっぱり抱いてやればよかったかと・・・少しだけ後悔していたのかも知れません。

 帰ってすぐに風呂に入って、もう二人ともけろっとしてます。普段からお金もテレホンカードも持たせないので、こんな時に連絡の取りようが無いのもちょっと考えものかも知れません。まぁ、だからと言って「ポケベル」だとか「ドラエホン」を持たせるつもりもありませんが。


3月22日(Sun)
 午後からは2年3組の「おわかれ文集」の印刷と製本作業でずっと学校に。
 足りないページをコピーしたり製本する順番に束ねたりで、色々と細かな作業が多くてなんだかんだと言いながら、3時間ぐらいはかかったでしょうか。
 例によって何かとモノに凝る性格の秀島先生(ただのオタクと言う噂も。きゃー。)が購入してあった私物の簡易製本器を使った総ページ数80ページ以上にもなる「おわかれ文集」は、手作りとは言え無線綴じで表紙までついて、それなりにちゃんとした出来ばえになりました。
 何より、全員の父兄から原稿が集ってそれぞれにこの2年間の思い出について語っている処など、とてもよい思い出になったような気がします。それもこれも全ては秀島先生の人間性の賜物なのかも知れません。よい担任に恵まれて、生徒も父兄もとても有意義な2年間でした。
 がはははh、今さらそんなしおらしいこと書いてみたって説得力はぜんぜんありませんねぇ。なにせ、生徒も父兄もみんな先生のこと「ひでちゃん」呼ばわりですから。まぁ、そんな先生だからこそ2年間もPTAネタで盛り上がれたんだと思えるし、日記のネタとしてもなかなか重宝したかもしれません。
 来年度はPTAどうしますかねぇ・・・もういい加減PTAからも卒業したい気分ですが、「レタペパPTAネタ」は人情裏日記からも外せないような気もするし、まぁ、来年度の担任の先生の顔ぶれ眺めてから考えますか。

 そんな事を言いつつ、すでに4月には御岳山へのピクニックの計画もあったりして・・・6月にはみんなでディズニーランドへ行くなんてプランまで。わはははh、やっぱりな。


3月23日(Mon)
 なんだか今日はぜんぜんやる気ないなぁ。仕事のヤル気の無さはすでに広く知れわたっている処ですが、日記の方もイマイチ、ってゆ〜か・・・Webをウロウロするばかりで何一つ意味ある行動を起していないという噂も。
 朝起きてから寝るまで、ほとんどモニターに向かいっぱなしなんて生活もいい加減にしないとねぇ。
 専用線に繋いでちょうど1ヶ月も過ぎたことだし、もうそろそろインターネット資源の有意義な活用法についても何とかしないことには・・・日記巡りとメール書きだけではあまりにも情けなさ過ぎるかも。あぁ、伝言板への書込みってのもありましたねぇ。

 家族サービスにスキー行くわけでもなし、向学心に燃えて勉学にいそしむ目標もなければ、知的好奇心を刺激させられる読書なんてものにも最近はあまり魅力も感じないかも。ゲームにはまるには世代的に遅すぎたようだし、PTAの奥さんと不倫する程の熱意もなければテレクラで女子高生に援助交際迫る程の精力もすでに失せかかってるしなぁ。

 やっぱりインターネットで不明な「ナンパメール」出してる位が、この日記の作者にはお似合いのような気がします。
 って書いたからって、「ナンパメール希望します」なんて、マジだか冗談だか分らないようなメールを送りつけないようにね。
 えぇ、あれ書くのに結構時間取られるんですから。<やっぱり送ってたのか!

 本日の夕食はカレー。
 なんですが・・・見た目も香りも確かにそれっぽいんですが、ぜんぜん辛くないカレーってのもなんだかなぁ。最近ますます我家のカレーは甘口に拍車がかかっているようで、ほとんどシチューと呼んでも過言ではありません。
 仕方がないのでタバスコかけて食べてるんですが、これがまたとっても変な味なんですねぇ・・・とほほ。


3月24日(Tue)
 子供達は今日が3学期の終業式。来月からは3年生・・・と云っても、卒業する6年生でもなければとりたてて感慨があるわけでもありません。
 親もそうですが、子供達も当然なんの感想もなくて、正美なんか昨日も宿題が出されて遅くまで食卓でなにやらやってました。普通、終業式の前日にまで宿題だすかなぁ・・・なんだか月ごとの出来事を絵と文章で12ヶ月分作って一冊の本にするらしいんですが、一晩で6ヶ月分一度に書いてこいと言われてもちょっとムチャかも。
 まぁ、たぶん正美がいつもの調子で、授業中に真面目にやっていないからこんなに残ったんでしょうが、あの先生ってのは授業中は何も文句を言わない代り、出来ない人間とか授業中におしゃべりして集中できない人間は完全に無視するような処があるからなぁ。要するに、女の先生によくあるパターンと言えばそうなんですが、もう少し暖かみのある授業はできないもんですかねぇ・・・と、担任終ってから文句いっても始らないんですが。
 この先生、お母さん方の評判がやたらと悪かったのは、どうもこの辺りが原因のようです。

 結局夜の10時過ぎまでかかっても2月・3月分が残ってしまったので「明日学校でやりなさいと」やめさせたんですが、終業式後にもって返って来たのは昨夜のままの途中まで仕上げた分だけってのは・・・まったくなぁ。何のために遅くまでかかって、麻美に色塗りまで手伝わせたのやら・・・あとは自分で勝手にやれと言うことのようです。
 栗原先生、いい加減にするように。 

 そうそう、昨日のお子さまカレーの件に関してはあとから追加するカレーのスパイスがあるとの情報が。
 そう言えば一時それを買ったこともあったような。何かイマイチ味に納得できなかったような気もするんですが、確かにタバスコふるよりはマシかも。えぇ、今度買ってみます。瑞穂のオリンピックで。<無茶苦茶ローカルすぎ。


3月25日(Wed)
虚空の悲しみ

 あの日の痛みの記憶は、もう私の中にはありません。あまりの苦痛に耐えきれず、あぶら汗を流して身動きひとつできなかった筈なのに、ソレがどんな痛みだったのか・・・今ではすっかり忘れてしまいました。
 下腹部に醜く残った傷跡と、ひきつれるような痛みが微かに走ることはあっても、その事であの日を思い出すことも、今ではほとんどなくなってしまいました。
 ただ・・・手術台の上の全裸の私を正視できずに、足元を見つめたまま呆然と私の手を握っていたあなたの事や、麻酔に朦朧とした私が「ごめんなさい」とあなたに告げたとき、耐えきれずにこぼれたあなたの涙の事などが、日ごとに鮮明に思い出されてくるのです。

 妊娠を告げた医師の手が、モニターに繋がった小さな機械を私の下腹部に押しあてて、不審そうに何度も往復する。その機械が押しつけられる度に鈍い痛みが下腹部にひろがり、力を抜くように言われても耐えられない苦痛に身体が自然と固くなる。痛みで固く握った掌からは冷たい脂汗が流れおちるのが分かった。

 「エコーで見る限り、どうやら赤ちゃんは子宮の中には無いようですねぇ。」

 年若い医師がモニターを眺めたままでそう告げた。

 「子宮外妊娠のようです。それも早急に手術しないと大変危険な状態のようなので、大至急ご主人に連絡する必要があるんですが、連絡先はわかりますか?」

 私にはその医師の言葉がなにを意味するのかまるで理解できなかった。耐え切れぬ程の痛みのうねりに捕えられながら、私の身体のどこかで、血まみれの何かの塊がドロリと動いたような気がした。
 その後のことは切れ切れの記憶の断片しか残っていない。手術の設備の整った病院に搬送するためにシートに覆われて救急車に乗せられたことや、手術直前に駆けつけたあなたが日頃の冷静さを失って何やら怒鳴っている声や、緑色の布で覆われた視野が急速に暗転していくのに耐え難い不安を感じた事とか・・・

 廊下で向い合った医師とおぼしき白衣の男とあなたが、ステンレス製の腎臓型をした盆を挟んで立っているのが見えた。中には血まみれの赤黒い塊がひとつ。

 「左の卵管にありました・・・お気の毒さまでした。」

 あなたはその小さな血の塊をじっと覗き込むように眺め、突然リノリウムの床にひれ伏して嗚咽した・・・あぁ、あなたがこんなに人目もはばからずに泣くなんて、胸が締めつけられるほどのその悲しみが、私にまでも伝わるようでした。

 私は医師の後ろのストレッチャーの上に寝かされているのが私自身であることに気付いた。血の気の失せた表情からはもう苦痛の色はなくて、虚脱したようなその表情は、数年前に死んだ私の母にそっくりだった。
 その事に気付いた瞬間、私は虚空の果てに向って一気に上昇を始める。
 右手には胎児とも呼べぬ赤黒い血の塊りの載った盆を持ったまま、いまだ鮮明に見えているあなたに向って、もう痛みも苦痛も感じることはないのだからそんなに嘆き悲しむことはないのだと、そう告げる術のないことに気付いた私の裡に、その時初めて、胸の詰るほどの悲哀がどっと溢れてきた。

 死者の見る夢に苦痛や悲しみがいまだ癒されずにあると考えるのは耐え難いものですが、全ては死によって雲散霧消しているのだとするのも、にわかには納得できない結論でもあるような気がします。
 何れにしても、死は全て「無」である筈なのですが・・・


3月26日(Thu)
 今日あたりから日記が手抜きになる予感。
 まぁ、そう毎日ネタになるような人生送っているわけでもないので、基本的に「いいかげんな日常」がこの人情裏日記のコンセプトなんで、いざとなればマクドナルドの「てりたまバーガー」食べにいけば本日の日記1ヶ完成なんですわ。はい、実にいいかげんです。本人がそう言ってるんだから間違いのない処です。

 なぜ日記が手抜きになるのかと言う言訳でした。
 いえね、奥さん。大きな声では言えませんが、明日の夜からめいっぱい「不明な情熱」を発揮してお出かけの予定なんです。
 はい、0泊2日関西の旅・・・う〜ん、無茶苦茶すぎる日程ですなぁ。何せ移動時間を夜にしたもので睡眠時間が計算に入ってないんですから、いつ寝るんですかと訊かれて初めてそれも必要だなぁと気付くというのもあんまりかも。ひょっとすると死者が出るかも知れません。
 目的がオフミの為"だけ"ってのも、本気でバカ丸出しですが、何せ年間オフミキングやオフミクィーンを争ってる方が参加されるんですから、それはもう・・・参加すること"だけ"に意味があるオフミの為のオフミ、「メタオフミ」と呼んでも過言ではありません。<実にヤな過言ですが。

 そんな訳で、週末のお仕事も詰めておかないとドタキャンの憂き目にあう可能性も未だに少々。がはははh、ここでドタキャンはあんまりですわなぁ。
 哀れ移動手段を持たぬ東京組は、青春18キップでトコトコ大阪まで行くんでしょうか?まぁ、その時は頑張ってね。

 いや、マジで原稿の出方が遅いんでちょっとヤキモキ。まぁ、ドタキャン喰らったらゴメンナサイね、人生いろいろだから面白いともいえますなぁ、これが。


3月27日(Fri)
 そんな訳で、本日は「予定日記」というか「言訳日記」というか、例によってあまり意味のない日記です。

 朝のうちはけっこう雨足も強くて、いささか萎え気味だったのですが、午後からは青空も覗いているようです。これで関西方面も明日は晴れるのかなぁ?
 出掛けるとなるとお仕事も頑張って消化しておかないと帰ってからが地獄を見そうなので朝から頑張ってお仕事もしました。
 睡眠不足で居眠り運転はマジで危険なので、昨夜は12時すぎにはもうベットに潜り込んでみたんですが、案の定3時頃までもぞもぞやっていたかも。お陰で朝は早く起きるし・・・結局普段より睡眠時間は短かったかも知れません。なにやってるんだかなぁ。こんな事ならもっと日記巡りしておくんだった。

 で、明日の日記の更新はするかどうかよく判りません。一応パワブクは持っていくつもりですが、周りに人間がいると日記の書けない性分なので、まぁかえってからまとめ更新する可能性が高いかも。そんなにムキになって更新することないんですが、本人がなにせ更新マニアですから。

 手抜き予定日記はこんな処でオシマイです。
 しかしなぁ、奥さんには何しに出掛けるのか相変らず説明できないところがいささか辛い・・・


3月28日(Sat)
 昨夜は9時過ぎに東京をでて、一路西下。夜中の3時に高速道路のサービスエリアの駐車場で大の男5人で仮眠ってのもちょっと悲しすぎるけど、まぁこれも人生。
 何となく寝たような寝てないような・・・何時もと同じと言えば言えるのかも。これ以後の展開も果たしていかなるドタバタが待っているやら。すでに待ち合わせからイヤな予感がしているというのも、幹事が幹事だから如何ともしがたいのかも。

 そんな訳で本日もただの「言訳日記」なんでぜんぜん読む価値ありません。

 チビ字も手抜き。すまんです。


3月29日(Sun)
 はいはい、天王寺動物園でいきなり足がつったのは私ですとも・・・とほほ。
 なぜに蛋白研の白木くんと会うといつも動物園なのか? 訳わかりませんわ。今度東京で会ったりすると、さしずめ多摩動物園でナリマツ青年と一緒にコアラ見ることになるんでしょうなぁ、奥さん。

 オフミの詳細については皆さん書くんでしょうから、詳細はそちらに任せて、僕が当日掴んだ極秘情報についてあれこれ。
 やっぱり話題の中心はてんし・あくまの四国姉妹とストーカーくんにつきるでしょう。のりりんはどうでもイイや。がはははh、
 最後のカラオケ屋で支払い済ませたストーカーくんの財布の中身は350円・・・よろずやさんに2000円カンパしてもらってホントに嬉しそうでした。ビンボーくさいぞ、「ストカー日記」くん。
 れっきは、結局どっちが好きなのかとうとう白状しないままでしたが、キムアツ・龍成の「れっき争奪/恋の徳島オフ」の結果には、やはり皆さん注目した方がいいかもしれません。
 龍成くん、ちょっと出遅れという噂もちらほら。キムアツくんは気が多いので要注意とのりりんがチクってました。のりりんはどうでもイイや。がはははh、
 colonちゃんやてんし・あくま姉妹のプリクラ好きにも困ったモノです・・・オッサンが店先でプリクラ撮ってる姿ってのはひたすら恥ずかしいなぁ。余計なモノが最近のオフミで流行っているようで、どうにも困ったものです。4月4日の立花さんオフではデジカメ禁止に加えてプリクラ禁止も言渡しておく必要がありそうです。某奥さまあたりも好きそうだからなぁ。
 しかしまぁ、皆さん寂しいのか?

 なんだか本日の日記はまるっきりBOWDO風味です。最近ふたつの日記に違いがないという噂もちらほら。ヘロヘロで日記ネタ以外書く気力があまり湧かないというのも事実ですが、奥さんとの会話がイマイチ弾まないのがホントの原因かも。よく理解できない理由で大阪くんだりまで出かけるは、朝方に帰ってくるわで、本日はなんとなく家庭内でも伏目がちなテロリンでした。


3月30日(Mon)
自分自身の日常の空虚さにふと気がついて
今さらながらに恐怖するというのも
なんとも
滑稽な話しではある。

それ以上でもそれ以下でもない
「今」という時間のなかに
埋没することで辛うじて平衡をとっていた筈の日常に
ふと見つけた些細な齟齬
それをきっかけとして
際限もなく自問をくり返すという事には
心底倦んでいた筈なのだが・・・

あるいは
己の弱さを見たくないばかりに
ことさらに不毛な行為に熱中するというのも
自分自身がそうすることの意味を知っているだけに
一層無力さに捕えられる事となる

全てを投げ出して求めるものなど
この地上には存在しないからと言って
求めるモノの価値を貶めるのは
所詮はまやかしのレトリックに過ぎないことを知る
或は諦念

無為で無私な「わたし」は
何処まで行っても
ひたすら虚妄の中で生きる存在としか
なり得ないようです

 何も書くべき事のない1日・・・というような1日は存在せず。


3月31日(Tue)
 あり合せを弁当箱に詰め、おにぎりの具はこの際だから子供達が大好きな小梅にして、飲物は手近なコンビニで調達すればそれでイイやと・・・ほんの30分程で準備を終えて昼食がわりにお花見でもひとつと昼過ぎから車で出かけてはみても、何処といってあてもなければ何をするという目的もなく、なんとなく小高い方に向って車を走らせると、春めいた風がいまだ冬枯た梢をかすかに揺するのはまぁ、要するにこれが季節というモノの正体かなぁと、「ふむ」などと愚にもつかぬ一人合点でホコリっぽい空を見上げ、おもむろに車から降りてみて、日差しはすっかり春だというのに少しばかり身震いするというのも、いかにも「お花見」という気分に浸るには上々の陽気だったりするようで、人気のない山際の公園で子供達はひとしきり走ってはおにぎりをほおばって紙パックの牛乳を一息で飲干すのを見て、おにぎりにはやはりお茶だろうがと奥さんに訊いてみると、だってお茶はみんなキライだからと至極もっともな返事も、花びらの散らぬ桜にものたりなさを覚える僕には実はどうでも良くて、だったら言葉などかけなければ良さそうな気がするのだが、何時も何時もそうするのはいかにも気詰りな事のように思えて、どうかすると無理矢理に何かを演じてる予感がしてなんだかみんなに申訳ないよなぁ・・・と振り返ると、子供達はいつの間にか雑木林の向うで小さくなって駆けていて、木漏れ日と春の日差しに幻惑されてその姿がチカチカと僕の眼球の奧で明滅を始めて、ふいに風景の中から消え失せてしまって慌てて立上がってみるのだが、声をかけるには遠すぎてただ呆然とあたりを見渡してみると、このままいずれかに子供たちは永遠に消え失せてしまったのではないかと愚かしい想念に捕えられて訳もなくむなさわぎがして、まるで望遠鏡を逆さまに眺めたように世界が僕の裡から一瞬に遠のいていくあの感覚に捕えられるのに気付いても、やはりそれは錯覚だったりするのだが、なぜか振り返ると子供達の姿は本当に消え失せてしまうような気がして、僕は何気ない顔をしておにぎりをもうひとつ手に取ってみても、いつになく落ちつかぬ気分でダメだダメだと心の内で呟きながらつい振り返ってしまうと、そこには何事もなく小さな池のはたで遊ぶ子供達の姿があって、今度はその事がなんとなく腑に落ちない気がするのにも我ながらウンザリするばかりなのは、やはり僕の頭の上で一心に咲きほこる、この桜の花が見せてくれた白昼夢だったりするのかもしれません・・・などと、

 花見にはまだ少し肌寒い陽気だったかもしれません。しかし、花見の頃は何時も肌寒かったような気もするのですが・・・確かなことは何も判りません。


Go Back My HomePageMail To Yaku