5月16日(Sat) う〜ん、2次会から参加するにしてもそろそろ予定日記も書いておかなきゃいけない時間なんですが、いまだ外出する気配なし。そう、本日は「ぷろくらオフin東京場所」が開催される予定なんですよねぇ。正直言って、またもや大人数のオフミでいささか食傷気味であることも確かなんですが・・・なんて言うのかなぁ、居酒屋あたりで大人数で集ると今一つ会場の空気にまとまりが欠けるのは、それはそれで仕方がないと言えば言えるんでしょうが、せっかくお会いしてもゆっくり話しもできなかったりするのはやっぱり不本意だったりするからなぁ。 わはははh、ドタキャンの言訳日記を書いている訳じゃなくて、まぁ遅くなっても参加するつもりでいたんで、仕事やつまらないPTA関係の集りは適当に消化したつもりでいたんですが、別な取引先から足止め喰らってます。先方が休日出勤の上に残業までして原稿を仕上げてると言うのに外注先の人間が「今日は日記関係のオフミがあるんで原稿取りにうかがえません」とはなかなか言えない雰囲気なんですねぇ、これが。もっとも「日記関係のオフミ」と言ったって相手にはさっぱり意味不明だとは思いますが。説明するのもヤですし。 そんな訳で仕方がないから予定日記だけは書いておこうかと・・・ 4月から5月にかけてはやたらとオフミが多かったかも。大阪まで遠征して「無理矢理オフミ」なんてのもやってしまったからなぁ。天王寺動物園で脚つってマヌケだったなぁ・・・この後もなんだかオフミの予定はあるんだなぁ・・・イヤなのか?<そんな事はありませ〜ん。
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そう言ったそばから 壊れやすいからこそ 「あなた」を抱きしめる術を知らぬ僕は こんな風に 電子の海の向こう側の そう・・・ 「あなた」のコトバの切れ切れに マボロシを抱くことで充された 果してそれは、 虚構に溺れるのは、実は現実を恐れる故の怠惰な習慣でしかないのだと、そう囁く声は・・・やはり僕自身のようです。
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カッテージ・チーズ買ってきたからなんか作ってって、いきなり言われてもなぁ・・・相変らずわが家の奥さんの発想だけは訳わかりません。カッテージ・チーズがいかなるモノかもよく判らないで買ってきたのは一目瞭然。 えぇ、結婚生活もいい加減長いと、相手がなに考えてこんなモノを買ったのか、或はなにも考えないで「あら安いじゃん」(なにと比べて「安い」かは一切不明なまま)と、うろ覚えの商品名につられてスーパーの買物かごにポイッと4ヶも投げ入れるところが目に浮ぶようです。 なんで4ヶも買ってくるんだか・・・おそるおそるパッケージを開けてみると、なんだかバリウム飲んだ後の白い下痢便みたい。ちょこっと舐めてみると、う〜ん、味もそんな感じ。バリウム飲んだ後の下痢便を舐めたことないけど。 チーズ類は昔から好きじゃないんだよなぁ。 で、gooでさっそく検索。<あぁ弱えーぞ、テロリンおやぢ。やっぱり、作るんかい。 ハンドミキサーも出してきて、子供達には生クリームホイップさせて、後は混ぜるだけ・・・でけた。 いい年したオヤヂがチーズケーキの作り方を切々と語る「日記」ってのも訳ワカランなぁ。自分でもバカみたいと、つくづくそう思います。
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「高田浩吉」が死んだってきかされても、「それって誰?」な人がまず50%ぐらいは居そう。のこりの30%ぐらいは、「まだ生きてたのか」という意外さにしか感想はなさそうだし、同年代のじいちゃんやばあちゃんは多分全員ボケ老人と化してるだろうから、結局「高田浩吉」の名前に反応するひとなんてほとんど居ないような気がするなぁ。まぁ、マスコミに登場する機会も全然なかったから、ご本人もただのボケ老人として病院のベットで余生を送っていただけなんでしょう。ひょっとすると意識不明のままずっと入院中だったりしたのかも。 ビンボー人なら早急に人工呼吸器も止めてもらえるけど、なまじ地位や資産を残すとうっかり死ぬ事すらもままならないから、人工呼吸器と導尿管に繋がれた、単なる生きた「くそ袋」だったりすると本人は大変だろうなぁ。 写真家の「土門拳」も、脳梗塞かなにかで植物状態のまま20年ぐらい「生かされて」いたと思ったけど、あんな死にざまだけはしたくないと心底そうおもいます。 「宇野なんとか」の元総理大臣も死んだのか。女がらみで総理大臣の座を追われただけあっていかにも精力絶倫なジジイに見えたけど、あんがい死に方は淡泊だったのかも。今ごろは女犯地獄でのたうちまわってるのかもしらんけど、まぁ自業自得なんでしょう。 訃報ネタってのもWeb日記の基本ですから、一応押えておかないと。どう考えてもぜんぜん面白味のない訃報だけど・・・人間の死に面白味を求めるのは間違ってるのは確かです。
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「如何に生くべきか。そういうことを考える年齢では早くもなくなった。もう五十を越した。一生は短きもの也。このまま転げるように生き終えてしまいたいものだ。」 阿佐田哲也が色川武大の本名で書いた、いわゆる「純文学」に属する小説のなかの一節なのだが、そう書いた言葉通り、この小説の発表後すぐに心臓発作で文字どおり転げるようにして自らの人生を生き終えた色川武大の言葉だからこそ、いっそう実感があったりするのだが、要は私自身がそんな風に自らの生き方ではなく、死に方について考える年齢になったというだけの話しなのかも知れません。 昨日の訃報からの連想という訳ではないような気がします。何れにしても「日記」で書くには時間的にも内容的にも中途半端な話題だったようですが、そんなことをよく考えるというのは事実です。
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キャンプの為にポリタンクに水を入れて河原に持っていったりしても、ビニール臭くて料理や飲み水には到底使えない事は何度も経験済みです。要するにあれは水の中に樹脂だのなんだと言った怪しい物質が融け出しているから匂うわけで、そう考えると確かにJRの車内販売のお茶はやばそうかも。えぇ、「環境ホルモン融けまくり」みたいな気がします。 カップ麺も安心だ安心だと言われるほど、胡散臭さがつのるのは、いわゆる「語るに落ちる」というヤツかも。あの白いスチレン製の容器の中で麺やら化学調味料やらがいかなる化学変化おこしてるかなんて知れたもんじゃありません・・・なんて書いてますが、あの新聞広告見るまでカップ麺の容器でインポになるなんて事はぜんぜん知りませんでした。ん?インポになる訳ではないのかな。 精子の数の減少なんてのは、まぁいまさら子供作る予定もないのでどっちでもイイや。がはははh、これからの若者達には深刻な問題かも知れませんが、所詮そんなのは人ごと。オヤヂの方が環境ホルモンの影響が少ないから、今時の若者より精力絶倫でかえってモテモテだったりして・・・むふん。<妄想系。 ただねぇ、メス化してうっかり妊娠したりするのは困るよなぁ。いい歳したオヤヂがつわりに苦しんだり、大きなお腹かかえて「妊夫」体操ってのはあまりに無様かも。そもそも誰の子供を妊娠すればいいのやら。 やはり便利さばかりを求めすぎた故のしっぺ返しのような気がして仕方がないんですが。人口爆発をもたらした石油製品に由来する近代の産業革命の結果が、人類を不妊や奇形などによって徐々に滅亡させていくのだとするなら、むしろ「自然」というものは辛辣でなんと理に叶った存在なのだと言うべきかも知れません。
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僅か7才の我が子の「遺品」に向い合わなければならないとは・・・それも血まみれで無惨にひしゃげたランドセルや小さな靴だったりしたとき、その理不尽さは到底言葉にすることは出来ないのでしょう。 泣くことでなにか癒されるものが例えわずかでも有るとするなら、人目もはばからずに号泣するのでしょう。誰かを身代りにと悪魔が囁けば、その契約に署名することをためらう親はいない筈です。我が子の死を購うために、あえて死を与えようとすらするかも知れません。 人の世に在って、人が死ぬことの当然さに私達はあまりにも馴れすぎているような気がします。見知らぬ土地で名前も知らぬ子供が死んでいく事に切実さの感じられない事をして、それを我々の無恥と恥じる必要はないのかも知れませんが、我が子を失って始めてその事を知る・・・それが私達の罪の証、或は私達への罰なのだと糾弾するのが、他ならぬ私達の「神」であったとするなら、そんな「神」などは唾棄すべき存在でしかない。 だからこそ、泣くことをやめて我が子の遺品に向い合った父親や母親は、なにも始らず、なにひとつ満たされる事はないのだと知りながら、血の通わぬ不毛な法律に依ってでもなにがしかの裁きを求めようとするのでしょう。 ちっぽけな個人が異を唱えてもなんの関心も示さず、あるいは門前払いで事を処理しようとする癖に、マスコミが取りあげると慌てて取繕うというのがゲスな官僚機構の弊害そのもの。そんな輩が人を裁くことに真摯である訳もないだろう。人の痛みを知らぬ人間が人を裁くことの傲慢さには心底うんざり。
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わが家の奥さんは本日はお出かけ。 なんだかぜんぜん主旨がわからないんだけど、去年の麻美のクラスのPTAの役員だったお母さん達数人と近所で「飲み会」だとか。連絡メモみたいなものをお互いの子供達に持たせて何やら楽しそうですなぁ、奥さん。その後は多分近所の「カラオケ」になだれ込むから帰る時間はわからないそうである。はいはい、承知しました。 レアチーズケーキと違って、先日の「バリウム・・・」という雰囲気がなかったのがなにより。これでアプリコットティーでも一緒に飲めばなかなかオシャレな午後のティータイムなんでしょうが、冷凍庫で冷した「チューチュー」吸ってる我が子には、そもそもオシャレは似合わないようです。
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例のオーロラ輝子のモデルということで名前が知られるようになった「通天閣のアイドル・叶麗子」のファンといえば、ベタベタの大阪のおっちゃんということでも有名なんですが・・・それぞれがそれぞれの屈折を抱えながら、いかにも怪しげな風体の演歌歌手に残りの人生の情熱すべてを賭けているようなそのひたむきな姿が、なにかとても切なかったりします。 とるに足らないプレゼントや追っかけの費用を捻出するためにつましい日常を耐えているように見えて、実はそうした「3000円の花束」やら「深夜バスによる上京」という動機付けがあって初めて、自分自身が生きていることの意味を確かめることが出来るようです。わずかな年金暮しのなかでどれほどの贅沢や生きる充実感が味わえると言うのか・・・辛うじて生かされている己に我慢がならないからこそ、身近で見つけた生身の「演歌歌手」に精一杯肩入れすることで、粗末な食事や侘しいアパートでのひとり暮しにも辛うじて耐えていくことが出来るのでしょう。 仕事とねぐらを失い雨の中を放浪する男の後ろ姿の、その迷子のようなつぶやきに、ひたすら言葉を持たぬままに朽果てていくことの焦燥と諦念が滲んでいた。少しづつ少しづつ、お前はこの世界から必要とされてはいないのだと告げられるために男は町をさまよっているようにも見える。重い脚を引きずりながら、それでも歩く事をやめない男の後ろ姿が雑踏の中に消えていくのをいたたまれない思いで眺めていた僕はといえば・・・ただテレビのスイッチを切って、何事もなかったかのように「この町」にも降る雨をぼんやりと眺めているだけでした。 そう、僕自身の裡にも、あの男と同じような空虚さへの恐れが潜んでいることにはあえて気付かぬフリをするばかりのようです。 「孤独」に恐怖しながら、しかしその「孤独」にひそかに憧れるというのも生来の寂しがり屋の本質のようです。
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う〜ん、本日の日記書きは煮つまってしまって途中であえなくとん挫。仕方がないので改めて「日記」書いてます・・・って、訳判りませんよねぇ。 えぇ、不明日記なんてものを書いてると、ときどき日記が没るんです。どうにもこうにもお話しが進まなくて、仕方なく断念する日記ってのも結構多いんですが、よく考えたら、それって「日記」じゃないですよねぇ。でも本人は日記のつもりで書いてるんですけどね。 僕の場合は自分の文章を読み返せば読み返すほどイヤになるタイプなので、推敲して校正してなんて事をあまり自分の文章でやるとアラばっかり目について最後には丸めてゴミ箱に捨てるしかなくなってしまうようです。 その点、1日で書いて1日でアップするという日記の気安さのせいで、妙な気負いやら胡散臭い思いこみに捕えられる事がないようです。だからこそ、毎日書き続けることにこだわるのかもしれません。逆に言えば、毎日書くことをやめて、いろいろと考えすぎるようになると絶対「Web日記」なんてものは続けられなくなるような気がします。 所詮は「Web日記」という言い方も、だからこそ「Web日記」とこだわるのも、まぁ僕にとっては同じ事の裏表だったりするのかも知れません。 少女の瞳の奧に見たと思ったものを書こうとして、はたと立ち止ったまま、結局一歩も動けないままでした。
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12人の遺族にとって、「無期懲役」ではなくて「死刑」という判決が下されれば、いかなる部分が癒されるのか、あるいは何一つ変ることはないのか・・・残念ながら僕には判断する術がありません。 ただし僕自身の感想はと訊かれれば、この裁判自体がひたすら疎ましいだけ。 地下鉄サリン事件の実行犯として最初の判決を受けた「林 郁夫」の裁判は、「情状酌量」や「自首」などをその理由としているように見えて、結局は国家権力というものの傲慢さと不遜さを改めて国民に示すために周到に練られた「茶番劇」でしかないようです。 国家に逆らう集団だからこそ、転向者に手厚い庇護を与えるのは、権力というものの昔からの常套手段のようです。ひたすら恭順し懺悔の涙を流すものには慈悲を与えるが、捕えられてもなお刃向う人間は八つ裂きにしてでも息の根を止めるというのが結局は彼らの本音だとするなら、情状を酌量して「無期懲役」に減刑するなどと言った言葉は、裏返せばある種の脅迫でしかないことに気付くべきなのでしょう。 しかしまぁ、50才にもなる人間の思いこみの激しさとその悔悟の涙のなんという幼さ・・・すべてはただの自己憐憫でしかないことにもウンザリ。 この程度の人間の苦悩によって命を失うことの理不尽さと言うか・・・あえて極論するなら、マンガチックなばかばかしさこそが、平和ボケした日本人に残された悲劇の正体なのかも知れません。 そう考えると、死刑になどなって「林 郁夫」という男の存在が歴史の1ページを飾るよりも、何年後かに「あの人は今?」などと題した女性週刊誌のコラムに登場する程度の存在となることが、むしろ彼のような人間には相応しいような気がします。 同じく生きたいと望んだ「永山則夫」が、許されることなく処刑されたのは、つまりは国家の前にひれ伏す姿勢がなかったからでしょう。まぁ、どちらがより良く生きたことになるのかは、考えるまでもないことですが。
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ぐっしょり濡れた紙袋の重みにも耐えきれずに、それでも紙袋がこれ以上濡れることを恐れた男は、赤ん坊を抱くように両手にそれを抱えて、目の前のポルノ映画のポスターをじっと眺めていた。 豊かな下半身を捻るようにして男を見返す全裸の女のポスターが、古ぼけて明滅をくり返す蛍光灯にてらされて、まるで雷鳴のなかで見るロートレックの娼婦像のように見えた。あるいは、日に照らされ退色した全体の調子とその豊かな肉付きから、ミケランジェロが描く天井画の中の一人のようにも思えた。 雨のなかに立ち尽してそのポスターを眺めていた男は、そのままポスターの貼られた壁の下に座って、道行く人をみるでもなく眠るでもなく・・・ひたすら降りしきる雨にぐっしょりと濡れていた。大事そうに上着の下に抱えた紙袋もあちこち濡れて、取っ手のあたりはすでに破れかかっているようだった。 ふと目の前に赤い小さな長靴が立ち止ったことに気付いた男が顔をあげると、6才ばかりの少女の姿が目に入った。驚くほど肌が白くて、夜の闇の中でもハッキリ判るほどに赤い髪の少女だった。 硬直した姿勢のまま、濡れた路上にそのまま倒れるように横たわった男は、じっと自分を見下ろしている少女の瞳に一切の色がないことに、その時初めて気付いた。少女の真っ白な光彩がキラキラと輝いて、その瞳から一筋の涙がこぼれ落ちたことに男は不思議な安堵感を覚えながら、意識はすでに虚無の裡に在った。 どこもかしこもじっとりと濡れた、そんな雨の夜に、ひっそりと路上で眠ったまま目覚めることがない男に、ひそかに羨望する事があります。
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本日は体調不良って言うか・・・要するに、ただ眠いだけなんですけどね。 一日中モニター眺めてると目がしょぼしょぼしてきて耐えられないです。最近また近眼の「度」が進んだような気がするなぁ。年取ると近眼の進行は止るとか聞いてたんだけど、あまり関係ないのかな。そう言えば、免許証の更新のたびにメガネ作りなおしてますねぇ。 ちょっとヤな気がするんですが、メガネ外すとモニターがよく見えないのは、これは老眼じゃないよね? 近寄るとよく見えるから。 そんな訳で、メガネがないと30cmと離れてないモニターの文字がボケボケでぜんぜん読めません。いずれ、棟方志功みたいにモニターに顔をくっ付けるようにして日記書くことになるのかしら。そんなにモニター間近にしてたら、最近は環境ホルモンの影に隠れてすっかり話題に上ることのなくなった「電磁波」についてはどうなんでしょう。あれも確か不妊の原因になるとか言ってませんでしたかねぇ。どうも近ごろの人間というヤツは妊娠なんてモノはそれほど望んでいないように見えるのに、生殖能力の低下にだけはやたら過剰に反応するというのもなんだかなぁ・・・「えち」するのに精子の数は問題じゃなさそうなので、この際カップラーメンでもなんでも気にしないでバクバク食べればいいと思うけど。どうせ今までさんざん食べてきたんだから、いまさらカップラーメンを人類滅亡の犯人に仕立ててもしょうがないかも。危なそうな食べ物や化学物質なんて、それこそ腐るほどありそうだし、なんだかんだ言ってもいまさら手遅れなんでしょう。 そう言えば、この間のカレパでそんなメーカーにお勤めしているらしい某クンが差入れしてくれた使い捨てのお皿とコップ、どう考えてもやばそうだけど・・・あれでカレー食べる人よりもあれを作っている人の方が影響大きいと思うけどなぁ。となると、某クンの精子の数はどうなんでしょう?<どうなんでしょうと言ったからって、数えたい訳じゃありません。 う〜ん、なんとなくイヤな日記だなぁ。顕微鏡の視野のなかでウロウロしてる自分のオタマジャクシをカウントしてる彼の後ろ姿を想像したら・・・
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絶えずせめぎあうものがある すべてを投げ捨てて あまりの人恋しさに 決して口にできない思いに焦れながら 目に見えぬ裸身をあれこれと妄想し ソレモ スベテハ 僕自身の妄想の産物であることに幻滅するのは そうやって ダカラト イッテ わたしの愛撫に答えて 言葉の罠を弄ぶものが、自らの言葉によってがんじがらめな有様というのは・・・まさに言い得て妙。
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さて・・・ と書いても特別なにが始る訳でもありません。例によって訳の分らない「予定日記」の言訳をくだくだと書いて本日の日記はオシマイなんです。 こう見えていろいろと大変なんですから。気苦労の絶えることがないのは、日記界・実生活を問わずのようです。
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路上に直接座りこんだまま なにやら「愛」について語るなんて・・・ まるで 青臭くて 徹夜明けでぼんやりとした僕たちの脳細胞は とは言え 僕たちが中学生や高校生でないことの あらかじめ失われてしまったものを求めることの などと意味不明のつぶやきなども挟みながら、本日の手抜き日記はこんな塩梅。あ、これは「不明日記」ではありませんと、いわずもがなの言訳など。
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