デーテーペーな1日

1998.6.1~15


日記関係の発言はこちらで。

6月1日(Mon)


 人生がルーティン化してるつーか、日々の暮しが年中行事として消化されているだけというか・・・運動会の翌日は去年のPTA役員のお母さんやらガキ引連れて、東京ディズニーランドで「シンデレラ城ミステリーツアー」やら「ジャングルクルーズ」でアホ臭い1日を過してというのも、ほとほとバカげた人生です。しかしまぁ、それもこれもすべては己の身からでたザーメンのせい・・・ん?ちょっと違うか。

 で、明朝の起床時間は「午前5時」・・・「午前5時」に寝るんじゃなくて起きるんですぜ、奥さん。やれやれ。
 午前5時といえば、昨日は西武新宿駅前で夜明しで地べたにへたり込んでた時間です。ちょうど始発の電車が動き始めて「ようやくこれで帰れる」と心底ホッとしたものです。
 しかし、わが家の奥さん、今日の朝帰りの件になにも触れないのが不気味つーかー、ほとほと呆れられてるつーかー。日頃のバカ日記達の動向を知るにつけ、日記関係のお出かけでは何事にも動じないようになったのかも。だとすると、バカ日記達にもそれなりの功績の様なモノはあるのかも。サンキュー、バカ日記達。

 あぁ、そんな訳で本日もまた「予定日記」です。なんとかパレードまで見るから、帰りは遅くなるんだろうなぁ・・・

 すでにわが家の前で6時集合などといった連絡がオバサン連中の間をまわっているようです。なんだかなぁ・・・オバサンとガキの集団引連れて東京ディズニーランド見学ですわ。
 パスポートチケットは既に買ってあったりします。



6月2日(Tue)
 小さい頃から友達の少ない子供だった事は確かです。そうは言っても、いわゆるベビーギャング世代は、僕も近所の年の近い仲間と一緒に暗くなるまで外をとびまわっていました。
 ただし、京都の西陣というのは狭い路地の奧まで1日中自動織機のハタ音の響いているような処で、自然に満ちた山や川とはまるで縁遠い町なので、近所のお寺の境内や染物工場の反物を干すための空地などがもっぱら子供達がかけまわる為の遊び場でした。
 そう言えば、今ではフェンスで囲まれて立入禁止になっている史跡なども、当時は子供達の格好のかくれんぼの場所だったりして、自由に走りまわっていた覚えがあります。
 小学校2年生ぐらいで転校があって一気に友達が居なくなると、ゼロから新たな人間関係を築くというのがひどく苦手で、いつの間にか家のなかに引きこもってひたすら本を読んでいるような人間になったようです。
 一人でなにやらコツコツする遊びに熱中するようになったのはそれ以後のようで、その他に当時熱中していたのが、排水量20万トンの原子力潜水艦や恒星間飛行用光子ロケットなんて妙な代物の詳細断面図などを書くというのがありました。もちろん空想の産物なのですが、当時の雑誌のSF特集やらマンガを眺めては、そんなページに載っている小松崎茂(?)等の挿絵などに影響をうけていたようです。わざわざその為に高価な製図道具一式を母方の祖母にねだって買ってもらった程でした。
 プラモデルというのもずいぶん熱中した時期があって、これは大人になってもつい最近までやっていました。

 そう考えてみると・・・「パソコン」や「インターネット」なども、僕にとっては子供時代からの「一人遊び」の延長なのかもしれません。熱中や集中の記憶は、確かに子供時代に経験したものにとても近いような気もします。
 ただし、大人になると本当の意味での「一人遊び」にはなかなか耐えられないようです。

 そう、関東地方も梅雨入りのようです。まさに一人遊びにはとっておきの季節なのかも知れません。



6月3日(Wed)
 なんとなく昨日のつづき。

 で、小さい頃の「一人遊び」の最たるものと言えば、夜寝る前に布団のなかでじっと目を閉じながら、いろんな人と架空の会話を交すというのがありました・・・えぇ、子供が耽るにはつくづく孤独な遊びだと思いますが、本人は至極大マジメというか、細部の会話を空想することにとても熱中していたようです。
 例えばピーターパンの物語を読むと、その夜の僕の架空の会話の相手はウェンディだったりティンカーベルだったりする訳です。あるいは、飼猫のピートと夏に通じている扉は果してどれかと、秘かに議論を交してみたりで、話す相手は妖精であったり動物であったりする事が多かったようです。
 勿論、気になる同級生の女の子が頻繁に出てくることもあれば、映画の中の大人びた女性となにやら支離滅裂な会話を交してみたりで、そのあたりの妙にませた処は大きくなるにつれて一層顕著になったようです。
 もっとも夢ともうつつともつかない時間に交す会話なので、そこにはなんの脈絡も論理的な整合性もないことが多かったようです。
 相手の言葉とそれに答える自分自身を妄想しては孤独な夜をひとり熱中するというのも、確かに子供にはひどく後ろ向きなお遊びのように思えますが、ありきたりな言葉で言いかえれば、単なる「現実逃避」でしかなかったこともまた確かでした。
 孤独を癒すために自らの孤独の裡に沈潜するというのも実に不毛な日常だったような気がしますが、僕はそんな「一人遊び」によってしか、自分自身の回りに拡がる世界の不安定さを支える術を知らなかったようです。
 なにかしら、子供には不釣合いな諦念がその頃から僕自身を支配していたのかも知れません。

 なぜ自分自身の世界が不安定であったのか、その事を書かない限り「一人遊び」への惑溺ぶりの説明にはならないのでしょう。
 結局の処、僕自身の資質のせいというのが一番大きいのは、今になってもそんな「一人遊び」がやめられないことが物語っているようです。



6月4日(Thu)
 なぜ続くのか本人にもぜんぜん不明なんですが、またもや本日も一人遊びネタ。

 小さい頃の「一人遊び」と言えば、ゲームの類もありました。将棋の入門書買ってきては駒の動かし方から一人で覚えて・・・そこでハタと気がついたわけです。う〜ん、将棋って相手が必要なゲームなんだ。
 詰め将棋ってのも確かにあったようですが、駒の動きを覚えてもいきなり「詰め将棋」ばかりではちっとも面白くないので、やはり先手・後手に駒を並べてみたくなる訳。
 とは言え、相手がいないと出来ないのでは、これといった友達の思い当らない僕にはいつまで経っても始められそうもありません。それまでも双六に類するボードゲームの類は、遊び相手のいない時に一人で何人分も受持ってやっていた事もあって、先手・後手を自分で交互に指す「一人将棋」に思い当るのはすぐでした。
 ふむふむ、「四・五銀」には「同歩」で良いのかなどと、定跡集を眺めて一手指しては攻守を変えて、いま自分の指した手をなんとかひっくり返そうと頭をひねるんですが・・・最初のうちはうまくいっても、勝負が後半にさしかかると先手・後手が混乱してきて、いったいどちらの指し手を考えればいいのか、どっちを勝たそうとしているのかがさっぱり判らなくなって、結局勝負の最後はいつもウヤムヤのまま。まぁ、どう考えたって決着がつく訳がありません。
 いまならパソコンやゲームマシンがお相手してくれるから、「一人将棋」はなんの問題もない訳ですが、あれはやっぱり違うゲームのような気はします。チェスは既に名人位が人間からコンピューターに移動したようですし、将棋の世界もいずれはコンピューターが「A級順位戦」に登場なんて事になるのかも知れませんが、名人がIBM製のスーパーコンピューターだったりするのは、やはり僕の世代などにはいささか味気ない世界に思えるのは確かです。

 多重人格でもない限り、「一人将棋」ってのはどう見ても無理があったようで、熱中する間もなしに将棋は諦めたんですが、多分あのまま続けていたら・・・ひょっとすると、今ごろは林葉直子に不倫騒動で責められていたかも知れません。<わはははh、そんな事が書きたかったのか。



6月5日(Fri)
 ここの処「人情裏日記」もぜんぜん書いてないなぁ。
 春の運動会とか、その翌日の近所の奥さん引連れての東京ディズニーランド見物とか、イベントはそれなりに目白押しだったんですが、肝心の父親が家庭生活に興味を失ってるから、自ずと更新もおざなりな「予定日記」やら「言訳日記」で手抜きに走っていたようです。
 その運動会もビデオ係仰せつかったりすると、もともと目が悪い上にちっちゃな液晶モニターを覗きながらグランドの向うで豆粒状態の我が子を探して右往左往するだけで、肝心の子供達がどこに居るんだかさっぱり判らなかったりします。
 子供達が走っている時も、みんな同じ体操着に似たような三つ編みして駆けてると、これもまた誰が誰だか判らなくて、ビデオカメラだけが右往左往していると言うのも、実にありがちな展開かも。
 毎年毎年「運動会」にも大した違いはないし、どうせビデオなんて撮影しても当日に1回再生したらいい方で、うっかりそのまま忘れて2度と見ない撮影済の8ミリテープばかりが増えるのは、多分どこの家庭でもそうなんじゃないでしょうか。
 子供が小さいときなど、来客があると迷惑にも小汚いガキが転んだりメシ喰ってる様子を無理矢理鑑賞させられていい加減疲れたんですが、自分が親になってみると同じ事やってるのも情けないお話しです。
 親ばかなコメントにしきりに同意求められたりして「あぁ、可愛いねぇ」などといい加減にお返事したりすると、「じゃもう1本見るか」とか言われて、ほとんど失神しそうになってるお客の顔ながめては・・・一人で喜んでたりするんですけどね。

 今日はどこぞの家庭じゃないけど夕食は近所のファミレスで外食など。えぇ、毎日じゃありませんてば。
 最近は外食する機会もなんとなく減ったのも、家庭生活に飽きてる証拠かも。オフミならいそいそ出かける癖に、近所のファミレスに行くのが億劫だなんて、我家の奥さんには決して言えませんけどね。



6月6日(Sat)
 お仕事の簡易校正用にカラーのインクジェットプリンターを買おうかとあれこれ物色中なんですが、ここの処カラーのインクジェットプリンターの新製品がでていないのちょっとイヤな感じ。
 コンピューター関連の商品ってのはいくらサイクルが短いとはいえ、買ったとたんに新製品がでたんじゃげっそりするんで、なるべくなら今の時期は買いたくない雰囲気なんですが、まぁお仕事に使うとなるとどうでも買わなきゃしかたがないのかも。
 昔なら秋葉原までさっそく出かけてあれこれとお店巡りでもするんでしょうが、最近はTゾーンだのビッグカメラなんて大手がどんどん郊外にも進出しているから、よほど特殊な買物でなければ、わざわざ秋葉原まで出かける事もないような気がします。だいたい現在の秋葉原価格って大して安くないもの。エプソンのカラープリンターぐらい近所の電器屋さんで売ってるから、それで十分のようです。

 まぁ、オフミでもあるんなら別なんですが・・・がはははh、オフミの為なら新宿でも池袋でもどこでも出かけるからなぁ。大阪まで出かけるぐらいですから、秋葉原なんて目じゃないでしょう。
 しかし、APPLEの製品にもすっかり飽きがきて雑誌類なんかもぜんぜん目を通してないんですが、久しぶりにWebでマック関連の新製品情報なんか眺めてるといろいろと面白そうなものが出てるなぁ。
 6100・7100・8100なんかの初代PowerMac用のG3アップグレードカードなんてのがあるんだ・・・龍成くんもG3買うよりも手元の6100をアップグレードした方が良いんじゃないの。10万円ぐらいで出来そうな感じがするぞ。アレなら僕もやるから。
 龍成くんがまずやってみて、大丈夫そうだったら。えぇ、いきなり自分でやるのはちょっと危ないもの。

 8100からアップグレード出来るとは思ってなかったから、龍成くん、僕は結構マジかも。
 うん、本日のネタはwindow関係の方にはぜんぜん意味不明でしたね。まぁ、龍成(さみ)しいマックユーザー同士の孤独な会話だと思って。



6月7日(Sun)
 またもやお外には一歩も出ていない状態なので、日々の行動記録としては大して書くことないなぁ。
 朝起きて、メール落して、Web見て、コーヒー飲んで、メシ喰って、ちょっとだけメールのお返事書いて、日記読んで、掲示板書き込んで・・・あぁ、そう言えば電脳的日常では、めでたくふたつめの出入り禁止となった「某掲示板」などで延々と遊んでたりはしてました。
 そのうち出入り禁止の掲示板の数を競ったりして・・・ページのあたまに星印でもつけておくか。なんだか撃墜マークみたいでちょっとかっこいいかも。がはははh、
 そっちの方はそれなりにドタバタしてたんですけどね。まぁ、これもいつも通りと言えばいつも通りの仕儀で、珍しくもないテロリンオヤヂの電脳的日常と言えばそう言えるのかも。
 しかしなぁ、「くそゲロ日記」の作者から出入り禁止を言い渡されたりすると、自分がそれ以下の存在と見なされたようで、ちょっと嬉しかったかも。<がはははh、嬉しかったんかい!
 いや、正直なところは嬉しくも悲しくもないんだけど、せっかく「くそゲロ界」でのシンパシーを秘かに暖めていたのに・・・打たれ弱いのも「バグ系」の一大特徴だから仕方がないにしても、論理不明ってのは何とかしてほしいよなぁ、いやマジで。
 夕方にはすっかり飽きてしまったのも、これもいつも通り。

 じつにもう肌寒い陽気で、なぜか夕食は「鍋焼うどん」って・・・奥さん、いくらなんでもこの季節に「鍋焼うどん」は無いんじゃないの?
 温かくておいしかったんですけどね。<だったら良いのか。 

 で、メール落して、Web見て、コーヒー飲んで、メシ喰って、ちょっとだけメールのお返事書いて、日記読んで、掲示板書き込んで・・・いまこんな日記書いてます。いつもとやっぱり同じ。これじゃナリマツくんの事は言えないなぁ。



6月8日(Mon)
まず抱きしめる

そして

秘かに口づけする

・妄想・

風をかすかに濡らす驟雨の気配に

一層闇の深さを思い知らされるような夜

コトバのもどかしさを知りすぎるが故に

そんな時

なによりも雄弁になる

「あなた」のからだを強く抱きしめてみたいと

そう、願ったのだが・・・

そのことを一番恐れているのは

実は僕自身だった

・虚構・

お互いの不確かなココロの在処を

こうして抱きしめることで知らされるのは

真実なのか

それとも単なる錯覚なのか

どちらとも

どちらをも

確かめることの出来ぬ臆病な僕たちは

やはり

いつまでも無言で

夜の気配のなかでおずおずとたたづんでは

お互いの幻を抱きしめるしか

為すべきことを知らないのでしょう

 

 いつもと同じ夜・・・本当はいつもと少し違うことに愕然としても、その事に気づかぬふりでいる事にいささか疲れてきたのかも知れません。



6月9日(Tue)
 あぁ、雨が降ってきましたねぇ・・・どこの天気予報みても、どうやら東京は明日は雨のようです。
 いえ、僕自身はどうせ1日中おうちに篭ってお仕事だから雨でも台風でもなんでも良いんですが、子供達は明日は校外学習という名の「遠足」の予定なんで、ちょっとがっくりきているようです。
 青梅丘陵のハイキングコースをみんなで歩いて、そこの一角にある「青梅鉄道公園」でお弁当食べるのだそうですが、バスは途中で降りてわざわざ山道を歩くのだとか。帰りはそのままバスで学校まで戻って来るんだから、行きもバスでも良さそうなものですが、そこはやっぱり「校外学習」という名目のためにも、途中途中で眼についた昆虫などを観察してノートに書いてみよう、などといったいかにもウソくさいお知らせを学校からもらってきてるようです。
 「青梅鉄道公園」といっても、所詮は旧国鉄の車庫かなにかの跡地にたてられた代物のようですから、どうせD-51なんかの蒸気機関車が野ざらしにされてるだけのビンボーくさい青空の鉄道博物館のようです。あとはほこりをかぶった鉄道模型が古ぼけた倉庫のような建物にずらっと並んでたり、あちこち壊れたHOゲージの鉄道パノラマなんてのが展示されてるんじゃないでしょうか。えぇ、行ったことはないけどだいたい想像がつくような気がします。
 どうも近ごろの教育現場というものは、純粋な「お遊び」でどこかに出かけるというのがなんとなく言いづらい雰囲気でもあるんでしょうか。別に遠足に学習目的なんてなくても良さそうな気がします。少なくとも僕の小学生の頃の遠足といえば、目的地はたいてい動物園や遊園地で、そこに「学習」なんて意図はまるっきりなかったような気がします。えぇ、単なるお遊びで、遠足といいながら当然行き帰りは電車・バスを利用する、ようは単なるガキの物見遊山でした。

 しかし、子供達は近所の駄菓子屋で麩菓子だとかパイプに入ったチョコレートなどというつまらないものをお買物しているようで、どうやらおやつは100円迄とか・・・それってやっぱり遠足じゃん。

 わはははh、明日の降水確率100%だって。気象庁がそんなに断言するぐらいだからまず「雨」で間違いがないのでしょう。
 いずれにせよ、遠足が中止になっても明日は給食がないからお弁当つくらなきゃと、奥さんは結構うんざりしてるようです。



6月10日(Wed)
 朝からどしゃぶりで、子供達の遠足はやっぱり中止になったようです。まぁこんな天気の日にハイキングするもの好きもいないでしょう。
 もっとも完全中止ではなく6月30日に順延になったようで、カレンダーに丸印しをつけてまたもやはりきってるようです。奥さんは「えぇ〜、またお弁当づくりで5時起きなのぉ・・・」とゲンナリしてるようです。おにぎりに定番の唐揚とか厚焼卵に海老フライといった、いかにもお手軽なメニューで、あんな弁当作るぐらい30分もあれば出来そうな気がするんですが、毎回お弁当づくりの朝は5時に起きるようです。もっともそのうち1時間ぐらいはお化粧やら洗面所でブローしたりといった自分の身繕いやコーヒー飲んだりすることに費やしているようで、そうした日課に実に時間のかかるタイプの方なんです、我家の奥さんというのは。
 そう言えば子供達が保育園の頃は、親子遠足があったりすると僕がお弁当も作ったりしてました。ちまちまと海苔をハサミでカットして「おにぎりマン」の顔作ってみたり、型抜きしたミッキーマウスのサンドイッチとか、ようは「可愛いお弁当Book」なんて本からのまるまるパクリで、半ば工作してるような気分でいい歳したオヤヂにはまるで似合わない可愛らしいお弁当づくりなどに熱中していたものですが・・・いろいろ凝ったお弁当作っても、おいしくないだの果物が入ってなかっただのと子供達にイチャモンつけられて、梅干のはいったおにぎりがとウィンナーが一番おいしいとか言われると、時間かけてつくる甲斐がぜんぜんないんだもの。<と書いてますが、ようするに面倒になっただけなんですけど。
 しかし、梅干入のおにぎりが一番好きってのは本当です。つくづくビンボーくさいガキですが、まぁ親に合わせてこうなったというのが本当なんでしょう。

 最近の学校は第二・第四土曜日のお休みのせいで時間がないためか、いつも行事が目白押しのようです。運動会も秋ではなく春にむりやり開催だし、梅雨の真っ盛りに遠足の予定をたてるからこんな事になるようです。遠足はやっぱり春か秋の行楽シーズンにあって然るべきもののような気がします。



6月11日(Thu)
 夕食は久しぶりにペペロンチーノ・・・なんて気取って書いてますが、これってようはスパゲッティで言うところの「素うどん」だよねぇ。そのうえ、いくら僕が辛いのが好きだと言ったからって、鷹の爪3ヶは入れすぎだっつーの奥さん。けっこうキテマス・・・ってゆーかー、口の中もそうなんですが、食事のあとでなんだか胃がシクシクするぞ。胃壁が大量の鷹の爪の刺激に悲鳴あげてるのかも。
 う〜ん、「ぢぬし」関係の方なら明日の朝はえらいことになってること請合いかも。ねぇ、香子さん。
 いちど浅草のせんべい屋で全体がとうがらしで出来たような真っ赤な手焼きせんべいを2枚も食べて、あくる日トイレでヒーヒー言ったことはありましたが、基本的に肛門関係が丈夫なのかも知れません。がははは、あまり自慢できるような代物でもありませんが。<自分の肛門なんて自慢したくもないけど。さぁ自慢の肛門ですとかって、誰かに見せるのも相当にイヤです。

 んー、なんとなくオチがついてしまって本日の日記はこれで良いかなとも思いましたが、ちょっと短めだし、そのうえいくらなんでも肛門自慢ネタで終るんじゃあまりにもお下劣なんでもう少しだけ。
 日常の生活パターンとしてはメチャメチャ不規則なので朝起きてきちんと排便なんて、犬かフナイくんみたいなマネは出来そうもないけど、便秘というのもほとんどしたことがありません。
 えぇ、イネ科の食物が主食の日本人は肉食の欧米人に比べて大腸も長いから、大メシ喰いで大グソたれな民族でもあるようです。典型的な日本人であるところの僕も、そんな訳で常に適度な堅さと頻度を保ってます。
 がはははh、やっぱりこんなネタで落さないと本人が納得できないようです。肛門と排便で、まぁワンセットの「オチ」と言うことでひとつ。

 しかし、胃がなんとなくしっくりしないのは本当。スパゲッティとなるとやたら盛りが多くなるのが我家の奥さんなので、単なる食べ過ぎという噂もあるなぁ。排便すれば終りかな。



6月12日(Fri)
 学校から帰ってきて、正美がなにやら慌てて宿題やってるなぁと・・・普段からダラダラした性格で、毎日「宿題やったか?」と訊かれないと始めないのに、今日に限って珍しいことがあるものだと思ってると、すぐに「ピンポーン」と玄関のチャイムが。
 なにやら見覚えのあるガキが3人ほど、「まーちゃんいますか?」と、ニヤニヤしながら玄関にぼーっと立ってます。ほんと正美の友達ってのは挨拶ひとつできない碌でもないガキばっかりで、将来含めて友達はもう少し選んだ方がいいと思うけど、まぁ類は友を呼ぶということわざ通りなのかもしれません。やれやれ。
 えぇ、意外と挨拶にうるさい父親なんですが、いくらいっても正美はダメなタイプなんですねぇ。
 この間の雨で30日に延期になった遠足に必要なものを同じ班の仲間と一緒に買いに行くとかで、近所の文房具屋まで出かけたようです。しかし、おやつとかじゃなくて遠足に必要なモノっていったい何でしょう。2時間近くかけてお買物から帰ってきた正美に何を買ってきたのかと尋ねると、へ? メモ帳とシャープペンシル3本に消しゴムって・・・そんなものは腐るほどあるんじゃないの? 筆箱では入りきらないからと、化粧ポーチみたいなものにボールペンやらシャープペンシル、あるいは書いてもぜんぜん読めない蛍光ペンなんてものを、それこそ何十本と入れて持ち歩いている癖に、またわざわざ遠足用に筆記用具買うかなぁ。消しゴムなんてお菓子の空箱にいっぱいあると思ったけど。
 そもそも、二人してこんなに筆記具を買い込んでるのも最近になって知ったんですが、どうも単なるガキの流行のひとつのようで奥さんの買物につき合った折りなどに1本2本と買ってもらったり、先日のディズニーランドでもお土産に買っていたようです。
 根っからの貧乏育ちのせいで、こんな風に同じような筆記用具を何十本も持つ子供の存在がなんとも落ちつかない気分です。所詮は1本が100円200円の代物なんですが・・・まぁ時代が違うと言えばそれまでなんでしょうが、僕などは子供の頃、友達が持っている48色セットの色鉛筆なんてものに心底憧れたものです。あの金色と銀色の色鉛筆のなんとも言えないゴージャスさが、まさにブルジョアそのものといった雰囲気で、持主の少女すら秘かな憧れと反発の対象だったりしたのは、まぁ単なる貧乏人のひがみという奴だったのかも。

 思い出話しと言うよりも単なるビンボー自慢だなぁ。でも当時の我家では、48色の色鉛筆は買ってとお願いすることさえためらわれるような存在だったことは間違いありません。まぁ時代のせいと言うよりも、単にビンボー暮しが極端だっただけなのかも。



6月13日(Sat)
 過去の記憶が「イツマデモ・ナンドデモ・アリアリト」蘇って、居ても立っても居られないような気持に囚われることがあります。
 紙の上に記されたコトバも、銀塩の粒子に固定され色あせた写真ひとつある訳でもないのに・・・いや、僕の裡にしか存在しえないが故に、その記憶は決して消えることがないのかも知れません。
 全体の印象は、もはや霞がかかったようにボンヤリとしているのに、ほんのささいな事どもがまるで昨日のことのように思い出されて身を焦すような焦燥に包まれてしまうのが常なのです。すべては取返しのつかない記憶の向こう側にあって、こちら側に立ってただ呆然と立ちすくんだまま、何ひとつ手出しの出来ないことに心底打ちのめされてしまうかのようです。
 そんな時はひたすら鬱々とした一日を過すことになるのだが、あえてその記憶をさらに鮮明に思い出そうとする時もあります。
 例えば・・・雑踏のなかで偶然に出会ったときの思いがけないほどの人なつこい少女の笑顔とか、手慣れた愛撫に何時ものように反応する女の、枕に押しつけるようにして隠そうとした涙の正体にふと気づいたときの後ろめたさなどが、例えようもないほどありありと思い出されたりするのです。

 アレは現実にあったことなのか・・・それとも夢ともうつつともつかぬ黄昏の記憶と同様に、すべては僕自身の願望やみにくい欲望が垣間みさせた、ただの「夢の記憶」なのかも知れません。不確かな現実とリアルな夢の、果してどちらがどちらとも言えぬその曖昧さの裡に閉じこめられたまま、実は僕自身の記憶などどこにもある筈もなく、それは単なる感傷にしか過ぎないことに気付かされて、ようやく「いま在る自分自身」の存在を辛うじて許すことが出来るようです。

 すべての記憶は、脳細胞の記憶野に確かに刻み込まれている筈なのだが、それを認めるほどには人間は強くは出来ていないようです。過去の記憶のすべてがいつでも蘇ったとしたら、人はその場所から一歩も動けなくなってしまうような気がします。



6月14日(Sun)
 土砂降りの雨だというのに、我家の向いにある菖蒲園にブラブラと家族四人で傘さしてお散歩。東京人というのはなぜか菖蒲の好きな人種のようで、あちこちに「○○菖蒲園」と名付けられた施設があるようです。東京は百姓出身の人間が多いので、水の入った水田でも思い浮べて菖蒲の花の咲いた湿地が懐かしかったりするんでしょうか。この季節になると毎週末大挙して人間が見物にやってくるのにもいい加減うんざりさせられます。
 もっとも、あちこちにあると言っても京成線の駅の名前にもなっている「堀切菖蒲園」ぐらいしか今までは知らなかったんですが、お隣の東村山市にもあるし、この調子で探せば結構あちこちにあるのかなぁと思うだけで、別に菖蒲園になんの興味もありません。
 まぁ、どこも行くところもないしせっかく目の前にあるんだから一度ぐらいは見に行こうかと、うっかり散歩がてらに出かけたのですが・・・雨が降りすぎ。さすがにだれも居ないので落ちついて歩けるのは良いんですが、昨夜から降りつづいた雨で足元がぐちゃぐちゃ。傘をさしていても洋服は濡れるし、靴は泥だらけになるしで、奥さんなんかはブーブー文句言ってます。
 でも、雨に濡れた菖蒲の花はなんとなくうらぶれて見えて、それなりに風情があったし、紫陽花の花も今がちょうど季節のようで、これはやはり雨降りに見るのが一番似合う花のようです。

 お散歩でお疲れの奥さんのために帰り道のコンビニでお買物して、本日の昼食は焼肉弁当でした。奥さんは三色そぼろ鶏肉弁当で子供達はおにぎりって・・・なんだか独身サラリーマンより貧相な昼食だなぁ。飲物もコーラとオレンジジュースって、いかにもジャンクな昼食にピッタリなんですが、せめてウーロン茶ぐらいの方がよかったような気もしますが、まぁ飲物選んだのは僕なんで文句の言えた筋合じゃないのかも。

 3時のおやつは「コーラゼリー」って・・・ぐはぁ。普通コーラとゼリーが合体するかなぁ? 
 おそるおそる食べてみると、なんでしょうこの味は。コーラと言われればそんな気もするんですが、なんとも形容しがたい味・・・うちの奥さんも変ったものを、そのネーミングにだけにつられて買ってくる趣味があるからときどき不思議な食べ物に遭遇することがあります。



6月15日(Mon)
 今日は珍しくお仕事でHTML組んでました。
 趣味の日記書きならなんでも良いんですが、お仕事となるといろいろと付随するものがあるから気楽にエディターでポチポチ打つという訳にも行かないようです。ふだん日記ぐらいしか書いてないと、ほとんど以前のファイルから日記の本文だけを書換える程度の作業しかしてないので、テーブルタグが入込んできたりするとアタマがおかしくなりそう。仕方がない・・・そんな時はやっぱり専用のツールを使った方が便利なんだろうと、以前に買ってあった「Adobe PageMill 2.0J」を久しぶりに立ちあげてみたんですが・・・一度は完全にハードディスクから削除してあったので、インストールからやり直し。シリアルナンバーの入力を求められたりして、ゲッ、シリアルナンバーは何処だろうと慌ててパッケージひっくり返したりで、あぁ面倒クセーなぁ。
 う〜ん、ネスコミで見ると全然見え方が違ってるなぁ。そのうえ良く落ちるソフト・・・まぁこれはぼくの方の環境のせいかも知れませんが、この判りづらいインターフェースもなんだかなぁ・・・いかにも古くさいソフトって感じ。
 結局ただで手に入るネスコミのコンポーザーと比べて、わざわざPageMillを使うメリットは全然見当らないようです。たぶんHTML作成ソフトの使命ってのはもう終ってしまったんでしょう。
 でも付属のマニュアルはAdobe純正でとても判りやすいから、紙のマニュアルのついてこないコンポーザーよりその分だけメリットはあるようです。

 あぁ、HTMLの自由度のなさが原因で最後にはいつもイライラしてくるんですが、やっぱり今日もそう・・・一枚のでかいファイルだけつくってクリッカブルマップでやるのが一番簡単だよなぁと、こんな時はいつも思ってしまいます。シンプルすぎると見栄えがしないしなぁ・・・このあたりの事情は2年前と大して違っていないような気がします。
 やっぱり日記が一番簡単かも。


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