デーテーペーな1日

1998.7.16~31


日記関係の発言はこちらで。

7月16日(Thu)


何れはそうするのだとは言え、
いきなり全てを脱ぎ捨てて抱合うのは
なんとなく気恥ずかしい気がして、
まず少しだけKissをする。
窮屈な姿勢のまま座ったベットの上で。

そのままシーツに横たえて、
これ以上は隙間のできぬようにと、
お互いの位置を探し求て強く抱きしめる

首筋に唇を沿わせながら左手で乳房を愛撫すると、
乳首がすぐに固くなったことが知れる

「脱いでみて」

小さな声で「あなた」に告げる

シーツに広げた両手をお互いにからめて
「あなた」の上に覆いかぶさると、
ふくらみの外側から乳房に口づけする・・・
少しずつ内側に向って。

わたしを抱きしめようとのばす「あなた」の両手を
尚もベットに押しつけたまま、
突然ひとつになる。

小さな声が漏れる。

身体だけが別の生きもののようにピクンと反応する。
なぜかそんな「あなた」の様子がいとおしくて
眼だけで笑ってみせるのだが、
もう「あなた」はなにも見えてはいないようだった。

ゆるゆるとした動きにじれる「あなた」が、
わたしの下で融けていく。

いつしかわたし自身も融けはじめて
「あなた」と合わさった部分は
すでにどちらのモノとも判らないほど。

ひとしきり濃厚な白い闇。

 例によって、妄想の手触りを確かめるために書き記す文章に大した意味はありません。ひょっとすると、妄想ですらないような気はしているようです。では、いかなるモノか・・・「不明」としか名付けようがないようです。



7月17日(Fri)

 時間がないので書かないつもりだったのですが、最近妙に早起きで、出かけるまでにまだすこし時間がありそうなのでやっぱり「予定日記」を書いておくことにします。

 これがあるとないとでは帰ってきてからの精神的余裕ががぜんぜん違ってきますから。ちょっとお出かけが続いたりすると一晩で2つも3つも日記を書くことになって、最後にはいったいいつの日記を書いてるんだかサッパリ訳が判らなくなったりする事がよくありますから。
 日記を書くのに追われる人生なんて、はたから見ればなんてバカげた仕儀なんだろうと思います。目的が手段を追越してしまうというのは何かにのめり込むタイプの人間にはよくある話しですが、日常が日記のために存在するかの様な錯覚に陥るなんて、多分いままでには存在しなかった種類の人間のような気がします。そう考えれば、まさに僕たちは人類がいまだかつて経験したことのない未踏の領域に向けて踏み出した貴重で勇気あるディスカバーな一団なのかも知れません。がはははh、そんな訳ないか。えぇ、単なる寂しがり屋さんなんです。

 これで少しは落ちついてお出かけできます・・・と言うのもなかなか理解していただけないでしょうねぇ。まぁ、あったことの記録に熱中する人間もいれば、ウソでもヨタでも、とにかく毎日なにかが書いてあれば満足する人間もいるようです。



7月18日(Sat)

 明日から子供達は40日間の夏休み。彼女たちはこれからどうして時間を潰すのかよく判りませんが、僕なら40日間の夏休みになにをして過すことになるんでしょう。
 たぶんネットに繋いで日記読んで、メール書いて日記を更新してって・・・これじゃいまやっていることと寸分の違いもありません。ということは僕にとって現在の生活というのは、自分の人生における、まさに長い長い休暇中の出来事と言えるのかも知れません。時折やっているという「お仕事」は、まぁ言うなれば夏休みの宿題のようなもので、きちんとやっておけばなにかとあとが楽なのに、ついつい後回しになってしまって締切間際に大慌てしてしまうというあたりも夏休みの宿題とよく似ているような気がします。なにより、それをしなければいけない積極的なモチベーションに欠けているんですから「夏休みの宿題」も「お仕事」も、所詮は僕の人生にとっては大した意味はないことは確かかも。

 やっぱり休暇中の関心事は「お遊び」と言う事になるんでしょう。「お遊び」が過ぎて連日ぼーっとしたままなんですが、まぁ、僕の人生なんて所詮はこの程度であって、ここに来てこんな「お遊び」に熱中できるというのは、実は本人はとても気に入っていたりするのでなかなか始末に負えません。
 そんな訳で僕の「お遊び」にお付合いいただいている皆さん、こんな調子でいましばらく人生の休暇を楽しむことにしませんか。

 子供達は午後から浮袋もってさっそく近所の市民プールへ。いちいちプールにつきそう必要もなくて、ほおっておけば夕方5時まで遊んでいるんですから親としては本当にラクチンです。部屋が片づかないと相変らずうちの奥さんはうるさいんですが。



7月19日(Sun)

 まるで秋空のように糸を引いた雲が空一面にかかった夕暮前・・・まだ暮れるには早すぎる時間なのだが、ほんの少し空の青さが深くなったような気がする。
 空気は乾燥してさわやかなのだが、ひんやりした手触りが感じられるのは、明日の雨の気配がどこかしらに潜んでいるせいなのかもしれません。

 最近の外出ではそれがお決まりになったようで、彼女はゆっくりと店内を廻りたいというのでわたしと子供達は入口で別れて2階にある書店へ。何冊か目に付いた本を選ぶと、何時ものようにブックカバーは断って紙袋に入れられたそれを抱えて、もう一度店の外に出る。子供達にも好きな本はないかと訊いて見るのだが、やはり本にはあまり興味はなさそうだった。
 飲食店に周りを囲まれた中庭にでると、そこに置かれたベンチに座っていま買ってきた本を読みはじめる。
 子供達は缶ジュースを抱えてそのあたりを笑いながら駆け回っているようだった。たまに、ベンチの端に横向きに座ったわたしの背後に来て、そのまま私の背中に寄り掛ってしばらくじっと座っている。なにかしら、子供達の小さな背中の感触がひどく新鮮に感じられた。それは、穏やかでとりとめのない手触りの日常がわたしの背中を通して少しずつ広がっていくようだった。
 なにも言わぬまま、わたしの背中にもたれては空を見上げ、なにやら雲のカタチをあれこれになぞらえる作業に熱中しながら、そうしたことに迷いも不安もない子供達の様子に改めてわたしは羨望するのだが・・・それと同時に、その思いがけない感触に触発されてわたしの裡に目覚めたものは、実は「諦念」と「罪悪感」でもあった事にいささか戸惑いながら、何故そうなのかについてはあえて気づかぬフリをしていた。

 あいも変らず、とりとめもない妄想に捕えられているようです。わたしの「願望」と「欲望」をただ恐れているだけなのかもしれませんが、実はすでに果され或は満たされているからこそ、それを恐れているだけなのかも知れません。



7月20日(Mon)

自分にとって大切と思えるもの
なにものにも代え難いもの
そこに在ることだけでココロが癒されるもの
手にとって抱きしめてみるとひたすらに温かいもの
失うことを恐れるよりも得たことの喜びの方が大きいもの
わたしの裡なる空隙を充すもの

言霊の宿る世界では
迂闊に名前を呟くことは
そのチカラを失う結果になりかねないが故に
その名は私の裡で秘かに呟かれるだけなのだが
「それ」が紛れもなく存在することを
漸くわたしは知りえたようだ。

 迷うことのないココロをもつ人の強さを改めて知ることは
驚きであると同時にその事の必然にも気づかされることにもなる

「然り、」

わたしも強く同意する

そう・・・

在るか無しかに疑心暗鬼になることがなければ
なんと全てのことどもは
明晰で厳然としてわたしの目の前に存在することか

たったひとつのココロを信じることで
世界がかくもみずみずしく輝きにあふれることを知ったいま
わたしは「それ」を大切に思い
ただひたすらに抱きしめることに

もはや

なにを思い悩むこともなかった

 時間というものの不思議さをも、深く思い知らされた1日でした。充実と緊張と余韻のなかで、時間だけは目まぐるしく通り過ぎていったのだが・・・そうか、まだこの1日は終ってはいないのか。



7月21日(Tue)

 たまには「日記」でも書いて見ようと思っても、生来のものぐさと代りばえのしない日常、さらには、すこぶる怪しい記憶力のせいで1日の自分の行動をちゃんと締めくくったり反芻したりすることが出来ない事もあって、いつまでたってもそんなモノが苦手です。
 2年以上も「Web日記」を書いている癖に、日記を書くのに馴れていないというのもバカげた言訳ですが、本当にそうだからなぁ・・・我ながらつくづく不明です。

 そんな訳で苦手な記憶力をふりしぼって1日を思い出してみると・・・すでに朝何時に起きたか、ぜんぜん覚えてません。以前と同じか、一層夜更しはエスカレートしている筈なのに、なぜか最近は朝早くに目が覚めます。早いといっても7時とか7時半で、世の中の通勤ラッシュにもまれる方達の起床時間に比べたら遅いと思いますが、連日3時・4時まで起きている人間にとっては充分に朝早い訳です。それからはずーっと、モニターの前でぼんやり。<って、仕事しろよ!
 コーヒー飲んで少しだけ椅子寝してみても、熟睡は出来るわけもないので、結局はボーっとしたまま。

 そう言えば子供達がいないなぁと思うと、今日からプール開放日だとかで朝8時から友達と一緒に学校に出かけたようです。正美は息継ぎが出来なくて未だに学校での水泳検定は7級のまま。しかしまぁ7級って言ったら、ただ5m泳ぐだけとか聞かされると、そんなの泳げなくてもプールの壁思いきりけっ飛ばせば5mぐらい進むんじゃないのと尋ねると、先生がちゃんと見てなかったとか去年は検定が少なかっただとか、あれこれと言訳がましいのはやっぱり正美。そう言えば正美の泳ぎ方って完全に溺れてるとしか思えないような代物だったなぁ。
 麻美は15m泳げるから5級なんだと、ひどく自慢そうですが、こんな場合5mも15mも大した違いはないと思うのは大人の考えで、子供達の間では5級と7級といえば厳然たる違いがあるようです。
 そんな訳でいまだ7級のままの正美などけっこう悔しそうで頑張って毎日練習するんだと意気軒昂なのですが、訊いてみると、まだ5mしか泳げないようです。やれやれ。

 昼食は昨夜の残りのちらし寿司。はい、なんだか良くわからないけど、昨日の夕食は「ちらし寿司」でした。炊きあがったご飯に「ちらし寿司の素」を混ぜ合わせて、後は錦糸玉子を並べただけ。うーん、最近わが家の奥さんの夕食のメニューがかなり投げやりかも。
 で、今夜の夕食はカレー。それも冷凍してあった先日の残りのカレー。<やっぱりな。
 でも、誰一人文句言う人はいません。今夜も静かな食卓・・・



7月22日(Wed)

 本日・・・完全自粛モード<いやマジで。

 こんな風におちゃらけるのもはばかられるほどに反省してます<ホンマホンマ。

 と書いたりしたら一層信憑性に乏しくなるくせに、やっぱりやってしまうのは単なる大バカもの<そうだそうだ。

 これじゃさらに神経を逆撫でするだけだと思いながら、フォントのでかさでしか己の反省ぶりを表せないとするなら、ここはやっぱり反省(気分はFONT SIZE="100")の2文字しかないのでしょう。

 どこへ行っても顰蹙買いまくりのテロリンオヤヂも、もう少し己の行動については考える必要があるのかも知れません・・・などと言いながら2年あまり。ひたすら反省と懺悔の日々を送っていた筈なのに、またもやってしまうところが実にもう・・・どうしようもない限り。
 ごめんなさい、

 あんまり寝てなんでお詫びも手抜き・・・って、つくづく懲りないオヤヂです。
 ちゃんとしたお詫びはBOWDOででも書くことにしますので、今しばらく待たれよ。

 追記:FONT SIZEは"100"に変更しておきました。なんなら、"1000"でも"10000"でも良いんですが。



7月23日(Thu)

 でも、「お詫び日記」ってのはひたすらお詫びしていれば良いんだから、簡単と言えば簡単・・・うん、ネタのない日は「お詫び日記」がお手軽かも知れません。がはははh、<「がはははh、」じゃないと思うけどねぇ。
 懲りないオヤヂはこんな事ばっかりやってるから叱られるわけで、やっぱり自分自身の生き方と言うものをもう少し考え直した方がこれからの人生、なにかと丸く収ってココロ穏やかに暮せると思います。 でもねぇ・・・そこはそれ、人生も半ば以上を折返した実感のあるオヤヂにとって、いまさらココロ穏やかだったり平穏な日々を望んだ処でそれは叶わぬ願いと思って間違いないような気がしています。なにより本人がぬるま湯の中でひなびて融けてしまいそうな怠惰な日常をくり返すことになんの疑問も持っていない人間ですから、どこまで行ってもこんな日常しか生きることは出来ないんでしょう。
 しかし、もう少し考える事があっても当然なような気はします。人と人との距離の取り方が不得意な人間は肝心なときに行動が出来なくて、そこで動いても仕方がないのに・・・と言った最悪のタイミングで必ず動くことになります。

 まぁ、「お詫び日記」に言訳書いても仕方がないよなぁ。どこもかしこも「仕方ない事情」のオンパレード。そんな不確かなものではなくて、これが「必然の結果」なのだと、そう言いきれるだけの確固とした関係を築きたいものですが・・・

 いしかわ(よびすて)くんは、なにやら一人抜駆けやって、ずる〜いぃんだからぁ。いやんいやん←コレコレ
 決めるときは決めるじゃないか、いしかわ(よびすて)くん。ぐふぐふ。
 でも、己に対する安全弁の為に新聞次郎を呼ぼうとするところがキミの限界なのかもね。ま、新聞次郎はどこをどう見ても「アンパイ」であることは確かだけど。すでに場に3枚でてる「西」みたいなものかも。



7月24日(Fri)

 ひとり車を運転しながら、何気なく眺めていた道端の風景に思わず心を奪われる日と言うのがあります。
 いつもいつも通り抜けているだけの交差点の片隅にほんの10坪ほど、きれいに整地され芝生と一緒に紫色をしたラベンダーの花の群が植えてあることに気づいたのは、なんとなく気ぜわしいこんな雨の朝のことでした。
 いつもならただ通り過ぎるだけなのに、雨に濡れた紫色のカスミのようなラベンダーの花が、交差点で被っている排気ガスや汚れを洗い流されて、何時になく色鮮やかだったせいかも知れません。そう、都会でみる花は雨の日が良いような気がします。アスファルトに反射する熱気や、じりじりと街を焦す日差しのない、そんな雨の日にはとりわけラベンダーの花は似つかわしいようです。
 信号の変ったのも知らず、ただボンヤリと窓の外に降りしきる雨を通して見るラベンダーの花に、僕はしばし魅せられていました。

 確か、そんな花に「あなた」を例えたこともありました・・・しかし、僕はいまだラベンダーの花言葉を知りません。或は、その花の香りもしかとは確かめたことはないようです。

 今日はどこをどう言訳しても、「手抜き日記」以外にはなりそうもない気配・・・というのも単なる言訳で、つまりは「100%手抜き日記」で確定と云うことです。実にもう、なんともはや。



7月25日(Sat)

気配

 あぁ、表に止った車の気配できっとあなただと思っていました。玄関脇で立っている僕の目のまえで、タクシーを降りるとちょっと空を見上げるようにして2階の窓を眺めているあなたの横顔は、やはりとても緊張しているようでした。遠いところをよくもまた・・・と云うのはずいぶんと失礼な言いぐさではありますが、こんな風にしかご挨拶できないだろうこともあなたにはすっかりお見通しの筈です。日差しは翳っているのに、なにかしら熱気だけがどこからか渡ってくるような、そんな夏めいた日に黒の上下はあまり似つかわしくないけど、そんなあなたはとても新鮮に思えるのでした・・・などと云っても、あなたにお会いしたのは今日が初めてでした。そうそう、玄関はこちらです。ドア選びをまちがえたもので、いささか玄関まわりが暗いのが僕には少し後悔する部分ではあるんですが、なにかを求めればなにかを失うのはすべてこの世の習いなのでしょう。スリッパの並んだ玄関先というのが好きじゃないんです。なにか、いかにも疎ましい家族の匂いがするようで・・・えぇ、素足のままなので、階段滑りやすいから気を付けて。こちらのソファーにどうぞ。テーブルの上がまだ片づいてはいませんね。そういえば先ほど来客がありました。どうやらわが家には珍しく来客の多い1日のようです。これが僕の子供達です。ちゃんとこちらに来てご挨拶しなさい。いや、上辺だけでも挨拶は出来るようになったのですが、それと一緒に失礼な物言いも覚えて最近は可愛げがないのは、どうやらそれなりに成長していると言う事なんでしょうか。もうすっかり父親の手を離れてしまって、ぐうたらな存在には眼もくれないようです。こっちが僕の奥さんなんですが、どうもあなたとの初対面のご挨拶に戸惑っているようです。あなたもなにかと説明がしづらいようですが、僕はそんな二人の間に立ってニヤニヤしているのはいかにも不謹慎かもしれません。「合わさったふたつの欠片のもうひとつ」というのは、やはり理解しづらいようです。でも、あなたの真意だけは伝わったようです。おかしな処のある人間の人生の相棒だったせいか、深く考えないという癖がついてしまっていたせいかもしれません。僕の写真というのはやはりとても少ないようで、あなたが望むようなものがあれば良いんですが。アルバム見てみますか?実は幼い頃の僕の写真はすべて母が持っている筈なので、わが家にはそんな頃の写真はほとんどありません。え? それ可愛いですか? たぶん入学式のまえに近所のお寺の境内で撮ってもらったものだと思います。写真となると緊張してしまうのはその頃からのようで、実は写真を撮られるのがイヤさに境内を走り回っていた記憶があります。脇に抱えているのはたぶん「少年」の4月号でしょうか。付録やらなにやらで厚くふくらんだその雑誌、実は新刊で買ってもらったのは初めてで、その事がなにより幸せでした。早くうちに帰って付録を開けてみることばかり考えていたようです。そう、古本では付録はいつもついていませんでしたから。そんな事まではこの写真じゃ判りませんよね。どうぞ、お持ちになって下さい。同じ写真がまだあるはずですから。最近のものはどうにも見当らないようです。申し訳ありません。僕の場合、家族の中でも極端な写真ギライのようです。コーヒーはお飲みになるんでしたっけ? 僕はいつもブラックでした。お茶がわりにがぶがぶ飲むには砂糖の甘さやクリームの生臭さはどうもハナについてしまってなにも入れないままが飲みやすいせいでしょう。誰が誰のカップというのはないんですよ、わが家では。食器も箸もそれぞれという習慣がないのは、奥さんが沖縄の大家族育ちのせいでしょうか。事務所を見ますか? 1階なんで、もう一度玄関脇のドアを開けて、じゃこちらへ。モニターに手を当ててみても冷たいままです。電源を入れなくなって何日もたつのは本当に珍しい。キーボードに指を重ねてポツリポツリと打ってみても、モニターは相変らず黒いまま。あなたが刻んだ文字はどこに消え失せてしまったのやら。あぁ、こんな風にしてあなたを泣かせてしまって本当に申訳ない。あなたのそばに立っているというのにあなたに触れることもできずただ呆然と涙を流すあなたを眺めているだけの僕の気配をふと感じて振り返ってみたあなたには、やはり透明な僕の姿は見えないようです。

 妄想の会話の中でふと妄想を思い付く・・・どこまで行っても確かさのない世界の会話を楽しむのも、妄想の楽しみのひとつのようです。



7月26日(Sun)

 栃木県の宇都宮刑務所内で金子ふみ子が縊死したのが、大正15年(1926)の今日だと知ったのは、つい何日か前に偶然読んだ本の一節からでした。
 数え年23歳と聞かされて、改めて金子ふみ子の人生の激烈さを知らされたような気がすると同時に、なんという清冽で真っ直ぐな人生であったのかと、その事の意味にココロが痺れるような感慨を覚えました。

 もっとも、金子ふみ子と言ったところで、その名前に心当りのある方など現代では本当に少ないというか、もう完全に歴史の彼方に埋没してしまった名前のようです。或は、彼女の結婚相手だった朴烈の名前ならば、「大逆事件」というキーワードと共に歴史の教科書の登場人物のひとりとして微かに記憶のある方はいらっしゃるのかもしれません。
 反天皇・反日本帝国という彼らの思いが、日本人と朝鮮人との政治的関係性の寓話として利用されたのが天皇暗殺を計ったとされるいわゆる「大逆事件」の正体なのだが・・・ふみ子の生い立ちの、そのただならぬ迄の汚辱と無恥のなかで、彼女が傷つき、その汚辱に染まり、絶望し、反発しながら、なおかつ「金子ふみ子」として自己を作り上げていったかを知ることは、実に人間というモノの強さとその可能性に深く心を打たれる瞬間ではあるようです。さらに言えば、女であることで二重の苦しみを受けたであろう事で、彼女の反逆の精神がより一層真摯であったことにも僕自身は強く惹かれます。
 一度は死刑判決を受けた彼ら二人は、その9日後に暗殺の標的とした天皇陛下の御慈悲による特赦の名目で無期刑に減刑されることになる。その特赦帖を朝鮮人「朴烈」は神妙な顔で受取ったのだが、ふみ子はそれを受取るや否や二つに引裂いてそのまま打ち捨て、係員の顔を昂然と見返したという。それが4月5日の事であり、3カ月後には最初に書いたようにふみ子は刑務所内で縊死をとげるのだが、一方の朴烈は第2次大戦後に出獄してそのまま北朝鮮に渡ったという。その後の朴烈の生死については僕は知りません
 僅か22歳の女性の、その強さ、凛とした毅然たる姿勢、人間としての心根の確かさに僕は改めて戦慄すると同時に、彼女をしてそこまであらしめた現実の過酷さと生い立ちの苛烈さなど到底知ることのない、自分自身のこのぬるま湯の中で浮ぶような生き方にひたすら恥入るばかりなのです。

 金子ふみ子が生前使用していた鏝(こて)と鋏(はさみ)が遺品として残っていたそうです。今もあるのかは判りません。
 書籍や書簡ではなく、鏝(こて)と鋏(はさみ)が遺品であることが、なにかしら彼女が苦しみ戦ってきた道の象徴に見えたと書く詩人の言葉に、僕も改めて共感することがありました。



7月27日(Mon)

 今朝、子供達は夏休みに入って初めてラジオ体操に出かけたらしい。そう言えばPTAのクラス委員はお手伝いという名目で出席しなければいけない日があったなぁ。朝の6時に起きてラジオ体操するなんて、そんなバカげた振舞いができるわけもないことぐらい、Web日記を書いてる方なら皆さん納得していただけるでしょう。
 結局一睡もしないでラジオ体操の会場となってる学校に出かけても、そんな空気の中では僕がどれほど浮きまくっているか・・・一度出席してイヤというほど知らされたので以後はもうなにも考えるまでもなくそんなものは欠席です。寝ていた方がマシと言うか起きていた方がマシ(ん?)
 まぁ子供達は連日ヒマそうなのでラジオ体操から帰ってくるとそのまま学校のプールへ。
 しかしまぁ、朝っぱらから何度も電話かけてくる麻美の友達がいて、いい加減はた迷惑なかぎりです。いちいちわが家の前で待ち合せしないで勝手に学校でもどこでも出かければ良さそうなものなのになぁ。小学3年生からオバサン入ってるガキだけは始末に負えません。
 朝から「ちゅーちゅー」くわえていきなりわが家の居間に現れたりする処なんて、キミのお母さんそっくりで思わずギョッとしてしまいました。しかし、本当に不細工なガキだなぁ、○○こちゃんは。がはははh、まさか見てないよねぇ、○○こちゃんのお母さんは。
 まぁ見られても良いんだけどね。そんなの気にしてたらWeb日記なんて書いてられませんてば。

 久しぶりに蒸暑いけど、やっぱり「夏」という感じはしません。梅雨の中休みというのがピッタリするような天気で、明日あたりも雨が降るんだとか。今年の夏はすごく短そうな気がしてきました。



7月28日(Tue)

 う〜ん、本日の「不明日記」はボツ。
 やっぱり無理矢理そんなものを書こうとしてもダメみたい。事務所が蒸暑くて、どうにもそんな不明な雰囲気に浸るような気分でもないようです。

 クーラーつけてるんですが事務所が一向に冷えないのは何故? バッタもんのクーラーなんでいよいよぶっ壊れてしまったんでしょうか。それとも、単にフロンが漏れてしまっただけなのか・・・何れにしても今時クーラーが壊れたからって修理の受付なんてやってるのかなぁ。特にクーラーなんて気軽に持込み修理という訳にもいかないだろうし、あぁ・・・この際だからもスッキリ買替えた方が簡単な気がする。でも面倒くさいなあ。

 そんな訳でモニターの前でうちわ使いならが日記書いてると言う、実に日本的と言うか・・・要はビンボーくさいだけのお話しなんです。
 従って日記もぜんぜんやる気ナシ。まぁ「Web日記」にやる気のないのはいつもなんで驚くにはあたりませんが、仕事に対するやる気のなさの方がこの際大いに問題かも知れません。
 もっとも、届いたメールの返事が早すぎると、皆さんに呆れられてるようでは最早何をかいわんやですが。

 えぇ、新着メールのチェックは1分おきですってば。ホントはもっとは早くてもいいぐらいなんですが、なにぶんにも1分というのがチェックの最小単位のようなので仕方なく我慢してます。がはははh、これ以上頻繁にチェックしてどうするつもりなんだか。



7月29日(Wed)

 久しぶりに夏らしい一日とでも呼びたいような日でしたね。しかし、梅雨明け宣言はまだなのかなぁ。まぁ、梅雨明け宣言があろうがなかろうがどっちでも良いといえばそうなんですが、やっぱり気分的にあれがないと本当の夏が来たという実感に今ひとつ乏しいような気がします。
 見上げる空の蒼さとか、かたまりあうようにして上空に伸びる積乱雲とそこを突っ切って一直線に伸びる飛行機雲なんて、いかにも「夏本番」といったアイテムのひとつとして梅雨明け宣言もない事には今ひとつ盛上がりません。
 でも、暑いのはヤなんですけどね。汗っかきと云う事もあるけど、盆地特有のあの京都の夏に育った人間なんでこの季節にあまりよい印象がないんでしょう。夏はひたすら暑いだけで、近くに海があるわけでもない京都の町場の子供たちが家族連れで泳ぎに出かけるといえば、お隣の滋賀県の琵琶湖まで出かけるのが大体の定番でした。でも水が汚いんですよね、当時の琵琶湖は。後はなんだか浜辺がせせこましいし、どうにもビンボーくさい印象しかないなぁ・・・マイアミビーチとかって恥ずかしいネーミングの浜もあったような気がします。
 普段はといえば、せいぜい動物園の脇を流れる疎水で泳いだりするんですが、あそこもいつの間にか遊泳禁止になったような気がします。後は嵐山の渡月橋の下流あたりとか鴨川の上流とか、それなりに川遊び程度ならできても、泳ぎに出かけるという風に言える場所はあまりなかったような記憶しかありません。

 ま、何れにしても僕には友達いなかったので、そんな場所で遊ぶこと自体なかったんですけどね。

 あじー。やっぱりクーラーはぶっ壊れてる模様です。朝から最強レベルで冷房運転中なのにちっとも事務所は冷えません。とほほ。ヤッパ、修理の人呼ばなきゃだめなんでしょうね。



7月30日(Thu)

 わはははh、どこまでも日記猿人というか日記界にとりついていたい訳ね。ほとんど亡霊かサナダムシみたい。あるいは、追っても追っても周りをうるさく飛び回る「金バエ」みたいなものなんでしょうか? だとすると、そんな金バエに好かれる僕たちはやっぱり「うんこ」みたいな存在なんでしょうか? まぁ、言われてみればそうかも知れません。
 最近壊れっぷりがハンパじゃないなぁと思っていたんですが、そんなことでまたもやみんなの注目集めたいとは・・・寂しい人間などと簡単に片づけられる問題ではないのかも。
 ホント「先天性バグ」とはよく言ったもので、いつまでもどこまでもつきまとっては己の寂しさを紛らわそうとするんだから、可哀想な人と言えばこれほど可哀想な人もちょっと見当らないかも。もうそろそろ40に手が届こうと云う年令にもなって、かくのごとき日常を送っているというのは相当にココロ潰れる思いでもあるんでしょう。できたらそうした思いは自分の仕事にぶつけるとか、日常の充実にぶつけた方がもう少し有意義な人生が送れるような気がするけど、そんなことは僕に言われたくないですか? そう言われればそうかも知れない・・・結局、お互いに寂しい日常を送っている自覚はあるんだから、もう少し違った方法で己の人生を見つめなおしてみるのも一法かもしれません。でも、そんな事は最初から無理そうだなぁ。

 訳のワカラン日記ネタなんであまり気にしないように。まぁ、あんまり面白いのでついつい書いてしまうんですけど、考えたら面白がってるのは僕だけかも知れません。ん、日記だから良いのか。



7月31日(Fri)

ココロとからだ
ふたつながらに引裂かれた夜に
やはり願うのは
「あなた」の裸身でした

触れることの叶わぬ想いが
いっそう強く結び付けるのだとするなら
永遠にすれ違うことが
きっと僕たちの望みなのでしょう

しかし

「あなた」を求めることの容易さもまた
すでに知ってしまった僕にとって
いかなる妄想も
いかなる願望も
望めばきっと与えられるのだと知ることは

実は

戦慄であり
果て知れぬ恍惚でもあったのです

ほの暗い夜の闇のなかで
或は白々と明ける朝の気怠い気配と共に
同じ時間を共有したことの充実感と
ある種の諦念に包まれながら
どこまでもなめらかな「あなた」の裸身を愛撫して
いつまでも飽きることがないのだが・・・

この「飢え」と「渇き」は
はたしていつ満たされるのかと
恐れを込めて「あなた」を抱きしめれば
あたかも「虚空」を抱きしめたかのように
僕の両腕の隙間から
するりと抜け落ちたもの・・・

それを口にする事で己を確かめる術は
やはり
いささかの慣れを必要とするようです

 きっと、自分自身を信じることにいまだに馴れないせいなのでしょう。自らのコトバすらも信じられぬほどに、「不信」の時代がながかったようです。コトバでしか伝えられぬものがココロに在る事の不思議については、いまだ答のないままですが。


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