8月16日(Sun) さて・・・これであとは「予定日記」さえ書いてしまえば、ようやくお出かけができます。あいにく長野方面は雨降りのようで、夜空を眺める楽しみはなくなってしまったようですが、芝生の上で子供達と花火でもして遊ぶことにします。 人生ゲームやるから、持っていって良い?と一生懸命正美などは言ってますが、いくらなんでも人生ゲームもって家族旅行に出かける物好きもいないと思うので今回はカンベンして貰うことにしました。そのかわり「ババ抜き」するとかで、トランプをしっかり自分達のリュックにしまっているようです。 まぁ・・・年に1度ぐらい「ババ抜き」でも「七並べ」でも「神経衰弱」でもなんでもお付合いさせて頂きます。ここの処、父親として子供達と接する機会というものがすっかり減っているような気がしますから。 しかしなぁ・・・家族旅行といっても長野の山奥に一泊するだけの「ビンボー旅行」で、明日になれば帰ってきて、さっそくお仕事の続きもやらなければいけないようです。あぁ、そう考えるとやっぱり「ドタキャン」すればよかったかなぁ。家族旅行のドタキャンは・・・父親の信用なくすから、なるべく避けたいところです。ドタキャンなら、やっぱりお気楽な日記がらみのオフミが一番面白いかも。<やっぱりドタキャンを面白がってたのか。 子供達は夜の8時には寝て朝4時に起きるとかって無茶な事を言ってましたが、結局11時近くまで3階の自分達の寝室でがさがさしていたようです。でも目覚しを4時にセットしてどうするんだよぉ・・・その頃って、ようやく父親の寝る時間なんだけど。
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そのあまりの静寂が わたし自身のココロを深く満たして 飽きることがなかった どこまで行っても 山際におりた深い霧の向こうには空は見えず 歩くほどに やがて その流れに沿って続く小径・・・ 遠くでわたしを呼ぶ子供達の声が聞えたような気がしたのだが 深い霧の中を歩くと、その視界のなさと冴え冴えとした空気のせいか、いっそどこまででも歩いていけそうな気がして・・・諦めて後戻りするのに往生する事があります。
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むー、なんだか事務所の中がぐちゃぐちゃ。先日の長野行の前に仕事がたて込んでいたせいで机のまわりから事務所の床まで紙くずやらなにやらが散乱してます。そのうえ、これはもう1週間以上も前の「江戸川花火オフ」のために物置から出して、帰ってきてからも結局そのままのクーラーボックスやら折りたたみ椅子が玄関の脇に投出したままでエライ事になってます。あぁ、どこから片づければ良いのやら・・・来週の日曜日あたりに青梅のオートキャンプ場にでも行こうかと思っているので、いま片づけてもまたあとで散乱する事になるからと思って捨置いてあるんですが、いくらなんでもグチャグチャ過ぎるのかもしれません。 なんだか事務所を掃除するのも飽きてるというか、仕事を含めてなんにもやる気が起きないんですが、ちょっとこの夏は呆然とする事が多すぎたかも。不明な人生に不明な日記が多いのか、不明な日記に引きずられて日常そのものが不明に落込んでしまうのか・・・どちらとも言えない処がなんとも弱いけど、まぁなんとなくこんな事で己の人生が過ぎていくのはそれほどイヤという訳ではありません。そんないい加減なヤツのせいで心ならずも不明な出来事に巻込まれた方には大いなる不幸なのかもしれませんが、そこはそれ・・・人生には何事もあきらめと寛容が肝心です。って、そんな事を僕に言われる筋合はありませんよねぇ、確かに。 クリントンもつくづくバカげた人生だよなぁ・・・えぇ、僕なんかは足元にも及ばないぐらいかも。
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日記手抜き週間はずーっとデフォルトで続いてるんでしょうか? なんだかやる気ゼロな日常に加えて、と言うかそんな日常だからこそと言うべきなのか、日記の更新にもぜんぜん熱がこもってません。ネタがないことをネタにして更新する日記も、こうも連日ではそれすらも苦しくなってきてるのかも。 日記の更新に注意が向いていない分、メール書きはここの処、随分と頑張っているんですが、所詮は中身のない単なる「メールチャット」に陥っているだけという噂もちらほら。本人はそれなりに頑張ってお返事してるつもりなんですが、要するに返信のスピードばかり競ってるので中身に関しては一切無頓着なままというのも、相手の方に対して失礼な話しだとは思えるんですが、中身のない分、返信の早さでも競わないことには意味がないというか・・・そんなメール自体に意味はないという噂もちらほら。 あぁ、結局今日もぜんぜん訳のワカラン事ばかり書いてるなぁ。なにを書こうかと予め決めないで書きだしてしまうので話題が支離滅裂なのはしょうがないにしても、その支離滅裂になる「話題」すらも最近は見当らないようですから、自分でもつくづく救いようがない「日記」なのかと思えてきました。今ごろ気づいたのかという突っ込みはあまりに僕が可哀想なので却下。だって、こんな事を連日くり返しながら、来年でいよいよ「Web日記」書いてまる3年にもなるんですから・・・考えてみるまでもなく、大いなる人生の無駄遣いですが、浪費できる物が見つかっただけマシと、いまでは開き直っている部分もありますが。 一度事務所の大掃除でもすればスッキリするのかも。と言いつつ、当分そんな事には手を付けそうもないんですが・・・年末の大掃除さえろくにした事ないんですから。あぁ、いつまでこんなだらけた生活が続くんだか。<たぶん一生なんでしょう。
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ここ何カ月か、しきりと自分の「死すべき時」を意識することが多いんですが・・・あぁ、別に人生に飽き飽きしたわけでも、伊丹十三の自死の際に取りざたされた老人性の鬱病という事でもないようです。 深刻な悩みごとがあって鬱々として自分の将来を悲観するのではなくても、なんとなく「漠然とした不安感」やら焦燥感に駆られるというのは若い頃には何度も経験したのですが、それはやはり、如何に生きるべきかに悩むあまりに「死」に向い合っていただけで、実際には「死」に対するイメージとしてはほとんどなにも考えていなかったような気がします。 そんな風に性急な「死」への渇望ではなくて、少しずつ失われつつある僕自身の時間というものを、ある日不意に意識させられた瞬間と言うモノがあって、そのあまりのなまなましさと確かな実感に、そうか、「死すべき時」というものは、こうしたカタチで少しずつ自分自身の内側に降りつもっていくものであったのか・・・と、我知らずに納得する事があったようです。 そうであるならば、やはり自らの「死すべき時」は自らで選択する必要がある筈で、何れどこからか舞降りてきて有無を言わさず僕を引きずっていこうとする傲慢な輩に異を唱えるためにも、その事に常に意識的であらねばならないと思うのです。 高速道路をひとり走る夜更けなどに、ふとこのまま側壁へハンドルを切りさえすれば、一切のことどもが消え失せるのだと囁く声が聞えたような気がして、そう思えた瞬間に逆に我に返ると云う事がよくあるのですが、結局はそんな声は聞えなかったのだろうと、ただひたすら路面の凹凸に沿って車を走らせてはいるんですが、なんとなく惜しいような気がした・・・と書くのは、やはりあまりに虚無に過ぎる感想なのかも知れません。 自分の人生の収支決算を考えてみると、もう十分にもとは取れているような気はします。若い頃には思いもしなかった余禄まで手に入れて、誰にと言うわけではありませんが「申訳ない」と、そう呟いてみたくなる瞬間すらもあるようですから。
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「手抜き日記週間」はまだまだ続く模様です。あぁ、申訳ない。<などと、誰かに謝ってみても埒(らち)もないかぎりです。 お盆休み以降、日記に対する意欲はますます減退するばかり。あっちのほうだけは年甲斐もなくやたら元気だったりするんですが・・・「あっちのほう」って? それはもう、週3ヶの方です。がはははh、いつの間にか週2ヶから週3ヶに増えてるじゃないですか。えぇ、最近夜久さんおかしいと言う噂は噂だけではなかったようです。しかしなぁ、この年になってコンドームの消費量を競ってどうするつもりなんでしょう、このエロオヤヂは。お陰でわが家の奥さんは睡眠不足でヘロヘロです。きゃー。<いくらネタ枯れ週間とは言え、こんな日記で良いんでしょうか? 己の生活を赤裸々に語るという部分に関しては男性陣は女性日記書きの敵ではありません。なにかを書いているように見えても、男の場合というのはどうしても見栄やプライド(どちらもまるで無意味なのですが)に邪魔をされて、ありのままに己の日常を書ける方というのはとても少ないかも。自分自身のさまざまな「恥部」について語ることのできない男に比べて、かくも女性陣が積極的という裏には、あの「生理」なんてものが関係しているような気がします。男には決して判らない不快感や痛みに毎月向合わなければならないからこそ、そうした自己の日常の秘めた部分を語るのに躊躇することが少ないのかも知れません。えぇ、男の方も毎月不快なものが己のペニスからドロリと流れ出すような事があれば、もう少し違っていたかも。どこがどう違っていたかについてはあまり考えたくないので、このお話しは一応ここでオシマイ。 手抜き日記故に、中身はどうにも意味不明です。もっとも、意味不明はいつもの事か・・・
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子供達が自分の部屋に篭っているときというのは、大抵がつまらない事に熱中しているようです。 ある時は「ハムスター元気日記」なる意味不明な飼育日記を、それもノートを1冊バラして、わざわざ自分達で製本し直して、おかしなイラスト付の表紙に付け替えて、体重やら体長を測ってみたり(料理用のはかりでハムスターの体重測って、奥さんにえらく怒られてました。)、名前の由来やら自分達で勝手に決めたハムスターの誕生日を表紙の裏に延々と書いているんですが、肝心の「ハムスター元気日記」の中身はというと、1日分書いたきりでほっぽりだしてあるというのは・・・何事も始める前の過程だけが楽しくて、いざそうしてなにかを継続するとなると、途端に肝心の中身自体に飽きてしまう処など、実にもう判りやすい性格のようです。 なんとなく「日記」にこだわりのありそうな処も誰に似たんだか・・・一層不憫ですなぁ。なにも日記書かなくても良さそうなものですが。 いまは何やってるんでしょう? ドアの前に「ぜったいに開けないでネ!」なんてわざわざ貼紙してあるところを見ると、何れにしてもまたもやバカげた事に熱中してるんでしょうねぇ。ネズミよろしく、自分達の巣穴になにかいろいろなものを持込んではゴソゴソしているようです。まったくなぁ、よけいな事ばかりはじめて、例の絵本の読書感想文はいつまでたっても完成していないようですが、一体どうするつもりなんでしょう。 そう言えば、「わたしの住みたいこんな街」とか言う課題で絵を描く宿題もあるんですが、正美の場合、絵のタイトルはズバリ「わたしの住みたいセキスイハウス」って・・・なに考えてるんだか。 それでもこっそり子供達の部屋覗いてみると・・・う〜ん、部屋中ゴミが散乱している上にノリの匂いが充満して、思わず頭がクラクラします。いったい何やってるんでしょう? ぜんぜん判りません。また、母親に怒られなきゃ良いんですが。
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「えぇ? 絵本で読書感想文書くの? マジで?」 父親の、いかにも信じられないといった不審そうな声の調子に、正美はいったん書き溜めていた下書をヤメにして、別な本を探しに図書館に行きたいとか言いだしてますが・・・夏休みもあと1週間だというのに、そんな事で間に合うのかなぁ。もっとも、正美は書きはじめるとやたらと早いから、気分さえ乗れば大丈夫だとは思いますが。 じゃ、お昼にレタペパバーガーでも食べにいって帰りに図書館でも寄るかとお昼過ぎから出かけたんですが、何故か、途中でラーメン屋に入る事に。新装開店のノボリについフラフラと誘われて・・・ くっそ〜、「宮崎なんたらじゃん」とかのチェーン店のラーメン屋・・・不味くて高いぞ! 金返せ!<文句つけようにも店の名前忘れてしまいました。とほほ。 ラーメンのあまりのまずさと値段に激怒して、肝心の図書館行くの忘れました。正美は読書感想文どうするんでしょう。
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最近「予定日記」も真面目に書いていないようなので、今日は少しだけ。 本日、なぜか河原でバーベーキューの予定が・・・今朝になって急に奥さんが行こうかとか言いだすものだから、午前中に買物したり、キャンプ用具を車に積んだりでなにかと忙しいようです。ま、何時もの河原なんで準備さえ済ませれば車で30分ほどで着いてしまいますから、本当にお手軽。 あぁ、準備もしないで日記書いてると奥さんに怒られそうなのでこの程度で。帰ってきたらBOWDOにでも続きは書きます。
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ここに来て子供達は夏休みの宿題の残りに追いまくられてます。読書感想文がいつまでも仕上らない正美は、ようやく本1冊読み終ったようです。ふ〜ん、さんざん父親にバカにされたせいか「絵本」ではなかったようですが、何を読んでるのか僕にはナイショのようです。どうせ大したものじゃなさそうだけど。もう夏休みもあと少しで時間がないから、すぐ読める本を探してるとかって言ってたからなぁ・・・その辺りの姑息な知恵だけは一人前というか、己を知りすぎてぜんぜんつまらない奴というか。 で、「自由工作」は文字どおり「自由」で、やってもやらなくても良い筈なんですが、去年はそのつもりで「やらなくていいや」と登校したら案に相違してみんな何か作っていたので、慌てて適当な「粘土細工」をでっち上げて持っていた事に懲りたのか、今年はぜったいなにか作ると張切ってますが、これからはじめて間に合うんでしょうか?
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子供達の夏休みの「自由研究」はナベ掴みの制作に決ったようです。その為の端切れやら細々としたものを昨日は買ってきて、今日は朝から型紙に沿って熊の絵の描かれたキルティングの生地を切ったり、神妙な顔で背中を丸めながら、生れてはじめてミシンを使ってみたりで、すっかりお裁縫モードに入ってます。 それぞれの個性を発揮して、相変らず正美はおおざっぱで、大胆過ぎるほど大胆な手つきでどんどん縫ってゆくし、麻美の方はと言うと、ちまちまと細かな部分にこだわっておそるおそるながら、でも飽きることなく一生懸命なようです。 なんだかそんな様子を見ていると・・・まぁステレオタイプな印象ではあるんですが、いかにも「女の子」らしいなぁと思えるのは、まさに父親としての印象のような気はします。 そう言えば、子供達は来年は小学4年生と云うことは、そろそろクラスの中でも「生理」の始る子供達も出てくるのかも知れません。何処からどう見てもまだまだ子供だと思っていても、いつの間にか父親の知らないところで「おんな」に成っていくのでしょう。 重いミシンを子供達二人で居間まで運んで、なにやら一生懸命です。結局は物珍しさが一番なのはいつもの通りなので、終ってしまえばミシンなんゾには見向きもしないんでしょう。
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どうしたことか・・・今日は1日、「日記」を書くことに苦労していました。 卑怯で姑息な「嘘日記」ばかり書きすぎたせいなのかもしれません。書いては消し、消しては書きを何度もくり返すあまり、とうとう諦めて最後にはこんなものを書くハメに。 曰く・・・「日記を書くことが出来ませんでした日記」 「嘘日記」にはそろそろ飽きてきたのかもしれません。ただし、だから「本当日記」が書きたいのかと自問してみても、その辺りの確かな自覚はどこにもなさそうです。 結局はだれも僕の「本当」などは期待していないというのが真実なのかもしれません。やっぱり、何がなんでも「嘘日記」で更新するべきなのかも・・・ いまさら「本当」も「嘘」も、所詮はコトバで語られるものに意味などないのでしょう。
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世間的には世界同時株安だとか全国的な豪雨だとか、毒入カレー事件だとか(いまさら遅い)、いろいろとかまびすしい限りですが、わが家は相変らずの模様です。そう言えばしばらくメニューに現れなかったと思っていましたが、昨日のわが家の夕食はカレーでした。いやいや、わが家の奥さんがカレーに一服盛ったという訳ではなくて、たまたまこのくそ暑い季節にカレーはさすがに気分じゃないというだけのお話しでした。えぇ、お腹の方も吐き気も今の処はありません。幸いな事に、僕の場合は「生命保険」も必要最小限のものしか入っていないので、奥さんも諦めたのかもしれません。 もっとも総額1億円ぐらいになればさすがにグラッとくるような気はしますが。でも、1億円でもサマージャンボの1等/前後賞よりも少ないのか・・・効率から言ったら、やっぱり宝くじ買うよりも毒入カレー作った方がうんと手っ取り早いかも。 がはははh、ネタが冗談になってないから怖いって。 学校給食のメニューとしてもくり返し登場するもののひとつであり、ある意味、日本の家庭を象徴するメニューである「カレーライス」に毒物を混入することには、犯人が考えた以上のインパクトがあったようです。だからこそ。人はいっそう深い関心を寄せることになるようです。その居心地の悪さは・・・あの須磨の学校の正門の上におかれた「彼の狂気の象徴」と、何処かしら似かよった部分があるような気がします。 どうやら、やっと鍋つかみは完成した模様です。最初に作ったものはサイズを間違えて赤ん坊にしか使えない程小さかったので、2度目のやり直しを経て、ようやく完成したようです。
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台風はもう通り過ぎたの? それともこれから? そんな時は天気予報でも見ればいいんでしょうが、別に天気によって予定を変えるわけでもない場合には、天気の「予報」なんてものには大した意味はないのかも。どうやら僕にとっては「天気予報」は誕生日やら血液型で人間を判断する「占い」とたいした違いはないようです。スパコンで地球気象のシュミレーションなどと大きな事を言っても、未だに梅雨明け宣言ひとつ出すのにあたふたしてるようでは気象庁も新宿の母も似たようなものかも。 なに気象庁にイチャモン付けてるかと言えば、ようはこれからお出かけするというだけのお話し。えぇ、単なる「予定日記」のネタだった模様です。 あぁ、これで本日の日記はオシマイ・・・
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明け方、ふと目覚める。 外は未だに薄暗いままで、ゆうべから降りしきる雨は一向にやむ気配すらなく、ひさしを伝い落ちる雨垂れの音が、こんな明け方の時間にはひどく大きく響いていた。 「・・・眠れないの?」 「あ、おこした? ごめん」 夢を見ながら泣いていて、そんな自分があまりに可哀想になって目が覚めてしまったと彼女が言い、「どんな夢だった?」とわたしが訊くと、「なにも覚えていない」と答える・・・ここの処、同じような事が何度もあったような気がする。 「ず〜っとここにいるの」 なぜそんな事を言うのかと尋ねることの出来ぬまま、わたしは彼女のパジャマのボタンをひとつずつ外す。
「いや」と言い「もっと」とせがみ、「やめて」と拒絶する彼女が、そうしながら泣いていることに気付いたのは、何度目かの絶頂の後の事だった。 ワタシ ハ シッテイルガ ユエニ ワタシ ハ オマエ ノ ナミダ ヲ ヒタスラ オソレルノダ まるでおなじなのだ・・・記憶の中でわたしが抱きしめ、わたしが殺し、わたしが森の奧に埋めた女と、いま私の下で淫らにうごめきながら声をたてずに泣く女の身体や顔つきばかりではなく、わたしの耳元で囁くそのかすれた声や枕を顔に埋めるようにして堪えようとするその様子が、すべてにおいて生写しなのだ。なぜ今ごろになってそんなことを思い出したのか? 或は、わたしは本当にその事を忘れていたのか? 今度の彼女を埋めるための森が何処にもないことに気付いたわたしは、そのまま、いつまでも途方に暮れていた 過去の記憶が少しずつ現実に重なるような予感がするとき、その結末を恐れるのはまさしくわたし自身がその過去の記憶からいつまでも逃れることが出来ないことの証明なのでしょう。改変することの出来ぬ過去によって身動きがとれぬことの言訳は、やはりこんなカタチでしか伝える事は不可能なようです。
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ネットワークカードを差込んで、さてこの後どうするのか・・・そこの処がぜんぜん判りません。 ユーザーズマニュアル読んだって、そもそも「MS-DOS NIDSドライバ」だの「Windows NT 3.1用 NIDSドライバ」などと、なんの説明もないままにずらずら書かれても、生れついてのMAC党の人間にはなにがなにやらさっぱりです。そもそもOS自体も見るからにバカっぽいけど、それに輪をかけてマニュアルやヘルプが不備だからますます頭が悪く見えるんですが・・・ほんと、「Windows95」って細かなところがとにかく使いづらいことを改めて実感しました。ウィンドウが重なって、そんな下になったウィンドウをついクリックしてしまうんですが、MACのようにはアクティブにならないから、いちいち見えるところにまでズルズル引きずってこなければいけないのがまずヤダ。きっとクリックするとウィンドウをアクティブにするユーティリティなんてものはあるんでしょうが、そんなの最初から用意して欲しいよなぁ。あと、ソフトウェアキーボードも無いのにはびっくり。あれじゃ、キーボード壊れたら何もできなくなると思うけど・・・ひょっとすると何処かにそんなのはあるのかぁ。 S明朝とかMSゴシックって、とにかくバランスのわるい文字ばっかり。まるで素人がデザインしたような文字の寄せ集めでいい加減読みづらいけど、誰も何も文句はないのかなぁ? わはははh、Windowsの悪口書かせたら幾らでも出てきそうです。別にマイクロソフトにはなんの恨みもないんですけどね。とにかく触ってるとイライラしてくるというのは、MACしか知らない人間のたわごとだけではないことは確かめられたのかも。う〜ん、やっぱり「iMac」がよいなぁ・・・ さすが天才LIONさん。電話で事細かに解説していただいて、どうもありがとうございました。一人だったら当分ダメだったでしょう。
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