9月1日(Tue) 過ぎゆく季節を実感するには まさにうってつけのような そんな空の色だった。 数日来降りつづいた雨に洗い流された緑は そんな時 わたしの腕の中に 夏の日の乾ききったわたしのココロに やがて来る秋の日の予感に なにを?と問われても知らず 何処へ?と危ぶまれても答えず ただひたすらに「あなた」を求めるだけでよいのだと いま此処に居ない「あなた」と、しかし同じ季節を生きていることを感じる。
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恐らくわが家から5キロと離れていない米軍の「横田基地」には旧ソ連時代からの大陸間弾道ミサイルの照準が何十発となく向けられているはずで、些細なきっかけからそうしたミサイルの発射ボタンが押された場合、数分から数十分で到達するであろうメガトン級の核弾頭によって、間違いなくこのあたりは一瞬のうちに蒸発している筈です。 もともと生きることにそれほど執着するつもりもない人間にとっては、正に青天の霹靂で空から降ってくる「死」には、なんとなく納得できるものがあるような気がします。必死に生きたいと願ってもある日突然病魔に冒されることもあるだろうし、高速道路の側壁に時速100キロでたたきつけられて鋼材とプラスチックに全身を刺し貫かれて死ぬこともあるでしょう。それに比べれば、子供達や妻、隣人やまったくのあかの他人を含めて、ひとつの町ひとつの地域そのものが高熱で焼かれて真っ白な灰になるイメージというのは、僕にとってはなかなか魅力的な「死」に思えます。 いずれにしても、自分が死なねばならぬ存在だと知らされることは納得しがたい事ではあるのでしょうが、その理不尽さがここまで明確なカタチで僕たちの頭上から降ってくると知らされた時、沸々と湧いてくる怒りや恐怖はとりわけ人間的な感情そのものに思えるのです。少しずつ絶望し、徐々に「死」を死んでいくのではないことは、むしろ僕にとっては望ましい結末に思えて仕方がないのです。爆心地から遠くはなれ、あるいは地下シェルターの中で辛うじて生延びたからといって、別に「死」から永遠に逃れられたわけではない以上、遅かれ早かれやってくるものに怯えるよりも、無意味な死を一瞬に実感したまま全てが無に帰するのだとするなら、それななんと単純であからさまな「死」のありようなのかと・・・本音を言えば、むしろそんな最後を望んでいたりするのかも知れません。 政治にも経済にもなんの興味もない人間には、大陸間弾道ミサイルによる第三次世界大戦も小惑星の激突による災害も、所詮は自分一人の「死」としてしか実感できないようです。
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何故か昼イチャ0.5ヶ。きゃー。<なに報告してるんだか。しかも「0.5ヶ」ってなんなんだよぉ〜。 えぇ、夜にでも残りの0.5ヶを是非、奥さん。<私信?なのか。わが家の奥さん読んでません。読まれてたら大変です。 がはははh、最近ほんと壊れ加減だよなぁ。タッパッケンの白木くんじゃあるまいし、どうしていちいち昼イチャの数を日記で報告しなければならないんでしょう。もうほとんど破れかぶれのように見えます。失うモノのなにもないオヤヂはまさに怖いものなし。 で、 子供達が新学期で学校に行くようになって、改めてわが家の静けさを実感します。まぁ、奥さんとの会話がないから、ついついそっち方面での会話にふけるのかも知れません。ボディランゲージ?・・・いやん、 己の私生活の暴露もいい加減にしないと・・・さりとて、隣の奥さんの私生活暴露するわけにも行かないからなぁ。
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問い合せがやっぱりくるなぁ・・・昨日の「0.5ヶ」に関して。えぇ、昨日は足して合計1.5ヶになりましたとさ。いやん、 がはははh、こんな事ばっかり書いてるわけにもいかんなぁ。狭い狭いインターネットの世界、誰がみているかなんてさっぱり判らないんですから。そういえば、取引先にもURL入の名刺、嬉しそうにいっぱいばらまいてるからなぁ。 まだ給食のはじまらない子供達の本日の昼食はお約束の「月見バーガー」でした。 あぁ、なんだか本日のネタは完全にBOWDO向けでしたねぇ。何れにしても私信まみれの日記なんで、別段大した違いはないのかも。どうせみんな「ウソ」なんだから。<どうもウソをやたらと強調するところがまず怪しいなぁ。本人には相当にうしろぐらいことがあるか、ついつい書きすぎる己自身の行動をあらかじめフォローしておこうという姑息な作戦なんでしょう。
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午後からずっと、わが家の近隣、恐らく半径10キロ以内にある靴屋さん全て廻ったかも。はぁ・・・疲れた。 なんでも子供達のピアノの発表会が近々あるらしくて、「その時に履かせる靴がな〜い」と奥さんが騒いでいるのだから、しかたなくお買物に。えぇ、ある意味覚悟はしていたんですが。 最初に行った店だったら脱力するなぁと、嫌な予感が頭をかすめたんですが・・・その嫌な予感は見事に的中でした。 はぁ・・・だるだるぽん。 結局買ったのはありふれた黒の革靴でした。こんなものなら遠目で見れば違いなんか誰にも判らないと思うんだけど、あくまでも「同じ」にこだわる奥さんにとっては、同じモノをふたつ買ういう事がとても大切な事なんでしょう。
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なぜか目覚めると、もうお昼・・・あぁ、モーニングコーヒーが1回抜けた。<って、そんな問題じゃないですわ、奥さん。 死んだように眠っていたというか、昏睡中だったのか、日頃の睡眠不足のツケをはらすようにまとめて眠ってしまいました。お陰で身体の節々が痛いかも。 起きてみると子供達が見当らないのでどこかに遊びにでも行ったのかと思っていると、なにやら3階の自分達の部屋でよからぬ事をしているらしい。子供部屋の様子なんてしばらく見たこともなかったので、なにをしているのかと3階に上がってみるとドアの前には 「ちゃんとノックして『いいよ。』とゆうこえがきこえたら入て下さい。ノックをしてもかってに入ないで下さい。ぜったいに『いいよ。』とゆうまでまってろ!わかったか?」 夜久正美・麻美より(原文まま。) う〜ん、メチャメチャ態度でかいとおもうけどなぁ・・・正美だろうな、こういうものを書くのは。一応ノックしてみると、どうやらカギまでかけているようです。慌ててドアの向うでバタバタしてる気配があるから「早く開けなさい。」ともう一度ノック。 部屋の中覗いて、久々にぶちっ! そんな訳で今日は午後から子供達はずっと自分達の部屋の大掃除でした。 グチグチと小うるさい小姑のようなところもあるので、子供達は父親に怒られると戦々恐々のようです。えぇ、いつもいつもいい加減な事ばっかりしてますが、これでも怒るとけっこう怖い父親でもあるんです。
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有名人の死亡ネタ(ネタじゃないって)ってのもけっこう好きでちょくちょく書くんですが、「黒澤明」に関してはそれほど感慨はないなぁ・・・小さい頃に見た「7人の侍」や「天国と地獄」は、これはもう紛れもない娯楽作で、映画館の暗闇の中で繰広げられる映画的快感にただただ耽っていれば良かったという記憶があります。 そう、「なんとかグランプリ受賞」・「世界のクロサワ」といった余計な惹句やセールスコピーではなくて、面白い映画だからあの頃の観客は映画館に足を運んでいた筈です。映画全盛の時代で娯楽に飢えていた観客達は、テレビコマーシャルに左右されることもなく、自分達の「面白い映画」を観たいという欲求にひたすら忠実だったようです。 いつの頃からかなぁ・・・なんとなく「クロサワ映画」というものは、かしこまって映画館で拝見しなければいけない「名画」になってしまって、僕自身はすっかり興味を失ってしまいました。まぁ、かわりにその頃熱中していた日本映画といえば怪獣映画の類だったんですが。 所詮、「どですかでん」と「ゴジラ・エビラ・モスラ・南海の大決闘」を同列に論じてどちらが面白かったと比べるのは無理がありすぎます。 僕の中では「黒澤明」よりも、「堀田善衛」の死亡記事の方に思うことは多いようです。別にこの小説家の大ファンだったという訳でもないのですが、また一人「戦後文学」を語る上で重要な作家が居なくなってしまったことに感慨深いものがあります。まぁ、単なる僕自身の感傷なんですが、「戦後文学」とひとくくりされるような作家によって、自分自身の考え方の基礎が造られたという想いがあって、そうした作家の名前には特別な実感があるようです。 作家には自己の作品というものが残るんですが、やはり同時代に生きていた実感を失ってしまうことはなんとなく寂しいような気がします。
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缶飲料だけではなく、紙パックからペットボトルまで、日本列島全体が毒入飲料に右往左往している有様は、ほとんど「集団ヒステリー」寸前のように見えます。 犯人像がひとりに集約されて「こいつが犯人かも? こいつこそ犯人だ! いや、こいつが犯人でなければならない!」という、いままでに何度も繰返されてきた犯人探しも、和歌山の事件がどうやらそうした展開になりそうだと、卑しいマスコミ側の思惑が動き始めた矢先に、もう収拾がつかない程に全国各地に「事件」は波及しているようです。 コンビニエンスストアの棚にたったひとつ、ちっぽけな飲物の缶を置いただけで日本中が震撼する・・・考えるまでもなく、僕たちはなんと危うい基盤の上に自分達の生活を築いていたのか。 冷蔵庫を開ければ冷たい飲物がいつもそこにあり、ふたを開けて一息に飲干せば、あとは空缶をゴミ箱に捨てれば良いだけ。先の見通しのまるでないままに石油資源を浪費して、ペットボトルにただの水を詰め込んで、値札をつけて商品とする。昼も夜も煌々とつく蛍光灯の青白いひかりの下で、コンビニエンスストアの棚には溢れるほどの食べ物と多種多様な商品が陳列され、時間が来ればそれらは無価値なものとして捨て去られる。 そこにたった1本のウーロン茶の缶・・・僕たちの社会の約束事はひとりの人間の悪意さえあれば根底から覆ってしまう、そんな脆弱な代物のようです。 誰も彼もが紙パックを子細に眺め、缶コーヒーを裏返して穴を塞いだ跡はないかと疑心暗鬼におちいる。 これは、やはり僕たちの「罪」なのでしょう。 アフリカの砂漠で泥水を掬って渇きをいやすしかない子供達にとって、赤痢におかされてとめどない下痢と共に死んでいくのも、毒入のウーロン茶を飲んで悶死するのも、所詮は大した違いはないはずです。渇けば飲み、飢えれば食べるだけのお話し。 毒入ウーロン茶を飲んで死んだ老人には責任を感じることはないのですが、アフリカやアジアの国でいま死につつある子供達には僕自身は明らかな責任があると感じています。僕がこうしてのうのうと生きていること自体が彼らの死に繋がるのだと知りながら、何ひとつその責任を果そうとはしないのですが・・・その事だけをひたすら実感するばかりです。
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年に1度だか2年に1度だかよく覚えてないけど、子供達の通っているヤマハの音楽教室では近くの市民ホールを借切って発表会があるらしい。エレクトーンとピアノのふたつの科に分かれて、エレクトーン科の方は夏休み中にすでに終ったようですが、ピアノ科はこれからだとか。2週に分けて1日3部構成でびっしり出場者の並んだ当日のパンフレット眺めるだけでもすでに父親は萎え萎えのようです。 子供達が出るのは午後1時からの2部と云うことでまだ救われてますが、1部の出場だったら朝の9時からへたくそなどこぞのガキのピアノ演奏をじっと聞いていなければならない処でした。それにしたって、およそ4時間あまり、退屈なピアノの発表会をじっと我慢して聴いていなくてはならないとは・・・子供達の出番が終ればさっさと帰れば良さそうな気がするんですが、なんでも最後に出場者全員で記念撮影するから、終りまでいなければならないんだとか。父親はそんな撮影なんてやらなくても良いでしょうにと思っているんですが、写真好きのわが家の奥さんがそんな機会をみすみす見逃す訳はありません。何せピアノの発表会の記念といってもそんなものしかないようです。ビデオカメラなんて、最近は持ち歩くことさえほとんどないからなぁ。 しかし、夕方5時近くまでどうやって時間潰すか・・・自分の子供にすら大して興味がないのに、見も知らぬビンボーくさいガキのピアノ演奏を聴かされてなにが嬉しいんだかさっぱりわからないしなぁ。なんだか「もののけ姫」ばっかりだし。 会場で寝るには落ちつかないし、いまからどうして時間を潰すかに悩んでます。最近はすっかり本を読むこともなくなったので、この際だから何冊か文庫本でも持っていって、車の中ででも読むことにしますか。それとも昼寝するか・・・だったら最初から家で寝ていても同じかも。でも奥さんにそんな事は言えません。はい、やっぱり狭苦しい会場の椅子で居眠りしながら最後まで時間潰すことになるんでしょう。確か去年もそうでしたから。 ちゃんと練習してるのかどうか。いまひとつ子供達のピアノの腕前は怪しい限りですが、まぁ、誰が期待してるわけでもないからイイや。
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最近朝がぜんぜん起きられません。なんでしょうねぇ・・・ちょっと前までは明け方の4時に寝ても5時に寝ても、たまには6時過ぎに寝ても(それはいくらなんでも遅すぎ)、不思議に8時前には目が覚めていたんですが、先日の日曜日に昼まで寝てしまってから、どうにも身体がそんなリズムに移行してしまったみたいで、朝がひたすら眠い訳です。子供達が学校に行く前に「いってきま〜す」などと叫んでいるのも知らず、奥さんが廊下で掃除機をガラガラ引きずっていてもなにも気づかず、うっかりすると朝の10時近くまで眠ってます。どうせ朝起きたからといって真面目に仕事する筈もないので同じといえば同じなんですが、一応社会人としてはそれなりの時間に起きてないとなぁ。 朝一番に仕事の納品があってもとうてい起きられないからと、夜中の4時や5時にデーターファイルを納品に出かけるのが、そもそも社会人の行動としてはかなり怪しいかも。 しかし、今時フロッピーに納るぐらいのデーターならメールで送りたいよなぁ。 仕事先のデーターファイルの受渡しは「アップル・リモート・アクセス」なんて・・・なぜかうちからは繋がらないから、結局はフロッピーディスクにコピーして車で届ける事なんて、インターネットの時代に完全に遅れてるよなぁ。 声が色っぽいF印刷Mac担当の「西本」さん、早く専用線にしてデーターのやりとりはメールでしましょう。 ついでに余計なやりとりもメールでしたりして・・・いやん、 読まれていないと思ってこんなこと書いてますが、ほんとは読んでたりしたらどうしましょう、F印刷Mac担当の「西本」さん・・・まぁ、所詮は日記のネタなんであまり気にしないように。
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竹井さんも昨日の日記にちょこっと書いていたようですが、なにやらうちの近所の製版屋さんでもウィルスにやられたらしくて、ハードディスクの初期化を余儀なくされたMacが続出だとか。なんでも多摩地区のDTP関係のデザイン事務所や出力センターなどが軒並みやられているようで、コンピューターウィルスのお話しなんて、自分とは無関係な別の世界でのお話しだと思っていたら、こんな田舎臭い処にまで進出してきたとは・・・まぁ、田舎だからこそそうした怪しいファイルに無警戒で、一気に蔓延してしまったのかも。 最近はお客さんの方からデーターで原稿もらうことも多くなりました。どこでどんな経過で作成されたものだかよく判らない、そんな怪しいファイルでも一応お客さんから渡されたものを使わざるを得ないから、やっぱりアンチウィルスソフトってのも入れておいた方が多少の気休めにはなるのかなぁ。最初の頃は結構気にしてたけど、近ごろではまるっきり無頓着でネットから怪しいファイル平気で落してきたりしてるから、そのうち本当に感染してしまうかも。ウィルスが作成できるような優秀なクラッカーはもうMacなんてコンピュータを相手にしてないからこれからはMac専用のウィルスは出てこないとかきかされていたんですが、新型は出ないにしても旧型ウィルスはいまだにウロウロしているのかも知れません。 ちかごろMacが不調なのはひょっとしてウィルスのせい? なんでもないときにフリーズしたり、起動してる途中でバクダンでたりで・・・う〜ん、マジで怪しそうだから今度ウィルスソフト買ってくるかなぁ。でも、そうしたソフトもMac用って、ちゃんとアップグレードしてないような気がするなぁ。ウィルスソフトもアンチウィルスソフトもどちらも古いままってのが、多分現在のMacというコンピュータを見ているプログラマの認識そのものなのかも。 そういえばソフトのアップグレード案内も、いつの間にかADOBEの製品ぐらいしか届かなくなってるなぁ。取扱を中止しましたとか、サポート会社が変ったとか、日本の代理店そのものが潰れましたなんて案内は良く届くんですが。
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いつもいつも、埒もない「予定日記」を読まされるのはウンザリでしょうが、そんなものを毎回書いてる人間の方がいっそうウンザリしてるんですから、この際だから我慢しましょう。どうせ手抜きのいつもの「予定日記」なんですから。がはははh、<もはや完全に開き直ってます。 つまらなければ読まなければ良い、所詮はそれが「Web日記」なんですが・・・でも、つまらないから書かないでおくという事の出来ない日記更新症患者は、仕方がないのでこんな日も「予定日記」書いて己の精神の安定を計るわけです。 そんな訳で、たぶん1日ネットから気配がないと思われます、ごめんなさい。と、不明な断りなども挟んだりして・・・本日もまたいい加減な日記がいっちょあがり、てなもんだ。<まねし
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ぽっかりと空いた この空隙は 果して 如何なるものか? 満たされてなお 実は 答を恐れ 「あなた」の真意の在処を想うあまり 答を知らぬままに 何が欠けているのかも知らぬままに 求めることしか知らぬ人間の 珍しく頭痛な1日。終日家族の為に費やす・・・と書くのはあまりに傲慢か?
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昨日のピアノの発表会の後遺症か、頭がまだ痛いようです。 朝の9時から夜の9時まで、あんな事をダラダラとやっているのかと思うと、いくら商売とは言えヤマハ音楽教室の先生達は大変だなぁと心底思えます。子供達だけではなくて、ぼけ気味のおばあちゃんのバイオリン独奏とかもあって、なんの因果でこんなモノを聞かされなければいけないのかと、ひたすら自問するばかりでした。いやはや・・・ 何れにしても音楽ホールの椅子はどうしてああも座面も背もたれも小さいんでしょう? もう少し大きくしないと椅子寝がしづらいし、それでも無理して寝ようとするから首がこってしょうがなかったです。一番後ろの席で椅子三つ並べて横になろうかとも考えましたが、さすがにそれは自粛しました。 昨日の日記をこんな処で書いてもしょうがないなぁ。 日記も手抜きモードで適当に書いてしまいましょう。ダラダラしてるうちに結局明日の休日はお仕事するハメに・・・なにやってんだか。
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9月15日の敬老の日は、僕のおばあちゃんのことについて書くのが恒例ですが・・・そんなの何時から恒例になったんだか。<それは今日から。 随分な「おばあちゃん子」だったせいで、子供の頃の思い出を書くとたいていおばあちゃんが登場するんですが、とにかく小学校ぐらいまでは毎週末になると祖母の家にひとりで泊りに行って日曜日に帰っていくというのが習慣でした。 大酒のみの亭主をその酒のせいで亡くして、30過ぎから女手一つで4人の子供を育ててきた祖母は、それはもう気の強い、狷介な処のある京女でした。誰にも心を許さず、ひとりで生きていくことを思い定めてピンと背筋を伸したまま年を重ねてきた祖母は、小柄だけどとても姿勢のきれいな老人でした。小さい頃の事故のせいで左の目が白濁していて、初めて会う人は思わずぎょっとするようですが、物心つく前から見慣れていた僕にはなんの違和感もありませんでした。 そうして苦労して育てた子供達さえも自分の生活の細部には決して寄せ付けずに一人暮しをしていたのですが、なぜか僕にだけは底抜けに甘くて、泊りに来る度に小遣いを渡し、僕がねだればなんでも買ってくれるという塩梅でした。言われるままに、小学生に一眼レフのカメラやらオープンリールのテープレコーダを買い与えるのはどう考えても甘やかしすぎなんでしょうが、自分自身を律する事の多い人だったので、きっとそうする事でなにかが満たされた気がしていたんだと思います。 母親からの「避難場所」としても唯一の存在でした。僕の母親が怒り狂うと父親や隣近所の人ではどうにも止められなくて、しかたなく近所に住む祖母が呼ばれるのですが、黙って母親の手から僕を引離して自分の家に連れて帰るのが常でした。もう少し大きくなると、僕は自分から祖母の家に逃出そうとするんですが、後から自転車に乗って追いかけてきた母親に交差点の真ん中でえりくび捕まれて・・・ 祖母の思いでを語るはずが、余計なことまで思い出してしまったようです。今日はあまりそうした記憶には立返りたくない心境かも。 一番最後に祖母に買ってもらったのは高校1年生の時の50ccのオートバイでした。もう少し長生きしていたら、きっと車をねだっていたと思います。
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