1月16日(Sat) そっか、昨日は「成人の日」だったんですね。 僕の20歳の頃って・・・肯定できるものなど何もない、怠惰でひたすら不毛な日常を送っていたせいで、市役所主催で開かれる祝典にも記念品のたぐいとも一切無縁でした。たぶん行方不明で捜索願が出ていたかも。あぁ、なにやってたんだか。 そんな訳ワカラン人生もそれなりで案外楽しかったからなぁ。 孤独をわけあうために、僕たちは苦痛と快楽を取違えていただけなのかも知れません。 などと、一瞬不明な感慨にふけってみたり。 というようなネタは今度ヒマな時にでも書くことにしないと。えぇ、さっきご飯食べたばっかりで、なんだか眠いんで「不明日記」書いてる雰囲気じゃないんです。 あぁ、またもや不明編に陥りそうです。 本日の夕食は去年の暮れに沖縄に住む奥さんのお姉さんから届いた「ポークランチョンミート」の缶詰のピカタ。要はポークのソーセージ(?)の缶詰なんですが、なぜか沖縄土産というと「ちんすこう」と一緒に必ずこれが登場します。なんだか米軍の携帯食料のような感じがするので、統治時代の遺産のひとつなのかも。沖縄のレストランというとボリュームがすごいのもそのあたりの影響だとか。
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あの震災で被害にあったわけでも身内を亡くしたわけでもない人間が、ことさらに今日という日について語ることのおこがましさを承知の上で、あの日見た風景から受けた「予感」の正体について考えてみることが今でもたまあります。どうしても考えずにはいられない「風景」だからのようです。 戦果に焼けた街並や折重なる死体など、お手軽なテレビの特番などでは春と秋にはこれでもかと繰返されてきた筈でした。破壊と死など、世紀末のこの時代には珍しくもないとそうみんなが思いこんでいたような気がします。 昨日となんら変ることのないあの日の朝、僕が何気なく点けたテレビのブラウン管から流れた映像が何故こうも執拗に思い出されるのか・・・「日常」が無惨に破壊された街の、その唐突さと徹底ぶりが、あまりにもその街に住んでいた人間達の匂いを放って、尚且つ瓦礫としてそこここに氾濫することに、何故か正視できないほどのものを感じたからのようです。 あの瓦礫の下には僕の母がいる、父がいる、娘がいる、妻がいる、僕自身が埋っていると、そう思えて仕方がなかったのです。地球にとってはほんの些細な地殻の変動、たった一本の活断層の数メートルのズレ・・・それがもたらした未曾有の惨状がテレビの向こう側に延々と広がり、あの瓦礫の下で今も生きながら炎に包まれている人間がいるというのに、ただそれを呆然と眺めている僕という存在。そこにはなんの理由もない・・・「生」も「死」も所詮は単なる偶然の結果にしかすぎないのだと、改めて思い知らされたような気がしたのです。あの街ではなく、僕の住む街が瓦礫と化していたとしても、それを眺める人々にとってはなんの違いもないのだと気づいた時、誰にとも知れぬ憤りと絶望の中で死んでいく僕自身のイメージがあの瓦礫と共に胸の奥深くに秘かにしまい込まれ、そこから抜け出せなくなってしまったのかも知れません。 数十年後か数百年後か、あの日がきっかけだったのだと皆が思い知る・・・1月17日とはまさにそんな日のような気がします。
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息づかいは確かに聞えるのに 木霊だけはかえってくるのに 人が日記に秘めた思いは様々なように 曖昧なコトバに魅了されるのは 或は 営々として築き上げたものが 「徒労」と知りつつ高みを目指す人間の営為が切ないのは、まさにそれが「徒労」であるが故というのは・・・果していかなるレトリックなのか。
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本日はやる気ナシです。 もっとも、過去にやる気満々という日があったかどうかについてはとっても怪しいので、何時だってやる気なんてこれっぱかしも無いんだと言えばそうなんですが・・・などと本人のやる気のなさを毎日強調するのもおかしな話しですが。 そんな事を言って日記の更新だけはやめようとしないのは、そこはそれ・・・病気なんですから本人にはいかんともしがたいんですってば。 子供達は当然のように朝早くに学校に出かけるし、日記巡りにハマって夜更しな父親はそれからノソノソ起き出してあとはずっと1階の事務所にいて、掃除や洗濯に忙しい奥さんとはほとんど話しする機会はないし、子供達も3時すぎに学校から帰ってきてもすぐに2階に上がって宿題するか友達の家に遊びに行くかで、父親のそばには寄りつきません。ひょっとすると1日の裡で家族が集る時間は夕食の時が唯一なのかも。それもうっかりテレビのマンガなんかを見ながらだと食事はまるで上の空だし、ましてや家族団らんなどと云った雰囲気は皆無なんですけど・・・一日中家の中にいて始終顔付き合わせてる筈なのに、奥さんや子供達とあまり会話が弾まない父親ってのはやっぱりどこか欠けるところがあるのかもしれません。奥さんも子供達もなんとなく僕の存在が煙たそうというか、あまり興味なさそうです。 まぁね、理解ある夫とか優しい父親を目指してる訳ではないので、一緒におしゃべりしてもらえなくても別に良いんですけどね。えぇ。ふん、 いま夜の8時すぎなんですけど、ふと気づくと外は雨のようです。濡れた路面を走るタイヤの音を久しぶりに聞いたような気がします。窓を開けて雨音をなんとなく聞いてみたりするのは、同じように夜空の気配を確かめる人の事がふと思い浮んだからなのかも・・・
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子供達は毎週水曜日の午後3時からは、例のビンボーくさいヤマハピアノ教室にレッスンにかよう日なんです。えぇ、ちっとも練習しないと奥さんに怒られながらも、未だに通ってます。正美はそれほどでもないんですが、麻美の方がどうでも続けたいとがんばってるようです。まぁ、肝心のレッスンの成果はぜんぜんなんで、あくまでもお遊びの一環のようです。ピアノ教室の連絡簿に「レッスンの時はちゃんとピアノ弾いてね」なんて書かれてるようでは、一体全体なにをしてるんだか・・・ そんな訳で水曜日は学校から帰るとすぐにピアノ教室でなにかと忙しい筈なんですが、今日はなんでも先生がインフルエンザでダウンだそうでレッスンはお休みだとか。 で、子供達は学校から帰ってくるなりあちこちから電話かかってきて、さっそく遊びに出かけたようです。また、例の 今日は暖かかったから向いの公園で遊んできたとかで、薄着でなんだか汗までかいて帰ってきました。そういえば、今日はまるで春のような陽気なんですけど、そんなつもりでいるとまた大雪でも降るのかも。 とは言え、もう1月も20日過ぎなんで今年はやっぱり暖冬なんでしょうか。いい歳して雪が嬉しいたちなんで、やっぱり冬は大雪が降る方が良いなぁ。雪降ろしで大変な雪国の事情はこの際知った事じゃないです。がはははh、 確か去年は成人式前に2度ほど雪が降ったんですが、降れば降ったで、やれ雪遊びで濡れて冷たいとか雪かきで疲れたなどと文句たらたらなんですけどね。
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今日は最近この日記によく登場する子供達の この「○○こちゃん」って、小学3年生ですでに体重42キロって、一体どんな体型なんだよお。母親もまるっきり同じ体型だからきっと体重100キロだなぁ。がはははh、なにかこの親子に恨みでもあるんでしょうか。 張切って「お誕生パーティに行ってきます」と出かけたんですが、夕方にはぶるぶる震えて「寒い寒い」と言いながら帰ってきました。上のおねえちゃん(これがまた 昨日だったら暖かだったんですが、今日みたいな日に外でお誕生会って・・・いったい何をしてたんだか。麻美はせっかく直った風邪がぶり返さなければ良いんですけど。 。
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確かにわが家の食生活って野菜類が少ないかも知れません。そもそも父親が偏食家のせいで自分の嫌いなものなどは見向きもしないから奥さんとしてはどうしても好きなものだけ並べるようになってしまうんでしょう。まぁ、子供達には「野菜も食べなきゃだめだよ」なんて偉そうにお説教しながら「麻美ちゃん、お父さんのキュウリ食べてくれる。正美はトマト食べるか?」なんて言ってるようでは説得力はないよなぁ。 父親に比べれば少しは野菜類も食べてるとは思うんですが、貧弱な体格の麻美を見ているとやっぱり栄養は足りてない気がします。正美も妙にお腹だけがぷっくりしてるんですが、これはジャンクな食べ物のせいで余計な脂肪がついてるだけなのかも。 マクドナルドのハンバーガーやポテトチップスなんて、どう見ても環境ホルモンに残留農薬やダイオキシンなどと言った、最近話題の食にまつわる懸案事項の塊りみたいな気がします。あんなものを3日にあげず食べていて「家族の健康」もないのかも。やっぱりモスバーガーなら少しはマシなんでしょうか?<そゆオチではだめだっつーの。 栄養価や味についてあれこれ言える人間というのは、人類全体から見ればまだまだ少ないのかも知れません。己の貧しさも知らぬままに飢えて死ぬ子供達が、今この瞬間にも無数に存在するような気がします。
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Web日記とは、つまりは「死んだら遺書」とのコンドウ☆シュウさんの至言に習って、今日は僕が死んだときについて書いてみますか。えぇ、そんなのもけっこう好きで、よく妄想します。 病院で死んだなら、そのまま自宅に戻すことなく死体はさっさと火葬するのがなにかと便利でしょう。わが家で死者を安置するとなるとどうしても2階に運び上げる必要があると思いますが、あいにくとわが家の階段は狭い上に途中で折れ曲っているのでストレッチャーのままでは絶対に上がらないでしょう。となると、当然誰かがおんぶでもしないといけません。降ろすときも棺桶から出して落語の「らくだ」よろしくと言う事になります。まぁ、僕自身は死んでしまっているので誰かと一緒にカンカンノウ踊ったって別にかまわないんですが、ちょっと近所迷惑かも。 あぁ、こんなネタだとついつい長くなりがちなので続きは明日にでも。 死者の灰から金・銀・プラチナを回収していると言うのは本当なんでしょうか? 廃棄処分の携帯電話からでもプリント基盤に使われた僅かな貴金属類を回収している時代ですから、きっとそんな専門業者もいるような気がします。死者の灰にも相場があったり大量の在庫で値崩れなんて事も、資本主義社会では当然あるんでしょうか。
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先に火葬してしまうんだから勿論葬式などもする必要はないでしょう。って、いきなりなんですが昨日のつづきから。 人の弱みにつけこむ葬儀屋のたぐいがまず気に入らないし、そもそも仏壇も位牌もないわが家に人が死んだからと云って訳のワカラン坊主がやってきて安っぽいお経をあげて、法外なお布施やら戒名料を請求するなんてどう考えても納得がいかないでしょう。 でも、いざという時のためにあまりやばいファイルは残しておかない方が良いような気がします。特にメールが危ないかも。ねぇ、皆さん。
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火葬も済んで遺骨もそこいらにこっそり撒きおわったら、それですべてはおしまいなんでしょう。などと、今日も引続いて同じ話題で。 インターネットの世界も、本人が死んでしまえば即ちHomePageの更新も終りで、別にそれでなんの不都合もなかった筈なんですが、電子の海で情報発信などといった甘言にそそのかされてWeb日記などを書いてみると、いろいろと面倒な事態も持上がってくるようです。日記やメールのやりとりだけに留まらず、オフミと称してネットで知合った方と現実に逢ったりすることでバーチャルな空間だった筈のWebの世界にどんどん現実が浸食してきて、そこもまた抜差しならぬ事態にあふれた極めて人間くさい場所となってしまうのは、この仮想の世界の意外なほどの生々しさのせいなのかも知れません。仮想と見えてうっかり気を許したが最後どこまでも囚われてしまうのは、まぁ一度経験された方ならば皆さん納得されるかも。 とは言え、半年もすれば誰もが消えてしまった人の存在など忘れてしまうのもインターネットなのかも。消えていくもの新たに登場するもの・・・そうした情報の膨大さに僕たち自身が耐えられなくなっているような気がします。
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先方の校正も3校までやっている癖に、結局自分達の確認がいい加減だったせいでチェック洩れがあったものを、こちらの「ミス」だからペナルティを払えなどと言われて、久しぶりにキレました。ケッ! なんのために校正してるんだか・・・自分達の校正洩れで見逃した数文字の間違いにかこつけてただ働きさせようだなんて、いくらなんでも貧乏くさすぎるでしょう。 この不景気な時代にその取引先がなくなるとかなりやばいんですが、こんな時はどうにも自分が押えられません。「今後の取り引きは一切結構ですからそのかわり値引きにも応じられません」と、どっちが下請けだか判らないような調子で言いたい放題でした。どうせなくなる仕事なら、最後ぐらいきちんと言っておかないと次ぎにやる人も同じ目に遭うのが目に見えてますから。 まったくなぁ・・・もう少しきちんとしたプロと一緒に仕事がしたいんですが、MACでお仕事なんてことを始めてからは素人の集団ばかりを相手でいい加減萎えてます。「校正」の意味さえよく判らない人間になに言っても通じる訳はないようです。 いい加減不機嫌な処に持ってきて、今度は別件でも脱力ネタが・・・こちらもほとほとサジを投げ加減かも。あぁ、日記など書いてる気分じゃないようです。
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2階の居間に上がってみると奥さんがいません。あれ? トイレにも洗面所にもいないようです。こんなちっぽけな家なんだから何処に隠れるところもないから後は3階の子供達の部屋かと思ってみてみると、あぁベランダにいました。 洗濯物でも取込んでるのかと声をかけようとして・・・がはははh、奥さんベランダでこっそり煙草すってます。 以前は二人ともかなりのヘビースモーカーで一緒になってプカプカやっていたんですが、たぶん15年ぐらいになると思いますが、ある日なんの気なしに「禁煙でもしてみるか」と二人でやめてから、それから僕はずっとすっていません。奥さんはどこぞでもらい煙草でもして煙草の味を思いだしたようです。たぶん忘年会とかカラオケで一緒の奥さん連中に勧められでもしたんでしょう。しかしねぇ、もういい加減大人なんだから隠れ煙草なんて・・・そんな中学生みたいなことしなくてもよさそうなものですが。なんとなく言えないのかな。 僕に見られているのに気づかなかったようだから、中学生の隠れ煙草見つけた父親の心境でこっそり後戻りしてなにも見なかったような顔をしておきました。 そうか・・・だから最近KISSを嫌がるのか、奥さん。わはははh、余計な事をまた書いてます。 一応奥さんの隠れ煙草は見ないふりするつもりなので、この日記読んでる人の中でわが家を訪問するようなことがあっても、「奥さん、ベランダでこっそり煙草すってるんですって」などとは訊いたりしないようにね。 えぇ、せっかく奥さんの弱み握ったんで、何かの時に逆襲の材料にするつもりなんですから。がはははh、<何かの時って? 案外可愛い処があるのかな、わが家の奥さん。うーん、永年連れ添ってきた人間として、とてもそんな風には思えないんですが・・・僕がすってないからなにかと言い出しにくいのかな。
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今日もお腹いっぱい。最近わが家の夕食メニューにやたらと「どんぶりもの」が登場する機会が多いような気がします。食事の準備も後かたづけもなにかと面倒がないからと言う理由なのかも知れませんが、えぇそんな事は言えません。 カツ丼に親子丼、中華丼にまぐろ丼と、メニューはいろいろとあるんですが、本日は久しぶりに「牛丼」でした。相変らずご飯の盛りが盛大で残さず食べるのに苦労してます。最初にご飯を少なくしてと言えば良さそうなものですが、2階から「ご飯だよ」と呼ばれたときにはすでにテーブルの上に乗っているので手遅れなんです。一度テーブルに並んだものは残さず食べるのがわが家代々のしきたりですから、後はズボンのベルト緩めながらもひたすら食べるだけです。とほほ。 お腹いっぱいで胃袋のほうに注意力が向けられているせいか、アタマが全然働きません。普段からぼんやりしているのにそんな事でだれてるので普段以上にやる気なし。 あぁ、お腹がいっぱいだから・・・だからどうしたと言いたいんでしょう?
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来客だったんですが、わが家にわざわざ足を運ぶような物好きは(きゃー。)それはもう・・・自ずと知れた日記関係者でした。 最近元気のないテロリンオヤヂを慰めようと、呼んでもいないのに(きゃー。うそうそ。)手土産持参でお見えになったようです。えぇ、そこのあなた、この「手土産持参」がポイントです。いただきものにめっぽう弱いわが家の奥さんがなにかと愛想が良いのも全てはそのせいです。わはははh、毎回気を使っていただいて恐縮です。こういう判りやすいのがなにかと好きな奥さんなので、実に効果的です。 なんて、来客の正体はバレバレです。 LIONさん・・・わが家のガキと目と目を見合わせて、嬉しそうにプリン食べないように。なんだかなぁ、オヤヂがさもおいしそうにプリン食べる姿って可愛いと言えば可愛いんですけど、そんな有様は見たくないのも正直な感想。
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囚われるからこそ、コトバ遊びはほどほどにしなければと思いながら、あてどない思いを伝えることに長けた道具はかくも僕たちを魅了するようです。 不明に陥らぬようにと・・・僕たちが伝えたいコトバは、つまりは「逢いたい」ただ一言なのかも知れません。 そのフレーズだけをえんえんと繰返すだけの、そんな唄がラジオから流れる。曲名もすなわち「逢いたい」 そうか・・・僕はただヒタスラに「逢いたい」のだと、いまさらのように気づいた。 ◆ コトバのないままに立ちすくむ ◆ 胸のあたりで小さくバイバイをする、 ◆ 私の腕のなかでいつまでも震えていた、 ◆ 私のココロを溶かすことに絶望する「あなた」に、 ◆ 言い残した想いだけがつのるような気がして、しきりとなにかを書こうとするのだが、物言わぬ想いを口にすることの困難にやはり今夜も囚われるだけなのかも知れません。
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しまったなぁ・・・こっちの日記までやる気のなさが伝染してしまったのかも知れません。それほど萎えてるわけでもないので「不明日記」でも書いてごまかそうかとも思ったんですが、2日続けてはあまりにもあんまりだから、仕方ない・・・「言訳日記」バージョンで更新しておくことにします。 えぇ、いくら日記更新症とはいえ、こんな僕でもたまには忙しいときだってあるんですから。もっとも、その忙しいと云う理由も仕事のせいなどではなくて、要するに不明すぎて書けないだけなんですけどね。 今日の空の青さに託した想いを知るのは、ただ「あなた」一人なのだと・・・改めてそう伝えたいのかも知れません。 不明な時に言訳するとますます訳わかりません。がはははh、 本日は「言訳日記」であると同時に「手抜き日記」でもあるようです。まぁ、言訳も手抜きもいつもの事と言えばそうなんですが。
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