2月16日(Tue) 今日から確定申告の受付かぁ・・・例年の事なんですが、去年1年間の伝票整理なんて1ミリもやってません。毎年ギリギリにならないと手をつけないのは仕事と同じで締切の声を聞いて初めてやる気になるという因果な性分のせいなんです。領収書やレシート類はひとまとめにしてあるだけで、まずあれを月ごとに仕分けるところから始めないと。最初からきちんと仕訳してこまめに記帳もしておけば慌てることもないんでしょうが、そんな面倒くさい事が出来るぐらいならフリーなんてやってません。 がはははh、一応これでも「個人事業主」なんでホントはきちんとしないといけないんでしょうね。会計ソフトも結局は使いこなせないままで、仕方がないので簡単な奥さま家計簿ソフトで記帳してます。要は入ってきた金額と出て入った金額さえきちんと判れば良いんだろうという、まさに小遣い帳感覚でやってるだけなんです。 子供達に小遣い100円ぐらい渡して、まずはレシートの整理でもやらせましょうか。家族総出で確定申告・・・実にもうビンボーくさい響きがします。 と言いつつ、実はまだ何もやってないんですけどね。本格的に始めるのはきっと3月になってからなんでしょう。いずれにしても去年はきっと赤字でしょう。
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案の定、伝票整理なんてものは1ミリもやってません。仕事ですらギリギリにならないと手を付けない人間なんですから、そんな一文にもならない、と言うか税金を支払うための計算なんてものに真面目になれるわけがありません。もっとも去年は税金を払うほど仕事をしてなかったような気がするので、伝票整理もそれほど多くはないかも。それも寂しいなぁ。 いずれにしてもひたすら面倒なだけなんですが・・・こんなネタで毎日更新してるとさすがにイヤになってきます。書いてる人間ですらそうですから、読んでる人なんて更にウンザリするんでしょう。PTAネタも不調というか、 先生も相変らず面白味がなくてひたすらネクラな感じだし、不倫相手になりそうなきれいな奥さんも少ないからなぁ。がはははh、ウソですってば。 もう少し楽しいお話しはないのかと、改めて一日をふりかえってみても結局なにもなし。日記がマンネリというより人生そのものがマンネリだから一層やる気が失せるんですが、だからと言ってこんなマンネリ生活から抜けだしたいのかと訊かれるとなんとなくムニャムニャと言葉を濁すところがただの怠惰とは違っているようです。 3年もこんなことウダウダと書いてればいい加減だれます。てゆーか、やっぱり人生にだれてるのかも。
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今日は正美とクラスが同じな そう言えば、3年生位がビデオ撮影などをしなくなる年齢のようです。昔はなにかイベントある度にビデオまわしたり写真撮ったりしていたものですが、今年の正月はビデオもカメラもぜんぜん手にしませんでした。正月のビンボー旅行もビデオカメラを持ち歩くのが面倒だからと最初から荷物の中に入れないし、カメラも電池切れだったのを交換するのが面倒くさいと、結局スナップショットひとつ撮りませんでした。まぁ、別に何かの証明の為にビデオや写真があるわけでもないんですが、何かカタチあるものに家族の一瞬が記録されることで安心する事が出来るのかもしれません・・・てゆーか、やっぱり家族に飽きてるだけなんでしょうね。毎日顔合せてれば誰だって飽きてきます。 ホントのところは家族に見放されてるオヤヂがひとり居るだけなんですが。 プレゼントは相変らず近所の文房具屋であれこれ見繕ったサインペンやノートの類で、誰のお誕生会でもみんな同じなのはかなり手抜きな気もしますが、何にしようかと悩む必要がないので便利と言えば便利かも。特に何かを選ぶ事の苦手な麻美もサインペンやノートならそうそう迷うこともないようです。と言いながら、小さな文房具屋で1時間以上もかけて選ぶんですけどね。
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今、時間は19日になったばかり・・・で、もう日記書いてます。がはははh、なんだか「予定日記」書くのも久しぶりのような気がします。 出かける前に「日記」だけ書いておくってのもいい加減バカバカしい習慣だと思うし、そんな事したって誰が喜ぶわけでもないんですが、主に本人の強迫神経症的動機だけで書いてます。もっとも、最近はそっちよりも面倒くさい方が先に立っているようで、つまりは病気が治りつつあると云う事なんでしょうか? 際限もなく手を洗わないと落着かなかったり、戸締りが気になって途中から引返す人のように、日記を書いておかないと外出中落着かなくて、PC見るとついつい日記が書きたくなるという症状は確かに最近は軽減してるかも。 と言いつつこんな日記書いてるんですから、何も変ってはいないようです。やれやれ。 という訳で、幕張まで遠路はるばるお出かけなんです。いまさらマックワールドエキスポなんてそれほど興味ないんですけど、どうせ仕事もなくて暇だから・・・確定申告はどうするんでしょうねぇ。
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PTAの餅つきは行くことは行ったんですよ。秀島先生から何度も「待ってます」なんてメールが届くから仕方なく・・・でも、僕に力仕事期待するのは無謀だとおもうけどなぁ。あくまでも仕事してるフリが得意な人間なんで、引越しとか部屋の模様替えなんて事になると口先ばかりで結局は仕事をしないいい加減なオヤヂなんです。ましてや去年で懲りてるから餅つきなど金輪際やるまいと固くココロに誓っているから、そんなお話しには最初から及び腰です。 昨夜の帰宅が遅かったせいもあって起きたのは9時半すぎ。ちょこっとネット巡りしてから(やっぱり)、10時過ぎに遅刻して学校まで。しかし、面倒だなぁ。 校庭の向うでビンボーくさい集団が何かやってます。あぁ、とっても怖いPTA会長にめざとく見つけられてしまいました。この方、僕は苦手なんです。エプロン姿でいかにも頑張ってる風情が疎ましいというか・・・その、誰にでも見せる作り笑顔の下にあるものの正体が僕はなんだか怖いんです。子供のしつけがやたらと厳しい方なのも、ちょっと僕などは引いてしまう原因なんです。まぁ、我家のガキのしつけがなってないことを棚に上げてのイチャモンなんですけどね。 お父さん達の姿もパラパラと5・6人は見えるので、この後も僕が居なくても大丈夫でしょう。って、僕は最初から何もする気はないんですけどね。がはははh 寝不足なんですってば、秀島先生。早く帰らない己がみんな悪いんですけどね。すいません、いい加減な役員で。一応「餅ついてるフリ」だけはしてきましたんで、どうかひとつ。
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実はそのまま捨ててしまったメールがあります ◆ 「逢いに行きます、」と告げてから 何時とも何処とも決めかねてひたすら逡巡する夜もありました ◆ 「離したくない、」と抱きしめても やがてはわたしの腕の中からすり抜けていく事を知っていました ◆ 「マボロシなのだ、」と知りつつ そのマボロシに酔うことが、つまりは現実 眠れぬ夜と報われぬ昼のくり返しで過ぎてゆく怠惰な一日に何かしらの意味を求めても、全ては詮ない仕儀でしかないようです。
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しかし・・・一体全体、「わたしが死ぬ」ということがなにを意味するのかが未だによく判りません。 たった今までわたしがわたしであることになんの疑いももたず、わたしが触れるているものがすなわちそこに存在しているのだと信じて疑わなかった筈だった。 つまり世界はわたしとともにしか存在せず、わたしが居ないこの世界はすでになんの意味もないのだ。 そこから向こうにはなにもないのだと知れば、こちら側に在るものもやはり虚無なのか?
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今日もお出かけでなにかとせわしないと言うのにこんな日記書いてます。それもダブルヘッダーだからなぁ・・・ 仕事がこんなに忙しければ奥さんの機嫌をそこねることもないんですが、不明なお出かけでは言訳にも困ります。もっとも、最近は奥さんに「出かけるよ」と声かけても、何処へとか、誰と逢うの、なんてことも一切訊かれません。ただ無言。きゃー。その方がよっぽど怖いって、奥さん。 しかし、渋谷の街で朝までって、皆さん明日はお仕事じゃないんですか? ヒマ人のモラトリアムな人は良いにしても立派な社会人もいる筈なんですけれどねぇ。朝帰りのまま会社に向うのかなぁ。さすがに不明なメンバーだけの事はあります。ウォッカ1本空ける人が出たりしたら僕はさっさと逃げますけどね。わはははh、 こんなこと書いてる暇ないんでした。えぇ忙しいです。
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昨日はせっかく予定日記まで書いておいたのに、結局夜中にこつこつと仕事してました。なんだかなぁ。 途中で目が疲れてきて、そのせいか頭まで痛くなってきたので、お仕事を朝までに仕上げるのは諦めて一旦寝たのが4時ぐらいかなぁ。あぁ、パジャマに着替えるのも歯みがきするのも忘れてました。久しぶりにグッタリ。 最近は8時には目が覚めるんですが、そのままウダウダと布団の中で1時間ほど。朝イチャはしてません。<余計なこと書かんでえぇ! そろそろ起きようかなぁなどと朝のワイドショーを眺めながら、うつらうつら・・・満員電車に揺られる「通勤」がないのが自宅でお仕事の良いところです。そうしたいい加減な日常を送れるのがなにより。その分、保証もボーナスもありませんが、怠惰な人間にはなにものにも代え難い利点でしょうか。要はだらけてるだけで、こんないい加減なフリーランスはそのうちきっとバチがあたるような気がします。 でもしょうがない・・・昨夜の仕事が残ったままなので珍しく早起きしてお仕事の続きなどを。 で、相変らず納品はフロッピーで。あぁ面倒くせー。せいぜい500Kbほどのillustratorのファイルをなんでいちいち車で届けなければいけないのかなぁ。こんな事やっていて生残っていけるんでしょうか、あの印刷会社は。きっと今年あたり危ないかも。がはははh、<そんな事言ってる自分自身が一番やばそうです。 昼からはぼーっとしたまま。申告もそろそろ取りかからないとなぁ。何時やるんでしょう。
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お仕事つまってます。木曜日は例のくそったれ「●●マート」のチラシのお仕事が入ってるんです。それも両面・・・原稿は夕方になってようやくFAX届いたんですが、一体全体僕にどうしろって言うのかなぁ。今晩中に印刷なんて絶対に無理なんですけど。誰がこの仕事やるんでしょう? 少なくとも僕ではないような気がしてきました。やれやれ、 いまの時点で僕が投げたらエライ事になるから結局やるしかないんでしょうねぇ。まったくなぁ、状況はどんどん悪くなっていくばかりというのがやるせなさ過ぎます。もう愚痴るのにも飽き飽きしてきました。なに言ったって通じないんですから始末に悪いようです。しかしなぁ、どいつもこいつもアタマ悪すぎ。無駄なことばかりやって仕事してるフリしてれば給料もらえるサラリーマンってのは心底おめでたいよなぁ。仕事の中身なんてものにはなんの興味もなくて、上司なり客先から言われた通りにおうむ返ししていればそれで1日が過ぎていくんですから本当にラクチンです。ケッ! なんて「やつあたり日記」を書いてる場合でもないんですが、いまさら焦っても仕方がない・・・成行き任せでやるしかないでしょう。みんながそんな風なんですから、ひとりでヤキモキしていても始らないようです。今晩中に出来るか出来ないかなんて、僕はしらん。 相変らずと書くのもうんざりするぐらい。まぁ、こうやって僕自身もいい加減な仕事っぷりに馴れていくんでしょう。そんな感じでやるしか方法はなさそうです。或はみんな投出すとか。
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子供達がなにか言いたそうな顔で父親をちらちら見てるんですが・・・そうか、節分が終れば次は桃の節句か。 毎年毎年この時期は正月からなんとなく季節がらみの行事が目白押しといった感じなんですが、なかでも「ひなまつり」はとりわけ面倒くさい代物です。出したり仕舞ったりが面倒だし、やれティッシュでお人形の顔を包んでおけだの小物はひとまとめにしてビニール袋にいれておくだの、三人官女の持つ杯がなくなってるだの・・・セッティングも片づけもなにかと大変です。今年はもういいだろうと思いながら毎年仕方なく並べているんですが、正直なことを言えばそろそろオシマイにしたいところです。考えてみれば初節句の時からですから今年で10回目か。あちこちくたびれてきて細かなパーツの幾つかはなくなっているし、そろそろ粗大ゴミに近づいているような気がします。 子供達も大きくなったから「自分達で飾付けする?」と訊いてみると「する、する!」と言うので僕は飾り棚の組立てだけを手伝っただけで、後は配置を確かめ小道具をそれぞれ持たせて子供達二人だけで並べました。あぁ、これなら面倒はないな。後かたづけも自分達で出来るでしょう。 しかし、バッタもんの七段飾りとはいえやたらとスペースばかりとって部屋が余計に狭くなってます。僕の座る食卓のすぐ後ろにそんなものが有るから、食事の度に背中が当ってなにかがしょっちゅう落ちてます。その度に麻美が拾っては丁寧に並べなおしてるのもなんだかビンボーくさいなぁ。そもそも板敷の部屋におひな様はぜんぜん似合わないです。どうせならテレビの上にでも置ける小さいものを買っておくんでした。こんなもの粗大ゴミとして捨てるのも大変だなぁ。 タイミングがずれる時はえてしてそうしたものです。仕方がないと諦めるのはどうにも納得がいかない気分なんですが・・・などと、たまには不明な私信など。
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一体、この世に於ける「救い」ってなんでしょうね? 安穏な生活? 充実した人間関係? 崇高な目的に向って雄々しく立ち向うこと? 宗教的法悦? 何れにしても100年も生きればすべては雲散無性してしまう類の儚い代物でしかないことが、僕にはどうも「救い」というものに胡散臭さを感じる由縁でもあります。「現世利益」というあからさまな言葉に気恥ずかしさを覚えることもない、その無自覚さもまた疎ましい限りなのですが。 きっと「個人的な生」の充実の謂いなんでしょうが、どれもこれも結末は判りきっているだけに、それならば人間など最初から生れてこなければこの世でかくも愚かしくそれぞれがそれぞれの懊悩に思い惑うこともなかったでしょうに。 それを称して「輪廻からの離脱」と言うなら、きっと土くれや石ころとして生れれば全くの平安と安寧を得ることが出来たのかも知れません。日に晒され雨に打たれて石ころはやがて風化し、「転がる石」であることすらやめて、一陣の風に乗って虚空に飛散する無数の砂粒となり、やがてはいずことも知れぬ場所に降りつもって本当の意味での塵芥(ちりあくた)に姿を変える・・・その時、世界はすでに廃虚と化しているのだが、無論わたしにはその事を確かめる術も意思も持ち合せてはいない。 つまりはそれがわたしにとっての「救い」なのか? 無論、人間は死ねば全ては塵芥(ちりあくた)となるのでしょう。輪廻する魂など存在しないのだと知っているくせに、それを認めてしまうことを躊躇するのもまた人間の愚かしさの証明のような気がします。
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「あなた」が寝たあと、わたしはモニターの前でひとつの就眠儀式を始める。 それは孤独な世界の、孤独なひとり言。そう・・・孤独であることは意外なほど心地よい。「あなた」が眠っていることを知っていれば。 ◆ かつて、一人の少女がいた。僕にとって、すべてと思える瞬間があった。毎日手紙を書いた。ただし、最後に自分の名前を入れるのが恐くて出したことはなかった。 実際に出す事のなかった手紙は、毎日僕のかばんの中でその数を増やしていた。いま手元にあれば、読み返したい。記憶の中のコトバの切実さをもう一度僕自身の裡に取戻してみたいと、ひたすらそう思うからなのだが・・・その事の不可能さを知るのもまた、こうした深夜故なのでしょうか。 ◆ 遠くにある記憶を手繰り寄せる作業には深夜という時間は絶好なのでしょう。ただし、あまりに切実でいささか厄介な記憶まで甦るので取扱には注意が必要なようです。
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