デーテーペーな1日

1999.04.01~15


日記関係の発言はこちらで。

4月1日(Thu)


 「全身小説家」の中の井上光晴については色々と書きたいことがあるんですけど、別に作家と虚構についてとか、フィクションの方法論などといった文学論が書きたいわけではなくて、要は虚言癖のある少年の成長の記録が身につまされているだけのお話しなんです。
 さらに言えば、身勝手な己の振舞いを言葉で取繕うその姑息なやり方に内心忸怩たるものがあるようです。井上光晴というのは作家としての誠実さを自他共に求める事の多かった人だと思うのですが、男としてはとてもズルイ人間だったようです。懊悩と矛盾の中で生きようとしたからこそ「虚構」は彼にとって必要だったのかも知れません。

 なんとなく4月1日に相応しい話題のような気もしますが、「虚構」と「嘘」とはやっぱり似ているようでまるで違うものなんでしょう。「嘘」はあくまでも現実を矮小化しただけのものであり、「虚構」は往々にして現実をも凌駕するリアリティを産みだすことがあり得るから。
 但し、僕たちの周りに広がるこの世紀末の現実は「虚構」となんら変ることのない代物のような気はしているのですが。

 「虚構」と「妄想」とは違うんでしょうか。僕の裡では両者は分ちがたく結びついているような気がします。「妄想」が「虚構」を産み、「虚構」が「妄想」を規定する・・・僕の日常を綴ったというこの日記は果して「妄想」なのか「虚構」なのか。



4月2日(Fri)

記憶と言うものは厄介なものだ

 全ての事象を記憶するなどという事がおよそ不可能なのは
わたし達の脳細胞の問題ではなくて
むしろココロがその事を拒むからのような気がします

いつまでも過去の記憶が甦るとすれば
わたし達は永遠にそうしたの記憶に立返って
決して「今」という時間の中で暮すことは
出来ないのでしょう

記憶の上に記憶を重ね
日々浪費する時間の中で生きることで
わたしは辛うじて
自分自身のバランスを取ろうとしているのかも知れません

過去と未来のはざまに立って
常にどちらかに傾きながら
結局は今いる場所にひとりたたずむ事しかできないようです

冬の日の記憶を春になって思い知らされるというのも
切ない限りですが
そうすることでさらに甦る記憶の欠片に呻吟するのは
それがまぎれもないわたしの記憶でもあるからなのです

 眠ろうとしてなぜか寝付かれず、しかし睡魔には囚われている・・・そうすることの意味の掴めぬままに、ただ単に眠ることを恐れているのかのようです。



4月3日(Sat)

 お疲れ気味という訳ではありません。季節のせいというのも違うような気がします。例によって、萎えたりいちびったりで感情の起伏が大きいだけで、まぁそんな時期もあると言う、何時もの事なんでしょう。
 その癖本日はお出かけのようで、相変らずこんな訳ワカラン「予定日記」を書いてる始末ですが、いっそのこと誰も覚えていないだろうから3年前の日記をコピー&ペーストしておけばそれで良かったかも。なんなら日記は3年で一巡ぐらいにしておけばなにかと便利かも。
 どうせここに書かれている事なんてなにが本当だかどれが嘘なのか、本人にすらよく判ってないような気がします。日常記録としての意味を失ってる「日記」などどう見ても怪しすぎるし、要はそんな不確かなものをアリバイにした己の妄想を正当可するためだけの装置なんでしょう。

 などと、ますます意味不明に陥ってしまいそうなので本日の「予定日記」は唐突にオシマイ。

 いったい誰に向って書いてるんでしょうか。誰かを念頭に置いている訳ではないんですが、だからと言って、あてもなく書いているつもりもありません・・・相変らず姑息な物言いです。



4月4日(Sun)

 昼まで寝ていても・・・やっぱり睡眠不足というのもどうかと思うけど。今日も1日、ただなんとなく時間が過ぎていっただけなんでしょう。今頃になって己の人生に特別な目標がある訳でもなし、だらだらと生きていくしかないのだから、怠惰な日常を嘆いてばかりでも始らないようです。というか、別に嘆いているつもりはないんですけどね。今の世の中、ただなんとなくで生きていければそれはそれでシアワセな人生と言って間違いないのかも知れませんから。

 あまりにヒマなので午後からは向いの公園にひとりでお散歩など。広い公園の真ん中にあるコンクリート製の東屋を中心にして植えられた桜の木が、少し肌寒い陽気の中で花の色にけぶっている・・・見上げれば桜はそろそろ満開のようです。桜の木の下には青いビニールシートに陣取った人達が何組も。2・3年前にはこんな光景はあまりなかった筈ですが、今年はやけに多くて上野公園のように場所取りしてる人達すらいるようです。そう言えばわが家の花見もまだでした。子供達の春休みもそろそろ終るようですから、明日あたりここでビニールシート広げてお花見するのもいいかも知れません。なにせ向いの公園ですから、これ以上は有りえないほどにお手軽です。料理はコンビニででも調達すれば、まさしくわが家に相応しいビンボーくさい「お花見」になりそうです。要は、公園でお弁当食べるだけなんですが。

 こんな公園でお花見なんて、みんな近所の住民なんでしょう。ご近所同士何組かの家族やグループが集って花の下で日なが一日過すのが、本当の意味でのお花見のような気がします。



4月5日(Mon)

 誰もいないとそんな気分にもなれなくて、結局向いの公園でお花見はしませんでした。ただし、桜の花は今がちょうど満開のようだったので子供達と一緒にブラブラと公園を一周して、ついでにこの間新装開店したばかりのケーキ屋に寄ってチーズケーキやら苺のショートケーキなどを買込んで3時のおやつに。
 いわゆる「花冷え」と言った陽気で、昨日の賑わいと比べると満開の桜もなんとなく寒々として見えるようで、やはり桜は人混みと一緒に眺めるべきものであるのかもしれません。誰もいない山奥でこっそりと咲きほこるソメイヨシノの森というものを想像すれば、その物狂おしい様にこころ惹かれるものはありますが、ひとのいない公園でただ訳もなく咲く桜の樹もまた、寂しい風情があってなかなか良いものです。桜の花びら越しに見上げた空の色はどこか空虚で、いつも薄曇りのような気がします。

 夕方からベッドで眠りこんで、さっき目が覚めたばかり。今日もまたとりとめのない1日でした。

 少し頭が痛いのはおかしな時間に熟睡したせいかもしれません。はぁ、なんだかだるだる。



4月6日(Tue)

 今日から子供達は新学期。入学式はついこの間の事だったような気がしていたんですが今度は4年生か・・・そう言えば麻美の1・2年の担任で、当時はすっかりこの人情裏日記のメインの登場人物のひとりだった秀島先生が新年度から三鷹の小学校に転出のようです。すでに転出先の小学校の始業式に出席されていたようで七小には秀島先生の姿はなかったらしい。麻美は「ひでちゃん探したけど見つからなかった。」と、ちょっと寂しそうでした。
 いい加減なPTAの役員のせいで学校側からはいろいろと怒られていたような気がしますが、バーベキューやらビール工場見学など、どこがPTAなんだかさっぱりわからないお出かけばかりの楽しい2年間でした。なかなかに得難いキャラクターで秀島先生が居なくなると七小も寂しくなります。
 この日記でもいろいろ書かれて、なにかと日記界で話題の「ひでちゃん」でしたが、しまいにはcolonちゃんのオフミにまで出席するしまつで、つくづく面白い先生でした。新しい小学校でもきっと例のとぼけたキャラクターで一生懸命なんだと思います。是非頑張って下さい。

 新年度はPTAの役員も逃れられたようだし、これでPTA日記もオシマイなんでしょうね。ネタのない時にPTAの怖い奥さんテロっておくのもそれはそれで便利だったんですがねぇ・・・まぁ、よくも3年も続けたものです。さすがに飽きました。ことしは学校に行くこともほとんどなくなるような気がします。というか、そもそもPTAの役員を引受けた事自体が自分でも何故?と思えるぐらいで、授業参観や保護者会なんてものに出席している自分自身にビックリしているぐらいで、「PTA? ケッ!」と言うのが本来の僕のはずなので、要は素に戻るだけなんでしょう。

 ようやく子供達は学校で、家の中が静かになります。一緒にいて間が持たない父親はこれでテレビをぼんやり眺める時間も減るような気がします。



4月7日(Wed)

 昨日あたりから子供達は「ビーズ細工」がマイブームのようです。きっかけは新学期に逢った友達からそんな手づくりのマスコットを貰って自分達も作りたくなったからというのも、相変らずミーハーそのものと言った動機です。
 さっそく色とりどりのビーズやテグスと一緒に「ビーズで作るマスコット」などと言ったハウツー本まで買ってきて、とにかく今の処は一生懸命ですが、果していつまで続くことやら。お父さんの誕生日に星座のマスコット人形をプレゼントしてあげるなどと言ってますが、父親の予想ではその頃にはきっとビーズなんてものには見向きもしなくなってることでしょう。熱しやすく覚めやすいのはわが家の家族全員の大きな特徴のひとつで、まさに家訓と言っても過言ではありません。<とってもヤな家訓ですが。
 本を眺めつつ、うさぎだのチューリップだのちまちましたモノを作っては喜んでいるは良いんだけど、あちこちにこぼしたビーズまき散らして部屋中がざらざらしてます。飽きるまでは当分こんな感じなのかなぁ。

 そのうち、女の子のハマる手造りホビーの定番「リリアン」なんてのもきっと始めそうです。もっとも今の子供達は「リリアン」を知らないのかなぁ。僕の小学生のころに一大ブームが巻きおこったことがあって、その時は男も女も休憩時間や授業中までみんなやってたような気がします。えぇ、勿論僕も。



4月8日(Thu)

 所沢に住む奥さんの兄貴の娘・・・なんだかややこしい日本語だけど、つまりは「姪っこ」なんですが、その子が今年高校入学だった事をてっきり忘れてました。
 次女ということで長女と比べてなにかと子育てでの手抜きが目立っていたし、下には弟がいてこちらは母親がべったりで、とにかくダンゴ3兄弟ならずともひがみたくなる「真ん中の悲哀」を噛みしめている子で、僕はそのひねくれた性格含めてお気に入りだったんですが、そう言ってる僕自身がすっかり彼女の進学を忘れてました。人の事をとやかく言ってる場合ではないなぁ。
 もう新学期も始っていることだし、きっとお祝い期待していたんだろうなぁ・・・という訳で時間もないので近くのデパートで慌ててお買物など。
 しかしなににするか、毎回こうしたプレゼント選びというものには悩まされます。長女の入学祝は確か万年筆だったので、この際面倒だから同じような筆記具にするかとも思ったんですが、そんなものを有難がるタイプじゃないからなぁ・・・ふと目についた時計売場にカシオのBaby-Gが並んでいたんで、あぁ時計ならTPOに合わせて付け替えればいいからこれにするか。あまり買物であれこれ迷うのはあほらしいのでさっさと決めて、さっさと包装して貰いました。気に入るか気に入らないかなんて、考えたところで始らないからどっちでもいいや。わはははh、

 とってもいい加減な選び方ですが、まぁ僕が選べば大体がそんな感じ。これが奥さんに任せるときっと1日がかりでも決らなくて、「これとこれとこれのどれが良い?」とか延々とやる事になると思うのでプレゼントなどのお買物は独りで行くに限ります。かたちを取繕うだけの親戚付合いなんだから、もの選びも型どおりと言ったところでしょうか。



4月9日(Fri)

 学校が始ると、とたんに朝・昼・夜と電話がかかってくる麻美の友達のぶさいくな○○こちゃんなんですが、なんでも小学4年生にしてすでに体重45キロだとか。それってうちの奥さんよりはるかに体重が重いことになるんですが・・・身長はせいぜい正美と比べても2・3センチしか違わない筈で、今からそれでは年頃になったらいったいどうなるんでしょう? などとよそのお子さんの事となるとめちゃくちゃですが、そう言えば僕自身は小学3年生ぐらいからずっと肥満児でした。転校をきっかけにして、友達がぜんぜん居ないものだから学校から帰ってくるなりおせんべいポリポリやりながら夜遅くまで寝そべって本ばかり読んでいる生活で、今ならカウチポテトとかおしゃれに形容するんでしょうが、実体は単なる運動不足という奴でした。あぁ、今でもおせんべい食べながら本読むのは大好きです。
 麻美などは身長も小さいせいで体重は○○こちゃんの半分以下で、それはそれでどう見ても貧弱すぎるようです。なんだかちっとも大きくならないなぁ。父親も身長はせいぜいが平均以下だし、奥さんは「こびとフェチ」対象だから、どう考えたって大きくなる要素はなさそうです。最近よく食べる正美もまだ体重は20キロ代で、身長だけは遺伝の要素が大きいとか聞いたことありますから、この二人も年頃になったらきっと悩むことになるんでしょう。まぁ身長小さいと中学生になっても「小児料金」で済むからそのあたりはなかなか便利かも。僕も中学2年生ぐらいまで市電のキップはずっと「小人」でした。初めて大人用のキップを持たされたときはなんだか嬉しかったです。そんな処で「大人」を感じてしまうのは、なんともビンボーくさい限りですが、事実ビンボーだったからまぁ仕方がないのか。

 と言うことで、ビンボーくさい我家でもやりそうな気がしていたんですが、そうした子供時代のトラウマのせいで案外そのあたりは真面目です。電車の切符代けちったところで幾らでもないんですが。



4月10日(Sat)

 (4月11日追記)
 という訳で(どんな訳?)ファイルを上書きしてしまったせいで本日の日記は何処ぞに消えてしまいました。しかも以前と同じ不明日記をアップするとという訳ワカラン有様・・・ボケの最初の兆候でなければ良いんですが。とほほ。

 一応こんな日記でお茶を濁しておくか。しかしおかしいなぁ。確かに新しい日記を書いたと思ったのに。



4月11日(Sun)

いやん、いやん、
 昨日の「日記」はやっぱりファイルを間違えてたみたい。同じモノをアップしてどうするんだか。しかも「不明日記」で。まいったなぁ・・・何処で間違えたんでしょう。それよりもなによりもそうすると肝心の昨日の日記は何処へいってしまったんでしょうか? 確かに書いた覚えがあるのにどこにも残っていないようです。古いデーテーペーのファイルで上書きしてしまったようで、そうなるともうきれいさっぱりなくなってると言うことか。とほほのほ。いい加減にFTPして読み返さないとかくなる有様です。あぁ、疲れてます。もう訳ワカラン状態。

 まぁ、良いか。どうせ同じかどうかなんて誰にも判らない・・・って、しっかり突っ込みのメールが入ってはじめて気がついたんですが。
 もうひとり、念写ボタン押してる人もその件かなぁ? だとすると相当な不明日記のマニアなんでしょうか。



4月12日(Mon)

 最近はどんどん日記が短くなっていくんですが・・・確かに毎日毎日代りばえのしない日常で、それこそ2・3行で1日の行動が終ってしまいそうです。
 朝寝て(既に、ここからして訳判りませんが)、うつらうつらしながら、それでも合間合間にはテレビ観たりコーヒー飲んだりの細切れ睡眠で、寝てるんだか起きてるんだか本人にも良く理解できてません。思いだしたように仕事をしてみたり、3時前からひっきりなしにかかってくる子供達の友達からの電話をうんざりしながら取次いだり、「墓石のご案内です」なんて意味不明な電話セールスのおばちゃんのおしゃべりにイライラしたり、昼食はチャーハンだったりスパゲッティだったりチャーハンだったりスパゲッティだったり(なんだか社員食堂のメニューみたいで、我家の昼食といえば大体この2種類ぐらいしかないらしい。あと、たまにはひやむぎなども。黙ってるとそんなローテーションが連日です。)、気がつくと既に夕方で、夕食といえばチャーハンだったりスパゲッティだったりハンバーグだったりカレーライスだったり(昼食よりは少しはメニューが増えるようですが、それでも精々が1週間程度のローテーションでしょうか。)、寝て・起きて・ご飯食べてが、つまりは日常の大部分のようです。
 夕食終ればそろそろ日記を書く時間で、こんな調子だから日記に書くことがなにもない訳です。というか、やっぱり「日常」自体になにも特筆すべきことがないのが原因なんでしょう。

 そんな訳で、またもやなにもない1日で無駄に2万分の1を浪費したようです。



4月13日(Thu)

 なんとなく不機嫌・・・原因を追究すれば一層不機嫌になりそうな気がするので、釈然としないままに棚上げ。
 いや別にそれがどうだと言う訳ではなくて、うじうじと考える己の性根が気に入らないだけなんです。言ってしまえば僕にはいかんともしがたいお話しであることは確かなのですから・・・と、訳のワカラン自問はいい加減にしておかないと。

 今日は珍しくぐっすり眠ったような気がします。あくまでもそんな気がするだけで、ぐっすりだったかどうかはよく判らないけど。少なくとも夕方に二度寝することはなかったようです。しかし、これから寝るかも。

 うーん、まるっきりやる気なし。弱まってるわけじゃなくて、例によってダレてるだけです。もっとも最近は特にめだつようですが。



4月14日(Wed)

 ひょっとすると風邪ひいたのかなぁ。ただただ眠いせいで頭がぼーっとしているような気がしていたんですが、熱が出ているのかも知れません。うっかり計ってほんとに熱があったりするととたんにヨワヨワになっても困るのであえて熱は計らないことにしてます。えぇ、熱とか痛みに弱いオスはそんな風な軟弱な生き物だということです。
 ここの処2年ばかりはいたって健康で、文字どおり「バカは風邪ひかない」日々だったですが、やっぱり健康の為には椅子寝はだめかも知れませんね。最近は椅子寝やソファー寝、たまにはホットカーペット寝なんてのもあってまともにベッドで寝てないからなぁ。
 今日あたりは早寝すればいいんでしょうが、そんな時間になるとネット巡りなどでつい夜更しをしてしまうのは、まぁ永年の習慣という奴かも。

 咳はでないんですが、鼻水が少し・・・そんな訳で本日の日記も短めです。
 風邪のせいにしてますがホントは単に書くことがないだけなのかも。



4月15日(Thu)

人を容易には寄せ付けない狷介さを求めていた筈なのに
結局それは己の弱さを直視することができない
ただの臆病者の戯言(ざれごと)でしかなかったようです

他者に言いつのるばかりで
ではお前はどうなのかと・・・
自問する声に答えるのは
いつもの如く曖昧で判りづらい断片でしかないことに
自分自身が苛立っているだけなのかも知れません

求める事を恐れるあまり
いっそ全てを投出そうとする矛盾のなかに
僕たちの不幸はあるようです
そのことの訳を知ろうとしても
僕たちのココロの奧の薄暮はどこまでも拡がるばかり

立ち止って途方に暮れた道すがら
ふと握りしめた掌の温もりだけを信じれば良いのだと
そう信じても
夕暮の道はやはりあてどもなく
しかしいずこかに続いているようです

 人が人を求めるココロに訳などはないのです。だからこそ、人は人を求めることでかくの如く呻吟するのでしょう。


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