デーテーペーな1日

1999.04.16~30


日記関係の発言はこちらで。

4月16日(Fri)


 さて・・・BOWDOの続きはやっぱり「お仕事ボヤキ日記」に書くに限ります。と言いつつ、ぼやいてる暇もないのかも。

 なんだかなぁ・・・ひたすら数をこなさなければいけないお仕事はマジで疲れます。illustratorで間取りをトレースするのってメチャメチャ面倒なんです。CADの専用機に任せれば簡単に書けるものを、わざわざ使いづらいソフトでちまちま作らなければいけないのは、最終的にフィルム出力する印刷屋さんの都合だけなんでしょう。デザインと印刷のどちらに発言力があるかでお仕事の手間が変ってくるというのもいい加減にして欲しいけど、そのあたりのいい加減さは何度言っても変ることはないのでこうした仕事をする時は素直に諦めるしかないようです。ウダウダ文句つけても誰も改善しようと言う気がないんですから、そんな人達相手に議論するぐらいなら、さっさと自宅に持ち帰って仕事始めた方がお互いの為になるようです。
 それにしたって、どうするんでしょう・・・こんなゴミみたいな間取り図、いくら書いたところで誰も見ないと思うけどなぁ。紙とインクの膨大な無駄づかいでしかないものをひたすら作って、結局は単なるゴミを増やしているだけと言うのは何とかしたいけど、所詮末端の下請けデザイナーなんで、ブツブツこんな処でぼやいているのが関の山のようです。

 こんなバカみたいなお仕事、ちゃんと印刷して納期に間に合うんでしょうか? まぁ僕は自分の仕事をするだけです。というか、それ以外の事を心配してる暇もありません。きっと誰かが死ぬかも。



4月17日(Sat)

 引続きお仕事やってます。あぁ、一日中マウスでしこしこと間取りなどを書いてると腱鞘炎になりそう。何せ40点もあるから書いても書いてもちっとも終りません。すっかり飽き飽きなんですけど、誰も代ってくれる訳もないのでしかたなく・・・まったくなぁ。予算がないからって、全部こっちに割振られても出来るわけないでしょう。と言っても結果的には何とかするんですが。

 一日中仕事場に篭ってるのもあれだから、昼食はマクドナルドに。しかし、マクドナルドのハンバーガー買いに出掛けるのが唯一の息抜きってのも悲しすぎます。その上なんだ、今回の「ツインチーズバーガー」って、なんか味がヘン。中途半端に辛いんですが、それがチーズと合わさってなんとも言えない不思議な味。和風とも中華風とも言えないし・・・如いて言うならチベットのマクドナルドで出てきそう。などと言ってもチベットにマクドナルドがあるかどうかも知りませんし、何故チベットなのかについてもなんの根拠もありません。要はチーズが嫌いなんですね。1ヶ100円という値段につられて買ってみたんですが、最近のマクドナルドって値段以外のウリはもう何処にもないのかも。
 奥さんと子供達はしきりと辛い辛いと文句言ってます。相変らず「お子様」な味にしか免疫のない人達ですが、と言いつつ結局は食べたみたい。辛さには極端に弱い筈の麻美があれを食べるなんて珍しいことがあるものです。結局は味なんてものはよく判らないのかも。

 うーむ、単品で1ヶ100円なのにバリューセットにすると450円って、なんだかインチキくさいぞ。普段の設定からすれば400円の筈。せこいぞ、日本マクドナルド。<そんな事をくどくど書いてる人間が一番せこいかも。



4月18日(Sun)

 夜中の仕事に出掛けなければいけなかったのに、つい30分だけ寝ようなどと考えたのがそもそも間違い・・・目が覚めたら夜中の2時半でした。きゃー。お仕事のドタキャンはまずいんじゃないの。それも連絡なしは。
 まいったなぁ・・・そんなお仕事はなかったことにして、全ては忘れることにしました。別にあくせく働くほどの仕事じゃないしね。がはははh、仕方がないのでふてくされて本格的に二度寝など。<良いのか?
 お陰で朝はすっきりとお目覚め・・・「あぁ、申し訳ありませんでした、ついうっかりして忘れてました。最近風邪気味でどうにも調子がでなくて。」などと姑息なお電話で寝坊の言訳など。<弱いぞ!

 例の間取りのお仕事も残ってるんですが、そっちの方もぜんぜんやる気になれなくて午前中はなんとなくテレビなど観て時間の無駄遣い。しかし日曜の朝ってガキ向きのつまらないアニメやらなんとか戦隊ものばっかり。子供達はそんなものを朝の7時すぎから延々と観ているらしい。毎週毎週こんなものを何時間も観てれば確かに頭は悪くなるよなぁ・・・もともと出来が悪いところに持ってきてこの有様ですから、もはや何をか言わんです。
 夕方からはサザエさんで白痴化の総仕上げのようです。まぁ、君たちに期待するものはなにもないから良いけど。

 麻美は飼育係の当番で餌やりと小屋の掃除があるらしくて、日曜だというのに学校へ。あひるが1匹とうさぎが3匹だけの実にビンボーくさい飼育小屋なんですが毎年4年生が担当して面倒を見るようです。
 飼育係って大体クラスでちょっとトロそうな奴が名乗をあげることが多いような気がするんですが、麻美はまさにそんな感じかも。毎年飼育係か掃除係で決ってるようです。



4月19日(Mon)

 ご多分にもれず我家のまわりも市議会議員選挙の候補者の選挙カーがうるさいこと。特に夕方から激しくなるのは昼間は仕事で忙しい奥さんやご主人の帰宅時間を狙っているからのようで、あちらこちらから例の調子のご挨拶が流れてきていい加減うんざり。やかましい選挙カーでの演説は禁止にしてテレビと選挙広報だけで済ませるわけにはいかないもんでしょうか。およせ選挙などには1ミリも興味のない人間にはこの時期は騒がしいし、ノロノロ走る候補者の車の後ろについてイライラさせられるのにも閉口です。
 そもそも、人の目も見ないで勝手に「絶大なご支援ありがとうございます。」などと返事する奴等の人間性を疑うよなぁ。というか、選挙などにでようと思う人間が、既に僕の中ではサイテーのランクに所属する訳で、選挙となると恥ずかしげもない自画自賛やらできもしない公約をぶちあげる奴なんて、どう考えたって碌な人間じゃないでしょう。本音と建前の二重構造の中で世渡りすることがつまりは政治的行動とでも思いこんでるオヤヂやオバサン達が戦後営々と築き上げてきたのが、つまりは現在の「日本」なんでしょう。
 そんなサイテー同士の愚かしい繰言の相手してる暇はないので、選挙なんてものは候補者達の互選で選べばいいんじゃないの。みんな自分で自分にいれた1票しか入らなくて延々と再投票繰返してるうちに、そのうち恐怖の大王でも降ってくるかもしれません。
 どうせ手遅れなんだから、どっちでも良いけどね。

 そのうち茶パツでいぇーいの彼女はきっと投票のお願いに来るんだろうなぁ。何回じゃけんに追払っても選挙となるとやってくるのは本当に御苦労様だけど、そろそろ諦めてくれても良いと思うんですが・・・政治と宗教が絡めばなにかと面倒です。



4月20日(Tue)

 なにもかもが面倒・・・そう、なれない役どころを演じるのにも疲れました。

 ひねくれ者で誰にもココロを開かないかたわな人間というのが、つまりはわたしの本質であって、なにかを伝えたいと思って言葉を書きつらね、空っぽのココロを探った処で、なにひとつ確かなものなどそこには有りはしない。
 所詮その程度の人間が人と人との繋がりになにかを望むなどと言うこと事態が愚かしい錯覚だったようです。
 人は人を理解できないのだと知ることなど、今更のように確かめる迄もないことでした。わたしが「わたし」であり、あなたが「あなた」であることなど自明であって、そのことに錯覚する部分などなにもない筈なのに、愚かしいわたしはついつい「わたし」と「あなた」を重ねてみせる。

 わたし達が一緒に見ていたと思いこんでいたもの・・・或は黄金であり、或は禁断の果実だったりするのでしょうか・・・しかし、それは背中合せで眺めていたそれぞれの影が見せた儚い蜃気楼だったようです。

 不明日記という訳ではないのでしょう。なぜなら、僕にとっては「不明」では決してありえないから。



4月21日(Wed)

 さて・・・こちらも「一回休み日記」ではあんまりなんですが、さりとてなにを書くかと考えても今ひとつのようです。
 こんな時ふたつも日記書いてるといい加減うんざりします。なんでそんなアホ臭いことに一生懸命なんでしょうね。本人にもよく判ってないようですが、人間の行動全てに理屈や動機があるわけでもなし、むしろよく判らないからこそ本人の裡では確固たる理由があるのかも知れません。そう、それぞれの無意識の領域にある欲望については、フロイトが説いた単純な原理だけでは説明しがたいようです・・・などと、何時ものようにありがちな結論で締めようとするところなど、まさに己の欲望の質に付いてなにほどかの予感があるのかも知れません。と、やっぱり不明風味。

 はぁ、でっち上げ日記もふたつ続けるといい加減飽き飽きしてきます。その上、日付も変ってしまったようですが、まぁたまにはそんな事もあります。



4月22日(Thu)

 仕事のボヤキを連日書いていても埒があかないのでそんなものはいい加減にしたいんですが・・・相変らずのふざけたクライアントとなにも判ってない営業マンの狭間に立ってあたふたしてます。
 印刷当日になっても部数すら確認していないでよくまぁ仕事が無事にまわっているものだと感心しますが、きっと各方面にしわ寄せが溢れるほどに出ているんだろうなぁ。みんなブツブツ文句言いながら、それでも仕方なく納期に間に合せるためにしなくても良い苦労をさせられているんだと思います。
 もうイイや、こんなことウダウダ書いてみてもなにかが変るわけでもなし、毎回馬鹿げた仕事ばかりさせられるといつの間にか感覚が麻痺してこんな状況が普通のように思えてきました。まさに惰性と諦念の産物という奴でしょうか。
 その上マックの挙動は相変らず怪しいし、プリンターのトナーは切れるしで益々やる気なくしてます。仕事中にネスケとメーラ立ちあげて日記読んだりメールにお返事したりしてるからおかしくなるんで、仕事用のマックは本当にお仕事専用としておけば問題ももうすこし少なくなるような気がするんですが、どちらかというとWeb巡りのほうが意識の中ではメインですから、今更そんなことは出来ないんですけどね。

 最近は弱まってばかりで、いかにも誰かに慰めて欲しそうな日記で我ながらどうかと思います。日記だけが元気がなくて、本人はいたってのんびりやってたりするので「あぁまたやってるな。」ぐらいで捨置いてもらうのが一番かも知れません。



4月23日(Fri)

 今日は外出する予定があったのでついでにカレパの会場に予定してる河原の下見にでも行こうかと思っていたんですが、あいにくの雨降りで面倒になってやめました。でも、明日以降にでも一度は行ってみようかな。
 ああした河川敷はある日突然に河川工事が入って立入禁止になったり、市が管理する有料のキャンプ場になって自由にバーベキューが出来なくなったりすることがあるので、やっぱり下見はしておかないと。当日になって何十人かが路頭に迷うのはあまりに寂しすぎますから。遠路はるばるやってくるような人は当日解散などといわれたら、それこそ暴れたくなってしまうかも。
 でも、そんな経験はやろうとしてもなかなか出来るものでもなし、あとになって思い返せばきっと良き思い出になるような気がします。がはははh、そんな訳はないか。
 カレパネタはBOWDOに書いた方が良かったかな。ま、今日はネタがないからこっちもカレパネタで。続きはあっちに書けば大丈夫でしょう。
 そう言えば5月2日といえばもう1週間ちょっとしかないのか・・・なんの準備もしてないけど大丈夫なのかな。参加メンバーの把握の為にも業務連絡のメールもそろそろ出しておかないといけないだろうに、あまりやる気がでないなぁ。最初からいい加減な幹事と広言してるからそのあたりは覚悟してもらわないと。がはははh、
 いざとなればなんとかなるだろうし、なんとかならなかったらドタキャンすればいいや。

 世の中、きちんきちんと動くばかりが面白いわけではなくて、予想外の展開や思いもかけない出来事があるからこその人生なんでしょう。
 なんだか事前に言訳ばかりしているようで、参加者の皆さんはますます不安が募ったりして・・・だから、そんなのも楽しいじゃん。<やっぱり不穏だな。



4月24日(Sat)

 珍しく仕事がらみの打ち合せで外出する予定です。あまり乗気じゃないんですが、まぁ行くだけ行ってみて話を聞いてみようかと・・・そのまま拉致されてそこで仕事させられそうな予感もするので非常にやばいんです。雑誌関係と云う事でメチャメチャ時間に追われる仕事なので、多分そうなると夜中まで帰れないと思うので予定日記だけは書いておこうと言う、いつもの日記更新症です。
 しかしなぁ・・・最近そんな夜中のお仕事ばっかり。しかも出向の様なかたちで出先で仕事することが多くて、お陰で日記書くのにもひと苦労してます。自宅なら日記読みながら書きながらお仕事できて何かと便利なんですが。
 今日の打ち合せ先にも「専用線繋ぎましょう。これからはやっぱりインターネットの時代ですから。えぇ、会社の経費としてなら安いもんでしょう。」などと吹込んでくるつもりです。そうすればネット巡りしながらお外でもお仕事が出来ますから。わはははh、そうはうまく行かないかな。

 そんな訳で行ってきます。「おかえり、ただいま、」といまのうちに言っておくかな。



4月25日(Sun)

 昼前から子供達と一緒に秋川の河原まで。そう、今度のカレパの下見に。
 で、行ってみたんですが・・・先日来の雨で水かさが増えているせいもあるけど河川工事の影響がやたらと大きくて、東秋留橋の河原は昔と比べたらほとんど100分の1ぐらいに減ってしまったと思います。去年はそれでも橋の下流にはまだまだ広い河川敷が残っていたんですが今年はもう橋の近くは広く水面が覆っていて、下流にほんの少し猫の額ほどあるだけ。なんだかなぁ・・・2・3組がバーベキューやったらスグに満員になってしまいそうなせせこましさで、当日は早めに場所取りしないと駄目みたい。ゴールデンウィーク中はビンボー人が大挙して押しかけそうな予感がしますから。えぇ、僕たちもそんなお仲間なんでしょう。
 河原のすぐ隣に何もない原っぱと言うかグランドみたいなところがあって、そこなら広々出来そうですが、でもやっぱり川沿いに腰をすえるとなればすぐそばに川が流れていないと落着かないというか、何処でもいいのならそれこそ公園の植込みでビニールシート拡げてれば良いんで、あくまでも河原にこだわるのが「河原でカレパ」の伝統でしょう。がはははh、なにが伝統なんだか相変らず訳の判らないこだわりに囚われているだけなんで、腰を落ちつける場所は当日の成りゆきと言うことにしておきますか。

 週間天気予報を見て見るとどうやら5月2日は晴れのようで、4年目にして初めてカレパは雨にたたられることはないのかな。思い起せば最初の時なんて酷かったからなぁ・・・土砂降りのなかを泣きながらテントと荷物を撤収して、ほとほと懲りた覚えがあります。今年はどうなるのやら。案外そんなのを期待してるのかも。



4月26日(Mon)

 「あなたは恋愛が苦手なタイプです。苦手な領域を克服しましょう。 」などと言ったご託宣を戴きました。まーね、まーね。
 しかし、こうしたWebにはびこる性格診断に類するものなんですが、設問の答が「はい」か「いいえ」の二つしかない処あたりからして既に胡散臭いことこのうえないと思うんですが。強引に二者択一を選ぶことにもうひとつの意味があるとかないとか、いい加減な屁理屈でもくっつけるんでしょうが、所詮は薄っぺらな心理学で人の心の奥底をあれこれ判断して欲しくはないよなぁ。どうせ人間にたいして何ほどの観察眼もない研究者のお遊び的見解であったとしてもです。
 そもそも恋愛で苦手な領域を克服してどうしろと言うんでしょう。得手・不得手で計るのは結局恋愛が単なるゲームだからなんでしょうか。恋愛が得意って・・・あまり性格的に良い奴のような気がしないんですけど。
 確かに苦手なんでしょうね。実際の場に立てば。確固としたものを示すことの出来ない人間なんで、そうした分野は一番不得意かも知れません。曖昧なコトバ遊びで済ましているうちは何かとお気楽なんですが、いざとなれば自分自身のコトバに裏切られる結果にしかなっていないようです。

 今日は我家から一歩も外に出てません。碌に仕事もしてないんですが一体全体、今日一日何をしていたんでしょうか。なんとなく手持ちぶさたな一日でした。



4月27日(Tue)

「出会い」と言うものが
つまりは全てなのだ

わたしが「あなた」に出会えたことに
意味があるのか無いのかと
思い悩むまでもない

きっと誰かに感謝すべきなのだ
たとえわたし達の「諦念」が
僅か数万日で完結するにしても

「あなた」が此処にいて
わたしが其処にいる限り

いかに儚げに見えても
人はそんな不確かな記憶の中でしか
お互いの存在を確かめる術をもたないのだから

白く
おぼろげに霞んだ朝もやのなかに立つ「あなた」の姿を
確かめてみたい誘惑に耐えながら
何ごともなかったのごとくに振舞うわたしは
「あなた」の姿が見えなくなってはじめて
誰はばかることなく
「あなた」を求めることができるようです

 きっと無意味な「出会い」などと言うものは何処にも存在しないのでしょう。全てが必然であり全てがあらかじめ知らされていたような気がします。例えそこに様々な愚かしさを含んでいたとしても、それすらもがわたしの裡ではなじみ深い記憶のようです。



4月28日(Wed)

 麻美が学校から帰ってくるなりメソメソしてるから一体どうしたのかと尋ねると、今日ピアノ教室があるから早く帰ろうと声をかけたのにいつまでも教室でグズグズしている正美にしびれを切らして一人で帰ってきたんですが、すでにピアノ教室に行くには完全に遅刻・・・で、帰ってきてカバン降ろすなり泣きじゃくっていたようです。ひょっとしたら学校からの帰り道でもすでに泣いていたのかも。普通は正美のせいで遅れたなら本人に怒ればよさそうなものですが、そのあたりのジレンマでメソメソしてしまうのが麻美の弱いところです。
 普段から正美は麻美の言うことを右から左に聞き流すふしがあって、その事でもよくケンカするようです。正美の場合は誰にたいしてもそんな感じで、本人にはあまりそんな意識はないのかも知れません。確かに「このガキは何を考えてるんだろうか?」と父親もしばしば悩むときがあります。本音の処では何も考えてないと言うのが正解なんでしょうが「モノを考えないから」ではなかなか他者を納得させる事はできないでしょう。
 息せききって帰ってきた正美に、なぜ麻美の言うことを聞かないで遅くなったのかと尋ねてみても、校長先生に手紙書いてたとか、●●さんがオリガミやろうって言ってたとか、あれやこれやと訳の判らない言訳が返ってくるようです。単に面倒だったからとでも言えばまだかわいげがあるんですが、相変らず姑息な言訳が多いのは父親ゆずりなんでしょうね、とほほ。<などと嘆いて単なるオチにするのはヤメレ。

 近ごろでは正美はピアノ教室での週に1回/30分だけが練習の全てで、まるでやる気がないようだからもうピアノ教室なんてものはヤメにした方が良いのかも知れません。奥さんもすっかり厭きてるようだから・・・所詮親の趣味ではじめさせた様なモノですから、親が厭きれば自然とやめることになるのかも。えぇ、僕などとっくに厭きてます。



4月29日(Thu)

「夢魔」

 なぜか、今夜はきげんが悪い。 そんな時、私はおまえをこんな風に愛撫する。

 クスリを用意する。かなり危険なクスリ、といっても合法的なモノ。処方箋が必要だが、その気になれば簡単に手に入る。死ぬことはないだろう、咳止めシロップで死ぬ人がいない程度に。
 しかし、危険な匂いのする情事もおまえは好きだった。おまえの好きなビールに溶かせば、クスリの苦みは忘れられる。

 わたしは黙っておまえの前でそのクスリをグラスに入れる。かすかに泡立ちながら、それはスグに溶けていく。おまえの目は欲望で潤んでいるが、わたしは、ただじっと見つめているだけ。
 そのまま深くソファーに沈み込んだ身体から、徐々にチカラが抜けていく。小さくあくびをしたおまえが何か話しているが、それには一切取り合わない。

 ただ、おまえを見ている。

 おまえの瞼が、やがて重くなる。どうしてもわたしを見ていることが出来ない。立ち上がろうとするが、重苦しい睡魔が身体を押さえつける。やがて、おまえは眠り込む。とても静かな寝顔・・・

 身体のしたに両腕を差し入れると、全身の力の抜けたおまえをベットまで運ぶ。両脇にたらした腕と、額にかかる髪がおまえを、より一層死体のように見せていた。

 呼吸する死体・・・わたしにとって最高の供物かも知れない。

 すべての衣服をはぎ取ると、わたしはおもむろにおまえの乳房を愛撫する。いつものように、優しく撫でるようなそれではなく、わしづかみにした乳房をこねるように。
 意識のない身体が、わたしの愛撫に反応する。乳首を口に含む。柔らかくわたしの口の中で転がっていたそれが、固くなっていくのを確かめる。
 そのまま、わたしの唇はおまえの身体をすべりおりてゆく。ウエストのくびれあたりで立ち止まると、縦長のおまえの臍に舌を差し入れる。太股の内側を、両手でなで上げる。意識のない筈のおまえが徐々に両足を広げる。
 明るい灯の中で、おまえは、自身のいちばん恥ずかしい部分をわたしの前にさらけ出す。わたしは徐々に唇を近づける。いちばん敏感なボタンにそっとキスする。透明に光るモノが、もうおまえの亀裂から流れている。

 しかし、お前はいつまでも深い眠りの中にある。

 妄想の中で夢魔と交わるのは、かつて魔女の証明だったとか。夢の中で女を犯す夢魔はと言えば、愚かしい人間が堕落した果ての存在であるようです。どちらがより一層人間的なのか・・・或は人でなしなのか。



4月30日(Fri)

 今日は買物に出掛けたんですが、スーパーの棚に山積みされた商品や冷凍ケースのなかで溢れかえっている肉のパッケージ眺めながら、何時ものようになんとなく落着かない気分でした。

 わがもの顔で地上に氾濫する我々人間たちの、その貧欲さの証明のように、かくも膨大な品物が日々消費されようとしていることの後ろめたさと、そうは言いつつこの地上では未だに飢えや病気で死につつある子供達の数もまた膨大なのだと思えば、その事で更に僕は落着かない気分になる。
 大量に消費されると共に大量に廃棄されるそのイノチのあり方に、今の世の中というものがどこかバランスを失っているという予感にさいなまれ続けています。飽食する人間と飢えて死ぬ人間がこのちっぽけな世界に同居している事の意味がどうしても僕には理解できなののです。一晩中煌々と照らされる蛍光灯の下で見事なまでに企画化された「食べ物」が並んだ僕たちの世界など・・・高々ここ数十年の変化でしかない癖に、誰も彼もがこんな日常がこれからもずっと続けていけるとでも思っているのでしょうか。
 石油の浪費を憂うまえに、僕たちはこのイノチの浪費でまず最初につまづくような気がします。スーパーの棚に並んだ品物がいつしか消えてなくなるだろう事は誰の目にも明らかだと思うのですが、そんな事など何も知らぬままに通路を駆ける幼い子供達の背中に「危ないから気をつけて」と声をかける母親の言葉に痛々しい予感を覚えたのは、やはり僕だけだったのでしょうか。

 飢えて死ぬ子供と大量の品物に囲まれて暮す子供・・・どこがどうと正確には言えないもどかしさに、やはり僕は何ごともなすべき術を知らないようです。


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