デーテーペーな1日

1999.05.01~15


日記関係の発言はこちらで。

5月1日(Sat)


 夕方から「炎のユーゴスラビア」と称するBBC製作(?)のドキュメンタリーをずっと観ていました。
 第2次大戦以後のかの地の紛争の歴史は3時間かけても未だに混沌としたままですが、ミロシェビッチを初めとするセルビア・クロアチア・ボスニア等の現役の大統領が直接インタビューに答え当時の状況をそれぞれの立場で語る部分がいかにもメディアの時代の紛争という印象でした。
 しかし、10年にもなろうかという内乱の歴史の中にあって彼ら指導者の誰一人として死んだものの居ないことがどうにも納得がいかないというか、それこそが内乱というものの正体をあからさまに告げている事の証明なのかと、今更ながらに暗澹たる思いです。
 民族や宗教を間に挟んだ紛争の結末の愚かしさはいつも名もなき人間たちの死でもってあがなわれるようです。画面に登場する死体の多くは私服姿の人間達であり、血を流し硬直している夫の死体にとり縋って「何故わたしを残していくのか」と嘆く女の姿はいままでにも何度もくり返し、世界のあちらこちらで見てきた光景でもありました。
 紛争の当事者達はアメリカ軍のフェンスに護られた基地の中で外交的駆引きと称する愚かしい地図上の線引きにうつつを抜かし、あたかも砂場でオモチャを奪い合う幼児のように「やれここは自分達のもの。その場所は譲るわけにはいかない。」と、際限もなくやり合ってはニヤニヤと笑っている・・・その線引きの内と外で今もなお人間が死んでいるというのに。
 そんな事など一切お構いなしとする「国家」或は「民族」という見えないゲットーで大量死する人間達を見ているだけのわたしもまた、「国家」や「民族」によって囲われた檻の中でひたすら呆然として、ただ座して己の死を待つだけの存在なのでしょう。

 大統領と称する人間達のあの卑しい表情はいったい何故なのかと考えても、所詮は詮ない事のようです。ユーゴを構成していたそれぞれの国もまた宗教や民族によって細分化され、その国の中にあっても更にひとつの町もそうした色分けによって分断され続けていく・・・この憎しみの入れ子構造は何処まで行っても終りそうにもないようです。



5月2日(Sun)

 そんな訳で本日は埒もない事ながら河原でカレーライスを食べるという妙なオフミ。
 一体全体だれがそんなことを言いはじめたのか・・・って、もちろん僕なんですけどね。あぁ、自業自得とはまさにこの事か。と言いつつそんなネタで日記書いてたりして何かと助かってたりもするんであながち文句ばかりという訳でもありません。
 初めてお逢いする方も多いのでその事も楽しみだったりするんですが、中には逢うのがちょっと怖い人もちらほら・・・えぇ、誰とは言いません。
 そう言えば最近はオフミ好きのテロリンオヤヂの看板も降ろしてひたすら人のオフミ報告日記読んでは「ケッ! 誰がこんなものおもしろがるんだか。」などと、ひとり寂しさ噛みしめるばかりだったので本日は張切ってます。

 例年の如く当日になってドタキャンする人も居るようですが、どうせ大勢に影響ないメンバーばかりなのでまぁイイや。がはははh、

 良いお天気で今日は絶好のカレパ日和りのようです・・・などと言ってますが3年連続雨に降られているのでまだまだ安心は出来ません。どうも僕が雨男のような気がするんで、やっぱり雨具は用意した方が良いのかも。4



5月3日(Mon)

 事務所の床に荷物が山積みになったまま・・・当分手をつける気にならないのでいつになったら片づくことやら。今週中にはなんとかなるかも。

 やっぱり人間は逢ってみるに限るようです。特に日頃Web日記などを読みふける事で何らかの輪郭を自分の中に作り上げてきた人にいざ逢ってみてその印象がカチリとあるべき場所にはまったり大いに裏切られたりと、何れにしても言葉だけで作り上げたイメージが具体化する瞬間というものは面白いものです。
 いい年して人見知りする訳でもないんですが、昔から人の目を見てお話しするのが苦手な質で、ついつい初対面の方にはそっぽを向いたままとなりがちです。そのくせ失礼なことを言ってはひとりで喜んでるという、実にどうも始末に負えない奴なんで、ムッとするような事が逢ったとしても勘弁して頂けますように・・・などとえらく低姿勢なのは言葉だけで、要は思ったことを言ってるだけなんです。がはははh、
 大人数のオフミでしたが長丁場だったせいでいろんな方をテロる事が出来て大変面白かったです。女性陣はどうにも強持ての方が多くて遠くから眺めるのが精一杯で碌にお話しできなかったのが残念というかホッとしたと言うか・・・やっぱり根ほり葉ほり聞かれたりするのを警戒していただけなのかも知れません。<なんか後ろぐらいことでもあるんでしょうか? まーね、まーね。

 僕自身はこんな奴なんである程度は皆さんあきらめの心境なんでしょう。こういうキャラクターは何かと便利というか、何を言っても笑い事で済まされてとってもお気楽です。とはいえ、皆さん内心ではムッとしてたりするんだろうなぁ。



5月4日(Tue)

 なんとか荷物も片づいて、昨夜は珍しく早寝だったせいもあって早起きだったので、うっかり子供達に「どこかへ出掛けるか?」と聞いてみたのがそもそもの間違いでした。
 麻美が言うには「東京タワーに行きたい」とか・・・何故に東京タワーなのか、本人に訊いても一向に要領を得ないのは麻美のいつもの事で深くは追求しないことにしておきます。正美も東京タワーで良いらしいので10時ごろから急遽出掛けることに。あ、その前に日記を書いてからね。
 何時ものように首都高速は渋滞がありそうなので高井戸で降りて、後は井の頭通りをまっすぐ原宿から青山抜けて六本木の交差点を過ぎるとすぐ目の前に東京タワーが。ビルの間の通りの正面に東京タワーが見えると、なんだかすごく東京に来たと言う実感が湧くのは単なる田舎者の証明なのかも知れませんが、けっこう好きな風景のひとつです。
 正美は「あそこにモスラがたまご産んだんだよね。」と、東京タワー指さしては訳の判らないこと言ってますが、あれはたまごじゃなくて繭なんだけどね。
 ゴールデンウィーク中と言うことで、今更なんでこんな処に来るんだろうと思いたくなるほど東京タワーは田舎者で溢れかえってました。田舎者はいつだってヒマなようです。エレベータの前は長蛇の列で人が何重にもとりまいて待ってるだけで疲れそうだから展望台にあがるのは今日はやめようかと考えていると、隣りに短い行列が。「階段で展望台まで12〜3分です。」
 エレベータ待つだけで30分以上はかかりそうだし、12〜3分なら大したことはないかとそっちの行列に並んだのは良いけど・・・はぁ、風は強いし五百数十段もあると最後はへろへろ。日頃の運動不足のせいで息があがって展望台に着いてからしばらくは呆然としたまま。ぜーぜーぜー、
 えぇ、二度と東京タワーなんゾには来ることはないでしょう。こんなつまらぬ鉄クズはやっぱりモスラの繭にしておくに限ります。

 東京タワーのおみやげ屋さんで何故かたまごっちが1ヶ200円で投売りに。欲しいのかと尋ねるとほしいんだとか・・・今更たまごっちねぇ。まぁ200円なら良いか。
 子供達二人はさっそく帰りの車の中でピコピコやってけっこう嬉しそうです。やっぱりビンボーくさいガキです。



5月5日(Wed)

 そう言えば今日は子供の日だからと言って特別なことはなにもなかったなぁ。柏餅とかちまきなんてものは好きじゃないので「ものを食べるイベント」として興味がないのが我家的に子供の日が盛上がらない原因なのかも知れません。端午の節句、つまりは男の子のイベントなので女の子二人の我家には鯉のぼりもなければ武者人形も飾らないので一層気分は盛上がらないようです。
 要は昨日東京タワーを徒歩で登るなんてアホな事をやったものだからすっかりお疲れなんだと思います。しかし、階段で登ってもエレベータ組と同じ料金支払わなければいけないってのがなんとなく納得行かないというか、片道分のエレベータ料金返せ! 妙なバッチとノート1冊を階段の入口で貰ったのが、いわば片道分のお疲れ賃という訳なのかもしれません。
 3歳ぐらいの小さな子も平気で登っていたから、それほどキツイ階段ではなかったんでしょうが、日頃の運動不足がこんな時にはあからさまに出てしまいます。日記ばっかり書いてないでたまには運動でもしないとなぁ・・・なんて事はこれっぱかしも考えた事はありません。健康だろうと不健康だろうとどうせ何時かは死ぬんだから大した違いはないというのが昔からの持論です。
 もっともそういう奴に限って病気すると大騒ぎしたりするのは世の常ですから、いざとなったらジタバタしてにわかに運動はじめたりするのかも知れません。

 朝からずっと、子供達は「たまごっち」にかかりきり。ノートに一生懸命「たまごっち」のお世話の仕方だの好きな食べ物なんてものを書いてみたり、付属の説明書を熱心に読んでみたりで実に嬉しそう。今更そんなものに熱中するなんて、なんだか楽しみ少なそうなガキです。



5月6日(Thu)

 正美の「たまごっち」は気がついたら死んでました。やれやれ。

 しかしまぁ、今更「たまごっち飼育日記」でもないとは思いながら、何故か我家のガキ達には第2のブームが訪れてしまったようで、学校から帰ってくると片時も手から離さないでなにやら一生懸命です。正美の方が先に死んでしまったので、ついでに麻美の奴までリセットして最初から二人でやり直しだとか。
 ブームの真っ盛りの頃は当然買ってもらえなくて、どこぞのバッタ屋で父親が買ってきた怪しげな贋物でごまかされていたものだから今回の正真正銘の「たまごっち」が何より嬉しかったりするのかも知れませんが、今更「たまごっち」でもないと思うんですが・・・まぁ、ビンボーくさい我家のガキならではというお話しです。
 バンダイも市場を見きわめる目がまるでないものだから、ブームが去ってから大量生産したようで、膨大な数の在庫に四苦八苦しているようで、最早何処でも「たまごっち」は投売り状態だとか。子供達の話によると近所のダイエーのオモチャ売場には1ヶ100円で売っているらしい。
 お陰で今ごろになって「たまごっち」の世話をさせられるハメになって実にもうメンドーです。どうせ1週間もすれば厭きるんだろうから、いい加減にして貰いたい処ですが、正美はなにやら手書のお世話マニュアルまでつくって、昼間の世話をなんとか父親にさせようと画策しているようです。あぁこんな時奥さんは一切かかずり合わないから良いよなぁ。そんなものを買ってきた人間が悪いとばかりに冷たい目で眺められています。とほほ。

 もう「たまごっちネタ」はいい加減にしないと、一体いつの日記なんだかさっぱり訳わかりません。いくら時代に取残された家族とは言え、いくらなんでも今更「たまごっち」はないよなぁ。



5月7日(Fri)

 子供を叱る事は、なにかと後味が悪いものです。自分の過去を見せつけられたような気がした時などは特に。

 子供達のたまごっちの具合はどうなのかとちょっと気になって3階の正美の部屋をノックしてから開けようとすると(「必ずノックして下さい」とか、「かってに開けちゃダメ!」なんて貼紙がドアに貼ってあります。)、なにかでドアがつかえているようなので「ドアを開けなさい」と声をかける。すると中から慌てた様子の正美の声で「今散らかってるから片づけてから。」なんて返事がかえってくる。なんだか怪しいなぁ・・・
 またぞろ何か企んでいるようなので「いいから早く開けなさい。」と少しイライラしつつドアを押してみると、どうやらベッドをドアの前に移動させて簡単に開かないようにしているらしい。何故そんなことをと考えながら強引にドアを開いてみると、雨戸も閉切ってムッとする部屋の中で急にしくしく泣き出して「ゴメンナサイ。」と言い出す正美。
 部屋の中で二人してふざけていてクローゼットの扉が蝶番から外れてしまい、怒られると思って直そうとしていたらしいのだが、その為にわざわざベッドでバリケードを作ったり部屋を片づけてからなどとつまらない嘘をつく正美に思わず声が大きくなる。
 怒られると思うと反射的になんとかその場を取繕うとして姑息な嘘が出てしまい、その嘘のせいで一層怒られるという、まさに自分の小さい頃を見ているようで正美のココロの中身が手に取るように判って・・・だったら叱るまでもない筈なのだが、どうしようもない苛立たしさについ声を荒げてしまう。それほど大したことでもない筈なのに、かつて同じように詰らない事で叱られた母親の役割を僕自身が勤めている事にうんざりすると共に、自分のしでかした事を恐れるあまりに嘘をつく正美にも伝わらない思いにイライラしているようです。
 あぁ、感情のままに叱っているなと思いながら、それを止めることの出来ない自分自身に一番苛立っているのかも知れません。だとすれば、そんな事で叱る父親など子供にとっては大いなる迷惑以外の何者でもない筈だと言うのに・・・

 子供を叱るときは感情のままにならないようにと思いながら、余計なことを思い出して大声で叱るなど、結局感情のままなのようで我ながら呆れます。子供の気持が判ると言うならなおさら冷静に叱るべきなのに。



5月8日(Sat)

 ふと目が醒めて時計を見てみると5時過ぎなのだが一瞬朝なのか夕方なのか判断に迷ってしまい、しばらく呆然としたままモニターを眺めている。2階の居間で子供達がテレビを見ているのだが、なんでこんな時間に起きているのかといぶかしむあたりまではまだ明け方だとばかり思いこんでいたようだった。
 なんだか自分の居場所を見失ってしまったような気がして冷蔵庫からピッチャーを取出して冷たい麦茶をグラスに注ぎ、一息に飲干してようやく「いま」と自分が一致したような気分だった。しかしこの「いま」の存在感のなさはどうしたことだろう。全てが何かしら薄いベール越しの眺めのように微妙に焦点が合わず、どことなくよそよそしい雰囲気がするのはただ単にわたしがぼんやりしているせいばかりではないような気がしていた。
 子供達に声をかけようとして、わたしの姿など誰にも見えていなかったらどうしようと・・・一瞬ためらったのは、果して何ごとかを予感したからなのだろうか。

 結局もう一度ベッドに潜り込んで眠ってしまったようです。正美の「お父さんご飯だよ。」という声にようやく目が醒めたような気がします。



5月9日(Sun)

 例えば「喜び」というものは山に登るようなもので、登り詰めれば何れはその頂上に立ってしまって、後は緩やかにか急激かの違いはあっても再びふもとを目指して下山することには違いがない。
 もう一方で「苦痛」は、果て知れぬ深淵に向けてひたすら潜り続ける潜水のような気がします。潜れば潜るほど深淵は更に深くなり、暗く凍りついた深海の水圧に押し潰されながら、なおも海底は何時までも見えてはこない。
 ひとが天国に抱くイメージの、そのあまりの凡庸さととりとめのなさに比べて、地獄を形容するコトバの執拗さと、そこで繰広げられる際限もないイメージの奔放さはまさに人間の想像力がいかなるものを根元的な支えとしているかの証明なのでしょう。つまり「喜び」と「苦痛」のいずれかをわたし達がより深く実感できるかと言えば、それはあまりに自明の事のようです。
 「喜び」だけを求めて生きようとすれば、確かに手触りの良い絹のような人生が送れるのかも知れませんが、あえて「苦痛」に満ちた選択を選ぶ人が実感する人生の様々な軋轢や実感は比べものにならないぐらいに深く充実したものとなるのではないでしょうか。例えそれが苦痛にのたうちまわるだけの結果になるのだとしても、そこに存在する圧倒的な実感の前には、何ごとも比べるまでもないことのような気がします。

 いきなり訳の判らない事を書きだすのもよくあることです。しかも途中で投出してしまって結論らしき部分が何処にも見当らないという体たらく。本人にも何が言いたいのかよく判ってないようです。



5月10日(Mon)

 今日も例によってまるでヤル気なし。ほんとは銀行に行ってあれこれと支払をしなければいけないのに明日でイイやと、実は先月の末からずっと思い続けて、そのくせちっとも実行できてなかったりします。みんな銀行引き落しにすれば簡単なのかも知れませんがイマイチあの「銀行引き落し」というシステムが信用ならない気がして、全部はそうしてません。口座の残高をいつも確認しておかなければいけないのも面倒だし、何かというと銀行引き落しを勧める役所や銀行の思惑がなんとなく怪しい気がして。何かと便利とか言い出すのに限って、その便利さはきっと彼ら自身に取ってそうなんだろうとしか思えないから。役人や銀行マンなどが相手のことを思って何か行動するなんてことは金輪際あり得ないだろうと、まぁ何時もの独断と偏見で決めつけてるだけなんですが。医学生と同じぐらいキライなのが役人と銀行員だったりします。というか、僕にとって好きな人間というのがとても限られているので大部分の人間は「キライ」な範疇にはいるので、とりたてて誰が嫌いという訳でもないような気がします。
 まぁ、そんな事を言い出す人間自体がどうしようもないほど性格が悪いのでお互様と言えなくもありません。別にそんな奴に好かれようと思ってないからどっちでも良いんですけどね。

 銀行引き落しの話からどうしてこんな結論が出てくるのか我ながら意味不明ですが、最近なんとなく人間嫌いの虫が再びうずきだしてるような気がします。もともと基本がそんな人間なんですけどね。



5月11日(Tue)

 子供達の得意料理というか、遊びながら作っているらしい餃子が本日の夕食。
 本人達は粘土細工か工作の一環のようなつもりなんでしょうが、妙なかたちをした餃子ともつかないものを食べさせられる父親はかなりいやんな感じ。普通に作ればよさそうなものを、例によって不明な情熱の持主の正美などは「おっぱい」だの「ばくだん」などといったおかしな造形にこだわった餃子作りに専念しているようです。
 娘が手づくりしたおっぱい型餃子をはぐはぐとほおばる父親の姿というのも情けないというか、まさに人情裏日記的風情とめでるべきなのか・・・あぁ、熱々の餃子でちょっぴり口の中をヤケドしたようです。

 本日も日記は短め。すぐに読めるからなにかと便利でしょ。そのうち3行日記の近況報告だけですませるのもらくで良いな。



5月12日(Wed)

 携帯電話を持とうかと、もう何度目になるのか判らないのですがちょっと思案中・・・でも結局は持たないんですが。
 基本的に「電話嫌い」な人間なのは、肝心の時になるとうまく口がまわらなくてついつい口ごもってしまうせいもありますが、およそコミニュケーションとして話し言葉しかない電話故に、お互いが一瞬黙り込んでしまうあの「無言」の瞬間というものがなんとも苦手だったからなんです。受話器の向こうとこちらの沈黙に耐えられなくて、ついつい言わなくても良いことまでも口走ってしまいそうで・・・ほんとは他愛のない話しに終始していれば十分な筈なのに、根っからの貧乏性はそんな時にも何かしらコトバに意味を持たせようとしたがるものです。
 便利であることは認めないわけではないのですが、そうやって次々と便利なものを受入れてきた僕たちの日常がかくも制約に満ちているように思えるのは、やっぱり僕の勘違いなんでしょうか。
 何処にいても自らの所在を知らしめたいというのはいかにも「寂しん坊」らしい願望ではあるんでしょうが、だから何が満たされたのかと言えば、更なる孤独を恐れるだけでしかないような気がします。

 などと書いてますが、案外おしゃべり好きな自分自身を再認識させられる道具でもあるようです。だからこそ苦手なのが本音かも知れません。

 とはいえ、軽帯電話は何処ででも通話が出来るということに付随して、衆人環視のなかで電話でおしゃべりしなければいけない事が多くて、あれだけは何時までたっても馴れることができません。席を立つのもなんとなく気詰りだし、だからと言ってみんなの前で知らん顔でおしゃべりというのはあまりに恥ずかしすぎます。そんな時は早くこの代物を手放したくて思わず早口になったりするようです。



5月13日(Thu)

 あぁ、仕事に追われていたせいとは言え、人情裏日記の更新まで忘れるなんて、やっぱり相当に厭きてきているのかも知れません。別になにかあったわけでもないんですよ。と、ちょっとだけ言訳など。
 書かないでいるつもりは全然なくて、当然こっちの日記は書くつもりだったんですが、ご飯食べてから書こうと思っていて、その食事の後にはてっきり日記を書くのを忘れてました。というか、本人はすっかり日記は書いたつもりでいたようで、メールで問い合せがあって、あぁまたもやFTP忘れたのかなと思ったら・・・がはははh、日記なんて一行も書いてませんでした。

 そんな訳で朝になって慌てて昨日の日記を書いてる処など、日記更新症はまだまだ直ってない模様です。

 しかし、自分でも日記の更新を忘れるなんてちょっとビックリ。全般的に日記更新欲に欠けているのは間違いのないところです。このまますっぱり人情裏日記もやめられたらせいせいするのかも知れません。えぇ、読みに来る人がね。



5月14日(Fri)

 まさか日記を書き忘れるとは思わなかったと言うのが我ながらの正直な感想です。例の強迫神経症が収ったのなら良かったんですが、ただのボケ症状の始りの可能性はかなり高いのかも。
 えぇ、勿論ボケ老人達がみる悪夢がいかなるものかと考えれば、それが決して単なる呆然自失などではなくて、たえず己が失いつつあるものを実感する果て知れぬ煉獄での日常であろう事は容易に想像がつきます。ある朝目覚めれば全てが「無」となっているのならそれは一種のシアワセと言えるのかも知れませんが、そうではなく徐々に己の裡に暗黒が拡がることを見続けねばならないとすれば、それは人生最後の試練としてはあまりにもむごい仕打ちではないのかと・・・それほどの罪に問わなければならない人生などこの世にあるべきではないのでしょう。
 もともとが記憶力に乏しい人間なのでただ単に、日記を書いたつもりになっていただけなのかも知れません。まぁ正直な処を言えば、Web日記なんてものにそれほど入れあげるまでもなくて、たまには更新を忘れる位のスタンスが良いような気がします。とはいえ、明け方6時頃に慌てて昨日の日記をアップしてるあたり、病気は何も変っていないようです。

 で、今日はぐっすり寝ました。二度寝して今度はFTPし忘れていたようで、やっぱり惚けてるだけかも。



5月15日(Sat)

 日記書き忘れたりFTPするの忘れたりで、どうにもこうにもヤル気のなさが露呈しているようで、こうなるとこっちの日記の更新もいい加減やばいかも知れません。
 だれすぎて日記を書く意欲が湧かないというよりも、日記なんてものは書かなくても何も困ることなどないことに改めて気づいたからかも知れません。そんな事などとっくに気づけば良さそうなもので、いい加減遅すぎるのかもしれませんが、なぁに、まだまだ更生の余地はあるのかも。って、それほど重大事でもないことは確か。シアワセな人は日記の更新が滞ると云う「日記猿人七つの法則」のひとつに習うなら、つまりは僕にもようやくシアワセが訪れてきたのかも。うん、きっとそうなんでしょう。相変らず奥さんの僕を見る目はとっても冷たいんですけどね・・・まぁ、その事はあえて気づかないフリをしておくに限ります。いままでもそうでしたから。

 という訳で本日も僕はシアワセなんでしょう。え、ちっともシアワセそうには見えないって? いやいや、決してそんな事はありません・・・うん、たぶんネ<ネはちょっと疑問符付。


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