デーテーペーな1日

1999.06.16~30


日記関係の発言はこちらで。

6月16日(Wed)


 お約束とは思いながら・・・しかし暑いです。もう梅雨明け宣言が出たのかと錯覚するような天気なんですけど、風にはどことなく湿った気配が濃厚だし、朝夕は意外とひんやりしたりするのが夏本番の頃とは少し違っているようです。
 それにしても今年のから梅雨には雨が降る気配すらなくて、連日良い天気なのはやはり東京が亜熱帯の気候に徐々に変わりつつあることの証明のような気がします。四季の区別がなくて雨期と乾期が繰り返すだけの1年って、考えただけでもその単調さにうんざりしそうですが、まぁ地球上にくっきりと四季があるところなんてのがかえって少ないのかもしれません。
 子供達も学校でのプール授業も始まって、いつもだとまだプールにはいささか早すぎる陽気の時が多いんですが今年はもうすでにプールが待ち遠しかったようです。麻美は去年は25メートルらくらく泳げたのに今年は何だかぜんぜん泳げないと嘆いてます。もともと麻美の平泳ぎはどうみても溺れてるようにしか見えないからちょっとタイミングがずれるとちっとも前に進まないようです。正美は今年こそ水泳の等級で麻美を抜いてやると秘かに期するところがあるようですが、中耳炎の方は大丈夫なんでしょうか。何れにしても5級と7級の闘いという、実に低レベルな競争のようです。

 今日の夕食はまたもや冷し中華。最近我が家の夕食のレパートリーはどんどん狭まっているような気がします。くり返しの間隔が短いもの・・・明日あたりはカレーか?
 あぁ、今日の冷し中華にはちゃんとハムが入ってました。うれしいなぁ。



6月17日(Thu)

 ここ何日か、テーブルの上には2・3センチばかり水が入った小さな水槽が置かれていて、これ誰のと訊いてみると正美のだと麻美が教えてくれました。
 なんだかなぁ、正美はまたぞろ怪しげなことを始めたのかな。そう思って周りのがらくたを眺めてみると・・・ありました。

 「めだかのかんさつノート」

 中身がまた、例によってバカ丸出しです。かんさつノートと言いながら、そのまま日記になってるところがなんだかなぁ。
 数日前に学校の先生からめだかのたまごを貰ったらしくて、うちに持ってかえってさっそく水槽に移しかえて、あとはもう飼育日記を書くしかないでしょう。このあたりは血筋なのか?
 だいめい・おもったこと・かんさつ・イラストと、初日はやたらとめだかのたまごを貰った事がうれしいらしくてコーナー分けして色々と書いてはいるんですが、幼稚園児が書いたような文章と絵で、きみはそれでも4年生なの?とマジで尋ねたくなりました。
 「きょうはめだかのたまごがもらえてとってもうれしいでーーーーーーす!�」なんて書いてますが、つくづくアタマ悪そうなガキだなぁ。ひらがなばっかりだし。
 しかし、父親の文体に何となく似ていないか? とほほ。<自爆ネタ。

 1週間したらたまごから孵るとかって無邪気に喜んでますが、カルキ抜きもしてない水道水で水かえしてるようですが果たして無事にめだかの赤ちゃんは産まれるんでしょうか。めだかとは言え、飽きるまでの運命というのではあまりに可哀想なので今のうちに向かいの菖蒲園の池にでも逃がしてやった方が良いんじゃないのかなぁ。



6月18日(Fri)

 我が家の取引銀行と言えば、最近話題の東京相和銀行です。破綻した銀行としてはこれで何番目になるのかよく判らないんですが、まぁざまー見ろと言いたいですね。がはははh、
 取り立ててこの銀行にうらみつらみがある訳でもないんですが、土台銀行なんて存在自体が気に入らないし、基本的に僕には用のない場所なんで、そんなものはどんどん潰れれば良いと思います。
 税金使って銀行のしりぬぐいをするのはどうかと思うけど、まぁ僕自身はそれほどたいした税金を納めているわけでもないんで、勝手にすればいいんじゃないでしょうか。どうせまともな使い道なんてものができる道理もないのは木っ端役人の無能が原因というよりも、国家というシステム自体がもつ本質的な矛盾のせいなんだから、あまり有効な使い道なんてものを発見されると困った事態に陥る可能性の方が高いんじゃないでしょうか。訳の分からないバブルの後始末に数兆円だか数十兆円無駄遣いする方が軍備拡張なんてものに国家予算を費やされるよりもよほど安心できるでしょう。なにやらキナ臭い予感のする近ごろの日本など、つまらぬ空き地や無人のテナントビルに費やされた莫大な無駄金の処理に四苦八苦している位が近隣諸国も安心できそうです。妙な自信などをもってしまって、うっかり「アジアの警察」とか言い出したりするような事態に陥らないとも限らないのは、過去の行状を考えれば単なる空想とも言っていられないような気がします。

 銀行が潰れたらローンがチャラになるとか、そういう「お楽しみ」があれば良いのに。うん、そうすればみんなももう少し日本経済に関心持つんじゃないですか。あそこの銀行はどうやら危ないらしいからローンの借換えをやろう、なんてことになって案外経営が持ち直したりすると面白いのに。
 で、目出たく潰れたらまあ宝くじでも当たった気分が味わええるし、月々のローンの支払いがなくなって、その分浪費に廻るお金で日本経済も潤ったりして。子供ひとり2万円なんてビンボーくさい地域振興券よりよほど経済効果はあるかも。
 うん、やっぱり潰れた銀行のローンはチャラにしましょう。



6月19日(Sat)

あの日
行くあてのないままに雨上がりの町をさまよいながら
わたしはわたし自身を持て余していた

互いの行く末も知らぬまま
ただ闇雲に求めるココロに戸惑い
はたして其処に答えはあるのかも知らず

夕暮れの町で立ちすくんでは
言葉もなくうつむくばかりでした

何処から来て何処へ行くのか
なにも知らされることなく
ただいたずらに日々を過ごすわたし達にとって
出会いこそがその答えの全てなのかもしれません

わたしが生まれたことになんの理由もないとしても
あの日「あなた」と出会えたことは
わたしにとっての
意味ある行為の全てだったのかもしれません

ただ空しく果てる身であるが故に
わたしの裡なる咎の在処を
知ろうとするのは

つまりは

ふたたび帰り行くことを望まぬ路に
一歩を記したからに他ならないようです

 あの日もやはり今日のように冷たい雨の降る一日でした。しかし、不思議と雨の記憶がないのは人間が知る「記憶」の不確かさなのか、或いは全ては夢の中での出来事だったのか・・・未だわたしは夢の中にいるようです。



6月20日(Sun)

 今日は「父の日」だからと、正美が随分はりきって「手づくりシュークリーム」を作るんだと、朝からお菓子造りの本を眺めながら頑張ってたみたいなんですが・・・クリームの方はそれなりにちゃんとできたらしいのだが肝心のシューの方がまるでダメ。何度やってもうまく膨らまないらしくて、出来上がったものは柔らかい河原せんべいみたいな代物。なんだかなぁ。
 仕方がないからそのせんべい様の物体の上にクリームをのっけて「手づくりシュークリーム」の出来上がり。見た目はともかく、食べてみるとなんとなくシュークリームの様な気がしてくるから不思議です。とほほ。
 手づくりケーキの部類ではシュークリームは一番難しいと思うんですが、まぁ本人が作ってみたかったからというのが正直な動機なんでしょう。なかば遊びでするのは料理のとっかかりとしてはそれなりに意味があると思うんですが、いろいろと試行錯誤の結果の出来損ないを食べさせられる方としては結構辛いものがあります。今の処は気が向いたときに作る程度の事なのでたいした実害も出てないんですが、いよいよそれが趣味にでもなると周りの人間は大いに迷惑かも。料理だと失敗してもなんとか食べられるものは出来そうな気がするんですが、お菓子やケーキだけは失敗すると目もあてられないようなものが出来上がるからなぁ。

 せっかくの好意を無にするのも忍びないからと、目を白黒させながら「手づくりケーキ」を無理矢理口に押し込んでるお父さんは、今日という日は結構多かったりするのかも知れません。

 ビンボーくさいお手紙も当然付いて来るんですが、中身は相変わらずで「お仕事頑張ってね」とか書いてあると、彼女たちが父親になにを求めているかが一目瞭然だったりします。口うるさいオヤヂなんて、黙って仕事さえしていればそれで良いんでしょう。



6月21日(Mon)

 ただいま〜。結構ヘロヘロです。今の処はあまり眠くありません。でももう少ししたら死ぬかも。
 と、相変わらず意味不明のつぶやきでお茶をにごす日々なのは本日お出かけだったせいです。予定日記を書いておけば後々ラクチンだとは思いつつ、最近はそんなものをわざわざ書くのはさすがにばかげてるような気がしています。書けないなら書けないなりで別になんの不都合もない筈なのに、手段が目的を凌駕するという奴で、日記の中身ではなく日記そのものを書くことだけが重要に思えているようです。
 あくまでも本人にしか理解できない理由で、しかも「日記」と名付けた文章を書きたがる人間なんて、やはり心のどこかに欠けた処があるようです。欠けたもの同士、こっそりお互いの手の中の破片を持ち寄ってジグソーパズルのように心のスキマにはめてみては、予め失われていたものをそうやって埋め合わせようとしているのかも知れません。

 夜中のお仕事もあるんで少しは寝た方が良いのかなぁ。まぁこんな時に限ってなかなか眠れなかったりするのがちょっと辛い処です。だったら余計な日記など書かなければ良いんですが。



6月22日(Tue)

 耐えられないという訳ではないんですが、何となく歯が痛くて食事するのが億劫です。その上夕食は「ゴーヤチャンプル」だったりしてかなり難行苦行。
 ゴーヤってのは最近は「にがうり」という名前でスーパーなんかでもお目にかかるようになった九州から沖縄にかけての特産の野菜なんですが、文字どおり苦くてその上青臭いと云うなんとも複雑な味のするいぼいぼだらけのキュウリの親戚みたいな代物です。沖縄の料理特集なんて時には必ず登場してくるので、近ごろではかなり知られるようにはなっているようですが、最初に食べたときは「ゲッ、なにこれ?」って感じで、野菜嫌いには拷問みたいな食べ物でした。その時は、何分にも奥さんの沖縄の実家に始めてご挨拶に行った時だったりして、行く先々で「これがとってもおいしいから是非食べなさい。」と出てきて思わず泣きそうになった覚えがあります。何分にも初対面の緊張のせいもあって、皆さんの好意に嫌とは言えなくて目を白黒させながらそれでも少しだけ食べた記憶がありますが、あれ以来ずっと敬遠中です。
 山羊の内臓のスープと同様で、「ゴーヤチャンプル」は僕の沖縄料理に関するトラウマの原因といっても過言ではありません。えぇ、あの時の親戚まわりは食べ物に関してはきつかったなぁ。何処に行っても出てくるのには逃げ出したくなるほどで、またご飯の盛りがはんぱじゃなくて、それをお替りさせられるものだからまるで「大食い選手権」のような有り様。あの時は1週間で5キロ位太ったかも。
 食べ物さえ勧めなければ皆さん気のいい親戚ばかりなんですが・・・

 そんな訳で「ゴーヤチャンプル」にはあまり良い思い出がないんで夕食はすごく静かな雰囲気でした。正美は「ゲゲッ!」とか言いながらなんとか食べていた模様ですが、麻美は最初から敬遠して決して箸をつけようとはしません。



6月23日(Wed)

 「法律家」に文学論を挑むことの無意味さを改めて知らされるような判決で、これが悪しき前例とならなければ良いんですが。
 名誉毀損は名誉毀損として、きちんと相手と対応して謝罪するなり内容の削除に応じるなりをすればよかったものを、硬直した文学論でモデルとなった人物に理解を求めたのはやはり作家の側にも処女作というものに付随する思い入れが強かったせいなのかも知れません。でもここはやっぱり「和解」で解決すべきだったと思います。プライバシーの侵害から出発して、様々な理由を付けて出版を差し止める為の判決が出てくるようだと、まさにそれは「私小説」というものを否定することにもなりかねないし、私小説と銘打たなくても作中に特定の人物を彷彿とさせる描写があって、その部分を理由として今回のような出版差し止めの裁判を起こされたりすれば、作家の側はともかくとして、出版社としては結局「自主検閲」に走ってかえってささいな部分にまで表現の変更や削除を求められたりするような、そうした愚かしい事態が起きなければ良いんですが・・・でも、自らが書いたものにたいするこだわりを「作家の甘え」で簡単に断じられたりするのはやっぱり比べるものの質が違っていることに気づかない人間の勘違いだと思います。名誉毀損と表現の自由は相対するものではなく、どちらをも生かすための努力が当事者同士に必要だったことを忘れてしまったのが、結局は今日の判決になったのかも知れません。

 などと余計な心配をするのは日頃「Web日記」などを書き殴っている人間故に、私生活暴露がなにかと気になっているのかも。家族は告訴しないだろうという安易さが動機だとは思いませんが、何故書くのかについてはいまだ確かなところは判っていないのが正直なところではあります。



6月24日(Thu)

 今日もひたすらやる気のないままの1日でした。こんなことじゃどうしようもないなぁと思いながら、ただなんとなく1日が過ぎていくのを呆然と見送るままで、日常の様々なことどもがどうにも疎ましい・・・というか、自分自身のことを含めてあまり関心を抱けないのは良い兆候とは言えないのかも知れません。
 なにを考えるでもなく、背後に迫り来るものの正体をしりながら、それでも無関心を装うのは、何ごとにつけて面倒なことを嫌う僕自身の弱さに起因するようです。
 生きるのに「一生懸命」というのが苦手というか、幸運だけを頼りになんとなく生きてきたせいで、そうしたことに努力するという発想が浮かんでこないようです。要は全てにおいて怠惰なだけなんですしょう。まぁ、家族にとっては良い迷惑だと思いつつ、別に「家族」と言った処でそれぞれが独立した人間なんですから各自で勝手に生きれば良いだろうと、いかにも無責任に開き直るしかできないのが我ながらどうしようもないなと・・・なにも関心がなさそうにぼんやりとテレビを眺めているだけの、そんな1日だったようです。

 と言いつつこんな日記を書いているところよく判らない訳です。何となく眠いから二度寝でもするか。



6月25日(Fri)

 引き続き本日もやる気なし・・・ってここ1、2週間はずっとそうなんですが。
 仕事に関して言えばもう何年もやる気がないままで、こんな事で果たして大丈夫なのかと本人もいささか呆れるぐらい・・・などと至って人ごとのようです。
 「・・・」多用すると、いかにもやる気のなさが倍加されるような気がしてあまりにも安易なんですが・・・あぁ、またやってます。
 父親のやる気のなさとは無関係に、子ども達だけは相変わらず元気なようです。先日学校から貰ってきたメダカのたまごからは無事にぼうふらみたいなメダカの子どもが次々と生まれていて、正美の「めだかかんさつノート」も毎日更新しているんですがここ何日かはどうもネタ切れのようで、毎日似たような記述に終始してます。なんだか「たまごっち」のような感覚で見ているようで、本当に生き物を飼っている意識が在るのかどうか怪しいところですが、本人はメダカを評してやたら「可愛い」を連発してます。
 日本のメダカは絶滅しつつあると聞いたような気がするんですが、ちいさなコップの中で元気いっぱいに泳いでます。せっかくたまごから生まれたんで、ちゃんとした水槽を用意してやれば良いんでしょうが、ザリガニの一件以来どうも水槽は苦手なんでもうしばらくは様子を見ることにします。

 カルキ抜きもしないでいきなり水道の水を足したりしてますから、それじゃマズイんじゃないの言ってもあまり理解していないようで、この分だと早晩みんな死んじゃうんだろうなぁ。早い目に向かいの菖蒲園の池にでも逃がしてやった方が良いようです。



6月26日(Sat)

 小さな「丘」とも呼べないような起伏でも、その上にあがってみると思った以上に視界が開けて見えた。目の前には公園。滑り台のついた木製の遊具と砂場の他にはなにもなくて、その向こうには大きな通りとガソリンスタンドが見えた。風に乗ってガソリンスタンドの店員が車を誘導する声が微かに聞こえてくるのだが、湿った空気の気配のなかで街は意外なほどに静かだった。
 遠くには低空を飛ぶ飛行機のライトが明滅しながら、送電線の鉄塔の向こう側を、やはり音もなく横切っていった。
 全てのものがそこに「在る」ことになんの違和感もないことが私にはうらやましかった。しっとりと雨を含んだ芝生の弾力も、青白い街灯に照らされたベンチの上をカサコソと這う小さな甲虫も、誰が求めたわけでも誰が選んだわけでもないのに、ただそこに「在る」ことに思い迷うことのない確かさと、わたしのちっぽけな思いなどには一切無頓着であることが、心地よくもあり理不尽でもあった。
 なにをしようとするのか、なにを伝えたいのか・・・わたしはわたし自身の不分明な願望につき動かされながら、それでも「あなた」の頬を両手で包みこむように抱いて、言葉なく立ちすくんでいた。

 帰ってまず最初にしたのがメールのチェックと子ども達の寝顔を眺めること・・・あたかもそれが後ろぐらい事でもあるかのようにそっと。自分の弱さを改めて知らされて己を嗤う。



6月27日(Sun)

 いつも事務所で座ってモニターを眺めている場所のすぐ横に窓があるんですが、もちろん三方を隣家に囲まれた狭い敷地にめいっぱいに建ててある我が家の1階の窓に「景色」などというものが存在する筈もなくて、ただ隣家の壁が見えるだけなのです。
 蒸し暑いからといった理由で、ここの処その窓をずっと開け放したままでいたせいで今日は一日中ずっと雨の匂いがしていました。本当は紙に湿気が移るので開け放したままにしない方が良いんですが、雨音と一緒に吹きこんでくる湿った風の、そのまといつくような感触がいかにも外気に触れているといった気がして何となく落ち付くのです。
 湿った森の中にいるように、手に触れるもの全てがしっとりと濡れたような手触りがしている。肘かけ椅子のビニールの感触があたかも汗ばんだ人肌のように思えてどことなくなまめかしい。
 だからと言ってなにかを思い出している訳でもなくて、今日も一日なにも為すべき事のない日でした。

 2時頃まで寝たり起きたり、そのあとも何となく気怠いだけであらゆる事に手付かずのまま。



6月28日(Mon)

 自分のダメさ加減というものを承知しているが故に、僕はしっかりとして大人びた女性というのが昔から苦手でした。苦手というか、弱い自分がきっと頼り切ってしまう事をずっと恐れていたからというのが正しいのかも知れません。
 織田作之助の「夫婦善哉」に登場する不甲斐ない柳吉と世話女房の蝶子との関係が、ある意味願望でもあり恐怖でもあったことがいつまでも尾を引いているようです。あいにくボンボン育ちではないにしても、成り行き任せで飽きっぽい性格で甲斐性無しの処など実に僕に似ているような気がします。母親のように全てを受け入れるような女性であればどこまで頼り切ることになるのか・・・きっと甘えを承知で不本意な日常に溺れていつの間にか窒息死でもしかねないような気がします。
 僕の父親と母親とがまさにそんな関係で、全てに優柔不断で何ごとも決められない父は男勝りでテキパキとあらゆる事をこなす母に頭が上がらぬままで、結局最後まで母に隷属したままでした。朝ゴミを出そうとして玄関先の階段で足を踏み外して結局そのまま逝ってしまった、なんとも気の抜けた死にざまも父親らしくていかにも情けない限りですが、そうした「血」がまぎれもなく僕自身の裡にも流れていることもまた確かのようです。
 だからこそ、どこか頼りなげで不安定に思える人に惹かれるというのは、やはりどう見ても二人のバランス的には問題がありそうです。まぁそんなせいもあってか、我が家の奥さんなどは年々強くなって頼りがいのある女性になっているとも言えるんですが。

 世話女房タイプの奥さんに全てをゆだねてのんべんだらりと太平楽に生きられればどんなにお気楽かと思いながら、なかなかそうもできないのは「小心者」でもあるからのようです。
 沈む船のなかで成す術もなく途方に暮れて一緒に沈むのが、つまりは僕のようです。



6月29日(Thu)

 雨が降らないと何となく不満げだったりするくせに、こう毎日降り込められて部屋中がジトジトするととたんに文句がでてくるのが人間というものの身勝手なところです。まぁ人間一般に話しを拡げるまでもなくて、つまるところは僕自身がたんに身勝手な人間なのだと言うだけのお話しなんですが。
 でも蒸し暑いよりも多少は湿気が残ったとしても今日のように肌寒く思えるほどの陽気もなかなか過ごしやすくて昼寝などするのにはうってつけのようです。
 午前中はそんな訳でぐっすりと眠れました。相変わらずソファー寝だったんですが、椅子寝よりはどれほどマシか。今月中に料金払い込まないと水道を止めるなんて市の水道局から督促状も届いているので仕方なく銀行まで。この水道料金だけが支払期限がほかと違っているせいで、つい面倒だったり忘れたりが多くて督促状がよく届きます。水道だけは他と違って日常生活での必要性が高いせいでなかなか止めないと聞いたことがあるんですが、そんなのをわざわざ確かめるのも面倒なのでここは素直に支払いに行ってきました。あぁ、しかし支払いのためにわざわざ銀行に行くのも面倒だなぁ。いっそのこと銀行なんてものはみんな廃止して、落語の世界みたいに盆暮れに借金取りが集金にやってくるなんて事にでもなれば失業者対策にもなるしつまらない銀行救済のために税金を浪費する必要もないから一石二鳥だと思うけどなぁ。公明党あたりが地域振興券の次ぎのアイデアとして銀行不要論なんてのをぶち上げてくれるとかなり面白くなりそうな気がします。銀行なくなると日本の国はかなり良くなると思うけど。

 どうやら関西から西は大雨のようです。これから前線が移動してくると今度はこっちが洪水の番なのかも。そう言えば僕はあまり洪水の経験がないので大規模なものでなかったらたまには「洪水」も良いかな。天変地異という奴はけっこうワクワクするものですから。



6月30日(Wed)

 そうか・・・メダカの卵は正美が学校から貰ってきただけだと思っていたんですが、麻美も例によって正美のまねをしてちゃっかり別に貰ってきていてそれぞれに育てているんだとか。どうりで「まだ2匹しか生まれてないー」とか嘆いて筈で、確かコップの中には10匹以上いたと思ったのはあれは正美のメダカだったようです。うーん、どうせ飽きるまでの何週間のことなんだから、水槽は掃除がとにかく面倒なので当分はコップの中で育てるようにお願いしますよ麻美ちゃん。
 ハムスターなどと違って部屋を汚したりしないので今の処奥さんの機嫌は良さそうなんですが、テーブルの上に卵飼育用だとか生まれたら移しかえる為だとかでコップがいつも林立してなんだか酒盛りのあとみたいで落ち付かないんでちょっと片づけてほしいけどなぁ。最近では奥さんは掃除をしなさいとかあまりうるさく言う事もなくなったのは、もうすっかりあきらめの境地なのかもしれません。テーブルの上はあえて見ないようにして、部屋の掃除だけを適当に済ませているようです。
 正美の部屋などは相変わらずで、どこがどうという訳ではないんですがいつも雑然としていてスッキリ片づいている事なんて見たことがないんですが、あれはもう天性のものとしか言いようがないのかも。片づけ下手というか根っから気にならないタイプなんでしょう。ついこの間父親に大方のがらくたを捨てるように言われたばかりなんですが、スグにいろんなものを貯め込んでしまって部屋は相変わらず・・・自分の巣の中にいろんなものを貯め込む処など、ハムスターみたいな性格なのかも。そのあたりの貧乏性は父親ゆずりなんで致し方ないのかもしれませんが、どうにもだらしない処がちょっとなぁ。

 夕方から急に晴れて明日は久しぶりに晴れるようです。晴れたからといってどうせ1日中部屋の中なんでどっちでも良いと言えばそうなんですが、たまに晴れると何となく嬉しくなるのがやっぱり「梅雨の晴れ間」の良いところなのかも。


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