9月16日(Thu) 取り立てて萎えることがあった訳でもない筈なんですが、なんとなくすべてが面倒に思えてきてなにもする気がなくなるのは、まさに「不定愁訴」と呼ぶに相応しいような気がします。一緒に生活している人間にしてみればなんとも理不尽な言いぐさで、なにが不足でそうしたことを言い出すのかよく理解できないと思います。ただ漠然とした喪失感のようなものに囚われているだけで、本人にしてからが確たる原因に思い当たることなどなさそうです。 日常は日常として、単純なくり返しに終始することに不満がある訳ではないのですが、それをいつまで続けるのかについては、なんとはなしに落ち付かない気分がいつまでも付きまとうようです。 だからどうした、と問われると言葉に詰まるんですが、この宙ぶらりんさがつまりは「シアワセ」という奴の正体なんでしょう・・・か? 書いてる本人すら意味不明なんですから、まさにシアワセボケしたオヤヂのつぶやきとはこの事なんでしょう。
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ついうっかり夕寝などしてしまって、はっと気づくと奥さんがなにやら洗面所で念入りにお化粧などしていたりします・・・うーん、イヤな予感が。 あぁ、やっぱり。今日は子ども達の学校で保護者会があるんだとか。最近は学校にはぜんぜん足を運んでいない父親はなにも知りませんでしたが、代わりに奥さんは真面目に出席しているようです。 で、夕方までは保護者会で、そのあとでなにやら奥さん同士で「打ち合わせ」と称する集まりがあるらしい。早くから夕食の支度をしていたのはそのせいだったのかぁ。今夜はカレーのようです。 ホントは今日は僕も外出の予定があったんですが、最近は事前になにも言ってないのでこんな場合は早い者勝ち、先に言った方がお出かけする事になります。もっとも奥さんから出かけると言われれば「はい、行ってらっしゃい。」と直立不動でお返事するのが我が家の習わしなんで(ちょっとウソ)、何れにしてもこんな日はお留守番しなければいけません。えぇ、日頃の己の振るまいが招いた結果がこれです。まさに自業自得にターボかけたようなもの。 そんな訳で本日のお出かけはあえなくドタキャンに・・・あぁ、またもやこんな仕儀に。何時ものワンパターンなんですが、本当に申し訳ありません。おいしい惣菜買っていこうと思ってたのになぁ。 カレー温めて子ども達と一緒に食べました。これぞ家族団らんの食事・・・子ども達はテレビの「グルグルナインティナイン」に夢中で父親の存在などはぜんぜん気にしてないんですけどね。
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ここ2・3日やたらと眠くてヒマさえあればソファー寝やら椅子寝の毎日です。つまりヒマなんで一日中寝てる訳です。そのくせ昼間は「アルマゲドン」と「しむらけんのバカ殿さま2」などという、なんとも不思議な取り合わせのビデオなどを見てたりするんですが。はい、我が家の子ども達はやけにしむらけんが好きで、ここの処ビデオ屋にいけばそんなシリーズを借りてきてふたりでがはがは言いながら見てます。まぁ「アルマゲドン」のラストシーンですごく感動したとか麻美は言ってましたが。つくづくバカまるだしのガキです。 そんな訳で普段日記書いてる時間に寝てしまったので「もう今日の日記はいいか。」とも思ったんですが、やっぱり明け方になにやらダラダラと書いてます。ここで一回休みにすればあとは楽になるんだけどなぁ。 お気楽日記もこんな時間に書いてるとなんだかちっともお気楽じゃないようです。萎え萎え日記の方が簡単だったかも知れません。
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別に日記なんて書いても書かなくてもどっちでも良い筈なんですけど、今日は書かないでいようかなと思うと気持ちが何となく落ち着かないというのは果たしていかなる思惑があってのことなんでしょうか。はっきり言って「Web日記」の繋がりなんてものとはとっくの昔に縁が切れているのは自分で十分に承知しているつもりです。まぁそれもこれも己のこの偏狭な性格のせいで素直な物言いができないんだから致し方のないところですが、いつまでもこんな処で誰かに媚びるような文章を垂れ流していても仕方がないだろうと、最近は痛切にそう思います。読まれることを前提にして書いていた「Web日記」なんで、そのことが面倒に思えてきたりしたらいっそのことやめてしまうのが正解なんでしょう。だから素直に「やぁめーた。」と書けばそれで解決する筈なのにいつまでもダラダラと書いてしまうのは、まさにこんなものを長く書きすぎてしまったからなんでしょう。 一回休んでみればこんな風にあれこれ言い訳するまでもなく、すんなり日記をやめられるのかも知れません。と言いつつ、また今日も書いてるんですが。
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またもや日記がウダウダ化してるんですが例によって大した意味はありません。要は日常に興味が持てないだけなのに無理矢理になにかを書こうとするから訳の判らない文章をこねくりまわす結果になっているだけなんでしょう。「寂しいのか?」と問われればちょっと違うような気もするんですが、根っ子に引きずっているものはそれに違いないのだとは思います。などと書きはじめると何時もの萎え萎え日記になってしまいそうなので今日は近況についても少し書いてみますか。 マック牛なべパンはあれはやっぱりハンバーガーじゃないでしょう。 正美は麻美とふざけていて自分で破いてしまったパジャマを直すんだと、学校から帰ってきてからずっとミシンの前にへばりついてます。なんだか余計にえらいことになってるようですが、ほおっておくことにします。縫い目見てるとパジャマだか雑巾だかよく判りません。
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子ども達の飼ってるウサギなんですが、これが妙に人なつっこくて、オリから出して居間に放し飼いにするとあちらこちらをちょこまかちょこまかしながら時折よってきてはソファーに寝ている僕のおなかの上に乗ってきたりします。ずいぶん昔に奥さんが一度ウサギを飼ったことがあるんですが、その時のウサギはこんなに愛嬌は良くなくて、いかにもバカ丸だしみたいな目をしていつでもぼんやりしている図体ばかりでかい奴だったので、ウサギってのは人間になついたりするものではなくて単なる動く置物みたいなものと思ってました。そう言えばあの時のウサギは可哀想だったなぁ。あの頃は住まいとは別に事務所を借りていてその事務所で飼っていたんですが、僕が朝事務所に来てみるとオリの中でもうカチカチに固くなって死んでいて、いかにも愛嬌のないペットだったせいでその硬直した身体が妙な異物のように思えて・・・あぁ、これをどうするかなぁ。まさかゴミと一緒にだす訳にもいかないだろうし。困ったなぁ・・・仕方なく、おそるおそる黒いビニール袋に押し込んで向かいのグランドに植わった木の根っ子にそっと埋めてきました。家にいた奥さんには近くの狭山丘陵の雑木林に逃がしてきたとか適当なことを言って死んだことは内緒にしたのは、やっぱりあの硬直した身体の異物感が何となく不吉な気がしてどうしても死んだとは言えなかったからでした。 どうやらウサギの寿命ってのはあまり長くなさそうなのでそのうち死ぬことになるんでしょうが、あの違和感だけは経験するのがちょっとイヤかも。 生まれたばかりだと言うのにもう死ぬことを心配しているのがいかにも動物を飼うことに馴れていない証拠なのかもしれません。まぁ、そんな事に馴れるのもイヤな気がするけど、あの硬直した異物感を裡に秘めているのがつまりは「生き物」の証拠なんだと思います。
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明日は祭日なんですが正美はクラスの友達といっしょに「多摩六都科学館」に遊びに行くんだとか。 なんでもPTAのヒマな奥さんが企画したらしくて、親や先生は直接は手伝わないで子ども達だけで電車とバスを乗り継いで出かけるらしい。と言いつつ要所要所には親たちが立っていていざとなれば口を出すんでしょうが、言ってみれば「はじめてのお使い・小学4年生版」と言ったところでしょうか。手づくりの地図を渡したり、オリエンテーションよろしく途中何カ所のチェックポイントがあったりで奥さん達もずいぶん気合いが入ってるようです。しかしなぁ、小学4年生にもなって子ども達だけで電車に乗るのがあたかも大冒険みたいな言いぐさには笑うけど、最近の過保護な奥さん達にしたら心底そんな気分なのかもしれません。公園などで見ていても、やれ転ぶから危ない、そんな事しちゃダメとつきっきりで子どもになにもさせない母親がいたりするんですが、そんなに心配なら外などに出さなければ良いのにと僕なんかは思ってしまいます。なんて言ったらいいのかなぁ・・・オンナに子育てを任せきると碌なことにはならない、とか書くと非難轟々なのかな。 僕なんかは1年生の時に両親と一緒に出かけたのは良いけど、なにか気に入らない事があって「じゃあ1人で帰る。」とそのままデパートを飛び出して2時間ぐらいかけて1人で家まで帰った事がありました。夜も7時を過ぎてようやく家の近くまでたどりつくと近くの交差点で父親が自転車で待っていて、なにかもごもご言いながらそのまま自転車の荷台に僕を乗せて家まで帰っていったのを覚えてます。母親にはひどく叱られたけど父親からはなにも言われなかったような気がします。 まぁ過保護うんぬんの話とは違って、単に僕が小さい頃から変わり者だったと言うだけのお話しなんでしょう。 今回は麻美は一緒には行けないらしい。クラスが違っているので姉妹で参加はダメなんだとか。あくまでもクラスのお友達同士で行くのが今回の主旨だそうですが、べつにそんなのどうでも良いと僕なんかは思うんだけど、奥さん達の考えることはイマイチよく判りません。
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昨夜はいきなり奥さんが洗面所でブチ切れたんでいったい何ごとが起こったのかと恐る恐る覗いてみると、どうやら洗濯機が壊れたのが原因でカッカ来ているらしい。やっぱり世の奥様がたにとって洗濯機はどうしたってなくてはならない存在のようです。というか、今時手洗いで洗濯をした経験のある奥様ってのがほとんど絶滅寸前のような気がします。ついでに言えば、電気釜以外でご飯を炊いた経験のある奥様ってのも少ないんだろうなぁ。 仕方がないので夜の11時過ぎに近くのコインランドリーまで車で行ったのは良いけれど、営業時間が午後11時までって・・・普通そうしたものは24時間営業のつもりでいたんですが、田舎方面では煙草の自動販売機と一緒で午後11時には閉めてしまうようです。使えないコインランドリーに奥さんの機嫌はますます悪くなっていくし、朝早くに起きて正美のお弁当も作らなければいけない奥さんはすっかりふてくされてます。あぁ、触らぬ神にたたりなし・・・仕方がないのでテレビを見てるふりをしていたらいつの間にかソファーで寝てました。 そんな訳で本日は奥さんと一緒に新しい洗濯機を買いに午後からあちこち廻って疲れました。ダイクマにコジマ電器にムラウチ、セキド電器と近所のお店をグルグル。こうしたときにチラシ片手にあちらの店こちらの店と走り回るのが貧乏人の悲しきサガと言う奴なんでしょう。すっかり疲れはてて、なんだかボタンがいっぱい付いていて何となく良さそうという訳の判らない奥さんの発言で決まったのが夕方近く。今年の夏はいろいろと物いりがあったのになぁ(はい、原因のすべては僕にあるんですけどね。)・・・またもや予定外の出費でかなり辛いんですが、これで奥さんの機嫌が良くなるなら致し方ないのかもしれません。てゆーか、どうしたって洗濯機は必要ですね、はい。 昨夜に懲りて今日は早々にコインランドリーに出かけたようです。それもわざわざ子ども達と一緒に。昨日から機嫌の良くない奥さんですが、土曜日には新しい洗濯機が届くのでこれでなんとか機嫌は直るのかな。もっとも洗濯機が壊れる前からずっと機嫌は悪かったかも知れません。
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台風は関東をそれるようで、せっかくの秋のイベントだと言うのにちょっと残念。などと書くと沢山の犠牲者が出ているのに不謹慎だと言われそうですが、どんなに生きてもたかだか3万日の命、早い遅いに大した違いはないのかも知れません。連日マスコミから溢れる事件・事故の報道を聞く度に、幼い子どもの犠牲者の歳を聞いて胸を塞がれる思いに襲われることもありますが、その死を僕が嘆いても我々のこのイノチの無価値さが報われる訳もなく、なにやらいい気になっているだけの己を振り返ってウソ寒い気分に駆られることの方が多いような気がします。 特別な事などなにもないのだと思いつつ、世界的な規模でうち続く地震や災害のニュースのなかで語られる膨大な死者の数に今年という年の世紀末としての意味を再確認したくなる時があります。そう、やはり20世紀とは「死の世紀」と呼ぶに相応しいのかも知れません。局地的な「20世紀の死」としては産業革命以後都市に次々と登場してくることになるシリアルキラーしかり、2度の大戦での膨大な死者の数は言うまでもなく、第二次世界大戦が終わってからでも決して途切れることなく続く世界各地の戦場では性懲りもなくそうした「20世紀の死」が浪費され続けているようです。うずたかく積まれた瓦礫の下で息絶えた人達の放つ腐臭はまるでこの世紀の無惨さを告発するかのようです。 しかし、希望はきっと何処かに存在するんでしょう。僕の裡からはすでに消え失せてしまった事を嘆く前に、無垢な魂が存在することを信じる位のことはできるような気がします。20世紀が死臭紛々たる時代であったとすれば、来るべき21世紀はそこからの再生と癒しの時代となると・・・書くのはあまりに無邪気に過ぎる妄想であるのかも知れません。 希望などという言葉は僕にはあまりに不似合いでした。書いたあとで思わず消したくなったのですが今日はあえてそのままにしておくことにします。
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最近は休みの度に出かけたがるのは一体どうした風のふきまわしなんでしょうか? なんだか思い出づくりに一生懸命のようで、ひょっとしたら「家族」というものの崩壊に備えているのかも知れません。 取り立てて目的があるわけでもなく、奥多摩方面にでもハイキングに出かけるかとも思っていたんですが起きたらすでに9時過ぎで、これからハイキングじゃ遅くなるのでそっちは中止にして・・・さて、何処へ出かけるか。そう言えば子ども達は船に乗った経験がなかったから日の出桟橋から出ている水上バスにでも乗ってみるかと、前後になんの脈絡もなく唐突に目的地が決まったりします。確か船の科学館行きがあったはずなので、一応の目的地はそこということに。水上バスは僕自身も一度乗ってみたかったからというのが一番大きな理由かも知れません。 船の科学館の周りって何もないところで実に不便。館内のバカ高い中華料理店以外にろくに食事する処がないのは何とかして貰いたいよなぁ。まぁ我家的にはマクドナルドさえあればそれで満足なんですが。
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そろそろこっちの日記もおやすみかな。何よりも飽きてきたのが一番の原因ですが、まぁそればっかりではなくて個人的な事情というやつもかなりの部分を占めているかも知れません。およそ日記など真面目に書いたことなど一度もない人間が良くも3年以上も一日も休まず続いたものです。それだけ魅せられるものが「Web日記」にはあったという事なんですが、それ故に自らを律することにも並々ならぬ覚悟がないと単なる甘えと依存に陥ってしまうことは、自分自身を振り返ればよく理解できます。ずいぶんと甘ったれた文章を書き殴ってきたものだと我ながら恥ずかしくなることがありましたが、そうした「恥ずかしい自分」を認識することが出来ただけでも「Web日記」を書き続けてきた意味はあったような気がします。 別に今日明日にも止めるという訳でもなくて、気がついたらいつの間にか居なくなっていたというのが理想なのでまだまだダラダラと書いていくんだと思います。今日を限りに、なんてのは未練がましい僕には似合わない振る舞いなんで、そう言いつつずっと更新しているのかも知れません。どっちにしても、こんな日記になんの意味もないのは皆さんもご承知の通り。 なんてことをわざわざ書く必要もない筈なんですが、まぁ自分自身への覚え書きみたいなものなんでしょう。
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本日は朝は寝過ごすし昼間は昼間でぐっすり昼寝するし、夕食が終わったあとにはいつの間にか意識を失っていてソファーで爆睡していて起きたのは日付が変わってからという、実にどうもネムネムな1日でした。どこか睡眠中枢に異常でもあるのか、あるいはナルコレプシーが発症したのかと秘かに期待する処もあったのですが、要は寝不足だった模様です。 そんな訳で今日一日何かをやったという記憶がぜんぜんありません。寝て起きて1日がおしまいになる・・・生きてるのか死んでるのかよく判らないような日常ですが、少なくとも時間だけは確実に過ぎてしまったようです。 寝る以外に時間の過ごし方を知らないのは、果たして幸せなのか不幸なのか。
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今日は珍しくお昼に出先で外食(お外で食べるんだから外食に決まってるか。)だったんですが、そうしたときにめったに頼まないのにカレーなどを注文したりして(カレーって僕は家庭料理の最たるものだと思っていて、外で食べるものという認識があまりありません。)、まぁ味はそこそこ(お前に食べ物の味が判るのかと真顔で訊かれるとちょっと不安ですが。えぇ、なにせマクドナルドが味覚の原点ですから。)で、一応カレー以外の味はしなかったから僕としては文句はありませんでした。 で、家に帰ってくるとなにやら台所からかぎ馴れた匂いが・・・あぁ、奥さん今夜はカレーなんですか。 我が家のルールではカレーの時は何故かお替りするのが永年の決まりで、お皿がそろそろ空っぽになると黙っていても「お替り?」といった感じで奥さんの手が伸びてくるので今日はもうカレーはいいなと思いつつ、つい「ご飯少しね。」などとうつむき加減につぶやいてみたりするんですが、ご飯のかわりにカレーのルーが大盛りだったりして、ぎゃふん(SIGO!)。 しかし、僕は何故に「お昼にカレーを食べてきた。」の一言が言えないんでしょう。せっかく奥さんが料理したんだから、昼夜同じメニューであってもこの際目をつむってしまおうというのは、ある種「食事」というものにそれほどの価値を見いだしていないからなのかも知れません。根っからの偏食家で食べ物についてあまり良い記憶がないせいで、本音の部分では食事なんてなんだって同じだと決めつけているような気がします。何度も言ってるように、どんな美食も喉元過ぎればバケツの中にぶちまけた残飯と大した違いはないし、あとはただ排泄されるだけの代物なんでしょう。禅僧にはどんな美女も一介の糞袋にしか見えないとするなら、テレビのグルメ番組で流される映像は単なる排泄物としか思えない筈です。 なんてことをカレーを食べながら考えていた訳ではありません。 一応しっかりお替りはしました。出されたものを残すのが嫌いな性分なので舐めるようにきれいになったお皿を眺めてズボンのベルトを緩めるのもなんだか間抜けな気分です。当分カレーはいらないかもしれません。
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いい気持ちで寝ているときにいきなり「こむらがえり」で目が覚めたときのあの逃げ場のない痛みは経験した人にしか判らないと思うけど例えて言うなら、慌ててチャックを閉めようとして思わずナニを挟んでしまった時の痛みに似ています・・・チャックを握りしめたままにっちもさっちもいかなくてあぶら汗を流して立ち往生・・・なんて書いてもこれも女性陣にはなんのことやらよく判らないと思いますが、男だったらウンウンとうなずきながら思い出してナニのあたりにひきつるような痛みの記憶が甦ったりするのかもしれません。 ちょうど奥さんと子ども達は今日が最終だからと近所のダイエーの優勝記念バーゲンセールに出かけていて留守だったので1人でいい気持ちで夕寝してたんですが、何かの拍子にひきつったふくらはぎの痛みにソファーの上で悶絶してました。以前は足が疲れていたりすると「こむらがえり」をよくおこしていたんですが、最近はずっと調子が良かったので久々にあの痛みを経験しました。別に疲れるような事に覚えはないんですが・・・いまでも何となくふくらはぎのあたりに微かな違和感があってこわごわ歩いてるんですが、痛みの発作は一度だけで今の処は収まってます。 などと言いつつ夜中の3時過ぎに昨日の日記を書いてないで、いい加減早寝でもした方が良さそうです。もっとも、こんな時間に起きていて早寝もないとは思いますが。 疲れのせいと言うよりも、ひょっとすると栄養の問題かもしれません。最近は奥さんが何も言わないのを良いことにろくに野菜も食べないでいるから、考えてみると相当に偏った食生活のような気がします。マクドナルドのハンバーガが食生活の基本だとすると、野菜の割合としてはやっぱりレタス1枚程度であとは肉とパンばっかり食べてれば将来的にはろくな事にはならないような気がします。
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恐怖の大王と呼ぶにはいささかスケールが小さいようですが東海村の核燃料処理工場での臨界事故ってのはどうしても世紀末な気分になるものです。放射能洩れがあまりにひどくて人間が近寄ることが出来ないなどと聞くと、やっぱりそれは人智を越えたものを人間が手にしてしまったが故の顛末なのだと、改めてそう思います。自分達の手で制御できないものをさも出来るかの如くに装っていても、いざ初歩的なミスから事故が起きてしまうと誰にも止められない連鎖反応が起きてしまうなど、まさにパンドラの箱から飛び出したまがまがしい代物とでもいったところでしょうか。 事故の詳細については未だにはっきりしない段階で何時ものように不謹慎な妄想をたくましくしてみれば、処理工場の中で制御を離れたウラン燃料が次々と核分裂をおこしドロドロに融けた熱い塊が、いわゆる「チャイナシンドローム状態」で地球の中心部に向かってどんどん融けだしていったりすると・・・これはかなり恐怖の大王のイメージに近いかも知れません。マントル層を突き抜けて地球の裏側にまで届くとすると、そこは南米大陸のあたりなんでしょうか。ブラジル国民にしてみたらまさに晴天の霹靂、とんでもない大迷惑だと思いますが、まぁ地球の反対側の出来事なんて知った事じゃないんでしょう。 明日から10月だというのに今日の暑さはなんだったんでしょう。この夏の熱波はやっぱり世紀末故の出来事として後生に記録されたりするのかも知れません。しかし、人類が滅亡したら誰も記録する人間は存在していないのかな。
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