10月1日(Fri) 我が家の「腹乗りウサギ」なんですが、最近は媚びるのにも飽きてきたのかあまりお腹にも乗ってくれません。乗ったとしてもほんの一瞬ですぐに部屋のすみっこに潜り込んでガシガシとソファーをかじっては奥さんに大きな声で怒られてます。怒られたからといって別になにもこたえている風もなくて、きょとんとした目で見返しても本心はなにも考えてないのが見え見えです。やっぱりアタマ悪そうだなぁ。 そんな具合で日ごとに無愛想になっていくウサギなんですが、これが彼本来(たぶんオスだろうという話しです。)の姿かも知れません。<P> そうしたバカウサギも最初連れてこられた頃はほんとに小さくて以前飼っていたハムスターのケージに入れていたんですが、さすがに最近ではそれでは小さいだろうとウサギ用の飼育ケージを買いに行くことに。こんなバカウサギのためになにかと物いりです。餌箱に入れれば入れただけバカみたいに食べるのもなんだかなぁ・・・そう言えば我が家のバカ娘達に何となく似ているような気がしてきました。とくに正美のほうに。がはははh、 広くなった我が家に何となく落ち付かないのか最初の裡はウロウロしていたようですが、いまはのんびり餌を食べてます。この日記は子育て日記からマジでウサギ飼育日記に変わったのかも知れません。
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もう10月だと言うのにけっこう蒸し暑い1日だったような気がするんですが、そんな季節感のない日本の四季にはいつ食べたってオッケーなんでしょうが、ホットプレート前にして熱々のお好み焼ってのは夕食にはまだまだ不釣り合いかも知れません。もちろん関西人の僕としてはお好み焼は立派なおかずであって、ソースをかけてご飯と一緒に食べることにはなんの抵抗感もありませんが、暑いのがどうもねぇ。 わざわざクーラーつけてもお好み焼の匂いが部屋につくからと奥さんは窓を開けて換気扇をブンブン回しているんで涼しくなるはずもなくて、正美など汗だくになりながらお好み焼にかぶりついてます。そんな事なら部屋でお好み焼なんて最初からやらなければ良いのに・・・「お好み焼の匂いより、換気扇の前でこっそり吸ってる奥さんの隠れ煙草の匂いのほうが気になるぞ!」と思ったけど言えませんでした。はい、奥さんは煙草は相変わらずやめられないようです。 麻美は相変わらず、眉にしわ寄せてお好み焼を眺めてます。どうにもコナ焼き系の食べ物が苦手のようで、奥さんにおにぎり握ってもらってそれが夕食のようです。
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改めて思い知らされるほど鮮烈な朝焼けを眺めながら ボンヤリと車を走らせていると ふいに自分がなにをしているのかが よく判らなくなったりします ◆ ウィンドウを開けて車を走らせると ふと振り返った西の空に高くかかった雲も ◆ なにかしら・・・ 与えられるものを拒み ◆ 明るく晴れ渡っていく空を眺め あんな空の色を眺めれば、なにかしら意味不明な詠嘆にふけりたくなるものです。朝焼けには確かに後悔の匂いがします。
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「失った」状態を偏愛しているとは、確かにそう言われればいろいろと思い当る節があります。本音の部分では失う事をずっと恐れ続けていたからこそ、自らをしてそうした状況に閉じこめることで不安から逃れようとする、まさにそれこそが「偏愛」の「偏愛」たる由縁なのかも知れません。 ・ ・ 偏ることでしか己の正体を晒すことが出来ないのは、やはり臆病者の証明であり、僕という人間は愛とは名ばかりの自己愛にふけるだけの存在なのだと書けば、またしてもあなたは「ひどいなあ」と詠嘆するのでしょうか。 ・ ・ こんな風に韜晦したおのれを晒すことの意味を問うのにもいささか飽きてきたかも知れません。 ・ ・ 一筆書きのルールでは最後は元に戻ることでその絵が完成するのですが、迷路遊びは迷路から抜けた時点で新たな迷路の入口に立っていることに気づかされるもののようです。 僕はやはりずっと拒み続けていたのでしょうか。求めたものが与えられることに僕は馴れていないのかも知れません。与えることにも馴れてはいないのかも。
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公園を散歩しているとなにやらビンボーくさそうなオバサンが木の根元にかがみ込んでオレンジ色のしなびた実をせっせと拾っている処に出くわして、このオバサンはなにをやってるんだろう・・・と、白いビニール袋にいっぱいのその実をチラと横目で眺めて通り過ぎようとすると、突然に僕めがけて話しかけてくるのは別に照れ隠しという風でもなくて(オバサンに照れなんてものは最初から存在しないのかも)、単に作業中の話相手がほしかったからかも知れません。 しかし僕はそのオバサンから驚愕の事実を知ることになる。 話しを聞くとどうやら銀杏(ぎんなん)を採っているらしい。 その後、車の中からビニール袋を持ってきてオバサンと一緒に夢中でギンナンを拾い集めた事は言うまでもありません。 この匂いはなに? 何かに似てるなぁ・・・ひょっとすると「恥垢」? あぁ、この匂いもそうなんですが腐った果肉からギンナンの実を取出す感触がなんとも気色悪いなぁ。
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「2000年だから2000円札」って・・・そんな誰でも突っ込みたくなるような語呂合せで新紙幣を発行する政府なんてものが存在する事自体がなんだか恥ずかしいなぁ。いかにもアタマの悪そうな人間が考えそうなことで、「2000年記念セールに付全品2000円均一大バーゲン」なんてスーパーのチラシ並の発想力とでも言えばいいのかも。それとも最近話題の老人力がその発想の源なのかも。何れにしても子供じみたはしゃぎぶりなんですが、まぁこの程度の政府を表して先進国などとふんぞり返っているのがまさしく我らが「日本国」の正体なんでしょう。盗聴法だの新しい破防法などといった衣のしたの鎧をちらちらさせているのも、ひょっとすると単なるガキ大将的発想だったりするのかも知れません。そうしたガキが軽はずみで愚かしい振舞いに及ばなければ良いんですが。 やっぱり時事ネタってのはつまらないなぁ。その上ネタかぶりしてる日記がいっぱいあるようで、僕自身も発想の貧困を突っ込まれそうです。我国の将来を憂いたり国の未来を論じるなんてことには興味がないんで、基本的にどうでも良いような事なんでしょう。 飼育場で毎日子づくりに励む生活ってのも案外僕には似合っているのかも。日本人の血統を残すためにとか言って、中国から残留孤児の子孫などと称する若い子を呼寄せたりして・・・妄想はさらにエスカレートするばかり。
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ヒマだからと言うわけでもないんですが、BOWDOの過去日記を読んでみて・・・「なんかこれって面白いなぁ。」と、自分の書いた文章をすっかり忘れてるんで、改めて読み返してみると妙に面白かったりするのも我ながらバカくさい限りでした。こんなものを毎日書いてたらそれは怒られるだろうなと、今更ながら納得するほど失礼な文章のオンパレードで、よくまあ誰かから刺されなかったものです。もっとも1回だけ弁護士から内容証明郵便が送られてきましたけどね。あれも今となっては日記界での貴重な資料となるのかも知れません。がはははh、ちっとも懲りてないのかな。 そんな懐かしネタにひたっている場合ではなくて、なんだかにわかに忙しくなってきたような気がするんですが。勿論仕事の話しではなくてオフミ関係で。 そうそう、オフミと言えば明日は珍しく来客があるんです。例のホモ疑惑のタムラくん、と言っても誰も知らないよなぁ。僕の日記は自分に宛て書かれているように思えますとか言い出すとんでもない青年なんで、そんな青年と初対面でツーショットはやばいかも。しかし、何故か我家でカレー食べる事になってしまいました。予定としてはナスのキーマカレーなんですが、そんなの作ったことありません。初めてのチャレンジ。果してどんなものが出来上るやら。まず最初にタムラくんに食べさせることにします。
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まだ21歳だというのに「のたれ死に」が理想ってのは相当にヘンだと思うけど、そのあたりの願望は僕も似たようなものです。ホームレスに憧れる心境にしたところで、やっぱり生存競争はそうした世界にも厳然と存在している筈で、「よく生きるものがよく食べる」と言う原則に従わざるを得ないのが人間のような気がします。うん、だけど僕も子供時代から橋の下で生活しているオジサンに憧れたものです。 やっぱりどこかおかしな処のある青年を駅まで送って帰ってきたら急に眠気に襲われてそのまま朝まで寝てしまいました。そんな訳でまたしても昨日の日記を朝になって書いてます。もうやめるやめると言いながら更新にこだわるのも我ながら馬鹿げているとは思いながら、あと少しだからと自分に言訳しているようです。 ナスのキーマカレーは奥さんにはけっこう評判良かったけど子供達の反応は今ひとつだったかな。麻美なんかはおいしいと言いながらけっこう無理していたような気がします。父親にたいして気を使うタイプだからまずくても素直にまずいとは言えないのかも知れません。
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今日はもう日記は書かないでおこうと思って食事を終ってからもずっと2階の居間でテレビを観ていたん筈なんですが、こんな時間になってモニターの前に向ってます。つくづく未練がましい人間で、我ながらどうしてこうもあきらめが悪いのかとイヤになります。 どうも昔からサヨナラを言うのが苦手で、駅のホームで見送られたり見送ったりする時に一体相手のどこを見ていれば良いのかが判らなくて何かしら居心地の悪さばかりが気になってしまって結局は柱の陰でこっそり隠れているいじけた子供のように、自らの居場所を見失ってしまうようです。そのくせ人の居なくなったホームにいつまでも残ってブツブツと独り言を呟いているのも寂しい限りですが、僕という人間にはそうした場所が一番似つかわしいような気がします。 という訳で本日も訳の判らない事ばかり書いてますが、実際の処本人にも余りよく理解できてないようです。 昨夜はよく寝たので今夜はあまり眠くないのかな。と言いつつ眠ろうと思えば眠れそうな処が最近の小さな変化かも知れません。
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独り言日記の続き・・・と書いても普通「日記」は独り言でしかあり得ないはずで、そのあたりを誤解される何かがあるのが「Web日記」のイヤな処かも知れません。 独り言も度が過ぎると寂しさが一層つのるだけの結果を招くので、時折は私信を交えたりして己の存在というものを確認してみたくなるようです。ただし、道端でなにやらひとり呟きながら歩いているオジサンをときどき見かけたりするのでやっぱり独り言もほどほどにしておかないといけません。 という訳で独り言日記は何かと危ないので近況などを。 あれほど大好きだったポテトも麻美ですら残すようですから、マクドナルドもそろそろ考えた方が良いかも。我家程度の人間にまで飽きられるようではちょっと先行き不安かも知れません。
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今日はお休みだし午後からは子供達と昨夜録画しておいた「インディペンデンス・デイ」でも観ようかと思っていたのに、見事に録画に失敗してました・・・で、代りに録画されてたNHKの東海村での臨界事故のレポートを観ての感想なんですが、あんな他愛のない施設の原始的な設備で原子力発電所の燃料がそれも手作業で作られていたなんて、どう考えても空恐ろしいような現実でした。ミルク缶程度の容器と16キロだかの硝酸ウランにステンレスバケツがあればミニ原子力発電所が出来上るという事実は、よく知られている世界最初の核分裂実験の緊迫感をすっかり忘れてしまった人間達の元へ「核の恐怖」というものが、町工場のレベルにまで忍び寄ってきたということの証拠のようです。 しかし、皇居前広場にでもあの溶解搭と硝酸ウランを積んだトラックを乗付けてステンレスバケツでごぼごぼと混ぜ合せたりしたら一体どういう事になるんでしょう。誰にもとめられない「臨界テロ」なんてことを真剣に考えてるテロリスト達はきっといるんだろうなぁ。確か原爆を自作して政府を脅すなんて映画があったと思うけど、そんな大仰なものを作るまでもなく単に材料を混ぜ合せれば良いだけなんですから、これはもうさらにお手軽です。ミルク缶が首都を死の街に替え政府を転覆するなんて、絵面からいってもかなり面白そうな気がするんですが。 こんなに死の匂いがプンプンとするものを土台にして僕たちの21世紀が始るのだとすると、やはりその未来は限りなく暗い気がするのは僕だけではないと思うんですが、果してみんなは何も感じないのかな。 「インディペンデンス・デイ」はレンタルビデオででも観ることにします。しかし人類も宇宙からの侵略を心配している場合ではないと思うけど。
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この夏から続いているポトラッチ現象(望んでそうなった訳ではないから本当はポトラッチとは違うんですが。)の一環なのか、今度はメガネが壊れてしまいました。なんの前触れもなく、つるの根本からポッキリ。僕の頭上にだけアンゴルモアの恐怖の大王は降臨しているかのようです。やれやれ。 メガネのひとつぐらいで世紀末を実感するというのも実にどうもビンボーくさい限りですが、本人の身になってみればかなりイヤな感じです。電化製品なども故障の連鎖というのはよく聞く話しなので、この間壊れた冷蔵庫から他の電化製品へ続くのかと思うと戦々恐々です。そう言えば、その前にビデオカメラと普通のカメラも相次いで壊れたし、故障の連鎖はもうすでに始っているのかも。夏の車の事故が最初なのかなぁ。あれは確か7月だったはず。あぁ、やっぱり今年は人類滅亡の歳なのかも知れません。僕の身にだけ降りかかるんじゃなくて、こうなったら日本沈没ぐらいの驚天動地の出来事でも起ってもらえればあきらめもつくというものなんですが・・・横田基地で核ミサイルの誤爆事件なんてものがあったら我家の近辺は間違いなくハルマゲドンと呼ぶに相応しい状況になる筈です。 己の不幸の八つ当りに恐らく数百万人が死んでしまうような事故を妄想するというのも罰当りな限りですが、八つ当りというのはつまりはそうした個人的で理不尽な願望なんでしょう。 日曜日にでもメガネ屋にいかないとなぁ。最近のメガネはなんだか小さいのが流行りのようなんですが、オッサンがあんなのをかけるとやたらと似合わないので結局ありきたりなフレームを選びがちなんですが、子供達でも連れていってどれが良いか選ばせてみるのも良いかも知れません。
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白木ハカセもそれなりに充実した人生を送っているようで、そこそこシアワセなようです。シアワセの総量には限りがあるというのが僕の持論ですから若いうちからそうもシアワセにひたってると歳とってから手痛いしっぺ返しを喰らう可能性があるのでシアワセぼけもほどほどにしておいた方が良いかも知れません。もっとも白木ハカセのシアワセの大部分を担ってるのは例のしっかり者だけど怖い奥さんなんで、彼はこれからもずっとシアワセであり続けるのかも。それを「シアワセ」と名付けるのならですが。 BOWDOを書かなくなったのでどうしても私信日記もこちらに書かざるをえないんですが、まぁちょうどネタがなかったのでこんな姑息な日記も今の時期ならあってもオッケーでしょう。 珍しい人からメールが届いたりして嬉しがってる処をみるとやっぱり僕は寂しかったんでしょうか。まぁ、寂しいのはいつもなんですが孤独という訳ではありません。やっぱり僕は「寂しさフェチ」なんでしょう。
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今日のように冷たい雨の降る夜、わたしは時折思いだすのです。 ◆ その赤い靴の持ち主はそっとしゃがむと、わたしの濡れた右手を両方の掌で包むようにして握った。わたしはその手が触れる前から、既に予感していた。 「あなた」だった。 しばらく、と「あなた」が囁いたような気がしたが、見上げた「あなた」の口もとは微かに微笑むだけで、じっと無言でわたしの手を握り続けていた。 ふいにわたしは総てを思いだした。 ◆ 路上を濡らす雨はやがて降りやむのだが、記憶の中に降る雨はいつまでも止むことがないようです。
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今夜はとても寒いです。ココロが・・・なんちゃって。<あまりにベタすぎ。 寒いのは本当で、多分これが今の季節の当り前なのだと思いながら、昨日の日中の暑さから一転してだから余計に身にしみるようです。 そう言えば夜の明けるのも随分と遅くなりました。しらじらと明けていく空を眺めながら帰るのは、なにがしかの喪失感と何処か場所は定かではない場所に置き忘れてきたものがあったのではという思いに苛まれるものなのですが、遅い夜明けはそうした記憶を思い出すことを遅らせて、いつしか僕は浅い眠りにつくことが出来るのです。 長い夜こそが僕たちの孤独でありやすらぎであると、その事を幾度となく確かめるために僕たちはコトバを重ねてきたのかも知れません。そんな季節がまた巡ってきたようです。 季節になにかの思いを仮託するのは間違っているのかも知れません。季節はうつろいやすく、しかも際限なく繰返されるものだから。
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