歳時記(diary):八月の項

一日

朝から買い物。相方用にマクラなぞ買ってみたりする。
その後はお出かけする相棒を見送って、当直へ。

夏の聖戦迄、二週間か....。

二日

今日は上の先生がお休み中。午前中の外来も「早く切り上げる!」と宣言して始めたものの....やっぱりいつも通りにしか終わらず。この辺が限界でしょうかね。

夜は研修委員会。本日お誕生日の研修医向けにサプライズを用意してあったのだけれど。──あんまり趣味よくなかったかなぁ。

三日

上の先生の夏休みが明けて、ようやっと平常営業に戻る。久しぶりの上の先生に透析室の看護婦さんがさらっと「だいじょーぶですよ、休んじゃって。負荷かけた方が仕事するから」
そんな怖いことを....(-_-;;;)

四日

平常営業に戻り、午前午後と病棟単位だと患者さん対応もゆっくりできて、さくっと終わったもんだから早く帰る。‥‥めずらしい。
そんなときにはふらっと書店によって「ARIEL読本」(朝日ソノラマ編)など買って帰る。

五日

医局でSafariを使っていて、ふと不思議なことに気づく。
小熊さんのページからリンクをたどると半角の"〜"記号(チルダ)が"?"に置換されてしまっていてうまくたどれないのだが、猿丸さんのページからだとうまくたどれる。
んで、自分のパソコンからやってみたら、再現しない(爆)。何の間違いだったのかな....??。

六日

往診して午後カンファレンスして、夜は当直。
入院も数名あり、まぁ普通の夜。

七日

当直明けて土曜日業務をこなし、へろって帰る。
夕食食べてカタログチェックなんかしていると、Webを見ている相方が時々けたけた笑いながらiBookの画面に見入っていた。何を見ていたのかと思ったらこれだった。
──ネタだらけの旅って、狙ってできないだけに貴重だよね。(炸裂)

八日

少し早起き。本日は相棒と二人で高水三山へと山行。
一応、事前にガイドブックとかは買っておいた訳ですよ。「初心者向き」とかそーゆー記載を読んでいた訳ですよ。まぁ甘く見ていたって言えばそうなんだろうと思うんですけど。いや、結構ハードでした。
山歩きの定石として、朝は早めに出ようとは思っていたのだけれど、結局立川駅発8:11のホリデー快速にしか乗れず。この列車は青梅線内も快速運転のため、最初に下りようと思っていた軍畑駅は通過になってしまう。
「ガイドブックだとゴールが御嶽駅になってるから、逆コースをたどろうか」
「じゃ、そうしよう」
何も知らないわたしたちは安易にそう決めてしまった訳で。

御嶽駅ではおそらく御岳山を目指す中高年の方が山ほど降り。最初の目的地の惣岳山方面に向かった人はいなかったようす。駅から東へ道を歩いてすぐの路地のような階段に「高水三山登山口」と書かれた札を見つけて、元気に上っていく。線路を渡り、お寺の本堂脇を通りすぎると、さっそくきつい坂。もちろんものともせずに登っていくのだが.....。登っても登ってもまだ急坂。足下は木の根っ子やなんかで(道を見失いはしないが)歩きづらい。
ふうふういいながら登っていくと、指導標が見えてくる。さてさて、どのくらい登ってきたかな.....。‥‥0.4km?
ちなみに「惣岳山 1.8km」とかってさらに追い討ちをかけるような文字が反対側にある訳ですな。よっぽど回れ右して帰った方が楽かもしれないとか、そんなことが頭をよぎるような状況。
でもまぁ、登ってみるしかあるまいと思いつつ、ガイドブックを再確認してみる。山頂までどのくらい時間がかかるのかなと思ってみると。惣岳山→御嶽駅が50分なのに対して、御嶽駅→惣岳山は1時間10分(歩行時間)とされている。──つまりキツいってことねと納得して、また登りにかかった。
登っていくと、歩きやすい尾根道もそこそこあるのだけれど、最初と最後にきつく長い坂があるようなコースの構成であるらしく。ようやく惣岳山山頂にたどり着いたときは、歩き出してから一時間半以上が経過していた。
ちなみに、持参していたお茶(二人で1リットル)はこの時点で半分近く消費されており。大丈夫なのかこんな調子で....。

惣岳山を降り岩茸石山へ向かう。さっそく両手を使って降りるような急坂があってまたかと思ったが、その後はなんということのない尾根道をとことこ歩いているうちに、山頂下の急坂までたどり着いてしまった。
山頂をショートカットする道も整備されているようだったが、ここの山頂は見渡しがいいとのガイドブックの記載だったので、気合いを入れて登っていく。そこそこきついのだけれども、もう慣れたという感じ。息を切らしながら登っていくと、見晴らしのいい山頂だった。

ここで昼食。(ちなみに歩き出してから二時間半ちょっと)多分コース中いちばんお弁当に向いた場所だったと思う。
そのあと山頂からの急坂を降り、割と歩きやすい道を歩いていくと高水山山頂への道に出る。山頂まではややきつめの坂があるようだったので、山頂に行かずに北側を回っていく道を選択。──そしたらヘビに出会う。ヤマカガシかなんか。逃げてくところしか見なかったけれど。
常福院の脇からの下りもそこそこきつい。相方とも「どちらから登るのが楽か?」と話したのだが、やはり高水から惣岳に回る方が楽なんではないかという意見でまとまった。どんどん下っていくと沢沿いの道に出て、それからアスファルトの道路に出る。
アスファルトの道路は歩きやすいのだが、いい加減下りでやや膝に来ている人間にとっては、単調な下りは却って膝を休ませられなくて辛い部分もあったりした。
──何はともあれ、三時前には電車に乗れたし、よしとしよう。

九日

幸いほとんど筋肉痛もなく出勤。
午前外来はまぁ比較的平常通り。コンスタントに20人/day程度の患者さんを診ているけれど。これは定期受診の患者さんが増えたことと無関係じゃないんだろうな。

医局には数名山好きな人がいて、昨日の山行のことも話したら、「夏の低山は暑くて歩きづらい、どうせなら高地に行った方が....」てなご意見でした。
車飛ばしてもっと奥まで行った方がラクに楽しめたかもしれず。事前リサーチが大事でしたね....。

十日

昼から午後にかけて救急外来。やや変則的に。
当院のごとく、救急部として独立部門にして人を突っ込めるほどがんがん救急をやっていない中小病院の救急室ってのは、基本的に当番制で、その時間に手の空いている先生が担当になって時間で交代しながら急患を診ていくのが普通のようです。
ですが、火曜日の午前中は人手不足で毎回だれかしら拝み倒して当番になってもらっているような状態。もっと人手不足な病院もたくさんあるだろうから、大変なところはもっと大変なんだろうな。
24時間体制・365日対応ってのは、大変だってお話。

そんでもって夜は当直。コールは数あれど、わりと対応しやすいコールばかりで助かった、というか。

十一日

それでも直明けはそれなりにへたれる。やっぱり、疲労に加えて生活リズムの乱れがなにかしら影響してるんだろうな。

昼過ぎ、透析室に行ってみると大量の透析液とHDF用補液の箱の山が形成されていた。お盆進行に備えて早めに消耗品を備蓄したための模様。
病院にはお盆はないものの、病院に各種資材を納入する会社にはお盆休みがあるところもある。なくなってしまったら大変なので、やや多めに備蓄することになるのだが....そのためにちょっと透析室は手狭になってしまった。

十二日

入院は二人はいるし、腎生検はあるしピンチヒッターで往診にも出かけるしで多忙な日。
スーパーサブって名誉の称号なんでしょうか、それとも便利屋の蔑称別称なんでしょうか。

CNNこんなニュースをみて、"OSCE"と書いてあったら反射的に"Objective Structured Clinical Examination"になってしまったわたし。「欧州安全保障・協力機構」の略称がOSCEなのね....。

十三日

往診行く。実習来ていた学生さんを伴っていたのだけれど、一件ちょーおんぼろのお宅に伺って、さすがに衝撃を受けていた様子。
もっとも、見た目は綺麗なお家でも、介護を支える台所事情は火の車なんて話はこの業界いくらでも転がっているんだけれどね。

午後のカンファでは寝たきり全介助誤嚥で摂食不可能な透析患者さんをどうしていくかの議論が白熱する。もちろん最終的に決定するのは家族の意向をふまえて、ということになるが、言われた通りにするだけで家族と本人が幸せになれる訳ではない。
経口摂取ができないなら経管栄養用のルートを確保して、透析が難しいならチューブをいれて──それは、医学的にできない相談ではない。では、それが誰を幸せにして、誰を不幸にするのか。(もちろんここに、幸せとは何かという哲学的議論が用意されている) 幸せにすることを為すのがわたしたちの仕事であるという前提に立ったとき、改めて何をするべきかが判らなくなることはしばしばある。
本人が望むならばよい。それが苦しい道であることを理解して、その上で苦しい道を選ぶならばそれもいいだろう。わがままを通していく生き方も、あっていいかもしれない。しかし、他人に迷惑をかけてもいいのか?本人に判断がつかないときに、家族に判断をゆだねていいのか?本人の同意もないのに? ──惑いは深い。

十四日

週末くらいはせめて仕事を忘れて。くり出した先は東京湾岸・有明。でも、荷物を下ろすは救護室、ってあたりですでに仕事につかりまくり。(死)

二日目はやっぱり暑くて、熱中症とおぼしき人々多数。それなりに水分とっていてもロスト分が激しいらしい。中にはア○エリアスをリットル単位で飲んでいても、こむら返りがひどくなってしまって来室したなんて人もいた。(ちなみに某スポーツドリンクには、電解質としてカリウムが入っていないという問題点があるらしい。)
表に出るとホール内にはうっすら雲がかかったように見えており。そのうち雨が降るんじゃないかとか思ったりした。

閉会後、いったん宿に戻って着替え、相方と一緒に東京湾華火大会へ。芝浦埠頭付近から火の演舞を楽しんできた。

十五日

朝は雨。昼過ぎには上がって程よい気温に。いつぞやのような心から凍るような雨ではなかったせいか、救護室としてはとても落ち着いていた。

二日間の戦利品を。

二日目

三日目

十六日

‥‥で、本業に戻ると。
外来やってると、尿の異常や浮腫などの問題があると片端からわたしのところへ回ってくる。どーも科のボスが看護婦さんに宣伝してくれたためらしい。
もーちょっとラクな仕事がしたい...。

知り合いがまったく独自におんなじものを探り当てるのってどうよ。

十七日

今週から少し救急当番体制が変わる。午後の救急は研修医と二人三脚で。やっぱり二人でやる方が、仕事はしやすく思う。

あっちこっちの病棟に患者さんが散っている。目が届きにくい感じで、仕事がしづらくて....。

十八日

朝から患者さんが熱を出す。
午前中、学生さんの実習の面倒も見ていたのだけれど、なにしろやることが多くてばたばたばた。調子の悪い患者さんだけみていればいい訳ではないし。
気分的に落ち着かない感じで仕事してるなぁ>最近

十九日

あちらと思えばまたこちら、てな感じで。熱下がらない患者さんが二人もいるし。

来月のCPC(臨床病理検討会)はわたしが受け持った患者さんで開催されることに。さっそく過去のカルテを取り寄せてみると....反省点が一杯....。
急速な転帰をたどった方だったので、何が何だか判らずに対応していたのだけれど、今にして思うといろいろできたなぁなんて思ったりする。その辺きちんとまとめなきゃ。

二十日

午前中往診。そのあとカンファレンスとお約束をこなし。
なぁんか、先の見えない人が....。

二十一日

朝から出勤。透析当番。
患者さんが少し減って、昼過ぎで終了したので買い物に出てみたけれど、特に何も買わずに帰ってきて、当直。
まぁ普段通りに呼ばれて、普段通りにへたばって。(^^;;;

二十二日

直明けで部屋に戻る。夫の居ぬ間に相方が女を連れ込んで友達を泊めていて、少し喋ってからお別れする。

その後、電車に乗って神保町へ。山道具の買い出し。結局ゴアテックスの合羽と速乾性のあるズボンなど購入。
それから本屋さんに寄り、「ぶたぶたの日記」(矢崎存美)と梶尾真治さんの新刊を購入した。

そのまま歩いて行き着いた先は秋葉原。買ってきたのは「ONE 〜輝く季節へ〜 フルボイス版」(炸裂)
‥‥いや、存在自体は昔から知ってたんですな。某オフにて上月澪シナリオのラストだけは見たことがあったりしたんですな。んで、最近何だか無性に気になってプレイしたくなったんですな。
けど、初めて出たのは1998年かぁ。時代を感じる.....。
帰ってきて相方のパソコンにインストールして始めてみる。──うーん確かにキャラの絵が微妙にデッサン狂っているっていうかバランス悪いっていうか(爆死)。音楽は綺麗だし、ギャグは炸裂しているし。とりあえず始めは攻略を考えずにうろついてみようかな、と考えつつ。

二十三日

月曜日午前の一般内科にむくみを主訴にかかってくる人はわたしのところへまわされてくることに決定したらしい(嘘)。
ご指名で初診って...疲れる。結局この日は二人も入院抱えたし。

二十四日

ここのところ受け持ち患者に発熱患者が多く。それも原因がはっきりしない人が多く。何だろういったい....。

午後は救急当番。終わりかけの頃に内科外来担当の先生から電話がかかってくる。じん麻疹がひどくて元気がない女性を入院させたい由。それはいいけど.....職業:当院看護師ってあたりがねぇ....(^^;
スタッフを受け持ちするのって、やっぱりプレッシャー。

二十五日

夜、帰ってからしばらく「ONE」にはまってみる。試行錯誤しつつ、上月澪シナリオクリア。\(^o^)/
11月末から話が始まって、だんだんに女の子個々へのシナリオへ分岐していくあたりは適当にやっていって、「部活に出続けたらどうなるか」ってコンセプトでやってたら澪シナリオに突入。ただ、最終的にハッピーエンドで終わるための選択肢がよくわからずに、Webに転がっている攻略を参照した。
一つシナリオを終わってみての感想としては....世界設定が変、ということ。女の子との恋愛を楽しむためのゲームとしては難解で重たいバックグラウンドが設定されていて、謎解きでもなく冒険がある訳でもなく、日常(突拍子もないこともいろいろしでかしてくれるしギャグもあってそれ自体は楽しいのだけれど)を過ごしながら予定された消滅へと至るって筋書きは、ハッピーエンドでの逆転で救われるにしても、普通じゃないよなぁと思ったりした。
──普通じゃないものにはまっておいて言うのも何だけど。(ぉぃ

二十六日

昼過ぎ、腎生検が予定されていたのだけれど、その時間にはICUから離れられず。透析を続けている重症の心不全の方のところにいた。
心不全とか感染症とか、一般には緩解しうる良性の病気にも末期状態というのはある。面倒なのは、一般には治す手だてもあり元気になりえる病気であっても医者の目から見たら治療が難しい/ほとんど不可能という状態であることで、客観的に治療不可能と判定することも、またそれを数値や写真を示して証拠立てることも難しいことだと思う。
はっきりいえば「治癒に持ち込むのは難しい」とは言えても、「治癒することはなく、悪くなる一方」と断定することができない。だから、いっそ治らないと断定できたら、どうしていくという方針の立て方も変わってくるのではないかな、と思う患者さんは少なくない。
がんなど悪性疾患の方が納得しやすいしターミナルケアというかたちで苦痛緩和に徹することに抵抗が少ないのだけれど、個人的には良性疾患で緩解増悪を繰り返しながら弱っていく方が辛いのではないかな、と思ったりする。

二十七日

当直明け。この日の当直は〇時過ぎに喘息の方がひとり来て、その後は朝まで呼ばれずじまい。もっとも朝方呼ばれたのは病棟での急変だったけれど。

二十八日

のんびり起きて、ゆっくり出勤。いちおう休みの日だけど。
いくつか仕事して、それから家に戻ってぐうたら。たまにはこんなのもいいよね?

二十九日

朝寝して、起きてからこの日記を書いたりなんだり。
その後はお出かけして、買い物して食事して。買い物は「百景」(The BOOM)と「バッハ:フーガの技法・インヴェンションとシンフォニア」(グレン・グールド)。いや、某所でフーガの技法を熱く語っていた人がいたので触発されまして。

ライトノベル完全読本」立ち読みしていたら、「イリヤの空 UFOの夏」(秋山瑞人/電撃文庫)は「妖精作戦」(笹本祐一/ソノラマ文庫)のオマージュが込められているなんて記述を見つけて改めて納得したりした。
悪でない敵役や、文化祭前後のエピソードなんかは確かに相似を感じるし、読後感も似ている気がする。もう一回読み直してみたいなぁ。

三十日

今日の日記のBGMは「ハナミズキ」(一青窈)♪。iTunesでかけてるだけだけど。

「ポストガール」(増子二郎/電撃文庫)を医局の机の上に放置していたら、医局の事務の人(女性)が興味を持ってくれたようで、早速お貸しする。お気に召していただいたようで何より。
聞くと「黄泉がえり」(梶尾真治/新潮文庫)では映画より原作で感動したとのことで、これは何をさておき「美亜に贈る真珠」や「おもいでエマノン」をお勧めしなければならないだろうと決心した次第。
さて、SFの布教をしようかな(爆)

三十一日

もう八月が終わる。
学校に通っていた頃は「八月が終わる」イコール夏休みが終わることで、長い長い休みがついに終わってしまうことに感慨を覚えたりもしたのだけれど、今は全くの通過点の一つになっている。
それはちょっと淋しいことでもあるような気がする。
何はともあれ、明日からも仕事だ。 


Written by Genesis
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