新年度。人事異動はあるけれど、全体としてはあまり変化なく開始。
午後の外来に二人、尿所見の乏しい慢性腎不全患者が。腎不全に至る頃には何らかの尿所見を示すのが普通だが、非典型的な人が続いたわけで。
夜は当直。中二日の当直はできなくはないけどそれなりにしんどい。でも前は月七回当直した月もあったよなーとか、ちょっと思い出したりする。
当直明け。
でも退院サマリや紹介状書いていると九時を回るという。
前いた大学病院まで遠征。学会発表の打ち合わせが主目的だったのだけれど、ついでに昔一緒に仕事をした人々とメシを喰ったり。
論文一本に学会発表一本が現在進行中の案件で。早く片づけたいのだが実際にはなかなか。
打ち合わせしている間相方は買い物していたのだが、「ひみつの階段 完全版」を見つけて購入したらしい。未刊行の作品一つ加えて完全版とか、最近あくどい商売が流行ってるよなー。(嘆)
「完全版買ったけど、過去のをどうしようか」と相談。「装丁が違うとやっぱり捨てられない」「中味は同じだからいいじゃない」「……『イティハーサ』愛蔵版、文庫版があるからって処分する?」「……いや、それは」まあ、そーゆーもんだよね。
お買い物したくらいでだらだら過ごす。昼寝もしっかりしたしね。
ソフトウェアアップデートをかけたせいなのか、XQuartzが起動しなくなっていた。最新版をインストールしてみたら治った。よく見たら説明書きにそう書いてあった。(苦笑)
夜は当直。
ここのところつづくな〜と思っていたら、先月末から週二回ペース。週末が寝て曜日になるわけだ。(苦笑)
午後、患者さんに病状説明で手術をお勧めする。狭心症に対して冠動脈バイパス術をお勧めしたのだけれど「心臓の手術と思うと踏ん切れなくて」。
その気持ちは理解できるけれど、それでも決断しないといけない時期なんだけどなぁ。もちろん手術しないって決断もできるけれど、その場合は突然死含めて予後が悪いことを受容しないといけない。踏み切れないまま症状が悪化して緊急手術、というのは避けたいと思っているのだけれど。
入院二人。受け持ち患者増殖中。
入院するところと退院するところが大変なので、受け持ち数だけでは測れないところもあるけれど。だんだん平均在院日数が短くなってきているということは、患者さんの入れ替わりも激しくなっているということで、病態理解も大変で。
昼ころ腎生検。検査中に患者さんにけたけた笑い出されるという初めての経験。緊張してるところに気分を和らげようと軽口たたいていたらツボにはまってしまったらしく。
午後回診終わった後で面談を二件ばかり。どちらも高齢者で今後の介護が思いやられるケース。体力的経済的なちからには限界があるから、どこまでやれるか、というところ。
地球より重い命だけれども、それを支えるのにはやはりいろいろな意味で資源が必要で、投入できる資源が限られるのであればそれをどのように調達するのかが問題になる。
土曜出勤。淡々と通常業務をこなして、面談までやって夜は当直。あんまり空床がないのに次々と入院適応レベルの救急車の依頼が来る。そんなに受けきれませんが。
手の空き具合を見ながら可能なものは受けたのだけれど....話聞いたら「それって一種の老衰ですか?」と言いたくなるような、原因のはっきりしない高齢者の脱水症例だったり。なんで悪いのかわからないけれどとりあえず弱ってきている、ってのはねぇ。もちろん調べてからじゃないと確定的なことは言えないんですが。
当直明け、車を運転して妹の新居を訪問する。厚木まで行った。
まだ外構工事が終わってない状態だったけれども、中を一通り見て、そのあと近くの広場でちょっと遅い花見。風が吹くと散花舞うというとても風情のある花見になったのはよかったのだろう、きっと。
仕事終わってから新人歓迎会で飲み食い。前だったら「二次会いこーぜー」とかって盛り上がったんですが最近はなかなか。
「つづきはまた明日」(紺野キタ)を二冊まとめて読む。こういう落ち着いた風情の話、好きです。
割りと仕事も早く終わったので、懸案の論文に少しまとめて手を付ける。一応書き直しが一通りすんだ、と思うのだけれど。
当院の電子カルテシステムには院内メール機能があり、指示切れやらシステム変更やら各種の連絡がそれで送られてくる。紹介状などが届くとお知らせが来るようになっているのだが、来週の外来に紹介が入ったということで登録された紹介状を見てみると....「外来で採血したカリウムが7mEq/lありましたのでそろそろ透析の検討を....」って、高カリウム血症で死にかけてるじゃないんですか。あわてて患者に連絡をとって予約を待たずに早めに来るよう指示し。はあ、どきどきした。
準夜透析当番。処方をして、検査結果の説明書きを作って。
毎日の社説の愚かさを語り出すときりがなくなりそうな感じでどうしようかと。もう、一文ごとに突っ込みどころがある社説ってなにかと思う。
「言葉が難しい」というのだけれど、専門外の人間にとって学術用語が耳慣れなくて難しいのは当たり前の事じゃないかと。いつから日本では専門家同士のコミュニケーションに専門用語を使ってはならなくなったのかと聞きたい。学術用語には定義された意味があり下手に定義を拡大したりすればコミュニケーションに支障を来し、最悪医療ミスにもつながっていく。
それに、日本語では熟語をつなげることで新しい言葉を作り出す。「眼瞼」をすべて「まぶた」と言い換えなければならないとしたら、ライフサイエンス辞書で「眼瞼」を調べるとでてくる言葉の一つ一つを言い換えなければならない。そして、眼瞼黄色腫と眼瞼黄色板症がごっちゃになってしまったり「まぶたがふくらむ病気」などといってそれは浮腫なのか腫瘍なのか炎症性の腫脹なのかわからなくなったりするわけだ。
試験の時はイラストで解説することができても、実際の業務ではイラストを見せる余裕はない。結局会話や文章でコミュニケーションをとることができなければ現場では"使えない"と判断されて、却って活動の場を狭くしてしまう可能性すらあると思う。現実に、アメリカの医師国家試験(USMLE)の点数は、その後の就職先決定に大きな影響を及ぼすので、非英語圏出身者といえども英語圏出身者と同じ条件で試験に挑み、できるだけ良い点を取らなければ希望する職場で研修をすることはできないとされる。それに比べれば、合格さえすればいい分ハードルは低いとすら言えるのではないだろうか。
ところで、記事は「看護師候補者たちの能力は問題なく、言葉の壁が日本での活躍を阻んでいる」という趣旨で書かれているのだけれど、調査した結果ではその能力にも疑問符がついてるんですがね。英訳した試験でも合格率が4割って事は、日本語でどれだけ分かり易い文章で出題してもそれだけしか合格は見込めないって事で。
以前にも書いたように、単に読んでわかるだけじゃなくて自分で書く文章の中でも専門用語が正しく使えなければ専門職としては仕事ができない。こういう社説を書いている新聞社は、専門職が専門職たり得るゆえんをわかっていないのではないかと思ったりする。
「司法修習生:無給あんまり」って記事を読みながら激しいデジャヴを感じる。十年くらい前の医師の卒後研修制度を巡る議論でもおんなじような事があったなー。違うのは医師卒後研修制度では給与を給付するかどうかで議論になっていたのに対し、こちらは給費→貸与へと逆行しようとしているということで。
司法試験を受けても司法修習を受けないとしたら、その人は何ら法曹としての仕事はできないことになる。法曹になるための義務である司法修習なのに、副業もできなければ給料ももらえないってのはいいのか?と思う。もともとは「司法修習生は、その修習期間中、国庫から一定額の給与を受ける」と裁判所法に規定されていたということで、雇用されて研修に専念していたと考えることができると思うのだが、それが貸与になるということは、司法修習生は雇用されるのではなく、学生扱いで奨学金をもらっているということになるのか?とすると、今は司法修習先に行く途中で事故に巻き込まれたら労災だけれど、この先は雇用関係がなくなるので労災ではないということになるのだろうか。
それに、「個人のために公費を支給することを疑問視」ってのもずいぶん狭い了見だと。その意見に従って公費を支給することをやめたならば、「俺の金で法曹資格を取ったんだ、俺が好きなように使う」って開き直られたときには何も言えないことになる。公務員ではなくとも法曹は一種の公僕だと思うのだが、そういう立場の人間を育てるのに、歳費を支給することが問題だとは思えないのだが。
ちなみに、わたしは医師も公僕の一種だと思ってます。そうでなけりゃ「応召義務」なんてものをかけられている理由が説明できませんから。
急に体調崩された先生の代わりに当直して、本日休日。
しばらく積ん読になっていた「とある飛空士への恋歌」を読了。空戦と恋の物語再び。空の中で自転車に乗るシーンとか、いいよなぁと。
「サクラダリセット2」読了。
作品の序盤で出てくる男の子と女の子のたとえ話を読みながら、こういうやりとりは「ONE」でもあったなぁと思った。記憶にかかわる物語、だからだろうか。
あとがきで「あり得ない血糖値」って記述があったのだけれど……ときどき救急外来とかには来ますねぇ。聞いた話では血糖1000mg/dlとか。正常値が空腹時で100を切るくらいですがね。
午前外来。細切れなのでムダな時間ができるのが悩みであったりする。
受け持ち患者少ないなぁ.....と思っていたら、最近入院の受け持ちをしていない。そのせいかと納得した次第。たまにはいいか、どうせそのうち忙しくなると思っていたりする。
夜透析当番。
一人風邪気味の人がいて、透析終わる頃にはかなり熱が上がり。やむなく夜中に緊急入院。
帰ってきて飯喰って寝ると十二時。
早めに帰れたので娘と風呂に入る。入るとおもむろに嬉々として顔だけ水面から出してぷかりと浮かんで楽しんでいるのだが....。おぼれる心配をするべきか水泳が得意になりそうと期待するべきか悩んだりする。
当直。
二人が交代で対応に当たることになっているのだが、検査が終わらないということで時間を変更。結果的にはわたしにとってラクな形になったのでよかったような申し訳ないような。
「ここしばらく食事がとれない」実は夜の救急外来に受診する際の主訴として珍しくないものだったりする。急に出現したものではなくても、他の症状がなくても時々夜中に来る。明日の朝に来ればいいのにと心の中でつぶやきつつも、にこやかに対応するのが仕事なのだが...本日の患者様は結果的には電解質異常。因果を含めていったん家に戻そうと思っていたのだが、こりゃあ入院だなと即入院。まあ調べてみないとわからないのは当然といえば当然なのですが。
Doctor's Magazineという雑誌がある。メディカル・プリンシプル社が有料で発行している雑誌だが、編集後記でおいおいと思うような文章が。
「子宮頸がん予防ワクチン接種に公費助成を、という運動が起きている。それを疑問に思うのは私だけだろうか。」と書き出しているのだが、短い文章の中で突っ込みどころが多く。
筆者はどうやらメディカル・プリンシプル社社長の中村敬彦氏。プロフィール見る限り医療についてはまるで素人のようだから、考え違いをしていることについてはある程度寛容になった方がいいのかも知れないが、まず予防接種というものの意義からしてわかっていないというあたりは致命的な気がする。
普通、予防接種をするより治療の方が安くつくことは少ない。ひとりあたりで見てもそうだし、10000人に1人起こす程度の発症率、という病気であったとしても、(発症した病気のひとりあたりの総治療費)>(10000人分のワクチン接種費用)であるならば、ワクチンを使った方が安くつくことになる。子宮頸がんの発症率は若年女性に限るならば人口10万あたり10人を超えると示されている。純粋にそろばん勘定でいうならば、一回五万円といわれる子宮頸がんワクチンを普及させた方がいいかどうかは、子宮頸がんの治療にかかる金額がどのくらいかにかかってくる。
ここで、治療費とはいったい何かということになる。患者の側から見ると、病院に払うお金に薬代、さらに通院のための交通費に、病状が進行して動けなくなれば介護にかかる費用、命を落とすことになれば葬式代まで含んでいい。一方で国や医療保険の側から見ると医療保険で払わなければならない負担割がある。患者が2割負担ならば医療保険側は8割を払っている。これはそれなりに大きい金額になる。高額療養費制度を使ったりすればかなりの部分が公の側から支払われることになる。さらに、病気で仕事を休んだり退職したりすれば「得べかりし利益」が発生する。この辺になると治療費として含んでいいのか悩むところだが、ワクチン接種の社会的意義という話からは含んでいいのではないかと思う。インフルエンザワクチンについて言えば、ほとんどの人は軽症で治るので治療費はたいしたことがないと思うのだが、罹患率高いから流行してばたばた倒れると社会的影響が大きいからワクチンを普及させているのだと思うので。
こうやって「総治療費」というか「病気が発症することによってかかる費用と逸失利益の額」を算出していくと、若い人の病気ほど巨額になっていくと思う。そういう「ワクチン治療」について、公費助成(もしくは健康保険収載)することは、推進すべきな事ではないのかと思う。
……と、ここまで書いて、くだんの文章の最初の一文への突っ込み終了。このままやっていると分量がめちゃくちゃになりそうなのでつづきはまた明日。
昨日の続きをやろうと思ったけれど、子宮頸癌ワクチン受けるかと相方に聞いてみた返事を書くにとどめる。
「費用が五万円?高いねー。でもがん保険入るのと比べたら悪くないかも」
調べたら、30代女性が終身保障のがん保険に入ると月額の保険料は2000円を切らない。年額にしたら三万円くらいかかる。これで子宮頸癌を含む各種のがんに「かかったときに」「医療費の一部を給付してくれる」のががん保険ということになる。
ワクチンを打つことで、子宮頸癌にかかるリスクは非常に低くなり、しかもそれは一生続く。コストパフォーマンスへの印象は人それぞれだと思うが、わたしは「公費助成してでも普及したほうがお得なんじゃないか?」と思った。
行政刷新会議の仕分けで、国立病院機構の診療事業が「事業規模の縮減」「ガバナンスの抜本的見直し」と判定された由。
具体的にどんな議論があったのか、ちらっと公開されている動画を見てみたのだけれど、これでなんで「診療事業の事業規模の縮減」に至るのかがはっきりせず。採算はとらなきゃいけないということなので、規模縮減するとしたら不採算部門ということになるのだろうし、病院内で不採算部門といったら救急や小児科でしょうが。純粋に経営をみるならば救急をやめて予約の外来に特化して、合併症の多い患者はどんどん断って他院に回すのがよいことになる。それでいいのか、と思うわけなんですがね。
入院が二人、不安定な人が複数。外来透析も急ぎの対応が必要な人がいて、昼の食事をとるのがえらく遅くなってしまった。
夕方には雨降っている関係で子どものお迎えに車で行き、終わってからまた病院に戻って残りの仕事をして。
昨日よりは落ち着いていてよかったよかった。
「ラブコメ今昔」(有川浩)を読む。結婚するなら、自立していないと、と思っていた。一人でいられないから結婚するより、一人でもいられるけれど二人の方がいいと思ったから結婚するほうがいいなぁ、と。そんなことを思い出した。
そういえば昼に医局で弁当食っているところで「愛妻弁当ですか?」と聞かれたので「愛妻というより糟糠の妻?」とかいったら理解してもらえなかった。
祝日透析当番で出勤。幸い問題になるようなことはなく。
夕方から発表の準備をあれこれと。
現在の受け持ちはご高齢の方が多く。方針としても迷いが多い方が複数。
どこまでいっても「健常」にはなりえない方が多いから致し方ないのだが、どこまで進んでいいのかと迷いながら、それを本人や家族と話し合い少しずつ進んでいく手探り。ま、そんなもんだろうか。