懐古癖
2020/11/30/(Mon)
* 失くしたもの
小さい頃から私は忘れ物の多い子供だった。宿題を忘れ、給食袋を忘れ、学校に傘を忘れる。その度に先生や母親に怒られたり呆れられたりするのだった。落とし物も多かったと思う。一度会った人の顔や名前を覚えるのも苦手だった。読んだことを忘れて同じ本を面白そうだとまた買ってしまうというのもよくあった。そうした記憶力や集中力に欠けているのは生来の気質なのだが、最近はそれに老化も加わったものだからそれらのウッカリに拍車がかかっている始末だ。
何気なく置いたものの在り処が分からなかなくなって探し回るという事が何度もある。携帯を失くしたと家中探すも見つからず警察に届けようかと車に乗るとドアポケットに落ちていたとか、買い物先で財布が無いのに気づいて家に忘れたかと(それもよくある)取りに戻るも見当たらず、車にあるかと探してみても今回はそこにも無くて、昨夜最後に財布を開けたのが遠くの駐車場だった事は覚えていたので駐車場の最寄りの警察に電話してみたものの、落とし物の財布は届いていないとのことだった。その駐車場以後には財布を使っていないので、これだけ探して家の中にないのだからやはりあの駐車場に落として誰かに拾われたのだろうと、いよいよ諦めて近くの交番に遺失物届けを出しに行く。その書類を書いている途中に電話していた警官が、「財布届いてますよ」と。なんの事はない、出るときに財布を忘れたと思い込んでいただけで、実はちゃんと財布はポケットに入れていて最初の買い物先の駐車場に落としていてだけの話だった。本人に財布を持って出たという意識がないので、そこで落としたと思えず別の場所で落としたと思い込むという・・・うーん、これは忘れ物とか記憶力の問題ではなくて、ただのボケ老人の仕業でしかないのかも。

モノを無くしてもそれをどこで無くしたかがまるで分からなくて、ある日ふと失くなっている事に気づいて途方にくれるという事が多い訳です。そんな日々を漫然と過ごしていることに我ながら呆れ果てているときに、ふと足元を見ると何ヶ月も前に失くしたと思っていたものが目の前にある・・・!
最初に浮かんだのは余りにも陳腐なのですが、勿論、井上陽水のあの有名な歌のフレーズです。

探しものは何ですか?
見つけにくいものですか?
カバンの中も つくえの中も
探したけれど見つからないのに

まだまだ探す気ですか?
それより僕と踊りませんか?
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?

休む事も許されず
笑う事は止められて
はいつくばって はいつくばって
いったい何を探しているのか

探すのをやめた時
見つかる事もよくある話で
踊りましょう 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?

探しものは何ですか?
まだまだ探す気ですか?
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?
 
この歌の中では捜し物は結局見つかってはいないようです。

2020/09/12/(Sat)
* 何故?
生まれてきたことの意味を問うのは無意味である。生まれてきたことに意味はないから。

それが真理であることを知りながら、人はなおも愚かしく意味を問う。

私が生まれてきたことに意味はないとすると、私が生きてきた数十年の時間は泡沫の結果でしかないのだろうか。或いは果てしない徒労のなかの繰り返しの、ほんの一瞬の出来事にしか過ぎないのだろうか。

父と母が私を育て、その私が子供たちを育てる。およそ数十万年も繰り返されてきたホモ・サピエンスとしての営みの一部が、つまりは私の人生なのだ。
利己的な遺伝子にとっては正当な結果なのかもしれないが、そうやって繰り返されてきた私たちの人生に付きまとう、この過剰なまでの葛藤と愛憎にまみれたココロの動きは、果たして必要な結果だったのだろうか。
人を愛することはないが、憎み合うこともない。人を羨むことはないが、蔑むこともない。喜びを歌うことはないが、哀しみに泣き叫ぶこともない。そうした平坦で茫洋とした時間のなかでは私たちは生きることはできないのだろうか。

生きることの幸せには余りにも代償が大きすぎはしないだろうか。望まなければ失うことの苦しみもしらず、私たちは只、生きることを生きられるはずではなかったのか。
道端に転がる石塊に意識があり幸せがあるとするなら、それはきっと細やかで誰の関心も引かないちっぽけなものに違いないだろう。

石塊の幸せを望んでいるのかと問われれば私に答える言葉はないが、そんな世界を神が造ったとしたら、少しは神の存在を信じるることができるかもしれません。

2020/08/08/(Sat)
* 夜と雨
夜だった。

何時の事だったのか?それが何処だったのかもすべて忘れてしまった。

ただ、夜だったことしか覚えていない。

何が私を急きたてていたのか、何を苛立っていたのかも分からないまま、私は夜の中にいた。それは明るい日差しの中を歩いていたはずなのに、不意に高架下の影に続く地下道に迷い込んだかのように私の周りの明かりを奪って、遠くで明滅する裸電球に照らされているかのように、世界はぼんやりと黄昏れていた。

気がつくと私は大通りに沿った広い歩道を歩いていた。色違いのタイルが不規則な模様を繰り返し、どこまでも続いていた。雨が降ってきた。

行き先も目的も分からないまま、次第に強くなる雨脚の中、傘を持たない私はぐっしょりと濡れていた。下着まで濡れてしまった私は、こうやって濡れねずみで歩くことが目的だったのかもしれないと思い始めていた。
時間は深夜を過ぎ、大通りに車の往来は絶えることはなかったが歩道を歩く人の姿は殆どなかった。
寒さは感じなかったが、吐く息が白いのは季節が冬だからなのか。このまま、疲れ果てるまで歩き続ければ、道端に倒れた私の上に尚も雨は振り続けるだろう。

きっと私は誰かを待っていたのだ。

どうしたのですか?大丈夫ですか?

そんな言葉や僅かな関心。路上に転がった奇妙な石ころに微かに首を傾げる視線。真っ直ぐに歩くのに支障があるからと、一歩横に避ける人。

しかし歩道に行き交う人影はなく、降る雨の中でいつまても私は一人で歩いていた。

2020/01/04/(Sat)
* それぞれのシジフォス
 満たされる事を忘れていた僕は、すでに世界は黄昏のなかでボンヤリとした影のように映っていた。崩れ落ちる流砂の上を歩くように、危なっかしい足取りで目的のないままに日常を繰り返すことが、つまりは僕の裁かれることのない罪なのだと。
 ちっぽけなシジフォスの神話を生きるのが人生なのだと、諦念とも呼べぬほどの愚かしさの裡で、僕はひっそりと窒息するのを待っていただけのような気がする。

 予兆と呼べるものは何もなかった。

 最早、そこに有ることさえ忘れていた記憶・・・いや、それは忘れていた記憶ではない。ココロの何処かに意図的に置き去りにしただけで、いつも僕の中にあった。何かの拍子にチリチリとココロを焦がすものがあったのだが、そのものの正体を見ようとはせずに、何もなかったのだと片隅に押しやって忘れようとしていた。

 時間だけが過ぎていった。

 不意に現れた記憶は、僕には懐かしむ余裕もない程に明らかなものだった。恐る恐る伸ばした指に触れたものは、記憶の中のそれといささかも変わっていない僕自身のものだった。溺れることも慈しむことも、総て許すものに包まれていった。

 繰り返すことは、実は喜びなのだ。

 これが僕自身のシジフォスであることの意味を知って、僕はいつまでも満たされていた。

2019/09/14/(Sat)
* 青春の時 Chapter 3. 創作と諦念
仕事ばかりではつまらないので何かないかと見渡すと、当時全国的な知名度はないがSF関係者の間ではそこそこ名の知れたSF作家が、創作的ワークショップを立ち上げるという話を聞き、場所として指名された彼の自宅兼作業場に顔を出すようになる。
毎週土曜日の午後、10人から多くて20人前後の若者が集まって、ワークショップと言いながら皆で人生ゲームを真剣にやったり、将棋のトーナメントを開催したり、勿論各自で持ち寄った自作の小説を朗読して、その後くそ味噌に貶し合うとか、自由でアナーキーな雰囲気に僕は惹かれていた。メンバーは大学生が中心で院生や研究所の助手、若手の翻訳家から正体不明な僕のような人間までバラエティに富んでいた。
中にその作家の愛人?なのか、必ずそこに居る20代後半の女性がいて、その人の事がずっと気になっていた。新進の翻訳家で、いつも黒の上下で背中まである黒髪を真ん中で分けて気怠げに煙草を吸いながら、人のことを真正面から見返す人だった。はいこれ、と手渡されたのは当時禁制品だった無修正のPlayboy。今から見ると他愛のないヘアヌードなんだが免疫のない僕らには恐ろしく刺激的で刹那的に思えた。
半年後位だろうか、ワークショップの成果を世に問う為、メンバーの中から3名ほど選んで、新人作家としてデビューさせようと云う話になった。発表の場は、そのSF作家が当時編集発行していた雑誌に決めた、と言うかそこしか発表の場はなかった筈だ。
数カ月かけてディスカッションと校正を繰り返して雑誌は発行された。校正や発送の作業も自分達で手分けし、ようやく出来上がった日の夜、ささやかな慰労会が近くの居酒屋で開かれた。集まれば必ず夜明けまでワイワイと騒ぐいつもの常で、その日も明け方にやっと作家のマンションに戻ろうかと皆でふらふら歩いていた。すると、いつの間にか例の黒髪の彼女と僕以外前後に誰の姿も見えなくなっていた。
酔った勢いなのか、物陰に引き寄せると壁に僕を押し付けてキスをした。舌が絡まり、彼女の太ももが僕の股間を微妙に刺激する。濃厚な大人のキスだった。

もう帰りなさい、彼女はそう言うとそのまま去っていった。

その一篇を書いたあと、僕はずっと何も書けずにいた。彼女ともそれ以来会っていない。

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