始めてはみたけれど・・・ 日記ではないので、表題を変えてみる。昔のこととか、子供たちの幼いころのこととか、書いてみたいような気がして。 むろん、虚言ですが。 |
雨の日には、小さなころの思い出が不意に甦ったりする。 記憶のいちばん底にある思い出といえばなんだろう・・・縁日の薄暗い裸電球のした、段ボール箱に雑然と重ねられたマンガ本の山を一生懸命に探そうと、うずくまった膝小僧にすれる砂利のごつごつとした感触とか・・・あれはせいぜい5歳ごろの記憶かも。 もっと小さいころをたどれば、それは純粋に自分の記憶なのか、まわりの大人たちに聞かされたエピソードを自分のものと錯覚しただけなのか、よくわからなかったりする。 当時は保育園なども完備されず、仕方がないので母の勤め先に連れられて工場の片隅で待たされているときなど、自分が帰りたくなると壁にかかった時計の前までいっては、読めもしないのに時間を確かめるふりで「まだかなぁー」と小首をかしげて、まわりの大人を笑わせたり、工場のたたずまいや帰り道に通る路地の様子などをぼんやり覚えているような気がするのだが、はたしてそれが自分の確かな記憶なのかどうかはっきりとはしない。 工場というのはかなり大きな織物工場で、むき出しのコンクリートの上に自動織機が隙間なく並び、薄暗く轟音に満ちていて、いま考えると幼い子供には恐ろしく危険な場所だった筈なのだが、そんなことを気にする大人などその頃はいなかった。 まぁ当時でも工場に幼い子供を連れてくるのはあまり多くはなかったような気もするのだが、貧しさとはつまりはそういうことなのだろう。 |
織物工場の記憶をもう少し。 雑然とした工場では小さな子供は邪魔だったからだろう、そこでの僕の居場所は、まるで捨て猫でも入れておくような木箱だった。それこそ、子猫のように木箱のふちに手を置いて首だけ出して周りをきょろきょろ眺めていたような気がする。母親の同僚も若い女性たちばかりで、よくみんなに抱っこされたりほお擦りされてニコニコと笑っていた。 ちろんあまりに幼くて細部の記憶などまるでないのだが、何かそのあたりの感触のようなものだけを懐かしい記憶として覚えているのだった。 |
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