懐古癖
2019/09/14/(Sat)
* 青春の時 Chapter 1. 失意と希望
18歳の夏、すでに僕は老人のように失意の中にいた。

僕は小学校五年生ぐらいまでは担任のえこひいきもあって、体育以外は通信簿はほぼオール5だった(でぶなので運動は苦手)から、周囲の大人達は将来は京大生かな(京都人にとって東京大学はあくまで二番手以下で何をおいても京都大学が一番だった)と真顔で褒めてくれた。その上2年か3年生の頃、これも地元の京都新聞主催の夏休み小学生塗り絵コンテスト?だったかな。それで3等賞をとって名前が京都新聞に載ったりして、おばあちゃんは僕を連れて親戚中に自慢するので、僕もその気になっていた。まぁ、3等賞ってのが中途半端だが。
しかし、中学高校と進むにつれきちんと予習復習をしている人間に、いい加減な勉強しかしてこなかった僕は直ぐに差を付けられ、いつの間にかぐうたらな劣等生になっていた。
それでも高校2年生位までは京都大学は無理にしても公立の府立大とかなら何とかなるかなとは思っていたのだから気楽なものだ。
貧しかった我が家の事情では、両親は僕を大学にやる事など最初から諦めていた。東京の大学で下宿だと奨学金とバイトだけでは生活費と学費は無理だが、自宅から通うならなんとかなるかなとは当時の僕は考えていた。

しかし、そんな考えは何となく消えていった。

嘗て、この国には「闘争の時」と呼ぶべき時期があった。高校生だった僕の周りにもその波は押し寄せ、生意気な議論と熱中する日常にどっぷりと浸っていた。しかしその熱気は長くは続かず、権力によって押し潰されたことを言い訳に大学生達は4年生になると就職活動を始め徐々にその場から消えていった。
何だ、こいつ等は。馬鹿だとは思っていたけど、高尚な理想を語っていたが単なる俗物か。世界同時革命とか絶対的な自由を求めるだとか、口先だけの戯言なのかと。

進学にすっかり興味を失った僕は、そうだ!東京に行こう、と突然思い立って3年生の三学期は殆ど授業に出ずバイトに明け暮れていた。
なんのこだわりなのか、卒業式の日に僕は家を出る、と決めていた。卒業式には出なかったと思う。担任が午後に卒業証書を持って来てくれて、来年は必ず受験しなさい、学校に来れば書類は用意するからと親切に言ってくれたが、僕にはそんな気はまるでなかった。

明日は東京だ。

2019/09/14/(Sat)
* 青春の時 Chapter 2. 恍惚と不安
東京に着いたのは土曜日だった。
今と違ってネットカフェやカプセルホテルと云った便利でお手軽な施設などなく、安価に一晩を過ごせる場所といえばオールナイトの映画館位しか僕には思いつかなかった。浅草のすえた匂いのする映画館だったと思う。煙草の煙と座り心地の悪い椅子のせいでほとんど眠れず、半ば朦朧としながら浅草を出て、初めて足を降ろした東京駅に再び向かっていた。新聞の求人欄を眺めながら、東京駅構内のベンチに座ってぼんやりと人の流れを見ていた。そう、何一つ当てもないままに東京に来ていた。
夜も更けたが事態は何も変わらず、オールナイトの映画は土曜日のみの上映で今夜の泊まる場所の当てがなかった。山谷のドヤ街なら安くで泊まれたのだろうが、当時の僕にはその辺りの知識はなかった。
夜も更け、構内のシャッターが閉まろうとする時ベンチで呆然としている僕を見て不審に思ったのだろう、八重洲口交番のお巡りさんが声を掛けてきた。こんな事もあろうかと考えていたので、18歳です家出ではありません連絡先はこれこれですと伝えると納得してくれて、今では考えられないが、じゃ交番で朝まで時間を過ごしなさいと言ってくれてそのまま朝まで交番でお巡りさんと一緒に過ごす事になる。年齢的にそれ程離れてはいない若いお巡りさんと朝まで下らない話で盛り上がったり、弾を抜いた拳銃を持ってみるか、と渡されて、これは完全な違法行為だけど当時はそんな緩さも時代的にはあったのかも。
翌朝、求人欄で見つけた日暮里のガソリンスタンド、寮・賄い付きのところに決めてやっと落ち着いたのだ。
寮と賄いと言うのが僕には合わなくて、夏には免許を取らせてやると言われていたがそのガソリンスタンドは1年で辞めて、貯めたお金でアパートを借り、今度は深川にあるデザイン事務所に転職する事になる。

2019/09/14/(Sat)
* 青春の時 Chapter 3. 創作と諦念
仕事ばかりではつまらないので何かないかと見渡すと、当時全国的な知名度はないがSF関係者の間ではそこそこ名の知れたSF作家が、創作的ワークショップを立ち上げるという話を聞き、場所として指名された彼の自宅兼作業場に顔を出すようになる。
毎週土曜日の午後、10人から多くて20人前後の若者が集まって、ワークショップと言いながら皆で人生ゲームを真剣にやったり、将棋のトーナメントを開催したり、勿論各自で持ち寄った自作の小説を朗読して、その後くそ味噌に貶し合うとか、自由でアナーキーな雰囲気に僕は惹かれていた。メンバーは大学生が中心で院生や研究所の助手、若手の翻訳家から正体不明な僕のような人間までバラエティに富んでいた。
中にその作家の愛人?なのか、必ずそこに居る20代後半の女性がいて、その人の事がずっと気になっていた。新進の翻訳家で、いつも黒の上下で背中まである黒髪を真ん中で分けて気怠げに煙草を吸いながら、人のことを真正面から見返す人だった。はいこれ、と手渡されたのは当時禁制品だった無修正のPlayboy。今から見ると他愛のないヘアヌードなんだが免疫のない僕らには恐ろしく刺激的で刹那的に思えた。
半年後位だろうか、ワークショップの成果を世に問う為、メンバーの中から3名ほど選んで、新人作家としてデビューさせようと云う話になった。発表の場は、そのSF作家が当時編集発行していた雑誌に決めた、と言うかそこしか発表の場はなかった筈だ。
数カ月かけてディスカッションと校正を繰り返して雑誌は発行された。校正や発送の作業も自分達で手分けし、ようやく出来上がった日の夜、ささやかな慰労会が近くの居酒屋で開かれた。集まれば必ず夜明けまでワイワイと騒ぐいつもの常で、その日も明け方にやっと作家のマンションに戻ろうかと皆でふらふら歩いていた。すると、いつの間にか例の黒髪の彼女と僕以外前後に誰の姿も見えなくなっていた。
酔った勢いなのか、物陰に引き寄せると壁に僕を押し付けてキスをした。舌が絡まり、彼女の太ももが僕の股間を微妙に刺激する。濃厚な大人のキスだった。

もう帰りなさい、彼女はそう言うとそのまま去っていった。

その一篇を書いたあと、僕はずっと何も書けずにいた。彼女ともそれ以来会っていない。

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