懐古癖
2020/01/04/(Sat)
* それぞれのシジフォス
 満たされる事を忘れていた僕は、すでに世界は黄昏のなかでボンヤリとした影のように映っていた。崩れ落ちる流砂の上を歩くように、危なっかしい足取りで目的のないままに日常を繰り返すことが、つまりは僕の裁かれることのない罪なのだと。
 ちっぽけなシジフォスの神話を生きるのが人生なのだと、諦念とも呼べぬほどの愚かしさの裡で、僕はひっそりと窒息するのを待っていただけのような気がする。

 予兆と呼べるものは何もなかった。

 最早、そこに有ることさえ忘れていた記憶・・・いや、それは忘れていた記憶ではない。ココロの何処かに意図的に置き去りにしただけで、いつも僕の中にあった。何かの拍子にチリチリとココロを焦がすものがあったのだが、そのものの正体を見ようとはせずに、何もなかったのだと片隅に押しやって忘れようとしていた。

 時間だけが過ぎていった。

 不意に現れた記憶は、僕には懐かしむ余裕もない程に明らかなものだった。恐る恐る伸ばした指に触れたものは、記憶の中のそれといささかも変わっていない僕自身のものだった。溺れることも慈しむことも、総て許すものに包まれていった。

 繰り返すことは、実は喜びなのだ。

 これが僕自身のシジフォスであることの意味を知って、僕はいつまでも満たされていた。

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