生まれてきたことの意味を問うのは無意味である。生まれてきたことに意味はないから。 それが真理であることを知りながら、人はなおも愚かしく意味を問う。 私が生まれてきたことに意味はないとすると、私が生きてきた数十年の時間は泡沫の結果でしかないのだろうか。或いは果てしない徒労のなかの繰り返しの、ほんの一瞬の出来事にしか過ぎないのだろうか。 父と母が私を育て、その私が子供たちを育てる。およそ数十万年も繰り返されてきたホモ・サピエンスとしての営みの一部が、つまりは私の人生なのだ。 利己的な遺伝子にとっては正当な結果なのかもしれないが、そうやって繰り返されてきた私たちの人生に付きまとう、この過剰なまでの葛藤と愛憎にまみれたココロの動きは、果たして必要な結果だったのだろうか。 人を愛することはないが、憎み合うこともない。人を羨むことはないが、蔑むこともない。喜びを歌うことはないが、哀しみに泣き叫ぶこともない。そうした平坦で茫洋とした時間のなかでは私たちは生きることはできないのだろうか。 生きることの幸せには余りにも代償が大きすぎはしないだろうか。望まなければ失うことの苦しみもしらず、私たちは只、生きることを生きられるはずではなかったのか。 道端に転がる石塊に意識があり幸せがあるとするなら、それはきっと細やかで誰の関心も引かないちっぽけなものに違いないだろう。 石塊の幸せを望んでいるのかと問われれば私に答える言葉はないが、そんな世界を神が造ったとしたら、少しは神の存在を信じるることができるかもしれません。 |
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