合唱団たちばな

第17回 演奏会


2008年9月20日に行なった「第17回演奏会」のプログラムを紹介します。
当日、ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。

ごあいさつ
 本日は、合唱団たちばな 第17回演奏会に来場いただき、ありがとうございます。
 1978年(当時)学生主体だったメンバーによって創設して以来、団員みんなの合唱を愛する思いと、ご縁をいただいた方々のご支援・ご声援によって活動を続け、本年で30周年を迎えることができました。
 今回も、美しくも歌いごたえのある邦楽曲3ステージと、たちばな の歩んだ30年のポピュラーソングで構成する第4ステージの4部構成でお届けします。
 みなさま、どうぞお楽しみください。


♪♪♪ プログラム ♪♪♪
1st Stage …… ピアノ伴奏による 五つのうた
 
 T 海の若者
 U 秋の女よ
 V 花笛
 W 沼
 X 別れの唄
 
作 曲
作 詩




指 揮
ピアノ
大中  恩
佐藤 春夫
佐藤 春夫
北島万紀子
大木 惇夫
北原 白秋
岡本 俊久
米良 賀代
2nd Stage …… 混声合唱組曲 動物たちのコラール 第2集
 T ほたるの祈り
 U かもめの祈り
 V 小さいろばの祈り
 W 天道虫(てんとうむし)の祈り
 X 羚羊(ガゼル)の祈り
作 曲
原 詩
譚 詩
指 揮
萩原 英彦
C.B.デ・ガストルド
宮澤 邦子
秋吉  亮
3rd Stage …… 混声合唱とピアノのための もし鳥だったなら
 T もし鳥だつたなら
 U 僕のなかを掠めるものは
 V 唄
 W 南国の空青けれど
作 曲
作 詩
指 揮
ピアノ
信長 貴富
立原 道造
岡本 俊久
米良 賀代
4th Stage …… たちばな の30年/時代のポピュラーソング選集
 T 越冬つばめ
 U My Revolution
 V SAY YES
 W さよなら
 X 世界に一つだけの花
編 曲
指 揮
ピアノ
金川 明裕
岡本 俊久
米良 賀代



曲目紹介
ピアノ伴奏による 五つのうた
 四人の著名な詩人の、あまり著名でない(?)詩に大中恩が作曲したものです。
 特に組曲として意図したものではないそうですが、作曲者自身がこれら5曲を選んで、この順番にまとめました。それぞれに個性がまったく異なる曲です。無理に一言で言えば、「海の若者」の劇的、「秋の女よ」の抒情、「花笛」の軽快、「沼」の幽玄、「別れの唄」の諧謔、といったところでしょうか。
 曲の表情がうまく伝われば幸いです。
(櫻井義人)


混声合唱組曲 動物たちのコラール 第2集
 原作詩者C・B・デ・ガストルド女史は、早くに父親をなくし、また第二次大戦に翻弄されて絹織物工場で働く貧しく苦しい日々を送っていましたが、そんな中で生まれたのがこれらの詩です。「それぞれに負わされた運命を受け入れ、受け入れることの辛さ、あるいは、喜びの中に、すべてを超える希望を見いだしているようにみえる動物たちの祈り」(『箱舟からの祈り』宮澤邦子訳 訳者あとがき)。その祈りに萩原英彦氏の心が寄り添い、それが音となって動物たちは神への讃美を口にします。
 光そのものである神さまに向かって、光を弱めて下さいとお願いする蛍(1曲目)。心に痛みを感じながらも空高く天がけるかもめ(2曲目)。全5曲の中心に位置するのが、重荷を背負って歩み続ける子ろば(3曲目)。四分音符で刻まれるこの歩みは、重荷を負った者とともに歩み、やがて十字架にかかるイエスの歩みでもあります。4曲目には名前に「天国」を持つ天道虫の喜びと感謝。そして終曲。すばやく軽く、ガゼルは神様の愛のふところを目指して一直線に走ります。
(秋吉英理子)


混声合唱とピアノのための もし鳥だったなら
 「混声合唱とピアノのための『もし鳥だったなら』」は、第一曲「もし鳥だつたなら」が1994年に全日本合唱コンクールの課題曲公募に入選し、その後、これを含めて立原道造の詩で曲集をまとめたいという作曲者の思いにより、2001年に完成・初演されました。
 作曲者の言葉を借りれば、「『うたうこと』は『生』と強く結びついており、死してなお永遠に歌い続けたいという祈り」がこの曲にこめられています。
 第1曲で「うたはう」という詩句が輝かしく放たれ、第2曲ではスピード感のあるピアノと激しい旋律に歌は「明るい時の下で死ね」と息を詰まらせるが、第3曲では明るい旋律に乗って「私は生きられる」と歌いあげられ、終曲では空にかかるひとつの星に「ふるさと」「老いたる母の微笑」への思いをはせるのです。
 今宵はこの立原道造の詩と信長貴富氏の音の世界を心ゆくまでお楽しみください。
(中西幸一)


たちばな の30年/時代のポピュラーソング選集
 合唱団たちばな は今年30周年を迎えました。創立当初大学生だった団員も40歳台後半になりました。そのころ流行った歌・・・オフコースの『さよなら(1979)』には当時の自身の失恋経験を重ね合わせる団員もいます。たちばな 5周年の頃、「ヒュルリ〜ヒュルリララ」というフレーズが印象的な『越冬つばめ』を森昌子が歌い1983年のレコード大賞最優秀歌唱賞にも輝きました。練習にメンバーが集れず、合唱団たちばな 存続が危ぶまれ解散するという話も出た頃、渡辺美里の『My Revolution(1986)』が流行りました。この曲は今でも心にエネルギーを与えてくれる曲で最近の紅白でも歌われました。この頃を境に月一回の日曜練習、隔年の演奏会という現在の活動のパターンが定着しました。CHAGE and ASKAの『SAY YES(1991)』は101回目のプロポーズの主題歌として主人公の走る姿を思い出す方も多いのではないでしょうか。槇原敬之の作ったSMAPの『世界に一つだけの花(2003)』はNo.1であるよりOnly Oneであることを歌って広い世代の人々に共感を与えました。手話で語りかけながらSMAPが歌うのを目にした人も多いでしょう。
 それぞれの人がそれぞれの時代を振り返りながら楽しんでいただければ幸いです。
(細井則子)


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