合唱団たちばな

第22回 演奏会


2024年9月8日に行なった「第22回演奏会」のプログラムを紹介します。

ごあいさつ
 本日はまだ暑さが厳しい中、ご来場いただきありがとうございます。
 第22回演奏会は、当初2020年7月に開催を予定しておりましたが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、中止を余儀なくされました。その後、何度か開催を模索しましたが、コロナ禍の収束に時間がかかったこと、練習に参加することが困難となった団員もいたことから叶いませんでした。本日、6年ぶりに演奏会を開催できることとなり、団員一同心から喜んでおります。
 この6年の間に団員の高齢化が進み、またコロナ禍によって参加できる団員が減り、パートバランスとパワーに不足が生じました。そこで本日の演奏会では、岡本先生が指導されている埼玉大学合唱団・OBの皆さんに賛助出演をお願いしております。
 本日のプログラムは、英語の宗教曲を日本語の歌ではさむ構成となります。
 1978年4月の創立から時を重ね、今や高齢者団体に垂んとしている合唱団たちばなに、若い世代が混ざることにより、シナジー効果によってどのようなハーモニーが生まれるか、お楽しみいただければ幸いです。


♪♪♪ プログラム ♪♪♪    
1st Stage …… 白いうた 青いうた より
 1 ねむの木震ふ
 2 自転車でにげる
 3 火の山の子守歌
 4 なまずのふろや
 5 南海譜
 6 しらかば
 7 われもこう
作 曲:
作 詩:

指 揮:
ピアノ:
新実 徳英
谷川  雁

岡本 俊久
米良 賀代
2nd Stage …… Anthems より
 Ⅰ For the beauty of the earth
 Ⅱ The Lord bless you and keep you  
 Ⅲ Look at the world
 Ⅳ God be in my head
 Ⅴ A Choral Amen
作 曲:

指 揮:
ピアノ:
John Rutter

秋吉  亮
米良 賀代
3rd Stage …… Requiem
 Ⅰ Salvator mundi
 Ⅱ Psalm 23
 Ⅲ Requiem aeternam (1)
 Ⅳ Psalm 121
 Ⅴ Requiem aeternam (2)
 Ⅵ I heard a voice from heaven
作 曲:

指 揮:
Herbert Howells

岡本 俊久
4th Stage …… 混声合唱組曲 燕 の 歌
 1 旅 装
 2 のちのおもひに
 3 どうして 不意に
 4 唄
 5 燕 の 歌
作 曲:
作 詩:

指 揮:
ピアノ:
山下 祐加
立原 道造

岡本 俊久
米良 賀代



曲目紹介
白いうた 青いうた より
 白いうた 青いうたは、作曲家 新実徳英と詩人 谷川雁によって1989年から1995年までに53曲作曲された合唱曲のシリーズである。「日本語のイントネーションに縛られることなく節を書きたい」「曲先行でだれでもうたえる歌を書きたい」という新実に対し、「朝飯前とは言わないけれど、僕にやらせてみたまえ」と谷川が返したところから、合唱曲としては珍しく、曲が先に作られた後に詞が付けられるスタイルで製作された。新実は「いわば『平成の唱歌』を作ろうというねらい」だったとする。曲集の副題も「十代のための二部合唱曲集(のちに「三世代のための~」に改題)」とあるように、誰でも歌えるシンプルで美しい旋律の合唱曲で、本日は7曲をお届けする。
 二部合唱曲であるため、曲毎、繰り返し毎に主旋律/副旋律の担当パートを、男声/女声、高声部/低声部と変化を付けて演奏する。各曲をより美しく、印象的に伝えたい指揮者の拘りである。第1ステージなんだから軽~くね、とも。
 しかし、歌うのは押しの強い個性派揃いのたちばな である。どんな曲もmf(メゾフォルテ)~ff(フォルティッシモ)で歌う元気なおじさんとおばさんの集団である。誰でも歌える歌はどのように仕上がったであろうか。
(犬塚いそみ)

Anthems より                  曲:John Rutter
英国の作曲家、ラター(John Milford Rutter、1945~)の混声合唱曲集”Anthems”-聖歌集-から5曲、お聴きいただきます。
Ⅰ.For the beauty of the earth          詞 Folliott Sandford Pierpoint(1835-1917)
ロンドンで1864年に出版された讃美歌集に、ピアポイントの8節の詞が掲載された。その後、他の讃美歌集にも載っているが、キリスト教の異なる宗派でも受け容れやすいよう、いくつかの節が省略され、またリフレインの歌詞が変えられている。
Ⅱ.The Lord bless you and keep you       詞 旧約聖書 民数記6章24-26節
この歌詞は、アロンの讃歌として知られている。神がモーセ※に、アロンと人々を祝福するときには、次のように言うように、と伝えた言葉である。
現代でも、キリスト教の礼拝を終える前に、牧師が会衆をアロンの讃歌で祝福する。多くの作曲家がこの言葉に曲を付けているが、ヘンリー王子とメーガン妃の結婚式の最後では、このラター作曲の曲が歌われた。
※虐げられていたユダヤ人たちを、エジプトから脱出させた。アロンはその兄。
Ⅲ.Look at the world               詞 John Milford Rutter(1945~)
イングランド農村部保護評議会創立70周年の委嘱により、「環境と、それに対する私たちの責任」をテーマに、ラター自身が作詞した。"Praise to thee, O Lord of all creation…"以下の歌詞が繰り返される。1996年にオックスフォード大学出版局から出版された。
Ⅳ.God be in my head              詞 サラム祈祷文
作詞者不明。中世ヨーロッパのミサでは、ラテン語が使われていたが、16世紀に入ると英語の祈りが現れた。1514年、サラム(現在のソールズベリーの古い町名)の教会の英語での祈祷文が出版され、その後、北ヨーロッパで広く使われるようになった。発行者の名前を取ってピンソン”Pynson”の祈祷文とも呼ばれるが、そのタイトルページに、この” God be in my head”の詞が記されていた。
5行の詞だが、”…ing”と韻を踏んでいる。最後の” God be at my end and in my departing”という言葉に惹かれ、日本福音ルーテル都南教会信徒の森田稔教詞に邦訳していただいた。
Ⅴ.A Choral Amen
歌詞は”Amen”のみ。ユダヤ教徒やキリスト教徒が、祈りや誓い(珍しい例としてはシュプレヒコール)の言葉に続いてアーメン(米語ではエーメン)と言う。そのとおり、確かに、本当に、まことにそうです、そうありますように、といった意味。この言葉でこのステージを締めくくる。
(秋吉 亮)

Requiem                     曲:Herbert Howells
作られてから44年の年月を経て公開された組曲で、伴奏の譜も記載されているものの、作曲者であるHOWELLSは無伴奏での演奏を望んで書いたとされています。魂が帰る厳かな雰囲気を無伴奏でお楽しみください。
Ⅰ Salvator mundi               (世の救い主よ(英語))
後半、2分の3拍子から4分の4拍子になり8声にわかれる様子から、群衆が救世主に向けて救いを求める願いの強まりや勢いが感じられます。
Ⅱ Psalm 23                  (詩編 第23編(英語))
旧約聖書の詩の1つから歌詞がとられ、羊飼いとして主に包まれ共に存在する喜びや安心感が少し速めのテンポや、特徴的なリズムに表れています。
Ⅲ Requiem aeternam (1)           (レクイエム(ラテン語))
永遠の安息を求める心が、波のように変わる強弱と、細かく動いて途切れない音によって満たされていく様子がイメージされます。
Ⅳ Psalm 121                 (詩編 第121編(英語))
エルサレムへの巡礼をうたった詩で、一歩踏み出すたびに生まれる、主に近づく喜びやその力強さが表れています。冒頭と最後のソロにも注目です。
Ⅴ Requiem aeternam (2)           (レクイエム(ラテン語))
(1)と同じ歌詞でありながら、主からの光が当たる喜びやそれを望む強い思いが感じられます。流れるように変わる調をお楽しみください。
Ⅵ I heard a voice from heaven        (わたしは天からの声を聞いた ヨハネの黙示録 14章13節(英語))
ソプラノの低い音、ベースの高い音、全体を先導するソロが特徴で、神秘的で少し不気味な音から、天国や救いに近づく様子が感じられます。
(埼玉大学合唱団 第64回定期演奏会プログラムより)

混声合唱組曲 燕 の 歌
 音楽を演奏するということは、楽譜から作曲者の意図を汲み取り、表現することであるが、合唱曲の場合、詩の作者が関わってくるため、複雑になる。作曲者の意図とその表現については指揮者に委ねるとして、このプログラムノートでは(邪道かもしれないが)、立原の詩に焦点を当てたい。
 組曲「燕の歌」の作詩者である立原は、1914年7月に東京日本橋に荷造り用木箱の製造を中心に手広く商売を営んでいる大商家に生を受けた。絶息は1938年12月に旅行先の長崎で倒れた翌年3月。享年24歳8か月であった。
 組曲「燕の歌」に収められている「旅装」や「燕の歌」を読むと、「ふるさとへの郷愁」を感じるが、立原は東京下町っ子である。読み手が感じる郷愁は、立原が大切にしていた「村ぐらし」からくるのであろう。関東大震災の被災による千葉県新川村への疎開、避暑のために毎夏滞在した奥多摩御岳山、そして、組曲「燕の歌」に取り上げられた詩たちの根底にも流れている軽井沢追分での滞在。これらが、立原の詩にみえる「村ぐらし」であり、村に行くための「旅」は、病(結核)を周囲に知らせず強行するほど、立原にとっては重要な要素だった。なお、立原は1937年に肋膜炎、1938年に肺尖カタル(結核)と診断されている。しかし彼の作品にはそれらの影はほとんど見えない。見せていない。
 さて、1曲目の「旅装」と5曲目の「燕の歌」は、ほぼ同時期の作品である。どちらの詩でも、立原の聖地である「村」=追分から東京に戻り、「夢(追分での少女たちとの逢瀬)」を懐かしみ、次の逢瀬に想いを馳せている。
 また、この2曲に挟まれている「のちのおもひに」「どうして、不意に」「唄」の3つは、恋愛の詩である。
 「のちのおもひに」は、立原が追分で想いを寄せていた少女の中の1人より、結婚する旨の手紙を受け取り、傷心旅行で三重県尾鷲を経て奈良の三月堂などをめぐった時の詩である。冒頭の「夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に」は、まさに追分での少女との逢瀬を表している。おそらく、立原は追分で少女たちに、彼女らに会えなかった間の「見て来たもの」を語っていたのであろう。しかし、火山(浅間山)の麓にある追分に戻っても、語る相手がいない。その寂しさが詩に表れている。ちなみに日光月光は、「三月堂の日光菩薩・月光菩薩」を謳っているとも、「紀州の船からみた波が日の光・月の光に反射した様」とも言われているが、この紀の国の旅に誘った土井氏が後に『風信子通信』に寄稿しているとおり、後者であると考える。3曲目「どうして、不意に」は、後の婚約者である水戸部アサイ嬢と恋愛関係になり、ルンルン(と思われる)時期に書かれた詩である。しかしながら、末尾にある「どこへ とほく とんでゆく?」に彼の悩みがみえる。この同時期、友人宛に書いた書簡に「詩は つねにひとつの魂が「どこへ?」と 苦しみを以って 問ひつづけるところにある」「果して 僕の経験が 僕に何か教へただらうか!」とある。4曲目「唄」は、死の病を周囲に知らせず旅行した盛岡で、林檎や葡萄などの豊潤な実りの秋に感動し、「ああ 私は生きられる 私は生きられる 私は よい時をえらんだ」と書いた詩である。病を押してまで行った「盛岡紀行」「長崎紀行」は、婚約者であるアサイ嬢のためだと立原は言っているが(「見て来たものを」語りたかった?)、それは果たして勇断だったのだろうか。
 「詩にあった声を出しなさい」と、岡本先生によく言われます。詩を理解するため、図書館で調べた結果、このようなプログラムノートとなりました。あくまでも私見です。
 岡本先生率いる合唱団たちばなが奏でる「燕の歌」の演奏をどうぞお楽しみください。
(渡邊真理子)


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