通常ミサ曲という場合には、「キリエ」「グローリア」「クレド」「サンクトゥス」「アニュス・デイ」の5部からなるものを指すが、1730年代末に作曲されたバッハの4つのミサ曲(そして当初の《ミサ曲口短調》)は「キリエ」と「グローリア」のみから構成されている。このような構成は、バッハの属するルター派における慣習によるところとされている。
ところで、これらのミサ曲はどれも旧作カンタータのパロディであることが判っているが、なぜこのような転用、悪く言えば「使い回し」をバッハは行ったのだろうか?時間がなかったので手持ちのもので間に合わせたという説もあるが、近年では肯定的な評価がなされるようになっている。例えば小林義武氏は、当時「カンタータ」というジャンルが衰退しつつある時代背景にあって、バッハは自身の作品が忘却の運命に陥らないよう「最も優れたものを選び出し、それらをミサ曲に変えること」を行ったのではないかと述べている。
そのような自らの作品群の集大成が、2年前に本団でも演奏した《ミサ曲口短調》となるわけであるが、それ以前にも、バッハは自らの作品群から特に良いものを選定し、ミサ曲として再構成していたとも考えられる。
宮崎文彦