神聖ローマ帝国大司教統治領であったザルツブルクに生まれたモーツァルトは、その宮廷音楽家として父レオボルドとともに仕えたことから、教会音楽はこのザルツブルク時代に集中している。今回演奏の作品は、1776年、モーツァルト20歳の作品であるが、その総括的ともいうべき作品で、ウィーン時代の作品ばかりが注目されるなか、隠れた名曲との評価も高い。
もともとギリシア語の「嘆願」に起源を持つという「連祷」(連願、リタニア、リタニー)とは、神への呼びかけや嘆願の意向を繰り返して連ねる祈りの形式。司祭がキリストやマリアヘの讃美を先唱し、会衆が「我らを憐れみ給え」や「我らのために祈り給え」と応答していく。連祷は特に16世紀に数多くつくられたが、17世紀初頭にはカトリック教会の公的な儀式(典礼)での使用が禁じられたという。
この曲の演奏も、聖週間の初日(枝の主日)の夕方に、説教とともに演奏されたという。オーケストラでヴィオラが使われていることからも、ザルツブルク大司教からの依頼ではないことがわかっている。制約が多い大司教からの依頼とは異なり、モーツァルトはこの曲で、オペラ的なアリアや多彩なオーケストレーション、対位法の駆使など、その才能を自由に発揮できたのではないだろうか。とはいえ、第7曲の「臨終聖体」においては、聖体祭に起源を持ち、聖木曜日の聖体の移管行列において歌われるグレゴリオ聖歌《パンジェ・リングァ》が用いられていることから、典礼音楽の伝統も踏まえられていることが伺える。
宮崎文彦