ひとつの曲が人気を博し、様凝な形で編成を変えてアレンジされるということはよくあることであるが、短期間のうちに、それも1時間にわたる曲すべてを4種類もの編曲に作曲者自身が携わったという例は極めて珍しいであろう。
この曲の初演は1786年もしくはその翌年と推察されているが、実際には正確には判明していない。しかしながら、1801年に出版されたオラトリオ版にハイドン自身による序文があり、その経緯が記されている。それによると、この曲はスペインの港町カディスの教会からの依頼であり、この地の大聖堂における伝統として行われていた儀式のための奏楽の作曲の依頼であった。この儀式とは、四旬節に聖書の中からイエスの十字架上における七つの言葉をそれぞれ読み、その一つ一つの言葉の間に祈りをささげる時間があり、その間に演奏される音楽がハイドンに委ねられたのである。
当時、ハイドンはすでにエステルハージ家に仕える音楽家に留まることなく、国外からも高い評価を得た作曲家になっていた。スペインとの関係では、当時のスペインの王であるカルロス3世から、献呈に対する返礼として金の嗅ぎ煙草入れを贈られており、スペインにおいてもその名声は相当なものであったことが伺える。そのスペインのカディスは、スペイン西部、大西洋に面する港町であるが、すでに紀元前から貿易港として栄えていたほか、大航海時代にはコロンブスが2回の航海に出た港でもある。
さて実際初演されたのはサンタ・クエヴァ(聖なる洞窟)と呼ばれる礼拝所であり、このときは管弦楽のみの曲であったが、評価が高く、またハイドン自身もこの曲を気に入っていたためか、1787年に自身の編曲による弦楽四重奏版、そして自身の監修によるピアノ版の楽譜が出版されている。その後、自身の曲に歌詞をつけて演奏されているのを聞いて、オラトリオ版への編曲がなされた。このオラトリオ版の作成に当たっては、後の二つのオラトリオ《天地創造》《四季》で歌詞を担当することとなるゴットフリート・フォン・シュヴィーテン男爵が協力をしている。
宮崎文彦