曲目解説


W.A.モーツァルト:ミサ ハ短調 KV427

 トルソと呼ばれる手足のない彫像が、不完全、未完成ながらもひとつの(完成された)作品として見なされるように、音楽の世界においてもまた、完成されていない作品がひとつの作品として認知され、演奏されることは少なくない。
 未完成といえばシューベルトの交響曲が有名であるし、モーツァルトの場合も《レクイエム》がやはり絶筆になっていることがよく知られているが、本日演奏されるミサ曲も、《レクイエム》に勝るとも劣らない、未完の作品のひとつである。
 《レクイエム》は、早すぎた死により完成に至らなかった。それに対して、このミサ曲は確かに晩年に近い作品ではあるが、より時間を割くことが可能でありながらも未完に終わっており、不明な点も少なくない。バッハの《ロ短調ミサ》、そしてベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》と並び称せられるこの作品が、なぜ未完のまま放置されてしまったのか。まず、この曲の作曲動機からその後の経緯を見てみたい。
 この曲の作曲動機としては彼自身の手紙から、コンスタンツェ・ウェーバーとの結婚の誓約、そしてこの結婚を父レオポルドに認めてもらうためと説明されることが一般的である。コンスタンツェとの結婚はレオポルドの許可を得ないままのものであり、この曲によって結婚の誓約が確かなものであることを証明し、妻が技量のあるソプラノ歌手であることをアピールするつもりであったといわれている。そして実際にモーツァルトは1783年7月にコンスタンツェとともにザルツブルクに向かい、10月26日にこのミサ曲を聖ペテロ教会で演奏している。 しかしながら、このミサ曲はザルツブルクでも作曲が続けられたにも関らず、結局未完成に終わっている。実際に演奏された曲については諸説あり、未完成の部分を旧作で補った、アニュス・デイの部分でキリエの音楽が繰り返されたなどの説があるが、「キリエ・グローリアミサ」としての演奏であったとする説が説得力があるようである。
 さて、このミサ曲のその後であるが、完成されることはなく、モーツァルトは自身の作品目録にこのミサ曲を入れていない。それは、この曲をカンタータ『悔悟するダヴィデ』(K469)に転用し、作品として完成されたためとも考えられる。あるいは作曲動機との関係でいえば、所期の目的が果たされたもしくは果たされなかったとも考えられる。コンスタンツェを紹介するという意味では十分に目的は果たされたでのあろうし、和解という意味では残念ながらそれは果たされなかったというわけである。いずれにしても、ミサ曲を完成させるというインセンティブ(動機)は失われてしまったと考えざるを得ない。
 一般にモーツァルトの宗教曲というと、大司教に仕えていたザルツブルク時代に限定されがちであるが、近年の研究では、多くのミサ曲の断片が残されていることが判明している。宗教音楽家としての道を再び歩みだそうと志していたという意図も垣間見ることができる。 この作品は現在、様々な版によって演奏されるが、完成をしていたらバッハの《ロ短調ミサ》に匹敵するほどの規模と内容になっていたであろうことは確かである。歴史にif(もしも)は禁物とはいえ、やはりこの未完成ながらも素晴らしいミサ曲に触れるたびに、もう少しモーツァルトに時間が残されていたらと考えざるを得ない。
 本日演奏されるのは、モーツァルトが作曲を行った部分にのみ補筆を行った最初の版であるロビンス・ランドン版が用いられる。

第1曲「キリエ」
4部合唱と独唱
第2曲「グローリア」
バッハの《ロ短調ミサ曲》同様に複数の部分に分けられ、7つの部分から成る。
「天のいと高きところに」4部合唱
「われら主をほめ、主をたたえ」ソプラノ独唱
「主の大いなる栄光のゆえに」5部合唱
「神なる主、天の王」ソプラノ重唱
「世の罪を除きたもう主よ」8部合唱
「主のみ聖なり」ソプラノ重唱とテノール独唱による三重唱
「イエス・キリスト」4部合唱
第3曲「クレド」
この楽章は未完成であり、最初の2つの部分、すなわち、クレドで中心部分となる「十字架につけられ」の前までが演奏される。
「われは信ず、唯一の神」5部合唱
「御からだを受け、人となりたまえり」ソプラノ独唱
第4曲「サンクトゥス」
4分の4拍子。8部合唱
第5曲「ベネディクトゥス」
独唱4人と8部合唱

宮崎文彦


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