1734年の暮れ、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ johann Sebastian Bach(1685~1750)がライプツィヒのトーマス・カントルに就任して10年と少しが過ぎた頃に作曲したのが、《クリスマス・オラトリオ》である。
だがこの作品、「オラトリオ」と(バッハ自身によって初めて)名付けられたものではあるが、実質的には、6つの「カンタータ」からなる。
作曲家本人は、今日のように、この6つを通して演奏するなど考えもしなかったかもしれない。というのも、これらはクリスマス第1主日(12月25日)から顕現節(1月6日)までののべ6日間の礼拝のために作曲されたからだ。
実際、バッハは1734年から1735年の6日間に一部ずつ、ライプツィヒの主要教会であるトーマス教会とニコライ教会で演奏した。
当時のライプツィヒでは、クリスマス前の待降節には教会音楽が制限されていたため、一層この輝かしく情緒にあふれる音楽は生き生きとしたものに映ったことだろう。
連作としてゆるやかな関連のもとに並べられた6つの部分は、どれもオラトリオに特有のエヴァンゲリスト(福音史家)によって、キリスト生誕とその後の出来事が聖句に従って語られる。
そしてアリアや合唱で感情や情景などが描写される。
このオラトリオに特徴的なことは、そのアリアと合唱の作曲方法である。すなわち、これらの曲の大部分は新たに作曲されたのではなく、近作の世俗カンタータの音楽が転用されているのだ。
このように、すでに存在する音楽に新しい歌詞をあてはめることをパロディと呼ぶが、こうした手法はバロック時代にはよくあることであった。
特定の機会にしか演奏されない世俗カンタータなどを、恒久的なレパートリーに組み込みたいという思いもあったのだろう。
このいわば「リサイクル」は、けっして手抜きなどではなく、新しい歌詞とコンテクストに合わせて最大限に音楽の表現を引き出すバッハの見事な手腕が発揮されたものである。
本日演奏される《クリスマス・オラトリオ》の第4部から第6部には、《岐路に立つヘラクレス》BWV213や現存しないと考えられている教会カンタータが用いられている。
この新しい歌詞を書いたのが誰なのか、はっきりとは伝えられていない。しかし、この時期バッハが作曲した多くのカンタータへの歌詞を書いた、ピカンダーことクリスティアン・フリードリヒ・ヘンリーチの可能性が高い。
彼らは互いに相談しつつ、この傑作を創り上げたのだろうと考えられている。
第4部は新年(1月1日)、キリスト割礼の祝日のためのカンタータ。第1曲の合唱に見られる穏やかでクリアな響きは、新しいはじまりを告げるようである。レチタティーヴォとコラールが組み合わされた曲が2曲含まれているのも特徴的である。
第5部は新年最初の日曜日のためのカンタータ、オーケストラの編成は縮小され、軽い構成になっている。こうすることによって、フィナーレとの対比が際立っている。
実際的なところでは、連日のように演奏しなければならなかった奏者たちの負担を軽減するという意図もあったかもしれない。終曲もこの第5部のみ、簡素な4声コラールである。
第6部は、顕現節(1月6日)のためのカンタータ。再びトランペットとティンパニが加わり、祝祭的な雰囲気に華を添える。とりわけ終曲のコラールは、トランペットの輝かしいパッセージに伴われて力強く歌われる。
キリストの勝利を祝うこの楽章に受難のコラール旋律をあてがうことで、バッハはキリストの全生涯にも思いを馳せようとしたのかもしれない。
高野 昭夫(Bach-Archiv Leipzig)