この曲は、1708年(バッハ23歳)の頃にミュールハウゼンにあるブラジウス教会の就職試験のために作曲したといわれている。この説は、私の職場であるバッハ・アルヒーフ・ライプツィヒの元所長であり、現在でも親交のあるクリストフ・ヴォルフが唱えたものである。
彼は20年以上前にこの説を発表したが、その後、ヴァイマール時代の1714年頃のものだと反論する研究者も現れた。そこで先日、今回の執筆を受けて、直接ヴォルフ本人に確認したところ、当初の自身の説の整合性に現在も変わりはないとのことである。
ところで、バッハの教会音楽は教会暦という独自の暦の上に成り立っている。この曲は、復活祭の礼拝で演奏された曲である。
ひじょうに珍しいことに、全8曲中、第1曲目の器楽声楽曲を除く7曲は、マルティン・ルターが作った讃美歌を編曲した変奏曲である。
この曲は、のちにバッハ自身によってライプツィヒで再演されており、その時のバッハの直筆によるパート譜が現存している。このことから、バッハがこの曲をいかに気に入っていたかがうかがえる。
しかし聴いていただくと判るが、復活祭という、めでたい祭りにも関わらず、全編ホ短調によって統一されており、じつに重々しい雰囲気すら感じさせる。--なぜか。
ホ短調の楽譜というのは、五線譜の最上段・第五線に一つだけシャープが書き込まれる。ドイツではシャープを「十字架=Kreuz」と呼ぶことから、この曲調が十字架を象徴していると推測する研究者が多い。しかしそれだけでなく、復活祭を単なる祭りごととしてだけではなく、その意義を厳粛に受け止め、その旋律と詩に表現したのだと言えよう。
聖霊降臨祭の日に。
バッハ・アルヒーフ・ライプツィヒ広報官 高野昭夫
モテットはバッハの宗教音楽の中でもよく聴かれるし演奏もされる。「モテット」は非常に説明の難しい曲である。先に述べた「ミサ」に先立ち歌われた入祭唱でもあったし、礼拝の始めに歌われた詩篇歌でもあった。また、それ以外の意味でも使われる事がある。それではバッハのモテットとは、と言うと高貴な人の為の葬儀の為の作品と多くの人は思うだろう。または、祭日礼拝の為の特別な曲とか。
バッハ時代は、バッハより約百年前のエアハルト・ボーデンシャッツの「デュールプフォルターの花園」と呼ばれるモテット集から選曲されるのが普通だった。故に今では普通に聴く事の出来るモテットもバッハ在任当時は特別な事がなければ聴く事が出来なかった。今回演奏される「すべての国よ、主を賛美せよ」もバッハの死後、頻繁に聴かれるようになったのである。
(第12回プログラムより:高野昭夫)