【受難曲】
レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作の一つ、『最後の晩餐』という絵は、イエスの「この中の誰かが私を裏切る」という言葉に、一緒に食事をしていた弟子たちがうろたえる瞬間を切り取ったものです。その後イエスは逮捕されて十字架に付けられ、日暮れ前にイエスの遺体が十字架から取り降ろされます。この一連の出来事は、当時の暦の金曜日に起こったもので、キリスト教会では毎年、この聖なる金曜日に、新約聖書の福音書の受難の箇所が朗読され、さらには朗唱され、受難曲として発展していきました。
今日お聴きいただくマタイ受難曲は、バッハが、マタイによる福音書の受難の箇所に拠(よ)って作曲したもので、1727年の聖金曜日、4月11日に初演されました。
【バッハのマタイ受難曲】
バッハの時代の受難曲では、福音書のお話を福音書記者役のテノールのソリストが歌い、セリフの部分はソリストと合唱団が歌います。加えて、話のまとまりごとに、レチタティーヴォとアリアをソリストが、そしてコラールといくつかの合唱曲を合唱団が歌います。
合唱団が歌う箇所の多くは、イエスを十字架に付けようとするユダヤ人たち(祭司長たち、律法学者たち、民の長老たち、ファリサイ派の人たち、その他)のセリフで、残りはイエスの弟子たちと百人隊長たちのセリフです。百人隊長とはエルサレムに駐留していたローマ軍の指揮官ですが、彼らの唯一のセリフ「本当にこの人(=イエス)は神の子だった(第63曲b)」は、2小節余りの短い曲ですが、その美しさが皆さんに伝わるように歌えれば、と思っています。
【コラール】
コラールの歌詞やメロディーは、バッハの時代の人たちにはよく知られていました。例えば上述の最後の晩餐の場面(第9曲)で、弟子たちが「(イエスを裏切るのは)まさか私のことでは?」と歌った直後、合唱団全員が「私です。私こそ罪を償(つぐな)うべきです」と、当時よく知られていたコラールを歌うのです(第10曲)。おそらく、罪を償うべきは、コラールを歌っている私、そしてコラールを聴いている私、と感じたことでしょう。
マタイ受難曲の13曲のコラールのうち第15曲、第17曲、第44曲、第54曲、第62曲の5曲は同じメロディーです。4つ目の第54曲では、十字架刑が決まり嘲(あざけ)られ鞭(むち)うたれるイエスの苦しみが歌われます。マタイ受難曲のピークの一つと言えるでしょう。その3小節目の“Schmerz”(苦痛)という言葉を、バッハは不協和音で歌わせており、身がよじれるようなイエスの苦しみを感じさせます。
また、5つ目の第62曲は、イエスの死の直後、死に対する思いが歌われますが、その最後は長三度上の明るい長調に転調するように聞こえ(フリギア終止と言います)、イエスの死が私たちにもたらした福音を予感させます。
【二組に分かれた合唱団】
合唱団は舞台上で、向かって左側の合唱Ⅰと、右側の合唱Ⅱとに分かれています。第1曲で、合唱Ⅰが“sehet”(見なさい)と求めるのに対し、合唱Ⅱが“Wen?”(誰を?)と尋ねます。つまり合唱Ⅱはイエスの受難の出来事をまだよく知らないのです。
その合唱Ⅱも、終盤の第67曲まで進むと、“Mein Jesu, gute Nacht!”(私のイエスよ、お休みなさい)と歌い、終曲である第68曲では、合唱Ⅰと共に、イエスに“sanfte ruh!”(安らかに憩(いこ)ってください)と歌う、イエスの受難の意味を知った人々へと変容し、この大曲を閉じるのです。
東京オラトリエンコール団内指揮者 秋吉 亮