モーツァルトのミサ曲ハ短調 K427 は、コンスタンツェと結婚した1782年の夏から少しずつ書き始められた。この頃の手紙の中で、モーツァルトはコンスタンツェとともに熱心にミサに通い、彼女のそばで、かつてないほど熱烈に祈り、信仰を告白したと書いている。父親の反対を押し切ったこの結婚は、彼にとっては真面目で厳粛で、その気持ちをミサ曲に託して神に捧げたくなるほどのものであった。このような大規模な宗教作品を、受注ではなく自発的に書いていることからも、ミサ曲ハ短調は、花嫁コンスタンツェに捧げられたと考えられている。翌年の1783年、父と姉と妻の心の溝を埋めようとしたザルツブルグの滞在が失敗に終わった頃、この作品はザルツブルグの聖ペーター教会で初演された。この時、ソプラノの独唱の一部はコンスタンツェによって歌われたが、これはミサの中で妻のお披露目をしようとしたモーツァルトの大胆な計画であった。
このミサ曲は未完である。もともと未完であったのか、未完の部分(クレドの前半とアニュス・デイ)の自筆譜が紛失したのか、あるいは未完の部分はモーツァルトの既存の作品の中から転用されて初演されたのか、様々な可能性が考えられるが謎のままである。そのため今日まで、モーツァルト学者により欠落部分を補足する様々な努力がなされてきた。現在では、クレドの前半のみを補筆し、後半とアニュス・デイを欠いた”未完の作品”として演奏されている。
東京音楽大学・同付属高等学校講師 下道郁子