ブラームスはドイツの大作曲家で「3大B」の一人などと言われます。バッハとベートーヴェンに肩を並べるという事ですから、その評価が良く分かります。
しかしながらバッハは1685年、ベートーヴェンは1770年、ブラームスは1833年の生まれですから、三人の中では一番後輩という事になります。
そして本日演奏させて戴く「ドイツ・レクイエム」が完成したのは1868年とされています。日本で言えば明治元年ですから、まさに時代が大きく変わり出した頃と言って良いと思います。
ドイツは勿論、ヨーロッパ各地で電灯が灯り鉄道が開通し急速に近代化が進んだ頃です。
ブラームスの交響曲などを聴くと、ベートーヴェンに似ていると感じる事があります。時代が新しい割にはちょっと保守的だなどと言われる所以かと思います。
しかし、世の中の変化は音楽の世界にも宗教の世界にも、大きく影響を与えた筈です。ブラームスはその時代にあって、敢えて少し古い形式で自分を表現したのかも知れません。
「ドイツ・レクイエム」という曲名はちょっと考えるとよく分かりません。「レクイエム」という言葉はカトリック教会の典礼「死者のためのミサ」の通称です。
仮に「日本レクイエム」という曲があったとすると、どういう意味を持つ曲なのだろうかと考えてしまうと思います。
それまで演奏されていたラテン語の「レクイエム」に対し、ドイツ語のという意味で名付けたのでしょうか。少なくとも、ドイツの人達にとって「レクイエム」から始まるよりも「幸いです」から始まった方が親しみやすいのではないかと想像はします。
本人はヘンデルへの手紙で、曲名を「人間のレクイエム」にしても良いという趣旨の事を書いているので、ドイツ人の為という意図ではなかったようです。
この結論は謎だという事にしておきますが、この曲は7つの楽章で出来ていますので、楽章毎に私の感じるポイントを書かせて戴きます。参考にして下さればと思います。
尚、歌詞はマルティン・ルターのドイツ語訳聖書からブラームスが選んで歌詞としたものです。
第一楽章
静かに演奏が始まり「幸いです」という言葉が響いてきます。ヴァイオリンが全く弾かない珍しい楽章で派手さを排除した曲ですが、この言葉がこの大曲の全てを表しているのかも知れません。
明らかに私達生きている人間に対する言葉であり、親しい人、愛する人を失って悲しんでいる全ての人に対する深い愛情を感じます。
第二楽章
ユニゾンで繰り返される「なぜなら、すべての肉体は草のよう、すべての人の栄華は草花のようだからです」というフレーズは本当に心に響きます。そして「草は枯れ、花は散ります」と続きます。
この言葉は聖書から取っていますが仏教でも同じ事を言うように、全人類に共通した認識でもある筈です。この楽章の前半は葬送行進曲のようにも感じると思いますが、後半は一転して喜びの爆発のような雰囲気に変わります。
「しかし主の御言葉は永遠に残ります」という言葉でこれだけ変わるのはブラームスの意図ではあるのでしょうが、皆さんはどうお感じになるでしょうか。
第三楽章
いきなりバリトンのソロが「主よ」という言葉で歌い始めます。
この主に対する呼びかけをどう感じられるでしょうか。生身の男が人生の不安や生きる意味を求めていると感じます。
その問いかけは人間が生きている限り、終わる事のない問いかけでしょう。
ブラームスは壮大なフーガを使ってその疑問を追求し続け、その先にある救いの世界に私達を連れて行ってくれます。
第四楽章
主の住処を歌っているという事は天国を表しているのでしょう。
素晴らしいテノールのパートソロをお聴き逃しなさらないようにお願いします。
第三楽章で現世的な葛藤をかなり激しい表現で演奏した後にこの幸せな楽章が待っている、というのは当然の事かもしれませんが、ブラームスの美しいメロディーは文句なしに私達を幸せにしてくれるでしょう。
第五楽章
ソプラノソロの登場です。合唱は座って控えめに美しく歌います。
最後の「母がその子を慰めるように」という言葉がこの楽章を言い表しているように思います。
この楽章が最後に書かれて今の「ドイツ・レクイエム」が完成されたそうですが、やはりこの慰めの曲がなければ名曲は成り立たなかった、という事でしょう。
第六楽章
合唱が「なぜなら私たちには、ここに安住の地がないので、来るべき地を求めるのです」と歌うとバリトンソロが「悟りなさい、私はあなたたちに奥義を告げます」と続けます。
この楽章の音はかなり激しいし、変化に富んでいます。恐らくそれが必要なのだと思います。
死と復活というテーマは、他のレクイエムにも見られるものですが、やはり激しい音楽が多いように思います。
第七楽章
激しくて長い第六楽章が終わると「幸いな死者、それは主にいだかれて死ぬ者です。今から後までも」という言葉がソプラノの美しく象徴的なパートソロで歌われます。
そして同じ言葉をバスのパートソロが絶妙なバランスで受けて行きます。
テノールもアルトもその言葉を歌いますが、アルトのパートソロが聴こえて来るとこの長大なレクイエムも終わりが近づきます。
このアルトのフレーズは決して派手ではありませんが、とても深く救われる気持ちにさせてくれます。
第一楽章で最初に出て来た「幸い」という言葉が最後に繰り返し歌われるのが、ブラームスの気持ちを表しているのかも知れません。
岡本俊久の指揮でこの曲を歌える私達は幸いであります。
合唱団さきたま 小沢 仁