第1回 ドイツ演奏旅行



現地 演奏会スケジュール

#1
日 時 1995年12月22日 20時〜
会 場 Christus-Kirche(ハーナウ)
曲 目 クリスマスオラトリオ(J.S.バッハ)第4部〜第6部
指 揮 Wolfgang Weyrich(第4部,第6部)
    
岡本 俊久(第5部)
独 唱 Uta Spreckelsen (Sop.)
    Ulrike Katharina Becker (Alt.)
    Hans Jorg Mammel (Ten.)
    
小松 英典 (Bas.)
合 唱 Offenbacher Kammerchor
    
東京オラトリエンコール
演 奏 Hessisches Jugendkammerorchester

#2
日 時 1995年12月26日 17時〜
会 場 St. Laurentii-Kirche(イッツェホー)
曲 目 クリスマスオラトリオ(J.S.バッハ)第1部〜第3部
指 揮 HartMut Bethke(第1部,第3部)
    
岡本 俊久(第2部)
独 唱 Maike Albrecht (Sop.)
    Andrea Hess (Alt.)
    Martin Post (Ten.)
    Wolf-Andre Sturm (Bas.)
合 唱 Kantrei St. Laurentii
    
東京オラトリエンコール
演 奏 Collegium Musicum St.Laurentii

#3
日 時 1995年12月27日 20時〜
会 場 St. Paul-Kirche(オッフェンバッハ)
曲 目 クリスマスオラトリオ(J.S.バッハ)第4部〜第6部
指 揮 Wolfgang Weyrich(第4部,第6部)
    
岡本 俊久(第5部)
独 唱 Uta Spreckelsen (Sop.)
    Ulrike Katharina Becker (Alt.)
    Hans Jorg Mammel (Ten.)
    Peter Schuler (Bas.)
合 唱 Offenbacher Kammerchor
    
東京オラトリエンコール
演 奏 Hessisches Jugendkammerorchester


演奏旅行日程

12/20東京→フランクフルト。
12/21フランクフルト→オッフェンバッハ。 ルター教会にて Offenbacher Kammerchor と合同練習。 オッフェンバッハ→フランクフルト。
12/22フランクフルト→ハーナウ。 クリストス教会にて Offenbacher Kammerchor と合同演奏会(#1)。 ハーナウ→フランクフルト。
12/23自由行動日
12/24フランクフルト→ハンブルグ。
12/25ハンブルグにて現地指揮者(HartMut Bethke氏)による合唱練習
12/26ハンブルグ→イッツェホー。 聖ラウレンティ教会にて Kantrei St. Laurentii と合同演奏会(#2)・懇親会。 イッツェホー→ハンブルグ。
12/27ハンブルグ→フランクフルト→オッフェンバッハ。 聖パウル教会にて Offenbacher Kammerchor と合同演奏会(#3)・懇親会。 オッフェンバッハ→フランクフルト。
12/28〜29フランクフルト→東京。



現地での反応

12月29日付の「Norddeutsche Rundschau」紙に12月26日の演奏会が、12月29日付の「Offenbach Post」紙に12月27日の演奏会がそれぞれ報じられましたので、ここに全訳文を掲載致します。


最上のオラトリオ
聖ラウレンティ教会演奏会:東京からの合唱団が客演

 イッツェホー聖ラウレンティ教会は最上の部類に属すバッハの「クリスマスオラトリオ」を体験したと、まず述べることができるでしょう。遠来の客演者たちが共にこのことに貢献したのです。日本から東京オラトリエンコールがイッツェホーに客演し、教会合唱団と合同でこの作品を上演しました。
 日本人であることの言葉の障害を危惧していた人は、直ちに考えを改めさせられました。ドイツ語の歌詞は非常に正確に分節し発音されていました。この力強い合唱団(100人近い混声合唱)は、驚くべき完成度を見せていました。生き生きとまさにフィリグリー(金線や銀線で作った細工品)のように、合唱とコラールは形成されていました。このことはヘルムート・ベトゥケから期待していることではありますが、たった2回の合同リハーサルでこの様な精巧に至ったなら、これは両合唱団の卓越した日頃の練習と質の高さを物語っているのです。
 ベトゥケ(第1部と第3部)と岡本俊久(第2部)は、上演の際に指揮を交互に替わりました。しかしこの交替も軋轢のようなものにはならず、全合唱の指揮は渾然一体となっていました。
 古楽器で演奏するコレギウム・ムクシム聖ラウレンティは曲全体に確固たる安定を与えていました。特に木管奏者たち(クルムホルンなどを使用)は、多分このようにのみ手に入れることができる魅力に満ちた雰囲気を作り出していました。アンドレアス・プロイス(ヴァイオリン独奏)とペーター・ゴット(フルート独奏)は2つの有名なアルトとテノールのアリア伴奏において彼らの全能力を発揮する機会を持ちました。
 独唱の4人は非常に調和がとれた人選でした。マイケ・アルブレヒトはバッハがこの声部のために割り当てた数少ない曲の中で鈴のように澄んだソプラノで卓越していました。アンドレア・ハスはすばらしいアリアで、彼女の声が暖かみのある光沢とすばらしいフレージングにおいてこれまでに確かに熟成を遂げたのだということを証明することができました。
 マルティン・ポストは彼の輝かしいテノールですばらしい福音史家を創造し、フルート伴奏付きの途方もなく難しいアリアでも見事な奮闘をみせました。ヴォルフ・アンドレ・シュトゥルムは非常に生き生きしたバリトンの声の持ち主で、その声は彼が難しいコロラトゥーラをうまくやってのけるのを容易くしました。比較的低い音域で少しばかり安定性に欠けていますが。
 非常にたくさんの聴衆は、この秀でた演奏に何分間にもおよぶ熱狂的な喝采を持って感謝の意を表し、最後の合唱の部分をアンコールとしてせがみました。そしてこの指揮は岡本氏が引き受けました。

Georg.Hammer



エレガントなパトスの中でのフィナーレ
聖パウル教会におけるクリスマスオラトリオ後編

 クリスマスオラトリオの後編、第4部から第6部までが、前日に演奏されたJ.S.バッハの大作品の前編3部の補足として、教会の中に響きわたり、聖パウル教会が再び満席になるという教会には嬉しいクリスマスプレゼントとなった。
 演奏者たちは今やすでに他の人間になっていた。というのは、ヴォルフガング・ヴァイリヒ指揮のもとにあったオッフェンバッハ室内合唱団は、一流の指揮者、岡本俊久ならびに東京オラトリエンコール、ヘッセン少年室内管弦楽団によって補強されたからである。
 この素晴らしい合唱団は、まとまりがあり表現力豊かに演奏した。特に第5部冒頭の「Ehre sei dir, Gott, gesungen」の合唱の際に、速いテンポは楽に保たれているが、追い立てられているような印象を与えなかったことは注目に値した。コラールもバッハの様式の中で、厳粛なパトスによって生き生きとしたものになった。
 管弦楽団は、柔軟に苦もなくその時々の指揮者に調子を合わせ、優れた能力を見せてくれた。始めのうちはためらいながらであったが、徐々により大きな自信を持って、ホルン奏者たちは、冒頭のコラール「Fallt mit Danken」でその困難なパートを立派にやり遂げた。トランペット奏者たちには、最終部で困難なパートが与えられたが、彼らも完璧な技術とバランスのとれた音色によって感銘を与えた。
 すでに前日の4人のソリストを代表したウルリケ・カタリナ・ベッカー(アルト)とハンス・イェルグ・マンメル(テノール)の美しい音色を形成する組が再編された。しかし同様にソプラノのウタ・シュプレッケルゼン、バスのペーター・シュラーが4人のフォーメーションに必要であることも納得ゆくところである。
 アリアにおいては歌詞がソロ楽器と緊密な連帯をなした。特に39番においてウタ・シュプレッケルゼンの高く澄んだソプラノが継ぎ目なく滑らかに、穏やかなオーボエ演奏へと絶妙に繋ぎ合った。
 カルテット叙唱63番はそれに反してそれほど表現強くなかった。なぜならヴァイリヒの指揮のゆっくりとしたテンポは、「Hollen Schrecken」があまり知覚できるものにはならなかったからである。

K.Ditzinger




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