しかし、「管直人厚生大臣、かいわれ大根をおおぐち開けてほおばるの図」は、あまりに期待通りで大爆笑! エイズ疑惑で名前の売れた厚生大臣に、あそこまでバカずらを強要する力たるや、吹けば飛ぶような(失礼!最近暴言癖に淫すること多し)日本かいわれ協会だけの力とは到底思えない。明日はわが身と恐慌状態に陥った日本コマツナ協会とか日本ブロッコリー/カリフラワー協会、あるいは日本パセリ協会、ひょっとしたら日本さやいんげん協会も一枚噛んでいるかも知れません。 冗談抜きに、日本最大の圧力機関・農協からのクレームでもあったのでしょう。東京で見当たらないので埼玉から取り寄せたと言うキャプションも間抜けすぎるが、厚生大臣の机の上にはかいわれ大根がなんと3パック!あんなに大量のかいわれ大根食べたら、O-157でなくてもお腹壊すと思うのは僕の取り越し苦労なのでしょうか。ご覧になっていない方には意味不明ですが、本日の朝刊各紙のどこかに掲載されている筈だと思います。僕は読売新聞の朝刊26面でみました。 こんなおいしいネタは最近のトレンディに敏感な日記者に沢山コメントされることでしょう。それでもって日記界ではかいわれ大根の消費量がうなぎ登り。近隣のスーパーに見当たらないので遠くの親戚に無理を言って取り寄せてもらい、ご近所垂涎の的のなか、むしゃむしゃとほおばって、やっぱりO-157感染!なんて結果になったら、あまりにも見事な脱力ネタ・・・最近くらい話題で沈んでいる方、是非笑ってみて下さい。 いずれにしてもご苦労様だが、政治家とはおよそ道化にしかすぎないことをあからさまにして見せたと言う意味で、あの土門拳の人物写真に匹敵する今世紀最後の傑作かも。<そんな訳ないでショ!。 ちび字ファンのためにこちらも復活。何時ものように読みにくくてすいません。それほど大したことを書いてないのをごまかすためにやってるだけなんです。 日常が少し戻りつつあります。まだ、仕事に集中することは到底出来そうもありませんが、メールと日記ばかり書いてる生活にもいささか飽きてきました。一時の突発的な出来事が終われば、またいつものお馬鹿ネタに戻るのでしょう。しかし、同じようなことばかり書いています。愚か者の証拠。 |
しかし、昨日も異常な暑さの中の1日のようでした。と、何やら意味不明なねたフリを少々・・・
うちの奥さんは何故か写真好き。もちろんビデオも好きです。 昨日の東京の最高気温は36.6度・・・わが家の家族は元気です。
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先日から付けたご訪問ボタンなんですが、これの扱いに悩んでおります。既知の方・未知の方、色々な方に来訪をお知らせいただいておりますが・・・なんだか、今回の騒動による気の迷いで、寂しがり屋のボクちゃんの弱気がこんなモノを付けさせたんじゃないかと、ちょっと気になっているのです。 何か、同意を強制しているようで、自分自身であまり気分が良くないのです。それに、メールアドレスを見て、どうしてもリプライを付けたくなってしまうことにも往生しております。あぁ、こんな夜中に4回も押さなくて良いんだよ、とか、何だかあなたにまでこんなボタン押させてすいません、とか、いろんな事を考えてしまいます。これは、そういうモノではなくて、気にしなくても良いんだろうと思いながら、そこはそれ、メールジャンキーと自称する人間には禁断症状に襲われているようで、精神的にあまり良いモノではありません。 と言うことで、せっかく付けたボタンですが本日から外します。今までボタンを押していただいた方、どうもありがとうございました。もう少し落ち着いたら再開するかもしれません。その時には、またよろしくお願いします。 夜にでも、追記するかもしれません。
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さて、 品のないイラストですっかりお馴染みとなったプログラマは、街角でポツンと立ったまま、やはり本を読んでいた。通りの向こうから顔も見たし、このまま帰ろうかとも思ったが、それではあまりに可哀想・・・仕方がないので声を掛ける。何やらさえない男が二人、渋谷の雑踏から少し離れた街角でぎこちなく挨拶を交わす。「あの人があんな大それた事を!信じられません。」新聞記事のご近所の声で、必ず一人はこういうコメントを残すようなタイプ、と言えばご理解いただけますか?まぁ、人間の裡に秘めた思いは外見に現れることはないと言うことを改めて認識しました。今時、本好きの読書家などと公言する男には、いけいけギャルのおねーさんは縁が為さそうです。彼がへそだしルックのアムラーを連れて渋谷の街を歩けば、浮きまくることは火を見るよりも明らか。 アトピック・サイトにおける表現規制や検閲をテーマにしたパネル/ディスカッションと言うと、何やらこの時期でもあり、意味深に思われる方もいられるかもしれませんが、たまたま、私が読んでいるcensorship-MLで開催の予定が流れていたので、野次馬の一人として参加してきました。特に他意はありません。
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ネタに詰まったときの"えっちネタ"と、いみじくも「海苔乗り日記」に喝破されては致し方ない。まるで色情狂のように、そっち方面の話題ならすらすら書ける人間だと思われているのだろう。人徳というか、身から出た錆というか、自分でも納得するから情けない。 という訳で、本日はミュージックネタだ。いぇ〜い!。しかし、わたしの日記には他の方達のように何やら通好みのかっこいい曲名はぜんぜん出てきません。つまり・・・カラオケね。 ここ何日かの反動で、脱力感に蝕まれております。これではイカンと、気力を振り絞って本日も近所のカラオケに行ったのですが、乗りが異常に悪い・・・シャ乱Qの新曲はぜんぜんわかんないし、ミスチルの早口歌謡曲もいい加減にしてくれないと、一曲終わる度に口の中血だらけにした、舌噛んだオヤジ続出でカラオケ屋は殺気だっております。<ないない。
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こんな事を書くから私の精神状態を疑われるのでしょうが、NHK教育テレビの療育相談などと言う番組をよく見ます。障害を持った子供達の教育や保育についての番組なのですが、時折、良質のドキュメンタリーの様に"障害"と言う関係性の中の親子について考えさせられることがあります。 残念ながらうちの二人の子供には障害はありません、と書くのはいかにも不謹慎であるのは承知の上で、「幸いにも障害はありません」と書くほど無自覚ではありたくないと考えています。まぁ、言葉あそびと言われればそれ迄。 自閉症の子供達を育てることの大変さを理解できる「親」としての私も確かに存在しますが、診断され、治療の対象とみなされる「自閉症」の子供達により強く共感するのが、やはり私なのでしょう。 他とのコミュニケーションが苦手、集団行動における逸脱、落ちつきのない行動、それとは対称的な些末事への執着・・・全て自覚症状があります。幼児期から小学校にかけてだけではなく、現在もそうかもしれません。ただ、大人の場合は自閉症とは呼ばないのかもしれません。 しかし、それらを「自閉症」と診断し、治療の対象とみなすとき、はたして医学は本当にそうした子供達の心の中に入っていけるのか?目に見えない疾病や障害は医学によって"発見"されるまでは、それぞれの個人の肉体の中に潜んでいます。診断され、病名を告げられることで人は初めて自らの疾病に対面する。だが、人間の心の中を診断し、治療を施すと述べる医学に、私は不遜なモノを感じています。一方で、団体行動を強制され、その事にまったく無自覚のように見える子供達に病的なモノを感じるのは私だけなのでしょうか? 無垢であるべき子供の心が傷ついているのを見ることはとても辛い。しかし、その傷ついた心のあげる叫びに魅せられる私の心は、やはり病んでいるのかもしれません。
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対岸には人家の明かりも見える、本当に町中の河原です。むろん炊事場やDCコンセントの用意のあるオートキャンプ場ではありません。すぐ上流では砂利の採取が行われていて、日中はダンプカーがひっきりなしに往来している、薄汚い、ゴミだらけの河川敷。 物置にはシュラフやらテント、バーベキュウ・コンロにポリタンクまで一通りの支度は何時もしてあるので、後は車のトランクに積むだけで、ほとんど準備は完了です。思い立ったのが午後からで、子供達はきっちりピアノのレッスンも終えて、家を出たのが午後4時過ぎ。途中スーパーで食料を買いだしして、河原に着いたのが午後5時。ホント近所の川なんです。 お盆休みも終わった週の半ばの河原には、キャンプしようなどと言った物好きは一人もいません。橋のそばにテントを立てると、橋に並んだ街灯で明かりもほとんど必要ありません。何もない河原で、子供達はそれなりに遊びを見つけて闇の中で笑っています。便利なガスバーナーよりも、炎の身近に感じられる炭や薪の火が好きな私は、新聞紙を丸めて炭に火を付けるところから始めます。炎には人を魅了して止まない、ある種の"ちから"があります。原初の闇の中で、炎に守られて一夜を過ごした原人達は、危険だが、きわめて魅力的な力を秘めた炎に照らされて、さまざまな彼らの神話を生み出していったに違いない。 あまりに多くの人に、あまりに大量にコミニケートしようとした結果、いつのまにか私は一時的な人間嫌いに陥っていたようです。ついつい理解してもらいたいと、言葉を重ねる自分自身にうんざりしてしまったのです。弁解するために始めたわけでも無い筈なのに、媚びるようにメールを書いている私の行為が不愉快なのです。いや、誤解を招く表現でした。決して、暖かい言葉を掛けていただいた方のせいだと言う事ではありません。あくまでも私自身の問題なのです。自閉といい、自虐と韜晦して見せても、結局は同じ。何かある度に現れる、自分自身の弱さが我慢ならないのです。 しかし、それが出来ないでいるからこそ、人嫌いなどと「お気楽」な理屈をこねているのでしょう。
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東京という街は、次々と私の妄想を刺激する事件の続く処です。 公団住宅を追われて4年間も路上の車の中で生活していた老夫婦がひっそりと車中で死んでいたのは、あれは確か江東区のお話でした。江東区は千葉県と接する東京の東の下町。今回はニュータウンと呼ばれ、何やら"ニューファミリー"等とむず痒いキャッチフレーズで呼ばれる事の多い世代の住む街・・・東京は西の郊外、多摩ニュータウンの造成地で物語は始まります。 工事現場の配電設備用に開けられた穴からの腐臭に不審を抱いた作業員によって発見されたのは、紙おむつをした老婆の死体。床ずれの跡から寝たきりと思われたこの老婆の死体は、解剖によっても死因がハッキリしない。自然死と思われたこの老婆の死体遺棄事件については、身元が判明すると同時に、犯人も直ぐに判明した。68歳のこの老婆の死体を遺棄したとして逮捕されたのは、54歳の自動車整備工の内縁の夫と呼ばれる男だった。この男女は、この1年間車の中で同居していたという。 まず、54歳と68歳の男女という、初老と呼ぶにもいささか心もとない男女の関係と、車の中でペットの犬と同居していたという、彼らのこの1年の生活ぶりに、やりきれない思いと共に、現代に生きる人間の孤独の質について改めて考えさせられる。
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「人間嫌い週間」もいい加減にしないと、本人がそろそろ厭きてます。 しかし、今晩も子供達の学校で催されるキャンプファイアーに一応夕方から参加したのですが、顔見知りのお母さん連中と話を合わせるのが苦痛で、そうそうに一人で帰ってきました。茶パツDeイェーイの彼女も何故か元気なく、少し離れたところでポツンと一人でした。どうしたんでしょう?旦那と離婚調停中?がはははh、ちょっとネタ的に危なすぎるかもしれません。ここの処の私の精神状態からすると、個人攻撃は過剰になり過ぎる恐れが十分あります。自戒せねばなりません。 例年なら焼きそばの屋台を出す筈のPTAは、今年は茹でとうもろこし。もちろん、例のO-157の影響です。カイワレ出せとは言いませんが、相変わらずの過剰反応と横並び主義の現代日本・・・こういう両親に育てられた子供に知性や創造性を求めるのはやはりお門違いなのでしょう。 今日もまた、人間嫌いのネタに困ることのないのは、悲しいのか嬉しいのかよく分かりません。 うっぷんがたまることの多い一日でした。以下、個人的な公開八つ当たり日記です。まるで無関係な方、まったく読む必要はありません。じゃ書くなって?申し訳ありません。だから八つ当たり日記なのです。 朝から気分の悪いメール読まされる身にもなって欲しい。名刺の印刷などでビジネスしている訳ではないことを理解していただけませんか?あなたはビジネス、私はプライベート・・・ビジネスなら他に発注していただきたいです。こう書いても私の日記など読んではいないのでしょうね。その事でもまたうんざり。
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本日も文句から。 何が気にいらないって、あの「愛」など、爪の垢ほども信じていない人間が唱える「愛は地球を救う」なる、意味もなくタレントを走らせて感動したがる番組・・・まず、高々数百万年の歴史しか持たない裸の猿が、ここ数百年で持ち得た自らのテクノロジーで、地球を破壊したり救ったり出来ると思いこんでいるおめでたさにうんざり。 炭酸ガスの増加にオゾンホール、熱帯雨林の焼失に環境汚染。数十億年の地球の歴史の中でははるかに危機的な状況は何度もあった訳で、この程度の危機で地球がどうにかなると考えるのは、おめでたい人類だけが騒いでいる問題にしかすぎない。空気中の炭酸ガス濃度が数パーセント上下しただけで人類には危機的環境となるが、地球にとっては痛くも痒くもない。人類が滅亡すれば、それに変わる種がこの地球を征服することになるだけのお話。 さらには、ボランティアを説き、募金を募るテレビ局が、その合間合間に流す大量のコマーシャルと、自画自賛のむず痒いボランティア賛歌。お車代付でギャラを支払って拘束した有名無名のタレントを全国に配置して、キー局を結んでのお祭り中継。 これを臆面もなく「愛」と強弁する神経をまず疑うが、そんな事を気にする人間はテレビ局などと言った不毛な場所では生きていけないのだろう。タレントの"感動"のためのボランティアゴッコに障害者や老人を付き合わせる事はいいかげん終わりしたらどうなのだろう。 少なくとも、じゃがいも洗うように素っ裸でリフトに載せられて身体洗われる「オフロカー」などでボランティアされることは、僕はお断り。風呂など入らなくて結構。垢がたまって死んだ人間は聞いたことないが、自尊心をなくせば死んでしまう人間がいることを、まず謙虚に知るべきなのだ。しかし、いわゆる「テレビ屋」などと言った人種には最も欠けているのが、そうした想像力なのでしょう。 誰に聞いても正しい命題を、唱えることに何の意味があるのか?そんなものはテレビで声高に語るものではない。「愛」について語るなら、まずあなたの家族に語るべきなのだ。あなたの妻や夫に、あなたの子供達に、あなたの父や母に、そして隣人に。「愛」が救うものは地球などではない。それは、あなたの家族であり、あなたの隣人であり、あなた自身を救う事なのだから。
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ここの処、普段はあまり睡眠をとる必要を感じない(不眠症なのかもしれません)のですが、何故か早寝・早起きです。 とは言っても、せいぜい午前1時に眠ることを早寝と僕が個人的に考えているだけで、一般常識からすると大きく外れているのかもしれません。 で、僕がひそかにあこがれる病気のひとつに、ナルコレプシーがあります。嗜眠症などと漢字で書いても何やら訳ありげで、胸騒ぎのする名前ですが、Narcolepsy(睡眠発作)と呼ぶのが正しいようです。 しかし、 それはただの狂気なのだと言われれば「然り」とお答えしておきますが、では「狂気」に対応する「正気」とは?
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今日、書店で例の「池袋親子餓死日記」を見つけました。手にとってパラパラと・・・どうしてもレジに持ってゆくことができず、そのまま新刊書の棚に戻しました。 しかし、中身がやはりに気なる私は、もう一度抜き出すと、その場で少し読み始める。 日記ではなく覚え書きと書かれた"それ"は、最初の日付の頃は、私が想像したとおりのつつましやかな家計簿を兼ねた、文字どおりの親子の生活の覚え書きの断片だった。
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ケンタッキーのフライドチキンのコマーシャルを見るたびに思う事があります。 何やら緑深い田園地帯の契約農場で飼育されているという、ケンタッキー専用の鶏(にわとり)・・・ナチュラル志向に合わせて、ハーブで育てたハーブ鶏とか<あまりに直截なネーミングに、その事を裏返せば化学飼料で育てれば、やっぱり化学飼料鶏と呼ぶのでしょうね。 毎日何万羽が消費されているのか分かりませんが、そのハーブ鶏の飼育ゲージが見てみたいのです。しかし、コマーシャルでは肝心の鶏の姿もその飼育ケージも決して出てくることはなかったような気がします。生きて動いているにわとりと、シズル感いっぱいに撮影されたフライドチキンをオーバーラップさせることは、何かの禁忌に触れるのかもしれません。 以前どこかで見たにわとりの飼育ケージとは・・・窓のない、まるで巨大な冷凍倉庫か精密機械工場の様な明るい外観とは裏腹に、その内部は彼らの成長には不必要として照明もない、昼も夜も真っ暗のままの巨大な洞窟のようでした。身動き取れない程の密度で飼育され、抗生物質と中国から輸入した屑ハーブの混入した飼料を食べて、ひたすら蛋白質製造マシーンと化したにわとり達の姿は、テレビコマーシャルの題材としては確かに不適切すぎるでしょう。そうなのです、飼育される家畜達は、もはや生物というよりも、穀物を原材料にして蛋白質を生産するための生きた機械のようなモノです。したがって、そこで問題になるのは機械としての効率性・生産性でしかなく、純粋に資本の論理によって飼育され続けているのでしょう。恐らくベルトコンベアーによって屠殺されているだろうにわとり達の断末魔など、決してコマーシャルから予感させてはいけないのです。どこか知らないところで"ポン"と生み出された鳥肉が、カーネル・サンダースご自慢の調理器具から次々と生み出されていくイメージが重要なのです。 しかし、僕の考えるものは少し違っています。無機質で衛生的な工場・・・無数のにわとりの頭がすべすべとしたステンレス製のベルトコンベアーを次々とすべり落ちていき、パケットの上にうずたかく積み上げられる・・・デビット・リンチあたりにケンタッキーのコマーシャル撮らせれば、そんなシーンが必ずありそう。そして、指を油まみれにしながら鶏肉をむさぼるように食べるのは、やはりカイル・マクラクランですね。 だから、あの油まみれのフライドチキンを食べるたびに、いつも胸やけと後悔にさいなまれることになるのでしょう。因みに、うちの子ども、ケンタッキーのフライドチキン食べすぎて、店内で思いっきりゲロ吐いたことあります。
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書評日記とかフナイくんあたりに影響受けて、たまには漫画も読んでみようかなぁと、そちら方面の棚の前に立つんですが・・・これが、まずお目当ての本を探し当てることができません。 活字の類なら何となく空気で、このジャンルの本はこのあたりにあるんだろうと予想が付くのですが、漫画やコミックスとなると、まるで見当も付きません。 少女漫画と言ってもまさしく百花繚乱で、セーラームーンに覚えはあっても、山田花子の「神の悪フザケ」や、坂田靖子の「闇夜の本」はどうしても見つけることができません。たぶん少女漫画の棚にはないんでしょう。後は、本棚の一郭を大量に占めている、アブサンとかゴルゴ13など、同じ書名がずらりと並んだコーナーばかり目に付くのです。 本当にここ10年以上、週間のまんが雑誌すら読んだことないので、作家名に馴染みのあるのは古い人ばかり。そうそう、「さいとうたかお」が痩せて小猿のミイラみたいになってるのにびっくり。もう、とっくに死んでる? 攻殻機動隊も、先日WOWOWでの放映で始めて見ました。 な〜んだ、昔なつかしの8マンの復刻じゃないの。こんなこと書くと、士郎正宗ファンに怒られるんでしょうね。しかし、さらに言えば「サイボーグ・ブルース」でしょうか? う〜ん、宗教に走る前の平井和正はファンでした・・・まるで余談ばかり。 その裡に、そんなコーナーをうろついている自分自身に嫌気がさして、結局何も買わずに退散して文庫の平台を漁ったりで、未だに山田花子の実作すら読んだ事がありません。中野ブロードウェイあたりのコミック専門店に行けばあるんでしょうけど、そこまでして読む気力もやる気もないのが、例によって無気力な僕の性格です。 で、結局買ったのは「Cの福音・(作)楡 周平」でした。何だか書評日記みたいになってきたな。もう終わりにします。 池袋親子餓死日記は買いませんでした。公人の友社?だったかな、編集・発行会社に印税が行く事がたまらないので、よっぽど万引きしようと思いましたが(オイオイ)、この時期で薄着の為、しかたなく断念しました。 厚着になったら是非<って、やめなさい!オヤヂの万引きはカッチョ悪いゾ。
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物心ついてこのかた、という言い方は正しくないが・・・つまり、選挙と言い投票というモノに参加したことがないので大きな声では言えませんが、 僕は政治がだいぃきらっいっ!です。 当然政治家もだいぃきらっいっ!。 小学校の同級生に市会議員の息子がいたんですが、とにかく"イヤな奴"でした。お屋敷もでっかくて、毎日のように遊びに行っては、夏にはスイカ何ゾを御馳走になる。あ、僕はスイカが大嫌いだったので、庭の池に黙って捨ててました。小遣いも潤沢だったので、駄菓子屋に連れだっては、そいつに金出させて皆で真っ赤なゼリーなんを食べてました。ひょっとすると、僕がイヤな奴? ただの1期で落選したそいつのオヤジは、その後、何回立候補しても落選するだけの、ただの選挙マニアのオヤジになったようです。 で、 政党のあのネーミングのいい加減さには、本当にうんざり。もう少しチャンとした人間をブレーンに付けませんか?新党●●●●、●●●新党・・・バカも恥ずかしい部類のバカ。新党連発する人間の頭の中身は、本当にカビが生えてるんでしょう。手垢まみれの"新"党なんて言葉にグッと来るのは、永田町近辺の脳軟化の進行した御仁だけ。
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本日は、なにやら似合わない店にお出かけの予定・・・JAZZライブって、あぁ、鉛筆の後ろに付いてるマークね<それはJIS。・・・ソーセージについてる奴だっけ?<それはJAS。・・・サッカー選手の<それはカズ。・・・夏場渋滞する<それは伊豆。 もうこの位にしないと、カミソリメール貰うと恐ろしいです。 まだ、車で行くか電車にするか迷ってます。阿佐ヶ谷なんて、まるで土地勘が無いので駐車場で苦労するのは目に見えるのですが、さらに、月末で週末で雨模様という、渋滞三重苦みたいな日に都心方面に車で出かけるのはやっぱり無謀かも・・・なのですが、とにかく電車が好きじゃないんです。あの"運ばれてく感"が嫌い。何だか、あれがキライこれがキライって、ほとんど子供のようです。
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