歳時記(diary):八月の項

一日

おエラい方が家族、ってことで神経を使う面談をこなす。

二日

スライドつくりとかするつもりでのんびり出勤したのだけれど、面倒な患者がおりすっかりそれに手を取られた。

夜は学童保育にかかわる懇談会。
児童福祉法が改定され、「子ども・子育て支援新制度」が策定される事になり、「放課後児童健全育成事業の国の基準」(厚生労働省令63号)が4月30日に出されたということで、各市町村で学童について、特に施設についての最低基準を定めなければならなくなっている。
施設に関しては厚生労働省令は参酌基準となっていて、具体的には市町村ごとに違ってしまいそう。条例の内容次第ということで、各市町村の条例案やパブリックコメント募集を注視する必要がありそう。わたしの住む市での状況はなかなか厳しいのだが、少しでも改善を図っていくやり方を模索したいところ。
全児童対象の放課後児童対策が広がってきているが、これに学童保育を統合するやり方も広がってきている。全児童対象の遊び場確保は重要だと思うし、そこに指導員などを配置する事はよい事とは思うが、学童とはおのずから対象とする層が違う。学童は「家に親がいない」などの事情が有り、入所の手続きを経て通うものになる。全児童対象となれば、家に親がいようといまいと、遊びに来たい子が来る場所と位置づけられるし、事前に申し込まなければとか出席をとらなければという要素は抜けていく。全児童対象の放課後事業に来ない子がいたとしてもそれは別段理由を追求するような事ではないだろうが、学童に来る予定が来ないとなればその理由を確認する必要があるし、たとえばいじめであったり精神的な変調であったりについても早期に対応するきっかけになりえる。
いくつかの自治体で学童廃止・全児童対象放課後対策への統合を行っているようなのだけれど、その動きは良く研究したほうがいいと思うし、現在のところわたしとしては好ましいものではないように思える。世田谷区の事例のように学童と全児童対象事業の差について目配りし、十分な人員配置を行って両方を充実させるような方向性であれば悪くない、と思うのだが。

三日

昼前から子供たちを連れて職場のバーベキューへ。割といい場所がとれて、木陰でバーベキューを楽しむ。

四日

プラレール大好きだけどこれまで自分流にしか遊んでこなかった息子が、youtubeで鈴川絢子さんあたりが上げていた動画を観てプラレールの遊び方を学んでいるらしい。‥‥まあ、ネットで正しい知識を得るのは善いことだよね。(ホントか?)

五日

当直の夜は何だか多数の救急車受け入れ要請があり。日中の分と合わせて二十四時間で二十三台の受け入れに上っていた。

六日

当直明け。そのまま夜の透析当番まで。

七日

何度ダメだといっても生菓子を持ってくる老婦人が外来に来る。通院先を変えたほうがいいんじゃないか、距離が近いところがいいんじゃないかと家族に言われるとのことだが.....病気が多すぎるんでやめたほうがいいんじゃないかとお話しておく。内科各科に渡る病気があるところわたしが全部引き受けているので、全部まとめて引き受けてくれる先生が近いところにいるとは思えず、なのだが。

八日

普段通りに仕事。それ以上のことはなし。

九日

出勤してそのまま当直のはずと覚えていたのだが記憶違いで。悪いわけではないので予定より少し早く帰れる。

十日

そのうちリサイクルに出すか古布として処分するかと思っていた子供服たちを引き取りに出す。状態のよいものだけ買い取ってもらってあとは古布予定。
ショップの家具コーナーを見ていたらソファやら娘の学習机として手ごろそうな机やら見つけたのでしめて六万円なり衝動買い。手持ちが足りなくて慌ててコンビニのATMに走ることにはなったが。

十一日

外来の患者さんが比較的みんな落ち着いていたので順調に終わる。最近あんまりなかったような時間で。
夜の透析当番まで拘束。家では息子がだいぶ残している宿題をひたすらやっていたらしい...。

十二日

ルーティンワークこなしながら、休暇に向けて申し送りやら紹介状やらの記載を。
いい加減遅くなってようやく終わったと思ったら介護保険主治医意見書の依頼が来ていたのに気付いて電子カルテ端末を探して救急外来を通りかかると知ってる患者さん家族が...あれ、入院ですか?(死)
深夜に緊急透析の準備をせざるを得ない状況に陥る。そういえば今日は緊急入院もあったし、なんだか休みをとるなって圧力がどこからか働いていたような気が...。(死)

十三日

夜半に帰ってきて寝る。本日より夏季休暇。とりあえずはキャンプに出かける子供たちを集合場所まで連れて行ってリリース。集合場所に集まったときにはちょっとべたべたしてくる感じではあったのだけれど、「さあ出発しましょう!バスに乗りましょうね!」と声がかかると振り返りもせずに歩いていく。別れがたくて泣いちゃってる子供とか居たけど、後で大丈夫かなーとちょっと心配してみたり。

さて、子どもがいない六日間。とりあえずってことで「思い出のマーニー」を相方と観る。絵はとってもきれい。もともとはイギリスノーフォークを舞台にしている物語を、北海道に置き換えているのだけれど、あまり無理な感じはしなかった。杏奈は序盤あまり感情移入しがたいキャラクターだったのだけれど、終盤はとても素直に受け取れるキャラクターに変化してきていて。少女が成長する夏の物語、になっていたと思う。

映画の前に飯を食おうとseat maniaへ。個性的なイスが複数あり、なかなか面白く。

十四日

起きたのは五時過ぎ。二日続けて睡眠不足はちょっと良くない気がする。
飛行機乗って大分へ。相方と二人して旅行。実は宿と飛行機とレンタカーだけとって、他はなにも決めていない適当旅行。レンタカーのったところで「とりあえず別府方面ってことで」「じゃ、途中の本屋さんでガイドブック買おう」程度。道すがらに見つけた書店でるるぶ買ったけれど、一緒に「白銀のソードブレイカーII」「“藤壺" ヒカルが地球にいたころ……」「しずるさんと気弱な物怪たち」を購入。
昼飯は道沿いでパンを買い、どこに行こうかと考えて熊野の磨崖仏を見物に。駐車場から一気に登りが必要で、無酸素運動から有酸素運動に切り替わった辺りで到着。慈悲面の不動明王は珍しいとの事。右手に携える剣はそれでも不動明王らしい気がする。
上り口にある胎蔵寺で祈祷もしてもらって、帰りがけには雨が降り始める。結構な強さだったのだけれど、小雨になったところで宇佐神宮に参って中津まで移動。今夜はここで泊まり。
晩飯はホテルの人に聞いて田々にて。飲み屋なのだけれど、食事メインで食べても十分おいしかった。

十五日

終戦記念日。テレビニュースでそんなニュースを取り上げているのをみながら、曇った空とにらめっこ。結局朝食食べた後、行けるところまで外回り計画として、まずは別府海浜砂湯に。
お金払って浴衣に着替えて、砂場で埋めてもらってしばらく温まる。割とすぐに手足の血行が強くなるのが肌で判る感じで。この感じは普通に入浴するより強いかもしれない。閉塞性動脈硬化症の人とか試してみたい気がしたけれど、入口の看板には高血圧・腎不全の人は入らないでとか書いてあったのでいきなり実地に持ち込むのは難しそう。

しばらく入ってのんびりした後、地獄巡りへ。8つある別府市内の「地獄」つまり温泉の吹き出し口をめぐるものだが、それぞれ個性的で。山地獄ではカバやフラミンゴを飼っているし、鬼山地獄はワニ飼ってるし。いやまあそれぞれの吹き出し口は湯気がもうもうとしていて、確かに地獄の風情だなとは思いましたけど。特に鬼石坊主地獄・かまど地獄。少し離れたところの血の池地獄に竜巻地獄もなかなかでしたが。
地獄巡りしながら、これだけの温泉の熱を、地熱発電に転用したいなと思った。しばしば熱過ぎる湯を水で薄めて適温にしているとの事。であれば、冷却回路にバイナリー発電を組み込むような事は考えていいのではないかと思った。……そう思ったらもう始まっていたらしい。

地獄巡り終わったらかなり遅くなっていて、結局昼食はなしで夕食を摂る事に。泊まりは山田屋。子どもがいたら泊まれないような宿だけに。
緑礬泉のお湯はかなり熱く。しっかり堪能。

十六日

チェックアウトしたあとで別府温泉保養ランドへ。この病院とか役場のような受付の建物は何だろう。
泥湯に入って、その後は長湯温泉へドライブ。昼食を温泉近くで食べた後、ラムネ温泉館に。かなり高濃度の炭酸泉との事で、しばらく浸かっていると表面に炭酸の泡が多量にできる。高温にすると炭酸が抜けてしまうらしく、32℃のまま浸かるのだけれど、徐々に温まっていく感じでそれほど寒くない。炭酸泉は足壊疽の患者さんに足湯的に用いる事もあるのだけれど、全身を温める入浴とわけて、低温の足湯として使うなどの工夫はあっていいのかもしれない。

夜は湯布院。そこまでたどり着くまでがえらい雨だったが。
のんびり読書に時間を使う。「しずるさんと気弱な物怪たち」「螺旋のエンペロイダー spin2」と、上遠野浩平シリーズ。

十七日

朝起きてまだ時間があったので、金鱗湖まわりを散歩。お店もちらっとのぞいたのだけれど、時間が早く閉まっていたので、買い物趣味のないわたしとしてはのんびり見物できてよかった。
朝食を食べた後チェックアウトして、車を耶馬渓に向ける。一目八景を眺めてから、青ノ洞門へ。手掘りで掘り抜いたという部分は今ほとんど残っていないらしいけれど、そこに込めた情熱は今に伝わっているように思う。
耶馬渓橋を眺めに行ったらすぐとなりにあったので、昼食を洞門パティオで摂る事にする。野菜メニュー多数のバイキングで、かなりしっかり食べて飲み物までつけて一人1500円程度。ふらりと入ったのだけれどあたり、だった。
そろそろ帰りルート、と思いながら、羅漢寺を廻って帰る事にする。結果的には本日のメインイベントはここになった。登り口で案内を受け取り、参道を行くかリフトに乗るか、と相談しつつ、ラクをするつもりでリフトで登る。道すがらに千人地蔵に五百羅漢と、たくさんの祈りの像が圧倒的だった。羅漢寺本堂は洞窟に沿うように建てられていて、山と一体化したような作りがとても印象的。
参道途中の国東塔のまわりを三回まわって願い事をすると叶う、なんて話があったので、本堂の参拝を終えたところで少し参道を降りてみたのだけれど、比較的すぐに仁王門まで降りてしまい、どこにあるんだか判らなかった。いったん登り返してリフトへまわり、山頂から景色を眺めて下りてきたところで、すぐに行けるところにあるならと思って案内をくれた老人に尋ねたら、「今は手入れしてない道なので登るの大変ですけど、行くなら案内しますよ」と言ってさっと杖を取りだして歩き出される。
現在の参道である仁王門から山門までの階段は比較的最近に整備されたもので、もともとは仁王門からの登りはフリークライミング状態で修業を積んだ者しか通れなかった由。普通に参拝するためには回り道のもう少し緩やかな道を登っていたのだけれど、今では仁王門をくぐって階段を上る道が十分に歩きやすいので、昔の回り道はほとんど使われておらず整備も行き届いていないとの事だった。
仁王門の手前のところから道と言うより踏み跡に分け入り。人一人通るのがやっとの山道を登っていく。途中で他の参拝者もお誘いしてしまって五人で。手まで使わないと登れないような道を登って国東塔へ。ここで願い事するのが私たちの目的だったのだけれど、気がつくとさらに登りだしてしまい(まあ下るのがさらにきつそうな道でしたが)地蔵像・弥勒像と見物した後、鎖場を降りてようやく普通の道へ。一度脇を通っているのだけれど、そこに道があるとは気付かないようなところだった。
簡単に登れないようなところだからこそ寺を造り、そこで永遠の幸せを祈る。宗教とは、そのようなストイックなものであって欲しいと思うのだが。

その後は東椎屋の滝を回って湯布院へ戻る。今夜の宿は誰が袖。料理とお風呂は申し分なく。手が行き届かないのか、部屋のベランダに落ち葉が積もったりしていたのが不満だったくらいか。

十八日

帰京の途へ。空模様を気にしながら湯布院の商店街を軽く歩いてお土産を買い、大分空港で夕食を摂って飛行機へ。

十九日

子供たちのお迎えで都内へ車で向かう。新宿だったので、都庁駐車場に止めて待ち合わせ場所へ。
帰ってくると、荷物の片づけでばたばた。これで夏休みも終わり。

二十日

久しぶりの出勤。それほどの大事は起きておらずほっと一息。

二十一日

午後の外来やって当直に入る。暑さが一段落しているせいか落ち着いてはいるのだが。

二十二日

当直明け。
朝方来た腹痛の方は結局アニサキス症であったらしい。買ってきたしめサバ、ってことだったんだが。冷凍すると寄生虫は死ぬらしいので、ある意味新鮮なもの・産地直葬直送な品ほどやられやすいのかもしれない。

二十三日

休みの土曜日。まったりぐだぐだ。それで終わっちゃったのは何ですが。

二十四日

日直で出勤。
外来対応時間帯はそれなりに忙しいのだけれど、病棟の方は落ち着いていた。
帰ってみると晩飯を喰いに行く予定が相方は気力がつきたとの事で子どもたちとだけで出かける事に。外食は好きな子どもたちだけれど何を食べたいかでは意見がまとまらず。結局押しきるように決めた。

二十五日

外来みて病棟みて夜当番まで。

二十六日

病棟の歓送会があって飲み。……の筈が、単車で出勤したので飲酒できず。

二十七日

週末の勉強会に向けてスライド作成ラストスパート。量がそれなりに多いので、これだと発表者ツール使わないとなかなか難しいなぁと思ったり。

二十六日

勤務終わって学童保育所関連の懇談会に行き、家に帰ってきてからスライド作成の仕上げを。

二十九日

夜勉強会で発表を。準備で疲れた....。終わった後ほっと一息で、久しぶりにカラオケ行って唄ってきた。

三十日

土曜日なのに入院二人も入っているし。
夜はそのまま当直へ。

三十一日

当直明け。家に帰ってきて枯れ木の整理を少しだけ、実家に帰ってお昼をご馳走になり。
積ん読の中から「白銀のソードブレイカーII」を掘りだして読了する。

明日から子どもたちは学校という事で、準備をしていたら上履きがないと言われて閉店ぎりぎりの靴屋に駆け込んだりした。


Written by Genesis
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