懐古癖
2009/11/16/(Mon)
* 20年前
 積極的に子供を望む気持ちは、当時の僕にはあまりなかった。周りからは「子供はまだなの?」と聞かれることも多く、その度に「えぇ、そのうちにね。」と答えてはみたものの、だからどうするという、具体性には欠けていた。僕自身が親との関係をうまく結べずにいたことでためらう気持ちがあったのかもしれないが、だからといって絶対に子供は要らないと言えるほどには突き詰めて考えているわけでもなかった。要するに成り行きまかせで真剣には考えていなかったというのが正直なところだったような気がする。
 ただし女性の立場として彼女の考えはやはりもっと切実で、結婚して十年も過ぎると一度ちゃんと診察してもらいたいと言うので、立川にある比較的大きな病院の不妊外来に通うことになった。
 診察の結果は「卵管癒着」、つまり子宮に繋がる卵管に癒着があってふさがっているのでこのままでは自然な妊娠は難しいということだった。その後の検査と治療は男の僕には実感はできないのだが、話を聞くだけでも屈辱的だったり大変な苦痛があったりで、かなり大変なものだった。最終的には卵管の入り口をメスで開くために開腹手術も受けたのだが、結局は望む結果は得られず、その病院からもなんとなく疎遠になりかかっていたある日、「ひょっとしたら?」と彼女が言うのだが、あれだけ苦労して病院通いをしていても駄目だったものが自然に妊娠するとは・・・二人とも半信半疑で顔を見合わせたが、とりあえず近所の小さな産院で確かめてみることにした。そこは本当に小さな産院でなんの設備もなく、とりあえず妊娠検査薬で確かめるとオメデタに間違いないと言われたと彼女は笑顔で戻ってきて、あまり実感のないまま、僕たちは素直に喜んだ。
 翌日、もう少しちゃんとした病院で診察してもらうと、彼女は少し離れた産科専門病院に出かけた。僕は仕事があったのでそのまま自宅に残った。あの時なぜ担当医のいる立川の病院に行かなかったのか。

 病院から電話があったのは午後になってからだった。すぐに来てほしい、命の危険もあるからと言われ、あわてて向かった病院で応対に出た医師から、彼女は子宮外妊娠で緊急の手術が必要だと言われた。なにも返事のできないまま、とりあえず会いますか?と案内された部屋の手術台の上に彼女はひとりでいた。全裸だった。なぜこんな寒々しい部屋で彼女はひとり裸でいるのか?緊急手術の前なのだと思いつつ、僕はひどく理不尽な気がしてしばらく言葉をかけられずにいた。握った手は凍えた金属でできているかのように冷たかった。
 そこでなにを話したのかよく覚えていない。ただ彼女がひどく投げやりな口調だったこと、瞳の奥に痛み以外の揺らめく感情があった事だけが鮮明に思いだされる。

 手術室からはすぐに追い出され、待合室で僕はなにも考えることができずにただ呆然としていた。
 それからどれぐらい待ったのか、ふと見るとドアを開けて出てきた医師がステンレス製の小さな盆のうえにのったなにやら赤黒い血の塊のようなものを僕に差し出した。命と呼ぶには「それ」はあまりにも小さくて儚い存在に思えて、僕はただ呆然としていた。
 ご主人も手伝ってくださいと呼ばれ、何事かと振りかえると担架に載せた彼女をエレベータもないのでそのまま階段で2階まで運ぶのだと言う。そして運ばれたのは病室ではなく、片側に三畳ほどの畳が引かれた、たぶん看護士たちの休憩室らしき部屋で、壁のもう一方には大きなはめ殺しのガラスになっていてとなりの部屋がよく見えた。そこは新生児室で小さなベッドに何人かの新生児が寝かされていて、そういえば赤ん坊の元気な泣き声が先ほどから聞こえていた。
 畳の上に寝かされた彼女はまだ麻酔が覚めず、ぼんやりとして僕を見返す眼も虚ろだった。やがて少し焦点のあってきた彼女が僕に気づき「ごめんね。」と小さな声でつぶやいた。その時、僕は手術室で彼女を見たときと同様、例えようもないほどの理不尽さを感じた。なぜ彼女が僕に謝らなければいけないのか、なぜこんな部屋で僕は彼女と二人いるのか、なぜガラスの向こうでは赤ん坊が泣いているのか、なぜ僕は赤黒い血の塊を黙って眺めていたのか、なぜ、なぜ、なぜ・・・

 僕はこの理不尽さを誰かに伝えたいと思った。痛切に。本当は彼女の母親に伝えたかったが、もうすでに母親は亡くなっていた。嬉しくて昨夜のうちに沖縄に住む彼女の一番上の姉に妊娠を知らせたばかりだったことを不意に思い出した僕は沖縄に電話した。しかし、電話に出た長姉に僕は彼女の子宮外妊娠だけを伝えると、それ以上の言葉が思いつかなかった。昨夜あれだけ「よかったね。」と喜んでくれた人に僕はなにを伝えようと言うのか、言葉を失ったまま、子供のとき以来、初めて僕は人前で泣いていた。泣き虫だった子供の頃のように、電話口で僕は馬鹿みたいに泣きじゃくっていた。

 「神」や「運命」など昔から信じたことはなかったが、あの日僕はなにか・・・「悪意あるモノ」がこの世には確かに存在するような気がした。そして、そんな存在にきりきり舞いすることが僕にはどうにも耐え難いことに思えたのだ。もっと積極的に立ち向かうべきなのだと。強く望むことで「悪意あるモノ」の存在を打ち負かすことができるのだと、僕はそう信じた。
 そして、強く望んだ結果、君たちが生まれてきた。生まれてくることを望まぬ母や喜ばぬ母が現実に存在するこの時代にあって、君たちの母親ほど君たちが生まれてくることを望み、そして喜んだ母親はいないかも知れない。そして君たちが生まれてくることを喜んだのは僕も同様だ。
 人生に生きる目的などない、とシニカルにつぶやいてみても、君たちが生まれてきたことで僕の目的はつまりは達成されたのだと、そんなありきたりな結論にたどり着くことが、所詮は人生の真実なのかもしれない。

 何はともあれ、20年前の今日、君たちはこの世に生を受けた。

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