懐古癖
2009/03/11/(Wed)
* 兆し
滅びの兆しというようなものは、実は以前から感じてはいました。
あの阪神淡路大震災の映像の数々・・・人を殺すことで己を消し去りたいとでも言いたげな若者たちの衝動・・・年間3万人が自殺する社会・・・建前と本音の前で右往左往する大人たち・・・子供を殺す母親・・・母の死体を放置する子・・・

まぁ、数え上げればきりがない訳です。

ただし、その滅びのイメージはなにも第三次世界大戦で人類滅亡とか、隕石大激突などといったおどろおどろしいものではなく、いつか気がつかないうちにある程度の時間をかけて、人類という種は絶滅していくような気がします。
金魚鉢と金魚・・・地球という閉鎖された空間で限られた資源を消費していくかぎり、結末は自明のことであり、それを止められると考えるのは、あまりにも浅はかで不遜な事だというのが僕の実感です。

人間などという生き物は過去において、ただただ食べることに汲々とし、やっとの思いで生きてきたのが本質であり、先進国が自由と浪費を満喫してきたなど、たかだか100年にも満たない時間の中でのほんの一瞬の出来事でしかないのだから。

僕のことでいえば、幼い頃、何もかもが貧しかった時代。その中でもとりわけ貧しかった我が家の、あの頃の生活に戻れといわれれば・・・最初はその不自由さ貧しさに戸惑い不満を漏らすのだろうが、やがてはそれに慣れるのだと思う。
テレビもないので夕食時はラジオから流れる連続ドラマを聴く。で、その食卓はといえば、木製のみかん箱に高島屋の包装紙を張っただけ。母は共同の流しで米を洗い、味噌汁をつくる。僕は月に一度の縁日に立つ古本市を物色するのが楽しみで、父親がどこからか自転車の荷台に乗せて持って帰ってきた小さな本棚に江戸川乱歩の少年探偵団シリーズを並べる。勿論シリーズ番号はバラバラ。
家族の娯楽の中心といえば、その頃は本当にあちこちにあった映画館で3本立ての安い映画を見る。洋画はここ、東映の時代劇はあそこ、大映ならばこちらでと、行きつけの映画館は決まっていて、話題の映画ならばちょっと遠くの封切館まででかけたりと、本当に良く通ったものだった。

書いていて、なんだかそんな生活も案外楽しいような気がしてきた。食べて、寝て、子供を育てて、泣いて、笑って、怒って、そして死んでいく。ただそれだけの生活ならば人間という奴は案外としぶとい生き物なのかも知れません。

2009/03/13/(Fri)
* 海辺の生と死
例によって「しまおまほ」という漫画家の存在についてはなにも知らなかったのだが、ひょんなことでその彼女があの島尾敏雄の孫娘、ということは島尾ミホの孫娘でもあることを知り、そうか・・・夫婦であれば子供をもうけ孫を抱くことだってあるんだと、至極当たり前の事に今更のように納得した。小説の中の時間とは別に、膨大な日常がそこにはあるのだから。
それよりもあのミホがおととしまで生きていたという事に驚いたのは、やはり「死の棘」という小説の内容、というか題名そのものにある種の悲劇を予感していたせいなのかもしれない。考えてみればシャーマンというのは特別な存在であり、長命であって当然なのだろう。

87歳・・・脳溢血で倒れていた一人暮らしのミホを発見したのは、たまたま彼女の許を訪ねた孫娘のしまおまほだったのだが、その時、ミホがまるでお姫様のように床に横たわっていたという言葉から、僕にはありありとその場の光景が浮かんだ。
普段はひっつめている髪がその時ははらりと床に広がり、少し伸ばした腕を枕にして、よこざまに眠るように倒れているミホ・・・やはりどこまでも神話的な景色に思えて、僕はすこし震撼する。と同時に、ミホの人生の「孤独の美しさ」のようなものに、僕はすこし羨望する。

海辺の生と死をもう一度読み返したいなと思ってAmazonで検索してみると、中公文庫は当然のように絶版で、古本には結構な値がついていた。明日は久しぶりにBookoffにでも行ってみようと思う。

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