対岸には人家の明かりも見える、本当に町中の河原です。むろん炊事場やDCコンセントの用意のあるオートキャンプ場ではありません。すぐ上流では砂利の採取が行われていて、日中はダンプカーがひっきりなしに往来している、薄汚い、ゴミだらけの河川敷。 物置にはシュラフやらテント、バーベキュウ・コンロにポリタンクまで一通りの支度は何時もしてあるので、後は車のトランクに積むだけで、ほとんど準備は完了です。思い立ったのが午後からで、子供達はきっちりピアノのレッスンも終えて、家を出たのが午後4時過ぎ。途中スーパーで食料を買いだしして、河原に着いたのが午後5時。ホント近所の川なんです。 お盆休みも終わった週の半ばの河原には、キャンプしようなどと言った物好きは一人もいません。橋のそばにテントを立てると、橋に並んだ街灯で明かりもほとんど必要ありません。何もない河原で、子供達はそれなりに遊びを見つけて闇の中で笑っています。便利なガスバーナーよりも、炎の身近に感じられる炭や薪の火が好きな私は、新聞紙を丸めて炭に火を付けるところから始めます。炎には人を魅了して止まない、ある種の"ちから"があります。原初の闇の中で、炎に守られて一夜を過ごした原人達は、危険だが、きわめて魅力的な力を秘めた炎に照らされて、さまざまな彼らの神話を生み出していったに違いない。 あまりに多くの人に、あまりに大量にコミニケートしようとした結果、いつのまにか私は一時的な人間嫌いに陥っていたようです。ついつい理解してもらいたいと、言葉を重ねる自分自身にうんざりしてしまったのです。弁解するために始めたわけでも無い筈なのに、媚びるようにメールを書いている私の行為が不愉快なのです。いや、誤解を招く表現でした。決して、暖かい言葉を掛けていただいた方のせいだと言う事ではありません。あくまでも私自身の問題なのです。自閉といい、自虐と韜晦して見せても、結局は同じ。何かある度に現れる、自分自身の弱さが我慢ならないのです。 しかし、それが出来ないでいるからこそ、人嫌いなどと「お気楽」な理屈をこねているのでしょう。
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