歳時記(diary):七月の項

一日

土曜出勤。
入院依頼二件あり、家族待ちでエラく時間を使うことになった。

二日

朝から患者むけに学習会。フットケアをお題に。
夜は都議選開票速報を。池上無双は公式になったのか。

三日

患者少なくて少しゆっくり。それでも発表の準備は遅々として進まない...。

四日

夜は当直。挿管から始まる不穏な夜だったがその後は大事なく。

五日

見当違いな入院依頼に腹を立てながら、とりあえず引き受けてしまうのはよいのか悪いのか。

六日

外来数がハンパじゃない数で、気合い入れてひたすら巻く。終わって見ると普段通りな時間で。

七日

夕方外科の緊急手術あとの透析に対応するので残る。自分のスライド作り業務もあるんだけど。

八日

午前の仕事を終えて、山野ホールへ。永さんのうわさ話と題してトークとミニコンサートを。 お目当てはさだまさし。もっとも歌はすべて永さんの歌だったけれど。生きるものの歌のカヴァーは気にいった。
ゆっくりとしたメロディラインで奇を衒わず覚えやすい。穏やかに聴けて、記憶に残る、そんな歌と思った。
行き帰りのお供は「僕の作った怪物」乙一。

九日

日当直。隙間時間でスライド作成。明後日発表なんだが...こんなもんか?

十日

当直明け。それほど呼ばれずにほっとした。

十一日

夕方病棟で仕事してたら遠くで「バカヤロー」と叫ぶ声が。ん?なんかもめ事でもあったか?と思ったのだが、どうも大相撲中継を観ながら興奮した患者さんが叫んだらしい。‥‥まぁ平和でいいか。
夜は「SLE」のお題で講師を。なんかちょっと違った話題になった気がするがまぁしょうがない。

十二日

発表が終わってのんびりした感じで。さて、つぎは休暇に向けて仕事を整理しないといけないのだが。

十三日

外来で「え、スイカは腎臓にいいんじゃないんですか?」と患者さんに言われた。わりと果物は腎臓にいい説は根強く流布されているデマなんですが、どっから沸いてでたものなんだろうなぁ。ヘタすると死ぬのでとにかくやめて欲しいんですが。

十四日

後輩たち引き連れて東京腎生検カンファレンスへ。腎生検ヲタクが集まるヲタクな議論を実感していただこうという趣向。終わって「どうだった?」「‥‥全然わかりませんでした」まあ、勉強していくとだんだんわかってくるよ、とか。

十五日

父の新盆ということで墓参りして、そのあと夕食会。精進料理という趣向にしたのだけれど、割りと味も良くて、満足して帰ってきた。

十六日

日直して当直して。主に待機だったのでその間に「ILC/TOHOKU」(小川一水・柴田勝家・野尻抱介)を読了。北上山地にトンネル掘りぬいて建設を計画している国際リニアコライダーに材をとったSF小説三作。リニアコライダーの計画があるのは昔岩手行った時に看板見たので知ってたが、それがこんな形で創作に結びつくとは思わなんだ。
「新しい塔からの眺め」では、水沢緯度観測所(現在の水沢VLBI観測所)のデータからZ項を導き出した木村栄のことが語られる。精緻な観測とそれから導き出す理論の重要性は現代も同じと思う。
註もつけられて理解を助けてくれ、面白く読み終えた。

十七日

当直明け。合間を見てコミケット拡大準備集会へ。

十八日

週末までに片づけないといけないあれこれを一つずつ。ひぃ。

十九日

他院から転院相談受け。‥‥受けるだけ受けて丸投げてくる対応に一通り怒鳴り散らしてくる。あんまりこういうことやるべきじゃないよなぁと思いつつ。
いまさらやっぱり転院取りやめてくださいと言うわけにもいかず、夜も遅くなってようやく紹介状を細かく読み込んだりしはじめたら、紹介状の宛先が他診療科だったという脱力オチがついていたという。も、何をかいわんや。

二十日

昼休みに女医さん方のトークに混ざってしまう。先日ヨシケイの配食をご紹介したら便利に使われている由で。家庭もち医師となると、いかに時間を節約するかが鍵で、少々の出費で時間節約できるならそれに越したことはない感じ。買い物行ってメニュー考えてでとても時間を使うという話を聞いて、それならとご紹介したのだけれど。
大して家庭で仕事を果たしているとは自分は言い難いのだけれど、お役に立てたのなら、というところ。

二十一日

明日から夏休みってことで遅くまでかけて退院処理と引き継ぎ書類を作成。

二十二日

午後からJ wave summer JAM。お目当てはユニコーンと平井堅。けど他の歌手も十分楽しく。
平井堅の高音はオーボエ、みたいに聞こえる時がある。
幕間でいろいろプロモーションビデオが流れていたのだけれど、普段見ないものも見られてそれはそれで面白かった。

二十三日

早起きして新幹線へ。岩手の親戚を訪ねて。
既に代替りしているけれど、従弟が農家を継いでいるので頑張って欲しいところ。着いて祖母を見舞い、夕食とって就寝。
そういえば牛舎に全然行かなかった。

二十四日

ⅠG Rから青い森鉄道へと乗り継ぐ。
息子リクエストだったのだけれど、当人は車中で熟睡していたという。青森駅で昼ごはんを食べて、弘前へ。本日の宿はロマントピア相馬。敷地内に天文台があったりするところなのだけれども、本日はあいにくの曇天のため、夕食食べて早々に寝てしまった。

二十五日

本日は一日弘前観光。弘前城は現在曳き家で天守閣が移動され、石垣の修理中とのこと。天守閣大移動の様子とか、よくこれだけのことができるなぁとびっくりな感じで。でももっと驚くのは、百年前にも同様の曳き家で天守を動かして修理を実行していたということで。こういうことができる作りそのものがびっくり、ということだろうか。

夜は雲も減って絶好の観測日和。天文台では話しだしたらとまらない感じの先生が生き生きと土星、木星にアルビレオ、デネブ、アルタイルと語っておられた。 丁度I SSが上空を横切る所も観られて大満足。

二十六日

リゾート白神に乗車。
キハ48のビフォーアフターぶりがなかなか。二号車のからくりシートは靴脱いで足を伸ばして乗っていける作りでなかなかよかった。行きも帰りもくまげら編成ということで、息子としては残念のようす。
十二湖駅からバスで奥十二湖までいき、青池から王池へ回るハイキングコースをたどった。まだ時間が余っていたので、さらに日本キャニオン展望台まで降りてから、バスに乗って帰ってきた。

二十七日

青森市内観光の日。
ホテルから歩いてアスパムまで行き、そのあと駅前自転車置き場でレンタサイクルを借りる。棟方志功記念館へ。
漠然と版画家、としか知らなかったのだけれど、倭画と本人が呼んだ絵画が割と面白く。ビデオも放映していたけれどひどい視力だったんだろうなと思わせる動作で。それでもなお創作はつづいたわけで、意欲と能力は別の問題なんだなと強く思った。
昼はのっけ丼。そのあとねぶた館に八甲田丸をみて、堪能した。

二十八日

三内丸山遺跡へ。
早く着きすぎたので門前でしばらくぼけっと。邪馬臺なんか、思い出していた。 縄文時代の定説を書き換える遺跡だと思うけれど、その解説を無料で展示しているのはとても素晴らしいことと思う。野球場建設をとりやめて保存としたことも。
のんびり展示を観て、再生琥珀のアクセサリ作り(研磨)に挑戦してから、新青森まわりで帰路についた。

二十九日

のんびり起きて、旅行の荷物の片づけなど多少やって。
夜は花火大会....と思っていたのだけれど、がっちり雨なのであまり見られず。

三十日

結局だらだらしただけで終わったような。(滅)
プリンタを新調。EPSON EP-10VA。ときにA3まで出力できるということで、希望する性能は一通り入っている感じ。

三十一日

久しぶりに出勤。
患者さんたちがそれなりに落ち着いていたのでほっと一息。


Written by Genesis
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