月いち恒例の"ショートショートの日"も例によって、何かにおそわれる男の話になってしまいました。物語上の制約から、どうしてもホラーやSFにお話が偏りがちです。まぁ、ショートショートの歴史小説なんてあまり聞いたことないですが。 何かに偏った悪夢とは、一種の願望の裏返しなのかもしれません。眼球喰い破って脳味噌に殺到する昆虫の群に襲われることが私の願望とは、あまりにおぞましい気はしています・・・ 自分の才能の無さを徹底的に知らされたのは、ステーィブン・キングの「スタンド・バイ・ミー」を読んでからでした。多分に自伝的なモノを含んだその小説=勿論、稀代のストーリーテラー(つまりは大嘘つき)のキングの書くものを、頭から自伝と決めつけるのは愚かですが、作中の「わたし」が12才の早熟なキング自身であることも、また小説的に確かなのです。作中作として登場する"若書き"のキングの作品には、すでに溢れるばかりの「物語」が登場します。意味不明で表面的なストーリを追うことさえ難しい観念的な小説=ただのこけおどしでしかない薄っぺらな独り言=ばかり書いていた僕にとって、キングの「物語」を読むことは、とてつもない才能に対する自らの矮小さを確認するための、徒労感に満ちた作業でした。しかし、その「物語」のなんというおもしろさ。 ある日、自分が決して名人にはなれないことを、自分自身で突然に理解した、と告白する将棋の棋士の話を読んだことがあります。努力や研鑽では越えることの出来ない壁を、それを易々と登ってしまう存在によって初めて気づかされる事があります。僕にとってステーィブン・キングとは、まさにそう言う種類の作家だったのです。 で、 それからは自分が偏愛する作家を見つけては、ひたすら"読む"事に専念していたのですが、この日記を始めたのを契機に、internetを通じて、さまざまな人と交わることで再び何かを"書いてみたい"という欲求が湧いてきました。肩ひじ張らずに「キーボードのすさみ」として書き続けることが重要なのかな?と最近は考えるようになりました。 分裂症気味の文体はまぁご愛敬ということで、日記じゃない日記をこれからも書いてゆくのでしょう。 村上龍、僕も好きです。しかし、彼は生活に追われているわけでもないのだから、もう少し腰を据えて長いものを書いて頂きたいです。ラストの物足りなさ・・・突然の快感の波に思わず射精してしまった若者の気分。400枚や500枚の書き下ろしでは物足りない。せめて2000枚ぐらいの長編小説が読んでみたいと切実に思っています。 真のばうわうウォッチャーは、はたして誰か?あまり嬉しくない称号は堂々めぐりして、最終的にはご本人にさしあげるのが一番かもしれません。最近思うこと・・・ばうわうとは、やっぱ、消しゴム彫れない"ナンシー関"じゃん。 貧乏にするか、留学にするか、ちょっと悩んでしまいましたが、岡田さんがそれほど貧乏だとは思えないので"留学"でリンク貼りました。岡田克司さんの貧乏留学生日記。そのうち、岡田さん自作のJAVAのアプレットをパクリに、いや、参考にさせて頂きたいです。なぜにリンクが遅れたか?それは忘れていただけ。
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