デーテーペーな1日

6月13日(Thu)
 実は、今日の日記は、昨夜久しぶりに見たテレビについて書くつもりでした。
 「ル・バル」パリの下町にあるダンスホールを舞台にした、全編セリフのない、歌とダンスだけで綴った人生模様という、いかにもフランス映画らしい洒落た作りの佳品なんですけど、これについては明日あたりに書くかもしれません。

 今日はある人の日記についてどうしても書きたくなりました。

 たった今読みおわった日記の中の、彼女のポートレートに魅せられています。彼女はもうこの世にはいません。山田花子(本名・高市由美)さん、私はあなたにお会いしたかったです。あまりにも繊細なあなたのココロを傷つけはしないかと恐れながら、恐がらなくてもいいんだよと、あなたに告げたい。
 漫画の世界にうとい私は、ある人に知らされるまで、彼女のことはまったく知りませんでした。現在も、彼女の漫画を読んだことはありません。とても有名な方なのかもしれません。ただ、黄ばんだ用紙に印刷された、彼女の葬儀の時に使われた遺影に心が乱されています。
 赤いベレー帽と幼い三つ編みが彼女を幼女のように見せているが、少し傾けた首で見返す彼女の瞳が、私の心を正面から突きさすようです。私の心の中のどす黒い願望や欲望、嫉妬やねたみ、劣等感や虚栄心、それら醜いモノを全て見通す、透明なチカラに溢れた瞳でした。他者との関係を求める自己の純粋さのあまり、繊細すぎる彼女の精神には人間の中に潜むモノは耐え難い怪物のように思えたのかもしれません。
 劣等感の固まりとなり、自己の才能に絶望する魂。醜いモノを激しく拒絶しながら、自分自身の中にも又同じモノがあることに深く傷つく少女・・・彼女の言葉が私の言葉であるかのように、共感というよりももっと強い感情が私を突き動かす。



親切=お節介。心配=ありがた迷惑。

ドラマごっこはうっとおしい。



いつも思うこと「早く終わんないかな」

なんの希望もないけれど、今日も一日生きてみよう。

死ぬよりマシかもしれない。



 彼女の関心事は、いつも他者との関係性の修復でした。真実を求めながら、真実など何処にも存在しないことに絶望して、他者を拒否しながら、それでも求めずにはいられない孤独な魂。彼女を傷つけ続ける廻りの人間達・・・ただのいじめっ子は、その悪意の嵐に耐えればそこで終わるのに、彼女が天敵と呼ぶ人間達=家族であったり友人であったりして、愛の押し売り(実は自己愛の裏返し)に追いつめられる時、彼女には逃げ場所がない。それが善意であればあるほど、その息苦しさに耐えられなくなる彼女のうめき声が聞こえるような気がしました。
 そっと彼女の傍らに立ち、愚かな人間をその愚かさ故に愛することも又、人生のひとつなのだよ、と教えてみたい。あなたを無私の心で愛する人は必ずいる事を伝えたい。人を愛することの醜さに絶望すること、愛を確かめるために、およそ愛とは無縁な行為でしか確認することの出来ない、人間という生きものの矛盾について答えたい。
 彼女と同じような絶望の海から、なぜ私が浮かび上がったかといえば、それは私が「雄」の攻撃性を持った、彼女のいうところの"強度の屈折型"の人間でもあったからです。関係性を拒否しながら、尚且つそれを求める気持ちも又大きかったからです。
 彼女の必死の叫びに耳を傾ける人間が一人でもいれば・・・その事を責めることは意味がないし、責めることは不可能でしょう。彼女の孤独のあまりの深さに気付くことの無かった父親の悲哀。追いつめてしまった娘にわびる母親の後悔。我が子に死なれてしまった親の自責の念も又、私は共感することのできる年齢になりました。もう少し生きてほしかった。彼女の24才の短い生涯の必然性について、やはり存在しない「神」に向かって抗議する事は、私の務めのような気がしています。

山田花子(漫画家・故人)自殺直前日記
太田出版 ¥800


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