デーテーペーな1日

7月11日(Thu)
 1971年5月が高橋和己の命日である。もう25年も昔の事だとは、いささか信じがたい気がする。
 不安な時代、自らを自閉の海に貶め、その中からの再生を誓う坂口安吾の堕落論に代表される、戦後の混乱期に人気を得たいわゆる無頼派の作家達の作品が、ここの処ブームだと言われる。
 遅れてきた無頼派と私が密かに命名する高橋和己は、憂鬱な党派の旗手として、決して颯爽とした語り口ではなかったが、何故か私の心にしみる作家だった。しかし、命日に年若い女性が花を持って訪れる類の作家ではないが、私にとって、一時期口にするのが恥ずかしい作家で在ったことは間違いありません。難解な文体、日常的な絶望癖、リリシズムと自閉症的人間関係・・・何だかひとつもよい処が無さそうですが、それら全てを飲み込んだ「高橋和己」と言う存在に魅せられて、彼の作品を読み続けていた時期がありました。
 どうしようもなく時代に翻弄されながら、教育者として真摯に自らの立場を表明する彼と、作家としての解体にまで自らを追いつめる彼の生き方が、些末な齟齬を意識させない緊張感を読者に強いる。作家としては本意ではない筈のそうした読まれ方に、傷つき自閉しながらも、書かずにいられない暗い情熱がとても痛ましい。
 恐らく、彼の作家的ピークは、死の数年前にあって、Ifの世界で彼が生き続けていたとしても、ペンを折って学究の徒として生きるか評論家として文学を論じているような気がします。ただ、夭折と云うにはいささか無理がある年令ですが、志しなかばに力つきた印象は、いつまでもつきまといます。

 という訳で日記ネタへ・・・

 いろいろな日記を巡回しながら、そうした日記者を作家になぞらえる作業をやったりすることがあります。
 愚直とも言えるほど真摯に物事に対処する姿勢と、自らを律する倫理に厳しい方。学究肌の下ネタや何となく笑うのはお尻のあたりがくすぐったいジョーク。大坂育ちな処や、専門分野としての中国文学。プロフィールの写真にも何やら面影があったりして・・・そうです。野原さんこそ、僕にとっての日記界の「高橋和己」なんですね。あそこまで、野原さんが暗かったり自虐していると思うわけではないのです。ほとんどこじつけ。どうか気を悪くされないように。
 のほほんの石橋さんは、野坂昭如かなぁ。これも根拠のある話ではなくて、多分にいいがかりです。倉橋由美子か河野多恵子といいたいのが、"ここにいるよ"のかおりさん。赤尾さんはプロの方だけど、日記界で擬するなら竹中労でしょうか。
 私の場合はだれでしょう?阿佐田哲也はその名前の由来からも近しいような気もするし、本人としては昔の(ここが重要)半村良が良いなとか、埴谷雄高、井上光晴、ステーィブン・キング、J・G・バラード等々、まるで訳わからない選択肢をあげてみたりします。寺山修司(漢字怪しい)と言われると、けっこう悲しいかも。
 ばうわう氏はだれでしょう?作家性に乏しいので難しい処ですが、泉麻人(唇なめる癖はヤメテ)はちょっと違うし、やっぱり、根本敬・えびすよしかず・宅八郎あたりでしょうか。えびすよしかずの、"勘違いさせるキャラクター的いい人ぶり"は、最近の彼に近いかもしれません。


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