デーテーペーな1日

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9月17日(Tue)
記憶
父をみた。

 3年前に死んだ筈の父が、向かい合ったホームにぼんやりと立っている事に私は気づいた。
 轟音と共に入ってきた電車の車体に遮られた一瞬、私はすでに彼の姿を見失っているだろう事をなかば予感していた。発車の合図と共に動き出した車内に目をこらすが、それらしい人影はなかった。
 そして、電車が出たあとの終電まぎわのホームには、連絡橋をのぼる数人の後ろ姿以外、やはり誰の姿もなかった。

 ここの処、何度もそんな父を見たような気がしていた。

 診察のために座った病院の待合い室のガラス越しに、道路の向こうをとぼとぼと歩く父親の横顔をみたのが最初だった。青ざめ疲れ切ったその横顔は、確かに死のまぎわに病室で私に見せた、あのあきらめに満ちた表情だった。妥協することで成り立っていた父の人生は、自らの死までも、妥協と諦念の手にゆだねる事でなんとか精神の平衡を保とうとしていた。しかし、小心な父には、人生の処世術で"死"を納得することは、どうしても不可能だった。
 私に病名を何度も尋ね、悪性の病名でないことを自分自身に必死で納得させようとしていた。手術のための麻酔で意識を失うことをひどく恐れていた。意識の戻らないままに死んでしまうことに耐えられないほどの恐怖があるようだった。大丈夫だからと、私が耳元で囁くと、少し照れたように横を向いてストレッチャーで運ばれていった。
 悪性の癌患者が、自らの病名を認知しないまま死んでいくことなどあり得ない。従容として死に挑むなどという形容は、死にゆく人間にはとうてい納得できるモノではないはずで、どす黒い憤怒を秘めたまま、耐え難い"死"を、ただ死んでいくしかないのだ・・・苦痛に満ちた数カ月の後、父は誰も看取る者のいない集中治療室で機械に囲まれたまま死んでいった。
 病院の待合い室の雑然とした人波の間を抜けて、父を見かけた道路に出てみたが、そこにはむろん誰もいなかった。どうやら、父と同じ病におかされたらしい私が見たのは、自らの恐怖が映し出した幻だったのかもしれない。

 駅の改札を出ると、何時ものように閑散とした商店街を抜けてわが家へ向かう。今日は特別に人の姿がない。シャッターを降ろした商店街には、私以外の人影もなく街路灯だけがほの白く通りを照らしていた。
 ポケットを探るが鍵が見当たらない。そういえば会社帰りだというのにカバンをどこに置いてきたのか?わが家の玄関口で一瞬立ち止まると、脇のチャイムを押す。
 「はい。」といつになく若やいだ妻の声がして、ドアが開く。私の顔を見た妻の瞳の焦点が不意に乱れ、そのまま恐怖に凍り付く。絶叫するかたちに開けた彼女の唇からは、ひきつるような喘ぎ声しか出てはこない。
 玄関脇の壁に掛かった姿見に映る私の姿を見て、不意に私はすべてを理解した。痩せこけて褐色に変色した皮膚と洞窟のように黒くひからびた眼窩の奥の白く濁った眼球・・・その奥でちろちろと蠢くものは、紛れもなく白い蛆虫の群だった。背広の袖口からもぽたりぽたりと落ちた蛆虫が、玄関の茶褐色のタイルの上でのたうっている。
 そう、私は先月、父と同じように機械に囲まれた集中治療室で、父と同じ癌細胞におかされて孤独に死んでいった事にやっと気づいたのだ。

 田舎のトイレもまた、僕の恐怖の対象のひとつです。足元を覗き込むと、一面に広がる蛆虫の大群・・・どうしてもこのトイレを使うことのできなかった僕は、裏山の雑木林の奥にごそごそと入りこんで、秘かに用を足す・・・小学校時代に田舎の親戚の家へ行くことはとても耐え難い苦痛でした。


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