本日の日記の更新も、例によって昼間なんですが・・・はい、そのとおり。今週もお出かけです。 で、本日も日記じゃない日記を書くハメに。 いつか書こうと思いながら、先に書かれてしまいました。それが、別冊宝島281号[隣のサイコさん] 「大江光あるいは『フォレスト・ガンプ』症候群の猖獗・聖なる白痴の零落/呉 智英」なんですね。 もうほとんど表題ですべてが語り尽くされています。いわゆる"絶対的正義"によるお題目となにやら不明なセンチメンタリズムでマスコミにとり上げられることの多い、あのノーベル賞作家の息子のことです。 美談仕立ての空疎なヒューマニズムで祭り上げられた「大江"七"光」の物語は、結局彼の父親が著名な作家で、事ある度に彼の小説の題材にしてきたが故にマスコミで大きく取り上げられた、いわゆる大江健三郎へのチョーチン記事ではないのか?と言う疑問です。その興味の中心たるや、結局は計算のできる牛や昔話をしゃべるオウムと同列の、陳腐な見せ物としての話題にしか過ぎない気がしてならないのです。 思いがけない障害と同時に、特異な才能を持ち合わせた我が子に、何かしら運命的なモノを感じるてしまうのは、親として当然だとも言えます。その才能を生かそうとする事、何らかのカタチで社会参加させようとして手助けする親の思い。しかし、その事で救われるのは大江健三郎だけであり、同じ障害児でありながらそのような才能を持たない子供を持った親にとっては、二重の意味で差別され絶望を味わうだけの事ではないのでしょうか?ノーベル賞作家の息子だから・・・それに比べて我が子は・・・ きわめて個人的な出来事であり、なんら社会性のない閉じた世界のお話しを、あたかも障害児の可能性の証明のようにはしゃぐことは、やはり無神経な野次馬の感想にしか過ぎないのでしょう。 風通しの悪いアパートの一室で、世の中から孤立してひっそりと生きるだけの「白痴」や「障害者」にとっては、あたかも火星での出来事のようにはるかに遠い世界のお話しでしかない事が、僕には気がかりなだけです。
ATOKの変換辞書には、デフォルトではなぜか「白痴」の文字はないようです。「気違い」も変換できませんね。無意味な漢字変換をやたらに強調するわりには、妙な分野の語彙にはまったく弱いようです。なにやらインターネットの世界にもさまざまな規制の網が掛けられようとしてるようです。盗聴法案などと言った馬鹿げた法律が真剣に議論されている状況は、やはり不気味です。こうした現実に対処するためには、きちんとしたカタチで異を唱える必要があるのでしょう。
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